その41 顕現せし二度目の地獄
─前回のあらすじ─
コーショの穢れを否定する為、ヨミエルとラナは潔白証明と呼ばれる儀式を行う。
その一方で、村に残ったギブルとオタニアの側に、不穏な影が忍び寄るのだった。
「貴様、何者だ」
私は、目の前の男に問いかけながら、懐の供物に手を伸ばした。
一目見れば、そいつがアトメントの者でも、フマンツ村の住民でもない事がわかった。
だが、そんな事よりも……この男から流れる魔力の音が、私の耳に入り込んでくる。
先程から、この男は魔力を出し続け、身を守っている。
その魔力に意思はなく、ただその身にある魔力で身を包む。
意思なき魔力を、その身に纏う……そうか。
──この男は、陽の光を遮断している。
「貴様、純血のエルフ……フローシフ教祖のダアムか」
「おや、ご名答だよぉ……混血のエルフ君」
エルフの故郷である極夜の森に住まう、混じりなき血脈を持った者。
通常であれば、純血のエルフは陽の光を浴びると死ぬ。
だが目の前の男は、魔力で自身を包み、陽の光を遮断する事で免れている。
その魔法を使えるのは、歴史上でもただ一人『ある魔法使い』だけの筈だ。
「しかしまぁ『内通者』の報告通り、勇者さんはここにいる様だが……まぁ、そんな事はどうでもいいんだ」
「内通者だと?」
ダアムの発言に気を取られた瞬間だった。
「貫け」
突如、声と共に後ろから一本の氷の矢が放たれ、オタニアの脇腹を貫いた。
「なっ!?」
「──えっ」
氷の矢で貫かれた穴からは、流れ出る鮮血の代わりに、結晶化した血液が弾け、傷口はパキパキと音を立てながら凍りついた。
「あッ……ぐ」
震える手で傷口を撫でると、オタニアは糸が切れたように、どさりと地に倒れ伏した。
何が起きた……。その一瞬の思考が私を支配し、僅かに時が止まった。
「ギブルッ……後ろだッ!」
「ッ!」
オタニアの声に、私は氷の刃を創り出し、攻撃が放たれた方向へと振り返る。
そして、動揺を隠すように私は叫んだ。
「アトメント……!裏切ったな貴様ッ!!」
振り返るとそこには、白い外套を身につけ、真っ白な仮面で顔を隠したアトメントの男が、こちらに魔法の矢を放っていた。
「きゃあ!?」
「おぉい、頭狙えって言ったよねぇ?まぁ、もうどうでもいいけど」
視界の外から、ナグツメの叫び声が聞こえる。ダアムがナグツメを捕らえたのだろう。
しかし私は、その事に気を取られる事もなく、目の前の裏切り者に斬りかかった。
挟撃の形の今、一瞬でもダアムの方に気を取られれば、もう一度奴の魔法が襲いかかってくる。迷っている暇などなかった。
「──!」
瞬時に斬りかかる私に、奴が驚愕し、硬直する。
──奴の時が止まった今、勝負は一瞬。
秒も掛からぬほど疾く、飛び込むように地面を蹴り、奴との距離を縮める。
しかしあと一歩、この距離では刃を伸ばしても届かない。
秒が経ったその瞬間、私は手に持った刃を奴に投擲し、一瞬先に攻撃の一手を放った。
放たれた刃は矢のように風を切って迫り、瞬時に奴の眼前へと辿り着く──しかし。
「従え」
奴の言葉と共に、黒き巨大な根が地中を抉りながら急速に生え、私の放った氷の刃を砕く。
「チッ!傲慢の魔法か!」
一瞬の攻防の末、私の目の前には阻むように黒き根が聳え、奴の姿を隠した。
一手でも遅れれば、反応する間もなく切り伏せられるこの状況、追撃は諦め、すぐさま踵を返しダアムへと視線を移した。
──だが、後ろにいた筈の、ダアムとナグツメの姿が消えた。
逃げられたか……辺りを見渡し、仮面の男の方も探すが、どちらも忽然と姿を消した。
……襲撃者は恐らくはあの二人だけ。他にフローシフの者や紛れた者がいるなら、二人だけで攻撃を開始するとは考えにくい。
何故ナグツメを攫ったのか……不可解な点は多いが、今は結論を出す余裕がない。
そう思い、私は次の行動に移すべく、倒れているオタニアに声をかけた。
「立てるか?」
「頑張れば、なんとか……」
「ならアトメント全員を今すぐ集めろ、一人残らずだ」
「……マジで?」
「マジだ、治療ならアトメントに任せておけ。もっとも、その中には裏切った奴もいるだろうが」
「はぁクソッ、なんでこんな事に……!」
凍った傷口を押さえながら、オタニアはぎこちない足取りで村の中心まで歩き始める。
さて、ラナとヨミエルにも、現状を伝えておくべきだろう。
私はピュイと口笛を吹き、村に待機させている伝書梟を呼び出す。
数秒程して、音もなく梟がこちらに向かい、私の腕に足を下ろした。
「ヨミエル、ラナ、今すぐ戻れ、フローシフの連中がフマンツ村を──」
「おいギブル……あれ!」
そう言った束の間、歩き始めたオタニアが声を上げ、空を指差す。
それと同じ頃、村中からもどよめきの声が聞こえ出す。
雲ひとつない快晴の空を見上げる。
「あれは──」
一つの影が、太陽の前に姿を現す。見ると、ダアムがナグツメを掲げ、太陽の前に浮かび、影となっている──
『終わりなき魂よ』
突如、ダアムから発せられた魔力の音が私の耳に入った。
『今こそ、その物語を呼び覚ましたまえ』
純血のエルフが太陽の下で、魔法を放つ。これから起こる歴史の繰り返しに気づき、私は全身の血の気が引く寒気を感じながら急いで叫んだ。
「ッ!!ラナ!ヨミエル!その梟を追って来い!フローシフ教団にナグツメが攫われた!!」
『今こそ、この地に新たな生命の頁を開きたまえ』
投げ飛ばすように梟を飛び立たせ、オタニアの元に走った。
『この古き身を代償として』
「従えッ!」
オタニアのそばに着くと、すぐさま黒き根を操り外壁を創り出す。
それと同時に、太陽に浮かぶ影が地面に向かって堕ち始め……地面に触れた。
喉の奥が振動する程の轟音と共に、辺りが赤黒い霧に包まれる。
外壁を背に、オタニアと共に辺りを見渡すが、何も見えない。
まるで血の深海の底にいるかのような状況が続き、とうとう霧が晴れ、辺りの様子が見え始め……。
私は『神隠し』で見た情景を再び目にすることとなった。
暗く、赤い暗雲が空を遮り、私の見上げる空は、恐ろしく悍ましい血の海の様に赤黒く、暗闇に喰われた太陽の影が辛うじて辺りを照らす、宵闇の空に包まれていた。
建造物がまばらに建ち並んでいた村からは、魔物と、それから逃げ惑う人々の叫び声が、阿鼻叫喚の地獄が顕現したことを知らせていた。
「これは……アヴァロンと同じ……いや、それ以上──」
瞬間、根の外壁がバキバキと砕かれ、トンボの竜がこちらを見下ろす。
『ギチチッ!』
「ドラヤンマッ!根に引き寄せられたか!」
私は砕かれた根を操り、天高くその根を突き上げる。
その根に貫かれたドラヤンマは青い体液を撒き散らしながら、節を小刻みに鳴らしもがく。
「もう一体!上だ!」
突き上げられたドラヤンマと交差する様に、白い結晶を身に纏ったトカゲの魔物がこちらに飛び掛かる。
人型にも見えるそれが、かつての村人だという事に気づくのには、一瞬も掛からなかった。
「チィッ!」
その手に刃を創り出し、迎え撃とうと構えた瞬間。
突如、三本の黒い閃光が魔物を貫き、一閃する刃が魔物の首を斬り落とした。
「──ナグツメ……何処だ」
黒い蝶へと霧散する魔物を見下ろし、異形狩りたるコーショが血炭の刃を構えていた。
魔物の中から現れた人間を見下ろすその瞳は、全てが虚であり、殆ど正気ではないことがわかる。
「おいコーショ、聞こえているか!貴様の娘なら、恐らくあの中にいる!」
「……」
コーショは私の言葉を聞き、何も言わずに武器を構え、村の中心に目を向けた。
いつ魔物化するかも、いつ正気に戻るかもわからないが、今は一つでも手が必要だ。
憶測でもなんでもいい、兎に角この状況を打破する一手を打たねば。
「ギブル!僕は村の人たちとアトメントを入り口に避難させる!」
「任せた……私は──」
そう言って私は走りだすオタニアを尻目に、地獄を顕現させ、影を堕とした村の中心に目を向ける。
「あの根を切り落とす」
──村の中心に脈動する、巨大な赤黒い根に向かった。
─純血のエルフ─
純血のエルフとは、ホカイの地、極夜の森に住まう混じりなき血族のエルフ達を指す。
彼らは魔法を使い、それ以上の力、血の力を扱うことが出来る。
血炭の刃もまた、彼らの血の力を利用した武器である事は余り知られていない。




