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第一章

ブロッコリーが泡立つ熱湯の中でくるくると回転している

コンロからの熱の凄まじさと言ったら、熱石に水をぶちまけたようだ

じりじりとした心地でツカミを手に鍋の前で立ち尽くす

流しには先程置いたザルがある

冷蔵庫の側面にくっついた百均タイマーがピピピピと鳴りたてると、すぐさま鍋の中身をザルの内にぶちまける__白い湯気がぶわりと沸きあがった、それのトドメを刺すかの如く蛇口をひねると冷蔵庫上段のポケットから氷をひとつかみ、ザルの下にボウルをかませて冷えた水を溜めた

それから作り置きしておいた鳥のささ身のボイル(味付きだ)とゆで卵を和えたものを皿に移して、さあ水切りをしようかと言う所で携帯が鳴った

液晶画面に『ガンちゃん』の表示

相手がだれか確認した所でやかましく鳴りたてる携帯を一旦無視してブロッコリーの救出へと向かった

長い間水に漬けておくのはよくないのだ

栄養分は水に溶けだすし、何より水分を含み過ぎた野菜は美味しくない

一応急いだのだが結局、気の短い着信音は主人の帰りを待つことなく黙り込んでしまい、不在着信から掛け直した

相手はこちらと違ってワンコールで出た

「もしもし、寝てたか?」

快活な声が小さな電子機器から飛び出て耳を刺す

そう言えば、久しぶりに人と会話した気がする__基本連絡はチャットを使うから電話はしないし、一番最近の人との対話なんて2週間前の隣町のスーパーに買い出しに行ったときぐらいか?

「いや、ごめん

ちょっと手が離せなくて、それよりどうしたの?」

「ああ、丁度最後の配達も終わったから帰るのも面倒だし、時間までお前のとこに居座ろうかなと」

「そういうのは早く言っといてよ

自分の分しか飯作ってないんだけど」

「いい、いい

俺基本リサーチの時は腹に物入れないようにしてるから」

そう言えば、そうだった

以前、廃病院をリサーチしに行ったときにはガンちゃんは手術台の物陰から飛び出したたぬきに吐いた

恐怖が高まると胃の中身がひっくり返ってしまうらしい

それ以来ガンちゃんはかたくなにリサーチ前には食べ物を口にしない

と言っても、その以前が十数年前となれば忘れていても仕方がない

昔馴染みの声で学生だった頃の記憶が蘇ってくるのを感じながら自分に言い訳した

「じゃあ、飯食べてるからね」

「ああ、あと五分もしない内に着くわ」

その言葉にもっと早く連絡をしろと思ったが、なにぶん先程放置した手前、良心から黙っていた

どうせもしも家に僕が不在だったケースを思いついて確認の為に電話してきただけで住人の都合なんて最初から気にも留めてないのだ

ガンちゃんは子供の頃からそうだ

僕ら姉弟が家にいる時は好き勝手に家に上がっていた

一人っ子で近所にいる一番年の近いのが僕らだったからだろう

今はもうない村の小学校に通うまでは僕らとガンちゃんの三人がお決まりだったし、小学校からは家庭の事情で祖母の家で暮らすことになった宗助そうすけとで四人がセットになった

中学生になる三人を見送るのがとても寂しかったのを覚えている

僕だけ一つ学年が下だったのだ

三人はこの山間部の町と言っていいのか、村落に片足つっこんだ田舎では奇跡の世代だった

同い年の子供が三人もいるなんてもう50年以上なかったことだったから

4人だけの卒業式、そして始まる一人だけの授業

姉は「あきこ先生を独占できてよかったじゃない」と、揶揄からかい半分慰め半分で言った

全ての教科を担当していたオールラウンダーな50代のあきこ先生は僕の寂しさを知ってか、それともこの小学校最後の生徒になるであろう感傷からかとてもよくしてくれた

基礎ができてたおかげか、それとも元来の僕の才能か、その後も勉学に於いて困った事は一度もない

そこそこにいい点数をそこそこにいい大学に行った

しかし、成績がよくても大学に進学できるわけじゃない

苦節あっての大学進学、それらが叶えられたのは全部姉のおかげだ

弟思いの姉が自分の進学を両親に強く推してくれていたから

中学一年、姉は二年の時、姉は僕に言った

「あんた頭いいんだから、都会に行って好きな仕事をしな

んで、そっちでここの売り込みするの

そしたら、私の婿候補が増えるでしょ?」

こんな冗談みたいなことを言っておいて、本当に僕が上京できたのは姉のおかげなのだから頭が上がらない

しかし、その頃はまさか自分が30になる前に地元に帰っているなどとは夢にも思わなかっただろう

それが必死に働いた末に会社が破産するなんて言う面白くもない神様のジョークがなければ、きっと姉の応援してくれた、理想通りの自分でいれたのだ

次の就職先、となった時に僕はそれを選択できなかった

毎日2時間ぽっちの休息で回転する頭はイレギュラーには適してなく、とっさに地元に帰ろう、と思ってしまったのだ

これからまた就職活動をして新しい所を見つけたとして、そこでまた会社に尽くす

想像が出来なかった、いな、想像したくなかった

効率化された自己、それがどのようなものであっても変化を拒み、固定された日常を欲してしまう根本的な意識__既にこの会社以外ではやっていけないほどにそぎ落とされ順応性は消えた、最早環境を変えるというのは蛙が太平洋を渡ってアメリカを目指すようなもの

結局、これまで貯めに貯めた貯金を持って山間の谷底に帰ってきたのがつい半年前の話__


ガンちゃんは宣言通り僕が食事をしている最中に、ガラガラと玄関の引き戸を開けて入ってきた

田舎なんてものは人はいてもいなくても鍵をしないので不用心極まりないが、帰省して数か月はきちんとしていた戸締りもいまではこの様だ、人のことはとやかく言えない

開口一番、「おおーちゃんと掃除してるな」、それから此方の許可を取らずに冷蔵庫を開けるとビニールの袋に入った缶ビールを入れた

「酒なんか飲んで大丈夫なの?」

僕がそう言うと、日焼けした顔を歪めてにっかりと笑った

「アルコール入ると思考がいい塩梅にぼやけると言うかそんな怖くないんだよ

あ、風呂借りていいか?もうあつくてあつくて!ここんところ急に気温が上がったからなぁ

汗を流さんことには酒ものめやしない」

案の定、僕の返答を聞く前に廊下へ出ていく

「おーい、そっちは風呂場じゃないぞ」

反対側に曲がろうとしたガンちゃんに僕が声を掛けると、分かってらい、と既に曲がって姿の見えないガンちゃんが答えた

「先に挨拶しなくちゃなあ」

古い家の廊下をどたどたとした足音が遠ざかって仏壇のある母の寝室へと向かっていったのが聞こえた

挨拶しに行くにしても先に手ぐらい洗えよ、とも思うが、まあ、ガンちゃんには何を言っても無駄である

それでも、普段自分しか手を合わせてやれていないことを思うと亡くなった二人は喜んでいるだろう

忙しない幼馴染の到来で静かな家が少し湧きだっているのに何だか苦笑した

やっぱりこの家は一人で住むには広すぎる


大柄で逞しい体のてっぺんを濡れた黒髪で現れたガンちゃんは冷蔵庫から取り出したビールを二本取り出すと座りもせずにその場で一本を飲み干した

それから僕の向かいの椅子に座ると、もう一本を開ける

カシュッという小気味の良い音をたてて泡が空気を吸って産声を上げるが、それらもまた思いきりのよい飲み口で一気に喉の奥へと押し流した

相変わらずいい飲みっぷりだ

「残りは置いてくから明日以降に飲めよ」

ここまで美味そうに飲まれると此方も手が伸びそうだが、先手を刺すようにガンちゃんはそう言った

「ちぇ、折角水入らずで飲もうと思ったのに」

「はは、まあ、これからはいつでもできるだろ?」

「僕に運転させる気だろ」

「そりゃ、そうだ

言い出しっぺはお前だろ?」

「まあ、そうだけどさ…

ちなみに宗助は出来るよな?

あいつにも酒は飲んでくるなって連絡しといて」

「大丈夫だよ

あいつ下戸だから

代わりにというか嫁さんがうわばみでな、もういい常連さんだよ」

「宗助にお嫁さんか

なんか時間の流れを感じるな」

「嫁どころか三児の父だな

俺らだってもういてもおかしくない歳だけど」

「ガンちゃん相手いるの?」

「……さち、とよねぐらいかな」

「歳の差婚だな」

「ああ、愛の前には年齢の壁なんて関係ないんだよ

まあ、冗談はさておき

どうだ?最近は」

「と、言うと?」

相手の言っている意味は何となく分かるけど面倒のなので適当に流す

そもそもこちらは食事中なのだ

「ちょっとは落ち着いてきたか?

まあ、俺のアドバイス通り掃除と飯はきちんとやってるみたいだが」

全くなんと面倒見の良い幼馴染だろう

まだ子供もいないはずなのに充分父親然としている

「おかげさまで人間の暮らしをしております」

ささみの繊維を歯で引き裂きながら皮肉めかせて答える

「そんな目で見るなよ

あんときはあんまりにも酷かったからちゃんと生きてるか心配だったんだよ

弁当やカップ麺のゴミもそのままで匂いもきつかったしさ」

「へーへー、命の恩人に感謝です」

僕の心の内を知ってか知らずかガンちゃんは父親ごっこを続ける__いや、母親ごっこか?

「お前、折角庭で野菜始めたならそれ食べろよ

トマトなんて何個かダメになってたぞ?」

僕の食べているものの彩りまで指摘する始末だ

これは彼の気質だろうか、それとも僕が思っている以上に彼に心配をかけてしまったのだろうか__おそらく両者半々だろう

「やだよ、赤いもんなんか気味悪くて食えたもんか」

ガンちゃんがはははと笑った

「思い出したよ、お前はとびきりの偏食家グルメだった」

「いいんだ、野菜は

あれはあんまり暇なもんだから時間潰しに始めたんだよ

鳥でも虫でもが食えばいい」

やることがあるのはいい

野菜の世話は大変な分、やりがいがあるし栄養たっぷりな土のおかげもあってか僕の努力は文字通り実を結びそうだ

変わった男の趣味にガンちゃんは少し間を置いてから何気ない口調で切り出した

「まあ、あんまり暇だって言うなら俺のとこでも手伝いにきたらいい

宗助も家は山の向こうだし、ここにいる若いのは俺くらいなもんだから用事を言いつけられる言いつけられる

年がら年中人手不足だ、ははは」

ガンちゃんの僕に対する気配りに感謝しつつ、僕は話を変えた

「ところで、アツシは?

来るって?」

「ああ、あいつは忙しそうだから無理かと思ったんだが、来るってよ

遅れないように急ぐから待っててくれって返事が来たよ」

「そう、よかった」

食事を終えた僕は立ち上がって洗い物を始めた


山の端から顔を覗かせた夜があっという間に向かいの山の先端まで朱色の空を黒く染めた

毎日行なわれるこの自然の三部制パレードを視界に車を走らせる

不粋なネオンやら24時間営業のコンビニもない田舎の道は道路沿いに思い出したかのように置かれた夜光灯と今はめったにお目にかけない絶滅危惧種の電話ボックスがあるぐらいだ__後者はここでも2つほどしかないが

この時間車の前に飛び出すもん何ぞ山の生き物たちぐらいだが、それだっていてしまったら精神上気持ちのいいものではないので何にも出てくるなよと祈りながら運転する

それに小動物と違ってイノシシなんかが出ようものなら此方が損傷をうける羽目にならない

へこむぐらいならまだいいが、動かなくでもなったりしたら困る

目的地に着いたのは約束の時間の10分前だった__僕の祈りの甲斐あってか幸運な事に誰かの衝突もなく予定通りに辿り着いた

ガンちゃんは車から降りると「なつかしいなぁ」と言ってドアをばたんと閉めた

それから後方に回ってトランクから4本大型のシャベルを出す

僕は家で発見した茶色のウェストポーチを手に取った

昔リサーチの時に容量もあって色々入るからと愛用していた奴だ

ガンちゃんは僕の腰に装着されたそれを見て「おお、出た!捜査キット」と小馬鹿にするように笑ってきた

そうしている間にも今来た道の奥から新参者の光が見え、そいつが目に眩しい車のライトで僕らに目潰しをお見舞いする、と車から一人の男が降りてきた

「おお、おつかれ

てっきり嫁さんに送ってもらうのかと思ってた」

ガンちゃんが相手に声を掛けた

「ああ、俺もそのつもりだったんだけどお義母さんから誘われたらしくて子供連れて実家に帰ってんだ

俺だけのけ者さ」

男は冗談めいた口調でそう答えると僕の方を見た

「おお、亮太

ひさしぶりだな」

「宗助?」

「他に誰がいるんだよ」

「ひさしぶり

あんまり見違えたから誰かと思った」

「はは、貫禄が出ただろう」

宗助はそう言って自分の腹を撫でた

月日の間があっても、ガンちゃん!としているガンちゃんと違って宗助はもうすっかり中年の男と言った感じだった

背が小さくて眼鏡を掛けてて引っ越してきたばかりの頃は態度も小さかった

それが背も僕と同じぐらいでその割にちょっと腹が出てて都会だろうが地方だろうがどこにでも会えるようなおじさん

でも、よく見ると本人の優しい気性を宿した目は昔のままで安心した

所帯を持つと一人前と言われるが、それが真実なのを実物を見てやっと理解した

「確かに宗助がこん中で一番変わったな

蛇で泣いてた弱虫が今じゃ一家の大黒柱だ」

ガンちゃんが十数年ぶりの同窓会を車に寄っかかりながら嬉しそうに眺めた

その様子に少し心が痛んだ

「そういうごうは一人じゃ夜道も歩けなかったのに大丈夫か?

ブランクあるのにいきなり夜の学校なんて」

宗助が揶揄うように言った

宗助だけがガンちゃんを本名の豪と呼ぶ

「うるさいなあ

俺だってもう32だぞ?幽霊なんぞにやられてたまるか

それに、校舎の中に入るわけじゃないからな」

「ねえ、アツシから連絡来た?間に合わなそうだったら先に始めた方がよくない?」

僕の呼びかけに二人は賛同してそれぞれのシャベルを持つ

ガンちゃんは何を言うわけでもなく当然のようにもう一人の分のシャベルを持ってくれた

割れたアスファルトの隙間から所々雑草が飛び出る道を三人固まって歩き始める

月明りのおかげで念のため持ってきた懐中電灯はとりあえずは不要となった

でも、うちしなびれて如何いかにも、と言う具合の我らが母校の校舎の玄関や窓の奥では月の灯りさえも届かない漆黒が覗いている

「どこのにする?」

宗助が僕にあてて言った

「えー、折角ならそこそこ古いのがいいのかなぁ」

「けど、桜って根が凄いだろ?

あんまり立派なのだと掘るのが大変じゃないか?」

「それもそうだね

じゃあ、比較的新しくてでも、死体が埋まるだけの期間はここにいた奴にしようか」

僕の言葉に宗助がくすくすと笑った

ガンちゃんはちょっとびくっとして、それから虚勢を張るように「ああ、そうだな」と言って「じゃあ、あの辺りはどうだ?」と桜に囲まれてる大自然の校庭の一角を指差した

僕はそれがどこら辺か確認して「うん、いいね」と言って先導してかろうじて舗装されている道からその脇に広がるグラウンドの土を踏みしめた

途端に懐かしい土と森の香りに触発されて過去の記憶が洪水のように頭の中を駆け巡る

朝早くに来て野鳥の雛が孵るのを待っていたこと、蛙をつついていじめて先生に怒られたこと__その日の授業は先生の独断で道徳の授業に変えられた、半円状に整列する桜達は春はそりゃ見事なものだったが、黒くて長い毛を生やした毛虫が大量発生していい迷惑だった、それから夜の学校に忍び込もうとして直前でガンちゃんがリタイアを申し出て結局グラウンドに寝そべって星空を眺めながらだべったこと

あの日と同様、今夜も空は変わらずに綺麗だった

近くに二人がいる事によって鮮明に蘇る思い出たちに僕は何だかひどく感傷的な心地がした

しかし、それは僕が都会に出ていた為でもあったらしい

この美しい風景との別離を知らぬ二人は何という顔もせずに軽口を叩きながら僕のすぐ後ろを歩く

この感動を共有できないとは、何とも悲しいものだ

僕はいじけてずんずんと先に進んで、二人が追いついた時には腕を組んで蒼々な桜の木の一つを見上げていた

「よし、こいつにしよう」

僕の言葉に二人が背後でにんまりと笑うのが見ずとも分かる

ガンちゃんが言った

「心霊現象研究会GARES(ガレーズ)のリバイバルだな」

「ああ、いい歳こいて心霊スポット荒らしさ」

宗助が楽し気に自虐する

「失敬な

『これは心霊現象、超常現象の存在を信じるからこその探索リサーチ

いわば証明するための否定、心霊が存在しないという証拠を集め厳選したそれらが現実の現象と矛盾したというデータを集めることによって我々は真実の一端を掴む事が出来る』……でしょ?」

僕の言葉に二人は何とも言えない表情を浮かべたが、最後には苦笑してそれを受け入れた

「ああ、そうだったな」

「今聞いても最もらしいこと言ってるよな」

「ああ、小学生が使う言葉か?って感じだよな」

「まあ、それがらしいっちゃ、らしいんだよ」

二人の砕けた様子に僕もほっとした

恐らく一夜限りになるであろうガレーズの活動はあくまであの時のまま、あの時の空気感でやりたかった

十数年の年月が過去と今の僕らを遠く隔てていようとも

「それにだ!今回のは幽霊は関係ないぞ

今回の検証は『桜の木の下に死体は本当に埋まっているのか?』だからな」

心霊スポット発言の宗助に向けてガンちゃんやけに芝居めいた口調でにやにやしながら言った


このところの異常気象と言う奴か、医療ドラマの心電図のように上がり下がりを繰り返す今日こんにちの日本の気温は緑のなかにぽっかりとあいた小さな廃校でせっせと穴掘りに精を出す成年男性三名をじわじわと苦しめた

薄っすらと表面を覆っていた汗がやがて一つの水滴となり、ぽたりと顎の先から軍手に落ちた

汗っかきのガンちゃんは滝のような汗をかいて一人だけサウナにはいっているみたいだ

「ああ、もうだめだ」

宗助がシャベルを投げ出して地面に転がった

まだ膝丈ぐらいにしか掘れていない、と言うより最初は結構いいペースだったものの50センチを超えたあたりから地質が変わったのか固くてなかなか地面にシャベルが入らないのだ

「情けないぞ!それでも3児の父親か!!」

「うるさい

父親って言うのはな、時に人生の挫折をその背中をもって子供達に教えるもんなんだよ」

「ほっとけほっとけ

あいつは幸せ太りから戻ってこれなかったデブだ

俺達の勇姿を目に焼き付けさせておけ」

宗助が何とでも言え、と言うように息を上げながら唸った

「それにしても、良太

お前意外と力ついたな」

「てっきり言い出しっぺが一番にリタイアすると思ってたけど」とガンちゃんは続けた

僕は誇らしげに顔を歪める

固い地面に屈することなくシャベルを突き立ててゆくガンちゃんも凄いけど様子からして明らかに疲弊している

対する僕は息もそこまで荒げていない

一回に掘り出す量は少なくてもテンポよくひょいひょいと穴の底から土くれを掻き出して背後に小さな山を作っていく

「筋トレを始めたんだ

これでも結構続いててね」

「へえ、やっぱ30になったらそういうの始めた方がいいのかな」

「年々体は弱っていくからな」

そういうのから程遠そうなガンちゃんが宗助に賛同するように頷いた

気付けば、ガンちゃんはシャベルに寄りかかっているだけで、その手は止まっている

「ちょっと、ガンちゃん!」

「いやあ、ちょっと運動して酒が回ってきてなあ」

「だから言ったじゃん」

「悪い悪い、ちょっとだけ休憩な」

「おお、来い来い!今からお前も堕落の民の仲間入りだ」

宗助がにやにやしながら新入りを歓迎した

これで戦力は僕一人となったわけだ

僕が恨みがましい目で睨むと、二人はワザとらしい黄色い声援を送った

「さすが良太、やるときはやる男!」

「よ!穴掘り名人」

やる気をそがれる煩いBGMを苦にもせずにぼくは黙々と穴を掘り続けた


結局、ガンちゃんが抜けてから僕一人で30センチは掘ったと思う

そしてその頃になって遠くの方から小さな異音がして次第に高まり、そしてピタリと止んだ

飛び起きてシャベルを掴み、いかにもずっと作業してましたと言うようにせっせと穴を掘りはじめた二人の男を僕は恨めしい目つきで睨んだ

月明りの下、不鮮明な黒い人影が校舎と僕らの間に現れる

男は上着を片腕に掛けたまま僕らの方へ駆け寄ってきたが、そいつの顔の詳細が認識できるぐらいまで近づいてくると走るのをやめてゆっくりと近寄ってきた

「おまえら、待ってろって言っただろ」

新参者は息を切らしながら登場した

「おうおう、先に進めておいてやった俺らになんて口を聞くんだ」

「そうだそうだ

大変だったんだぞ!」

フリーライダー共がこぞって喚きだしたが、男は奴らを無視して僕に声を掛ける

「やあ、良太ひさしぶりだな」

「ああ、アツシもひさしぶり

元気だった?」

再会に於いての恒例の挨拶に彼は曖昧な笑みを浮かべてそれを返事とした

「おい、アツシも参加しろよ」

ガンちゃんがシャベルを押し付けるとそれを避けるかのようにアツシはどっかりと腰をさっきまでガンちゃんと宗助が寝ころんでいたところに下ろした

「仕事を終えてタクシーで急いできたんだ

ちょっと休ませてくれよ」

まあ、確かにさっきまでサボっていた二人よりはアツシの方が息切れしている

ガンちゃんと宗助は顔を合わせ、「失敗したな」と言うように目配せした

三人の作業が再開された

月光と僕らに覆いかぶさる桜の枝、葉っぱが白く見える地面をまだらにした

その中に一つだけ巨大で歪な円が存在する

徐々に深度を増していく穴は比例するように黒を強め、その内シャベルが土に当たる感触だけがそこに本当に底がある事を僕に教えてくれる

3時間以上シャベルの柄を握りっぱなしだった掌は表面の皮膚が薄くズレてその痛みのおかげか体中を這う汗の気色悪さからは目を逸らせた

単調な作業に段々と自分と地面の平衡感覚が崩れ、足元がぐにゃりと湾曲し始める__魚眼レンズ越しに見る光景のように靴の下の地面が僕を乗せて持ち上がり、穴の中を僕に覗かせるように歪みだす

僕は立っているはずなのに頭から真っ暗な穴の中に落ちてしまうんじゃないかと錯覚した

「なあ……、あ、あれ!!」

急に地面が真っすぐになった

空も大地も平行して終わりなく続いている

誰かの怯えた声が僕を現実へと引き戻したのだ

誰か、は宗助だった

「なあ、あの地蔵顔違くないか?」

地蔵、、、

宗助が僕の背後を指差していたので、僕も振り返ってそちらを見た

ガンちゃんもアツシも同様に一本隣の木の根元にちょこんと鎮座するお地蔵様の方に顔を向けた

「笑ってる」

ただ、アツシはここの小学校の出身じゃないので何のことか分からずきょとんとしている

「地蔵って大体そんなもんじゃないか?」

違う

ここにあった、僕らが子供の頃ずっと見ていた地蔵は長い間そこにいたせいか、風雨で痛み、表情を作る凹凸がそがれて微かに目と鼻の位置が分かるぐらいののっぺら坊のようだった

その地蔵が一人ぽつんと桜並木の中にいるのが妙に不気味で、授業中に窓の外を見る時もそちらには目を向けないようにしていた

もし、目を向けてあっちも僕を見ていたらどうしよう、なんてそんな馬鹿な想像をした__最終的には家に逃げ帰った僕はふと庭先を見た時にそこにあの地蔵がすぐ近くに立っている__それで僕の妄想は終わる

それが今、僕の視界にある腰の高さにもいかない地蔵様は目を細めてしっかりと口の端をあげ、そう「笑っている」という表情をしている

宗助は石の像が笑う様に言葉を失い、アツシはまだ宗助の怯えを理解していなかったし、僕は僕で何かの運命を感じていた

そして、ガンちゃんは__ここまで無口を貫いていたガンちゃんは耐えきれないように笑いだしたのだ!

宗助が憑りつかれた人間を見るような目で十年来の友人の快笑を見やった

笑うのを止め、やっと話し始めたガンちゃんは僕らを置いてけぼりにしたのを詫びるようにおどけた表情で目尻の涙を拭っていた__笑って涙を流す人を見たのはいつぶりだろう

「悪い悪い

あんまりおもしろいもんだから笑いが止まらなくなっちまって

あのな、あの地蔵様は前のとは別のなんだよ」

「?」

「つまりな、1,2年前だったかな

台風が話題になった年があっただろう?その時に前の地蔵様は飛んできたなんかのせいでぽっきり首と胴体が別れちまってな

それで縁起が悪いって婆さんやら爺さんやらがあんまり煩いもんだから、新しい地蔵様をこしらえて前の地蔵さんは今は俺んちに越してきて我が大野家を見守ってくれてるってわけだ」

「そんなこと一言も言ってなかったじゃないか!」宗助が顔を真っ赤にしながら叫んだ

「そりゃあ、お前、丁度子供が生まれた奴にそんな縁起の悪い話はしないだろう

……ちなみにだな、金の無い我らが村役場は新しい地蔵に村の金出すのを渋ってな

あの地蔵様を彫ったのは実は俺なんだよ」

「元石工の爺ちゃんに指導を受けながらな」と続けたガンちゃんを宗助は呆然とした顔で見つめた

ガンちゃんはにやにやとしながら、僕に普通の声で耳打ちした

「見たか?宗助の顔!!『笑ってる……』だってよ!!

俺が作った地蔵であんなに怖がってさぁ__ああ、言っておくが、もうお前は俺の事を馬鹿になんてできやしないからな

まったく死体なんかよりもっといいもんが見れたよ!」

宗助が悔しそうに唇を嚙みしめながらガンちゃんを睨みつける様子は見た目も中身も変わったはずなのに全くもってあの頃と同じだった

「なあ、地蔵はもとの場所に置いたんだよな?」

誰かの問いにガンちゃんが答えようとした、そこに別の声が入ってきた

僕だ__「ねえ!なんか穴の底に光ってない?」

僕の言葉にん?と言うようにガンちゃんが穴の中を覗いた

「そうか?暗くてよくみえないけど」

「ああ、じゃあ照らしてみるか?」

宗助が傍に置いておいた懐中電灯を点けると有無も言わない内に穴の中を照らす、誰かの息を呑む音が聞こえた

突然の強烈な光が目に入って「うわ」と声が漏れる

それから光に目が慣れると下の様子が見えた

穴は僕が思っているより深くなかった、80センチもいかないんじゃないだろうか__よく考えれば、僕らは穴の中にまで降りて作業したわけじゃないので当然シャベルが届く範囲ぐらいしか掘れるわけがないのだ

なんであんなに深くみえていたんだろう__疲れていたせいか?

「あ、ほら」

僕が指差す、確かに白っぽい何かが黒っぽい土と土の間にいた

僕は地面に寝そべってそれを拾い上げようとしたが、あと少しのところでうまくいかない

一番背の高いガンちゃんが代わりに穴の縁から身を乗り出してそれをとってくれた

「さすが豪、座高が高いね」

「うるせぇな、腕が長いと言え

これだろ?良太」

ガンちゃんのごつごつした大きな掌に銀色の輪っかが頼りなさそうにちょこんと乗っている

「うん、なんだろ

誰かの指輪かな」

宗助がそれを取り上げて月明りにかざして輪っかの内側を覗いた

「なんか、刻んであるな……えっと、E、とA…だな」

「ねぇ、どうしたの?」

僕はさっきからずっと黙っている男に声を掛けた

様子がおかしかったからだ

さっきまで走ってきたせいで少し休んだとはいえ火照った顔をしていたのに、今は蒼白でまるで生気がない

目玉が零れんばかりにまぶたが開かれていて宗助の人差し指と親指の間のモノを見ている、唇が震えている

ガンちゃんと宗助も異変に気付いた

「おい、大丈夫か?具合悪いのか?」

「アツシ?お前どうしたんだよ

これか?なんか曰くアリの奴なの?」

宗助がよく見てもらおうと指輪を渡そうとしたが、男は立ち上がって身を引いた

明らかにおかしかった、何かに怯えているような様子

僕は彼を励ますように穴の中を指差した

「ねぇ、本当に大丈夫?何にも怖い事なんかないよ?

ほら、見てごらんよ!何にもないからさ、ね、アツシ」

気を利かせて教えてあげたのに男は僕の言葉を聞くなり身をひるがえして走り出した

めちゃくちゃに手足をバタつかせて走り去っていく様は見ているこっちが痛々しくなるようなそんな無様な姿だった

男の乱心に残されたメンバーは戸惑って顔を合わせた

僕は二人に告げた

「ガンちゃん、宗助、ごめん

ちょっとあいつおかしいから、様子見てくるよ」

「ああ、そうだな

あの様子じゃ田んぼにでも落ちちまいそうだ」

「先に片付けしておいてやるよ」

宗助がシャベルで小山を崩すようにして元あった場所に土を落としていった

「ああ、ごめん

ありがとうね、二人とも」

僕は駆け出してその場を後にし、そして二度と彼らの下には戻らなかった

2章は種明かしです

ここまでで全てを察した、と言う方は1章だけでも問題ありません



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