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1.ことの発端

 ことの発端は、去年の夏休みにさかのぼる――


 8月。塾の高校受験に向けた夏期講習からの帰り道、俺は繁華街の横断歩道の真ん中でつっ立ったままの着物の女の子を目撃した。歩行者用の信号が点滅して赤になろうとしているのに、着物の女の子は全く動こうともしない。なんか物珍しそうに周囲を見回しながらうろうろしている。 


 「危ない!」

 「え? きゃあっ! 何するんですか⁉」


 このままじゃ危ない! そう思った俺は横断歩道の真ん中の着物の女の子の腕を引っ張って無理やり歩道に避難させた。信号が切り替わり、俺たちの後ろを大きなトラックが通り過ぎていく。


 「な、何するんですか⁉ まさか誘拐……」

 「やかましい! お前車にひかれるところだったんだぞ!」


 着物の女の子が後ろを振り返り、ものすごいスピードで走る車の列を見て、恐怖で真っ青になった顔で俺の方を見る。


 「た……助けてくださったのですか……? 身の危険を冒して……」

 「大げさだな……とりあえず信号は守れ。横断歩道の真ん中で立ち止まるな。学校で習っただろ?」


 俺はそう言うと、ぶるぶる震えている着物の女の子をその場に残して家路についた。

 この時、この出来事をきっかけに、俺は自分の運命が大きく変わることをまだ知らなかった……




 事態が大きく動いたのは、今年の三月――


 全身全霊をかけた高校受験当日、全ての試験を終えて、持てるすべてを出し切り、精神的に満身創痍の俺の前に、黒いスーツで身を固めた男の人たちが現れた。


 「折田英一様ですね?」

 「え? 様……? ええと、はい、そうですけど……」


 見覚えのない人たちだ。何故俺の名前を知っている? なぜ様付けをする?


 「突然申し訳ありません、我々はこういうものです」

 

 黒スーツの男たちのリーダーらしき人が名刺を差し出してきた。

 ――KARIYA書店 総務部警備課 第一警備係長……

 ……ってKARIYA⁉ 超巨大企業じゃないか! 

 なんで世界的大企業が俺個人をターゲットにこんなプロっぽい人たちを使って接触してくるんだ? 俺には心当たりはない。とりあえず聞いてみる。


 「あの……どういったご用件でしょうか?」

 「弊社会長の仮屋源太郎があなたにお会いしたいと申しております。ご同行していただいてもよろしいでしょうか?」


 怪しい。

 怪しすぎる。

 リムジンって言うんだっけ? 黒塗りの高級そうな車がさらに怪しさを増強させている。

 KARIYAの名を騙った身代金目的の誘拐じゃなかろうな?


 「すみません、今日は学校に受験の報告をしないといけないのと、5時までは自宅待機なので……」

 「それは申し訳ありませんでした。よろしければご都合のよろしい時に、名刺の電話番号までご連絡をいただけないでしょうか?」


 よかった、思ったよりも簡単に引き下がってくれた……


 「わかりました……すみません! これで失礼します!」


 俺は逃げるようにしてその場から走り去った。

 甘かった。

 

 受験が終わった週の日曜日。

 すべてが終わり、後は結果を待つだけ。オタクな俺は1年間封印していたゲームと日曜朝の特撮を解禁し、俺は家でテレビの前でエキサイトした後、テレビを占領してゲームを楽しんでいた。

 

 ピンポーン


 その時、家のチャイムが鳴った。

 母さんが来客と何か話をしているようだ。


 「英一……あんたにお客さん」


 しばらくして、母さんが不思議そうな顔で俺に伝える。

 

 「俺に? 時ちゃん?」

 「時ちゃんじゃないわ……黒いスーツの男の人たち。カリヤの人だって……なんか英一に会わせたい人がいるからついて来てほしいって……」


 俺の脳裏をよぎるのは受験の日に会った怪しい黒スーツの集団。

 家まで突き止めてきたか……!


 「母さん、父さん……ちょっと行ってくる。もし2時間たっても俺が帰ってこなかったり、俺からの連絡が無かったら警察に連絡して」


 俺は両親にそう伝えると、スマホをポケットに忍ばせて黒スーツの集団について行った。



 

 黒スーツの集団の乗ってきたリムジンはやたらでかかった。なんかお金持ちが移動で使っているような車だ。


 「折田様、よろしければお飲み物をどうぞ」

 「すみません、ありがとうございます……」


 無言で座っていると、黒スーツのリーダーっぽい人からオレンジジュースを勧められた。

 断るのも勇気がいるので、こっそりにおいをかぎ……よし、異臭はしない。

 ちょっとだけ口をつける。


 「折田様、この度は会長のわがままを聞いていただき、ありがとうございます」

 「いえ……僕としてはなんで会長さんが僕に会いたいのか分からないのですが……」

 「それは、お会いしていただければわかります……」


 リムジンは街の中を走り抜き、海の方へ向かう。この道は確か、海辺の高級ホテルへの道だ。ここにKARIYAの会長さんがいるのだろうか?

 

 「到着しました。どうぞこちらへ」


 黒スーツの人たちに先導されて、俺はホテルの中に入る。

 エレベーターに乗ってどんどん上の階へ。

 最上階にたどり着く。ホテルの最上階なんて多分初めて来た。


「お入り下さい」


 会議室みたいな大きな部屋に通される。これがスイートルームというやつか?

 部屋の奥には、上等そうな着物を着た、白髪の老人が椅子に座って海を眺めていた。


 「会長、折田英一様をお連れいたしました」

 「……ご苦労。下がってくれ」


 このおじいさんが、会長……KARIYA書店の会長にして、KARIYAグループの影のトップ。噂くらいはネットの情報で聞いたことがある。


 「初めまして、折田英一君。私は仮屋源太郎というものだ」

 「は、初めまして」

 「まあ、力を抜いて腰掛けてくれ……彼にオレンジジュースを」


 どこからともなく現れたメイドさんが丁寧な所作で席に着いた僕にオレンジジュースを出してくれる。これ、コスプレじゃないんだよな……?


 「あ、すみません。ありがとうございます」

 「ほう、君はメイドにお礼を言うのかね?」

 「はい?」


 え? 俺なんかしたっけ?


 「ええと、彼女がオレンジジュースをくれたので、彼女にお礼を言いました……」

 「なるほど……道理だな……」


 会長さんは何かに納得したように頷くと、俺の方に向き直った。


 「折田君、いきなり呼び出してすまない。どうしても、直接君にお礼を言いたかったのだ」

 「お礼?」

 

 俺なんかしたっけ?


 「覚えていないようだな。去年の8月……君は私の孫娘・絵里香を助けてくれた。東京から家族で旅行に来ていて、迷子になっていたところを、君が助けてくれた」

 「……すみません、迷子を助けた記憶はないのですが」

 「忘れてしまったのか? 車に轢かれそうになっていたところを間一髪のところで助けてくれて、そのまま名乗らずに去っていったと聞いたのだが」

 「あー……思い出しました……」


 あの時の交通違反をしまくっていた女の子か。やっと思い出した。


 「君のおかげで、絵里香は命を救われ、真面目に社会のルールについて学ぶようになった。本当に感謝している」

 「ははは……大げさですね……」


 大企業の会長の孫娘が社会のルールを真面目に学んでいなかったとか、一体何の冗談だ。

 でもよかった。とりあえず誘拐の類じゃない。本物のKARIYA会長にお会いできるとは思わなかったけど。

 ……記念にサインだけもらって帰ろう。


 「絵里香を救ってくれた君を探し出すのに時間がかかってしまい、お礼が遅くなってすまなかった。絵里香もここに連れてきたかったのだが、高等部への進学試験で忙しくてな……」

 「頭を上げてください。あの時の彼女が無事でよかったです」

 「ありがとう。これは絵里香からの手紙だ。受け取ってほしい」

 「すみません、ありがとうございます……」


 本当に大げさだなあ。なんで車に轢かれそうになった女の子助けただけでこんな分厚い手紙を受け取らないといけないんだろう。

 オレンジジュースに少しだけ口をつける。あんまり長いしても話すことがない。要件はお礼だけのようなので、そろそろ帰らせてもらおう。


 「すみません、そろそろお暇致します」

 「もう行くのかね? お昼も一緒にどうかと思ったのだが……」

 「すみません、両親にはすぐ帰ると言っているので……」

 「そうか……やはり謙虚だな」


 謙虚じゃない。

 KARIYA会長と一途にお昼⁉ 無理無理無理!

 一体何話せばいいの? 緊張で食事がのどを通らんわ!

 

 「あ、会長……」

 「なんだね?」

 「もしよろしければ、会長のサインを頂けませんか?」


 ちょっとわがままを言ってみる。サインくらいなら良いだろう。


 「ははは、構わんよ」

 「あ、ありがとうございます!」

 

 やった! これで時ちゃんに自慢できる!

 ……ってちょっと待て。


 「……会長、何にサインを書いていらっしゃるのですか?」

 「何って……小切手じゃないか。君は何を言っているんだ?」


 当然と言った顔で会長は自分のサインを書いた小切手を僕に渡してくる。

 小切手なんて初めて見た。


 「金額は好きな額を書いてくれ。あ、換金は10日以内に頼むよ」

 「なんでやねん! なんで小切手にサインしてんねん!」

 

 エセ関西弁で突っ込まざるを得なかった。

 奇妙なものを見るような目をする会長に、俺は部屋に置いてあったホテルのメモ用紙を1枚ちぎり、会長に手渡す。

 

 「……会長、こちらにサインをお願いいたします」

 「こんなのにサインしても一銭にもならんぞ?」

 「一銭にも換金するつもりはございません。記念に頂きたいだけです」

 「記念……だと……! 私のサインが記念になるのか?」

 「なります!」


 力説する僕に、不思議そうな顔で会長はサインしてくれた。

 

 「ありがとうございました。オレンジジュースごちそうさまでした。お孫さんによろしくお伝えください」

 「いや、こちらこそありがとう……不思議な人だな、君は」


 最後に会長と握手を交わして、俺はスイートルームを後にした。

 

 「お家までお送りいたします」

 「あ、ありがとうございます」


 黒スーツの人たちに案内されて、俺は再びリムジンに乗り込む。

 

 「折田様……」

 「はい、何ですか?」

 「どうして会長の小切手を受け取らなかったのですか?」


 黒スーツのリーダーがそんなことを聞いてきた。

 そんなこと言われても……


 「金額が書いていない小切手とか、そんな大層なもの渡されるほどのようなことはしていないので」

 「何を言っているんですか? あなたはKARIYAグループの会長の孫の命を救ったんですよ?」

 「僕はとっさに彼女の腕を引っ張っただけです。ていうか彼女があのまま横断歩道に残っていても、車の方が彼女に気づいて動かなかったはずです。クラクションは鳴らされたでしょうけど」

 「そんな……はずは……」

 「そんなものでしょう」


 黒スーツのリーダーはそのまま黙り込んだ。何かを考えているように見える。

 俺が家を出てからおよそ2時間後、俺は無事に家にたどり着いた。

 結局、お礼を言われただけだった。


 ――この時は、そう思っていた。

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