第10話 付いてきた少女
人間は理解しがたい現象に出くわした時、自分の都合のいいように解釈しようとする。
その事を証明するかの如く、今回起こった戸成晴香にまつわる不可思議な騒動は、各々の解釈でなんとなく方向性ができ上がった。
一年生の与太話は、通りがかった教師によって、なに馬鹿な事言ってるんだと一刀両断されたのだった。
そして大騒ぎしていたのは報道部一年の女生徒だけで、周囲の生徒たちの関心はすぐに冷めてしまったのだった。
少し薄暗くなりかけた河川敷沿いの道を帰る大志と幸枝の後を、少し間隔を空けてついてくる人影があった。
二人は刺さるような視線を背中に感じて振り返る。
「家、こっちじゃないよね」
幸枝が声を掛けると戸成晴香は小走りで追いついてきた。
「皆なんとなく納得して解散しましたけど、あれってどう考えてもおかしいですよね」
晴香は自分の主張が何一つ通らなかった事に、どうしても納得がいっていないみたいだ。
「ちょっと先輩方、あちらでお話聞かせてください」
指差したのは偶然なんだろうが、よく幸枝と座るあのベンチだった。
幸枝は平気な顔をしていたが、大志はもう関わり合いたくないと言う態度を溢れんばかりに出しつつ付いて行く。
「えーと、まとめるとこういう事でしたよね」
大志と幸枝を座らせ、晴香は二人の前に仁王立ちになって、先ほど起こった不思議な事について話し始めた。
「丁度私が屋上から落ちかけたタイミングで二人は現れて、多田先輩は叫び声をあげて気を失った。転落した私は偶然銀杏の木の枝で上手く弾かれて、開いていた四階の窓から奇跡的に戻ってこられた」
どう考えても不自然な解釈だが、何とかその場をまとめようとした通りがかりの教師による妥協案だった。
「そんで、落ちたと思って下に降りて見に行こうとした丸井先輩が四階の廊下で私を見つけた。さっきはこんな感じで先生が三人の意見を聞いてまとめましたけど、なんだか嘘みたい」
ひと通り自分の身に起こった事を辿ってから、晴香は首をひねった。
大志はあの非現実的な世界で起こった現象については何も話さなかった。
幸枝はともかく、この何でも大袈裟にしてしまう一年生には口が裂けても言いたくなかった。
「でも何であんな所から落ちたの? そもそもどうしてあんな所にいたの?」
幸枝が疑問に思うのも当然だった。
大志もその事が引っ掛かっていた。
「それはちょっとネタ探しに行ってて……でもなんで落ちちゃったのかは分かんない」
晴香は顎のあたりに手を添えて、不思議そうな顔をした。
それはそうだろう。いくら考えても理解できるわけがない。一部始終を見て行動した大志でさえ、さっぱり分からなかった。
晴香はそれでも何かをひねり出そうと、眉間に皴を寄せる。
「うーん……誰もいなかったのに突き飛ばされたような気がしたんだけど、突風かな……」
「まあ確かに風は吹いてたわね」
幸枝も一緒になって考え始めた。大志はこの小生意気な一年生が転落していった詳細を整理することにした。
確かに風はそれなりに吹いてはいた。しかしあんなふうに体が外に投げ出された感じになるだろうか。
誰かに押された感じがしたと言っていたが、その時屋上には俺たち三人以外誰もいなかったはずだ。
自分の身に起こった事も不可解だったが、この娘の身に起こった事も同じように不可解だった。
だがそれについて議論したとしても、ここでは恐らく何も解決しないだろう。
大志はそれよりも、この娘の好奇心が刺激されて、さらに色々と詮索されるのを警戒した。
「あのさ」
この辺りで話を変えた方がいいと思い、大志が口を挟んだ。
「その事より俺の記事読んだよ。何だよ、俺あんな事ひと言も言ってなかっただろ」
「え? あーあれね。ちょっと編集の段階で足しといたの」
足したというより、モリモリに盛ったという感じだった。
「それにしても酷過ぎる」
大志は不満を顔に出して言ってやった。
「だって先輩につまんねー何だよこれって笑われちゃって、悔しくて少しだけ面白い感じにしただけなんだもん」
そう言う理由か。本当につまらない理由だった。
「でも嘘は駄目よ。報道部なんでしょ」
幸枝はちょっと先輩らしく諭した。
そのひと言は戸成晴香の心に刺さったのか、珍しく反省の色を見せた。
「それは……ごめんなさい」
しおらしく頭を下げて謝った姿は、ちょっとだけ可愛げがあった。
少し大人しくなった晴香に、もうそれ以上責めるのを大志はやめることにした。
「もういいよ。これからは気をつけるんだよ」
大志は幸枝を見習って、自分も少し先輩らしい度量を見せた。
すると戸成晴香は大志を指さして、鋭い目つきでこう言い放った。
「でもこうなったのは丸井先輩のせいでもあるんですからね」
「え?」
言っている意味が分からない。
「だってそうじゃないですか。インタビューにつまんない返事ばっかり返して、そのお陰で私、先輩に馬鹿にされて」
俺のせいか!
「自分のポリシーを曲げてちょっと面白くしたのは、だいたい先輩がつまんなかったせいですからね」
最後は少し切れ気味に言われた。
「私、夢があるんです」
晴香は暮れていく空を見上げた。
「いつか真実を大勢の人に伝えられる記者になりたい。そして社会の悪を白日の下に晒して、より良い未来に舵を切って行けるような自立した女性になりたいんだ」
ちょっとカッコよく聞こえたが、大志の心には何にも響かなかった。
善人を嘘で固めた記事で追い詰めて、晒し物にしようとしている奴の言う台詞かと言いたかった。
「さー帰ろう」
大志は腰を上げた。続いて幸枝もベンチから立ち上がる。
「あ、まだこれからなのに」
大志は幸枝を促しつつ、まだ食らいついてくるエセジャーナリストに手を振って、逃げるように立ち去った。




