第46話 べたべたソース作戦
雨で順延になっていた二年生の球技大会。
この日に例のべたべたソース作戦は決行となった。
「本当にこんなので、あいつが引っ掛かってくれるのかな」
大志は半信半疑で晴香、幸枝と最終打ち合わせをしていた。
あのたこ焼きパーティーの時に幸枝が言い出した話から始まった計画だった。
ひょっとしたら能力を使って着替えを覗きに来るかもと、ちょっと馬鹿馬鹿しいと思いながらもやるだけやってみようという運びとなったのだ。
晴天の秋空、球技大会にはもってこいの天気だった。
朝から球技大会の二年生は決まった教室で着替えをする。
男子は一組と二組で、女子は三組と四組だ。
着替えの時間は決まっていたので、全員が着替え始めたタイミングで一旦教室に出入りする者はいなくなる。
そこで三組と四組の教室の入り口に、晴香が用意した得体の知れない粉を撒いておく。
もしそれを踏んだ男子生徒がいたとしたら、後で靴裏を調べれば分かるという仕組みだった。
丁度都合よく男子生徒はグラウンドに出て行くので、上靴は靴箱の中にあるというおあつらえ向きな状況だった。
そして大志はその粉を撒く役と、女生徒が着替え終わってから拭いて回る役をしなければならなかった。
それは加速している大志以外誰もできない事だった。
「魔がさして覗いたりしないで下さいよ」
晴香がくぎを刺す。
「おまえの中で、俺は一体どう見えてるんだよ」
そりゃちょっと興味あるけどさ……。
大志は疑いの目を向ける晴香からビニール袋に入った粉を受け取った。
「これ何の粉?」
「へへへ、ヒ・ミ・ツ」
大志と幸枝は怪しい白っぽい粉の入った袋を怪訝な表情で観察する。
床の色とあんまり見分けのつかない色だが一体何の粉だ?
「先輩方二人はあの分室で待機しててください。女子が着替えに入ったら私がLINEで知らせますんで、丸井先輩は加速して計画通りやって下さい」
「分かった。そんで女子が出てくる前に掃除だな」
「そう言う事。一旦分室に戻って私の合図で二回目の加速で清掃してください」
晴香は最後につけ加える。
「くれぐれもおかしなこと考えない様に」
「駄目よ。大ちゃん」
「なに? お前らホントに疑ってるわけ?」
大志は二人からちょっと汚いものを見るような視線を感じたのだった。
幸枝と二人で分室で待機していると晴香から早速連絡が入った。
「大ちゃん、加速して!」
「行ってくる」
大志は幸枝のひと言で簡単に加速した。
別に慌てなくてもいいのだが、何となく走って教室まで向かった。
ここに撒いとけばいい訳だな。
大志は二つの教室の入り口に粉を薄っすらまんべんなく撒いた後、分室に戻った。
実はちょっとだけ覗いてみたい誘惑と戦った。
「ただいまー」
大志が幸枝の前に戻ると加速は解けた。
「びっくりした。終わったの?」
幸枝の目にはさっきまで前の席に座っていた大志が、分室の入り口に瞬間移動したような感じだった。
「一応計画通り。後は着替え終わって最初の子が出てくるタイミングの前に掃除だな」
「箒と塵取り持ってかないとね。あと雑巾も」
幸枝は大志の持ってかなければいけないものを最初に用意してくれていた。
「戸成は授業抜け出して見張ってるし、俺たちは先に着替えてこんなことしてるし、見つかったら先生に怒られるだろうな」
「大ちゃんはまだいいよ。私、生徒会役員だから示しがつかないのよね」
幸枝はちょっと不安そうだった。
「きっと生徒会クビだろうな」
しばらくして晴香からまた連絡が入った。
「加速して!」
「行ってくる」
大志は幸枝に言われた通り箒と塵取り、そして雑巾を持って走って行った。
大志は結構きっちりした性格だったので、撒いた粉を残さず綺麗に掃除し雑巾で拭き上げた。
そして最後の入り口を拭き上げ終わったときに気付いてしまった。
ちょっとだけ隙間が開いてるじゃないか!
加速世界の中で動きのあるものは極端にゆっくりと動く。
今まさに教室側から女生徒が戸を引いているタイミングだった。
駄目だ。俺は良識ある高校生なんだ。この程度の誘惑に負ける訳が……。
大志の脳裏に、あの汚いものを見るような目つきをしてた晴香と幸枝の姿が浮かぶ。
いかん。馬鹿馬鹿。俺は何をやってるだ!
でも、これってわざとじゃないよな。たまたま顔を上げたらちょっと見えてしまう事だってよく有る事だよな……。
大志が自己中心的な解釈に行きついたその時、突然キーンという音が止まった。
加速が解けた!
大志は大慌てで箒と塵取りを持って逃げ出した。
間一髪で女子に見られる事なく、逃げおおせる事が出来た大志だった。
「ただいまー」
肩で息をしながら普通にドアを開いて戻って来た大志に、幸枝は首を傾げた。
「どうして歩いて帰ってきたの?」
大志はへへへと笑いながら。箒と塵取りを片付けた。
「上手くいったの?」
「うん。もうそれはバッチリ」
額の汗を拭きながら大志は心臓の動悸を押さえようとする。
そこへ晴香が戻って来た。
「忘れものよ!」
晴香が大志の顔に投げつけたのは、慌てて置いて来てしまった雑巾だった。
「もう! 信じらんない!」
晴香はカンカンになって怒っていた。
「教室を見張ってたのを終えて戻ろうとしたら、先輩がいきなり姿を現すし」
晴香はどうやら大志の失態を目撃していた様だった。
大志は青くなった。
「え? 大ちゃんの加速が途中で解けたって事?」
幸枝は晴香に詳しい話を聞こうとしている。
「そうなんです。加速が解けた時に何してたと思います?」
「掃除?」
「掃除は終わってました。先輩はあろうことか……」
「まさか大ちゃん!」
二人の冷たい凍るような視線が痛い。
「いや、何にもしてない。たまたまなんだ。たまたまちょっと顔を上げたらちょっとだけ開いてて……」
「言い訳すんな!」
パーン!
晴香の平手打ちが小気味良い音を立てた。
「不潔!」
パーン
幸枝の平手打ちが間髪入れず飛んできた。
この痴漢騒動で今から何をしようとしていたのかも忘れてしまう程、分室内は荒れたのだった。
「もう一発叩いてやりたい……」
「私も……」
部屋を出ても晴香は怒り収まらぬ様で、幸枝と共にどんどん先に歩いていった。
大志は少し遅れてついて行く。
さっき女子が着替えていた教室の前まで行くと、晴香は懐中電灯の様な物をポケットから取り出した。
「何それ? 懐中電灯?」
幸枝は不思議そうに晴香の手にあるペン状の物について尋ねた。
「まあ見てて下さいよ」
晴香がボタンを押すと、大して明るくもない光が床を照らした。
「あっ!」
幸枝と大志は同時に声を上げた。
「足跡が浮き上がってる」
晴香がペンライトの様な物で照らし出した床に、緑色の靴跡が見えた。
「これはブラックライトなんです。そんでそこの覗き魔に撒かせておいたのが蛍光パウダーなの」
「ふーんじゃあ、そこの覗き魔が撒いた粉を踏んだ後に足跡が付くのね」
「そう言う事です」
懸命な弁解も空しく、ドスケベのレッテルを貼られた大志は、畜生以下の扱いを受けていた。
きっと時間が解決してくれる。何を言っても聞く耳を持ってくれない女子二人に大志は半ば諦めている。
ライトが照らす足元には靴跡がきっちりついていた。
「これは当たりかも。多田先輩、覗き魔先輩、後を追いますよ」
「靴箱に向かってるみたいね」
晴香と幸枝の後について、かつて丸井先輩と呼ばれていた覗き魔は靴箱へとやって来た。
「さあいきますよ」
晴香はちょっとわくわくしながら、予め調べていたリストにある生徒の上靴を調べる。
「これだわ」
付着した蛍光パウダーで靴裏が緑色に光っている上靴を、晴香はとうとう突き止めた。
その靴箱に貼ってある名前を見て、大志は何も言わず奥歯を噛みしめたのだった。




