第15話 音のない世界で
大志は次の日、体のあちこちに痛みを感じながらも、幸枝と共に朝の通学路を歩いていた。
学校に近づくにつれ生徒の数は多くなっていく。
同じ制服だらけが同じ方向を目指し歩く中、大志は前を歩く一塊のグループの中に、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「あ」
瀬尾だった。大志は思わず声に出していた。
幸枝は大志の視線の先に瀬尾がいるのに気付き、ちょっと行ってくると走り出した。
その後ろ姿を見て、また自分が少し嫉妬しているのを感じて頭を振った。
「はー」
「何ため息ついてるんですか」
「えっ!」
何時からいたのか、戸成晴香は大志の真後ろにいたのだった。
「おはようございます」
「お、おはよう」
晴香は大志をじろじろ見ている。
変なところ見られたかな……。
目を逸らしつつ、少し歩くペースを上げる。
「怪我、大丈夫なんですか」
晴香も流石に大志を心配していた様だった。
「ああ、見ての通りだよ。大丈夫だから心配しなくていいよ」
実際それほど大した事は無かった。
「あの……」
晴香は何か言いだしたそうに大志の横に並んだ。
大志はまた何かとんでもない事を言いだすのではないかと構えた。
「私、先輩の追っかけ取材もうやめます」
「え?」
「また球技大会でホームラン打ったら取材に行くつもりですけど、密着取材はもうやめます。あんなに迷惑かけたし……」
何だかしおらしくなった晴香に少し驚いたものの、相当反省しているのは感じられた。
「そう、それは良かった。こないだのはまぐれだし多分取材するなら別の奴だよ」
昨日の事を引きずっているのだろう。少女にいつもの元気は無かった。
そこに幸枝が戻って来た。
「あれ、瀬尾はいいの?」
「うん。しばらく一緒に帰れないって言ってきた」
あっさりとした感じの幸枝に、大志は困ったような顔をするしかなかった。
「あれ? 戸成さんじゃない。今日はなんだか浮かない顔ね」
幸枝にそう言われて、晴香は少し無理して笑顔を見せた。
「朝はいつもこんなんです。じゃあ先輩、私先行きますので」
晴香はそう言い残すと走り去って行った。
「あらら、どうしたのかしら」
「さあね、それより駄目だよ。瀬尾の事ほっとくなんて」
「大ちゃんの事話したら、瀬尾君はそれでいいって言ってくれたよ」
「そうかも知れないけど……」
瀬尾ならそう言うだろうけど、こっちが気を遣うんだよな。
「それよりさ、さっきのあの子どうしちゃったんだろうね」
「戸成の事? ああ、多分昨日の事がショックだったんじゃないかな」
「昨日って?」
そう言えば、幸枝には車に撥ねられた事は言ったけれど、あの娘と一緒に帰っていたのを話していなかった。
「事故の時、あの子もいたんだよ」
幸枝はなんだか微妙な顔をした。
「そう、一緒だったんだ……」
「密着取材だよ。あのホームランの」
「あ、ああ、あれね、そうだったんだ」
幸枝はへへへと笑った。
「あの子は大丈夫だったの?」
「うん、撥ねられたのは俺だけ。目の前で人が飛んでってびっくりしたんじゃないのかな」
大した怪我もなくって、晴香の取材も取りやめてもらえた事を大志は少し歓迎していた。
また静かな日常が戻ってくる。この時の大志はそう思っていた。
球技大会まであと一週間。
「また紅白戦かよ」
ベンチの中、大志の横で洋介は毒づいた。
「また前みたいにあいつら闘士を燃やし合ってるぜ。気持ち悪い奴等だ」
洋介が見据える先には、あの永遠のライバル同士の片山と杉田が勝負していた。
「杉田の奴、片山との勝負に燃えているけど、お前にもリベンジするって言ってたぞ」
やっぱり。
大志はエースの杉田は勝つまでやめないタイプだと見抜いていた。
「おーし」
「いけー」
味方の声援が上がる。
ベンチの皆が試合の行方を見守る中、大志はフェンスの向こうを覗き込んだ。
ゆきちゃんは……。
いた。
また見物に来ている。
大志はまたあれが起こるのではないかと気になっていた。
あれ?
幸枝の向こうでカメラを構える女の子。
そうかあの子の興味は片山に移ったのか。
大志は戸成晴香のカメラを構えるその先を見て納得した。
片山は二球見送った後の甘く入ってきたストレートを見逃がさなかった。
そして快音が響いた。
キン!
大志は片山の打った打球を目で追おうとした。その時、幸枝のものであろう悲鳴が聞こえてきた。
「キャーッ!」
大志の頭の中でゴトリと音がした。
続いて何かが回転するようなキーンという音がし始める。
まただ!
大志は立ち上がった。
何の音もしない世界で自分だけが動いていた。
そして何が起こっているのか確かめる。
片山の打った打球は大きく逸れて、おかしな方向にゆっくりと飛んでいっていた。
見物していた幸枝が口を押さえて叫んでいる。
実際は何の音もない世界なので叫んでいるような雰囲気だった。
大志は打球の進行方向にカメラを構える晴香がいる事に気付いた。
フェンスが邪魔だったのか、上手く隙間から体を入れて撮っていたのだった。
このままでは晴香に打球が直撃しそうだった。
あの馬鹿!
慌てて大志はベンチを抜け出して走り出した。
またいつこの状態が終わってしまうか分からない。
大志はのろのろと飛び続けるボールに追いつくと、そのまま鷲掴みにして適当に投げた。
そして急いでベンチに走って帰ろうとする。
その時またキーンという音は突然止んだ。
「こら、お前何やってんだ!」
体育教師の坂口が青筋を立てて怒鳴った。
丁度キャッチャーの後ろを大志は走っていた。
急いでベンチに駆け込んだ大志に皆大笑いした。
「何だよ、小便ぐらい我慢しろよ」
洋介に言われて大志は胡麻化すように笑った。
「あれ? ボールは?」
片山がどこかへ行ってしまったボールを探す。
誰もが見ていたはずの白球は、結局どこを探しても見つからなかった。




