第26話 ボートに揺られて
大志と公園で待ち合わせた筈の晴香は、なかなか現れなかった。
なんだ、寝てんのか……。
「お待たせ」
ひょっこり現れた晴香に大志は目を丸くした。
それは急に現れたからだけではなく、晴香が意外なほどおめかししていたせいだった。
穏やかな午前中の光に揺れる木の葉を背景に、薄いグリーンのスカートと刺繍の入った白いブラウスに身を包んだ晴香は、大志の目をくぎ付けにした。
「びっくりした?」
そう言われて我に返る。
「なにが? 遅かったな」
なんか不意を突かれてちょっと悔しかった。
「あれ、先輩地味な格好で来たのね」
大志は上下黒のジャージ姿だった。
「別にいいだろ。気付かれないように地味にまとめたんだ。なのに戸成は……」
「ここカップルばっかりでしょ。地味にしてるとかえって目立つじゃない」
晴香の言うとおり、ボートに乗る男女の殆どがそこそこ着飾っている様だった。
「それを早く言ってくれよ」
大志はちょっと置いていかれた様な気分になった。
「それに気付かれたときに、私たちもデート中って言い訳しようって言いましたよね。先輩の格好だと尾行してましたって感じなのよね」
そう言われて大志はますます小さくなった。
「すみません……」
「まあいいや。その時はその時よ」
晴香は今日も勢いがあった。
「先輩、あれじゃない?」
言われてボート乗り場に目を向けると、確かに瀬尾と幸枝だった。
大志の胸はまた痛んだが、晴香はお構いなしに大志の腕を取った。
「さあ、作戦決行ですよ。上手くやりましょう」
大志の手を引き、駆け出した晴香に大志は急いでついて行く。
緑の木陰を走り抜ける晴香の後ろ姿は、ずっと見ていたくなるほど綺麗だった。
ボートはこぎ手が進行方向に背を向けるため丁度都合が良かった。
晴香もおめかししているせいで遠目には誰だか分らないに違いない。
大志はちらちらと目の前にいる晴香を見てしまっていた。
なんかちょっと可愛いじゃないか……。
どこかに目をやりようにも自然に晴香に目がいく。なるほど、だからデートに使うんだな。
大志は初ボートの相手が小生意気な相棒ではなく、デートする相手だったらどうなんだろうと想像してみたが、何にも浮かんでこなかった。
「先輩さっきから私の事見てますよね」
「仕方ないだろ。目の前にいるんだから」
晴香はそう言いながらも楽しそうだ。
「あーあ、初ボートの相手が先輩だなんて」
覆いかぶさるように影を落とす枝葉の隙間から日差しが射し込む。晴香は眩し気に目を細めて見上げる。
すうっと涼しい風が水面を揺らして、晴香の肩までもない癖のある髪を揺らす。
「ごめんな、相手が俺なんかで……」
大志はちょっと申し訳なさそうにそう口にした。
晴香はハッとして大志に視線を戻す。
「まあ今回のボートはカウントに入れないで、戸成の初デートの時にとっとけよ」
申し訳なさそうな笑顔を見せる大志の言葉に、晴香は何も言えず目を伏せた。
大志は気付いていなかったが、うつむき加減の晴香の表情には、些細な心無いひと言を後悔しているような、そんな心の内が窺えた。
「……先輩はどうなの。誰かと乗った事あるの?」
大志は笑って答えた。
「聞くなよ。そんなのある訳ないだろ」
晴香はそれを聞いて笑顔を見せた。
「じゃあ一緒だ」
そしてまた水面を揺らして涼しい風が通り抜けた。
二人はさざ波を立ててきらめく美しい水面に目を向ける。
そしてただ綺麗だと心から思った。
「あれ?」
晴香がきょろきょろしだした。
「え? もしかして」
大志が振り向いて見回す。
「見失っちゃった」
ちょっとやっちゃったみたいな顔をして、晴香はペロリと舌を出した。
大志はハーとため息をついた。
「いや、俺からは見えないし戸成に任せていたんだけど、方向の指示を出さないし変だと思ってたんだ」
大志は猛烈にがっかりしている。
「ごめん。ちょっと忘れてました」
「何のために来たんだよ。まあ、人の事は言えないけど……」
大志もちょっと楽しんでいたので強くは言いにくかった。
「あれ危なくないですか?」
晴香の指さす先を大志は振り返って見る。
そこにはお爺ちゃんと孫だろうか、慣れない手つきでボートをこぐお年寄りの前で幼児が水面を覗き込むように見ていた。
「危なそうだな。お爺ちゃん、ちゃんと孫に注意しないと……」
「あーっ!」
晴香が叫んだ。
二十メートルほど先の池の中央で、ボートからその幼児が水に落ちていったのだった。




