第20話 長蛇の列
土曜日の朝10時。
改札付近で行き交う人の中に、待ち合わせた晴香を探しながら、大志はそこそこ緊張しつつ待っていた。
「せーんぱい!」
突然後ろから背中をドンと押された。
驚かせようと晴香が忍び寄っていたのだった。
「あいたたた」
晴香の押したところはまたしても球が直撃した所だった。
「あ、やっちゃった」
不覚にも休みの日に幸枝以外の女子と出掛けるという事に、ちょっとだけときめいていた事を後悔した。
「怒るよ」
「へへへへ」
晴香はブルゾンにデニムのパンツというボーイッシュな格好だったが、それはそれで似合っていた。
大志はというとジャケットを羽織って、ちょっといつもより頑張っていた。
「あれ? なんかいつもと違いますね」
しげしげと見られて、頑張らなければ良かったと恥ずかしくなった。
「制服じゃないんだから当たり前か」
晴香は大志の動揺を感じていないみたいだった。
「さあ行きましょう」
晴香は元気よく大志の腕を掴むとすたすたと歩きだした。
書店の入っているビルのエレベーターを降りると、でかでかと作家によるサイン会こちらとポスターが貼られていた。
「あの教授だけだと思っていたけど、三人いるみたいだな」
ポスターには収納術のカリスマ主婦と新進気鋭の恋愛小説家、そして例の教授が載っていた。
「ほら結構人だかり出来てますよ。行きましょう」
晴香は大志を置いて小走りに駆けて行った。
始まったばかりなのにもう長蛇の列ができていた。
「しまった、もうちょっと早く来て並んでおいたら良かった」
晴香は列の一番後ろに並んで大志を手招きした。
「すごい人だな」
この感じじゃ先ほど晴香と打ち合わせした様にはいか無さそうだった。
晴香は本にサインをしてもらうどさくさに、訊きたい事を全部インタビューすると計画していたのだった。
この状態でそれをやったら、後ろで待ってる人にキレられるに違いない。
「なあ、さっき言ってたとおりには難しいみたいじゃないか?」
「え? ご心配なく。私に任せて下さい」
すごい自信と度胸だ。心臓に毛が生えているというのはこの人の事を指す言葉だな。
「それにしてもおっそいな」
まだ並び始めたばっかりで晴香はイライラしだした。
「先輩ちょっとここで並んどいて」
晴香はそう言い残して、さっさと列の先の様子を見に行った。
「せんぱーい!」
晴香の声がする。
列が曲がっていて先が見えないので、声だけしか聞こえない。
「今並んでる列、恋愛小説家のやつでしたー。教授のほうはガラガラでーす。誰もいませーん!」
大声を上げて教授を侮辱しているともとれる発言をアナウンスしている晴香と合流した。
「馬鹿、もっとソフトに言えないのか」
「え?」
晴香はきょとんとしている。
なんかちょっと可愛いじゃないか……。
一瞬だけ血迷ったが、大志は全く人の寄り付いていない席に着いていた教授に愛想笑いをした。
「すみません。なんか失礼しました」
「いやいや、いいんですよ」
実際の教授は写真で見たよりも若干萎んでて貧相に見えた。
おおよそ六十歳ぐらいの感じだった。
「あの、サインを貰いにきました」
大志は山と積まれた本の一番上に手を伸ばして、近くに控えていた店員さんに手渡した。
「二千五百円になります」
高いな……。
そう思いながらしぶしぶ支払った。
表紙には誰でも解る加速世界。入門編と書かれてあった。
「篠田小五郎です」
教授は一度席を立って会釈した。
「丸井大志です。で、こちらが……」
「県立Y高等学校報道部、戸成晴香です。先生の執筆された素晴らしいこの本に感銘を受け、報道部を代表してお話をお伺いにきました」
晴香の自己紹介を聞いて教授の顔がほころんだ。
「それはそれは、わざわざお越しくださって恐縮です。どうぞ何なりとお聞きください」
晴香は早速肩にかけた鞄からボイスレコーダーとメモを取り出した。
雰囲気だけは本格的だと感心した。
「さあ何でも聞いて下い」
教授は気持ちよく言ってくれた……のだが。
晴香は無言でニコニコしているだけだった。
大志はすぐに分かった。
教授の書いた本の内容何にも入ってないんだろ!
「教授、実は本の内容は素晴らしかったんですけど、僕たち高校生にはちょっと敷居の高い内容でして……」
大志はちょっと言いにくそうな雰囲気を出して晴香を援護した。
「つまり最初からもうちょっと嚙み砕いて説明をして頂いて、ちゃんと理解したうえで記事にしようと考えているんです」
必死にここを乗り切ろうとする大志の横で、晴香はうんうんと頷いた。
「そうなんです。全校生徒を対象に紹介するものですから誰でも理解できるように校正し直さないといけませんの。教授ならその辺お分かりになりますよね」
取って付けたみたいな感じになったが、教授はおお、それならと身を乗り出した。
純真な人だった。大志の良心は痛んだ。
晴香はしてやったりという表情だ。
「よーし、今日は君達の為に本気出しちゃおうかな」
その言葉を聞いて大志は思った。
ひょっとしてお調子者かも。




