第29話 晴香の不機嫌
狭くて殺風景な大志の部屋。
大志と晴香、それに幸枝も加わって、変な緊張感の中で話をしていた。
「今日すごかったんだよ。ボートに乗ってたらお爺ちゃんが池に落ちちゃったのを見ちゃったの。その前にお孫さんが落ちてたらしくて、それを助けようとしてボートごとひっくり返っちゃったの」
「へえ、そうなんだ。大変だったね」
勿論その場にいた訳だから何もかも知っている。しかしそこにいた事を知られる訳にはいかなかった。
「瀬尾先輩とデートだったんですよね」
晴香が口を挟んだ。なんだか言葉に棘がある。
「えっ、まあそうなのかな? ただ一緒にボートに乗っただけなんだけど」
「それを一般的にデートって言うんです」
晴香は何故かデートを強調した。
それを聞くたびに大志は胸が痛くなる。
「好きなんでしょ。瀬尾先輩の事」
晴香は突然直球で訊いた。
幸枝は戸惑いながら大志の顔を見る。
その幸枝の態度が気に入らなかったのか、晴香はさらに突っ込んで訊いてくる。
「どうなんですか?」
ちょっと言いにくそうにしている幸枝の代わりに、大志が口を開いた。
「ゆきちゃんもまだ日が浅くって戸惑ってるところなんだよ。それはもういいんじゃないかな」
「先輩は黙ってて下さい! 私は多田先輩に聞いてるんです」
大志が口を挟んだ事で、晴香の機嫌が明らかに悪くなった。
「どうして戸成さんは私と瀬尾君の事を聞きたがるの?」
「それは……」
今度は晴香が口ごもる。
「もういいです」
晴香は目の前の焼き菓子をパクパク食べ始めた。
そんな晴香を大志は変な奴だという顔で見ていた。
幸枝は一度中断したボートの話の続きをまたしだした。
「さっきの話なんだけど、それからおかしな事が起こったの。池に落ちた筈のお爺さんとお孫さんがいつの間にか、女の子が一人で漕いでたボートの上にいたんだって。遠目だったけど丁度戸成さんみたいな感じの子だったような……」
幸枝は眉間に皺を寄せて晴香の服装をしげしげと眺めた。
「あれ?」
大志は幸枝の雰囲気を見て慌てる。
「そうなんだ。戸成って報道部だけあって、流行りものに敏感なんだよな。その服も売れ筋のマストアイテムってさっき自慢してたし」
言い繕おうとする大志を、晴香は滅茶苦茶睨んだ。
「ヒョウ柄のパンツも流行ってますよ。電車でもよく見かけるし」
晴香は嫌味たっぷりに言った。
「そうなの? 知らなかった」
晴香はちょっと機嫌を直したみたいで、フフフと不気味に笑った後、鞄の中から携帯を取り出した。
そして何やら操作した後、大志に向かって幸枝に気付かれないようにウインクした。
そして……。
「きゃーっ!」
幸枝は胸を押さえて飛び上がった。
「何するのよ!」
晴香は幸枝の胸を突然鷲掴みにしたのだった。
動揺している幸枝に晴香はニヤニヤしながら謝った。
「いや、見た感じより大きいのかなって思って」
大志は呆気に取られて声も出なかった。
「もう! 私帰る!」
幸枝はそのまま怒って出て行った。
「今のは何だったの?」
まだ何が起こったのか良く分からないまま、大志はしたり顔の晴香に聞いてみた。
「分かりませんか? 悲鳴を録音したんですよ」
そしてスマホの録音停止ボタンを押した。
「これで引き金は手に入れたっと」
どんな手を使ってでもやり遂げるこの行動力。大志は本当に恐ろしい奴だと思った。
「ところで今加速しませんでしたか?」
「あ、いや、その……」
そう言えば加速する条件だったんだな……。
「気を取られ過ぎて忘れてました……」
「エッチ!」
晴香は冷ややかな目で大志を見た。
大志は何も言い返せなかった。




