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加速する世界の入り口で  作者: ひなたひより
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第42話 二人の帰り道

 教授との話が終わった後、大志は窓の外を見て振り返った。


「もう真っ暗だ。やばいな」


 大志と幸枝はいいが、晴香の家はここからまあまあ遠かった。


「戸成、送ってくよ」

「え? いいよ。先輩また戻って来ないといけないじゃない」


 晴香はそう応えたものの、ちょっとだけ頬が緩んでいた。


「そんな遠慮する柄じゃないだろ。いいから俺の言うとおりにしてくれ。それとゆきちゃんはしっかり戸締りをして今日は家にいるんだ。もしなんかあったらすぐ俺に連絡するんだよ。いいね」

「うん。分かった」



 大志は自転車置き場から普段はあんまし乗らない自転車を出してきて、後ろに乗れと晴香を急かした。

 晴香はお尻が痛いと文句を言いつつ自転車の荷台に乗った。


「大ちゃん、気をつけてね」


 幸枝に手を振って、大志は若干ふらつきながら自転車を発進させた。

 晴香は大志の腰に手を回す。


「先輩、自転車あんまし乗ってないんでしょ」

「何でもお見通しだな」


 大志は前を向いたまま応える。


「ふらふらしてる。こけないでね」

「ああ。こけそうになったら踏ん張る」

「おしり痛い……」


 晴香は硬い荷台に文句を言いつつも、嬉しそうに笑みを浮かべる。

 自転車をこぐ大志はそんな晴香に気付く事は無い。


「ねえ先輩」

「何だ?」

「この先を右だよ」

「よし右だな」


 二人の乗った自転車は、ちょっとふらつきながら大回りで角を曲がる。


「私の方が上手いかも」

「じゃあ代わってくれるか?」

「それって絵的におかしいでしょ。こういう場合は男がこぐものなの」

「はいはい」


 大志は適当な返事を返して、晴香の案内するままに自転車をこいでいく。

 晴香は風で髪を揺らしながら、大志の背中に話しかける。


「送ってくれるのはいいんだけど、あの正体不明の加速する奴が現れたら先輩だけじゃどうしようもないんじゃないの?」

「そうだけど、いないよりましだろ」

「ましなのかな?」

「酷いな。それに暗くなったし一人じゃ危ないだろ」


 晴香はまた少し嬉しそうな顔をした。

 晴香は大志の大きな背中に、触れるか触れないかぐらいに額を近づける。

 晴香の回した腕の中の大志の腰がペダルを踏みこむ度に動く。大志のシャツの中の筋肉が躍動していることに、晴香はあらためて異性を意識してしまうのだった。


「ありがとう……」


 聞き取りにくい程小さい声だった。


「え? なんだって」


 風を切る大志には晴香の小さな声は届いていなかった。

 街灯もまばらな住宅街。町のあちこちの家の換気扇から夕食時のいい匂いがしてくる。


「お腹すいたね」

「え? 今日は買い食いしないぞ」


 何だか間の抜けた会話。

 でも晴香には終わって欲しくない時間だった。


「ねえ……」


 小さな声で言ってみる。

 大志はペダルを一生懸命踏み込んでいる。

 聴こえていない様だ。

 自転車はゆるい傾斜の下り坂に差し掛かる。

 大志は踏み込んでいたペダルを緩めると、ほんのひと時、下り坂に身を任せ爽快な風を受ける。

 晴香は自分にそれほど当たらずに通り抜けていく風に、腕を回したその背中の大きさをあらためて感じる。

 すーっという耳のすぐ近くでする音に、晴香は心地良さげに目を閉じた。


 すっかり暗くなったった通学路。

 本当はいけない自転車の二人乗り。

 晴香の小さな唇からとても小さな声が滑りだした。


「好き」


 晴香はほんの少し回した腕をきつくする。

 きっと大志は気付かない。

 そして今は気付いて欲しくないと晴香は思うのだった。



 こっちだよと晴香に指示されて曲がった道の先は、びっくりするような真っ直ぐな激坂だった。

 大志は途中まで相当頑張ったのだが、坂の傾斜に負けて、今は自転車を押して晴香と並んで歩いていた。


「汗でぼとぼとだ。えらい坂の上の方に住んでるんだな」

「二人乗りで上る坂じゃないよ。先輩は頑張った方だよ」


 肩で息をしながら自転車を押して歩く大志に、晴香は少しだけ近付いて歩く。


「電チャなら余裕なんだけど」

「誰でもそうでしょ」


 そして晴香は坂の途中に建つマンションの前で立ち止まった。


「ここなんです。ありがとうございました」

「あ、見晴らしいい場所だったんだな。学校見えてるんじゃないのかな」


 大志が暗くて見えそうにもない白い校舎を探すのを見て、晴香は遠くを指さした。


「あの辺です。昼間はよく見えますよ」

「へえ、一回見てみたいな」


 晴香は大志の何気ない一言に躊躇いを見せながら返す。


「また今度家に来る?」

「え? 戸成の家に?」


 大志がちょっと戸惑いを浮かべる。


「先輩の家に何回か行ってるし、たこ焼きも食べさせてもらうし言ってみただけ。来たくなければ来なくってもいいんだから」

「いや、じゃあまた寄せてもらうよ。戸成の部屋で作戦会議だな」


 大志は自転車の向きを変えてからサドルにまたがった。


「こりゃスピードでそうだな」

「先輩、車に気をつけてね。飛び出したまに有るんだから」

「ラジャー」

「あ、パクりましたね」


 二人でへへへと笑い合う。


「なあ戸成」


 街灯の下、大志の表情が急に真面目にな感じになる。

 晴香はそんな大志のふとした変化に緊張を隠せない。


「はい……」


 真っ直ぐに大志は晴香に目を向ける。

 晴香もそんな大志から目が離せない。


「戸成、俺、お前の事が……」

「えっ!」


 小さいびっくりした様な声。晴香の胸は突然高鳴った。


「なんだか心配だよ。戸締りだけはしっかりな。それと一人で突っ走るのは今後無しな。頼んだよ」


 期待していたものと違っていた言葉に晴香は口を尖らせる。

「じゃ」と言い残し、大志は下り坂を自転車で滑るように行ってしまった。

 そして勢いよく下って行った大きな背中を、晴香は見えなくなるまでふくれっ面で見送ったのだった。

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