第6話 ソスピーロ
文化祭と言っても、和也達の通う高校は一般公開されていない為、学祭でよく目にする飲食系の模擬店やゲーム等はない。大学の講堂を使用し、部活やアンサンブルの発表の場と毎年なっていた。
ステージに立つ圭介の音に耳を傾けていた。先程まではあまりに退屈な時間に居眠りしていたが、一瞬で目が覚めたようだ。
「和也、やっと起きたのか?」
「んーー……ケイが弾いてるからな」
「青山先輩、上手いなー」
「だよなー」
「やっぱプロになるんだろうな」
「あぁー、そうだろうな」
即答する和也に、隣に座っていた三井から思わず笑みが溢れる。彼と話したいクラスメイトは多い。その証拠に真後ろからも話しかけられていた。
「……ミヤくんも出たかった?」
「いや………別に……」
女子が苦手なわけではないが、なんとも素っ気ない返事だ。和也が作る曲に恋の歌が少ないのは、彼の性格が影響しているからだろう。
十五歳の彼にとって、クラスメイトはクラスメイトでしかなく、高校生にとっては恋が芽生えそうな体育祭のイベントもスルーで終え、文化祭も終わりそうである。彼は殆ど寝ていたのだから、恋の芽生える要素は一つもなかったりするが。
「素っ気なくない?」
「そうか? 普通じゃない?」
「及川には彼女が出来たらしいぞ?」
「そうなの? 誰?」
「さっきも仲良さげに話してただろ? 木下だよ」
「へぇーー」
「興味ないのか?」
「ん? そんな事ないけど」
大学の講堂から移動中、和也は三井と並んで珍しく音楽以外の話をしていた。
「和也は彼女いないの?」
「いないよ。そういう三井は?」
「俺もいないけど」
「あーー……なんでもない……」
さすがの彼も三井の視線で気づいたようだ。斜め前を歩くクラスメイトを見つめる姿は、誰が見ても一目瞭然だっただろう。
「な、何だよ?」
「別に……早く帰りたいな」
そう応えた和也は友人の想い人が分かり、微かに笑みを浮かべていた。
彼にしては珍しく、学校帰りに大型の楽器店を訪れていた。今日はメンバーの都合で練習が出来ないからだ。
エントランス付近には、スタインウェイ&サンズのグランドピアノが置かれている。高価な楽器を前に、見た目には分からないがテンションは高い。
いいなーー……いつか自分達の専用スタジオって、夢だよなーー……
グランドピアノを横目に、高価なギターが並ぶエリアを眺める。購入は出来ない為、美しいフォルムに魅了されていたと言えるだろう。
ギターを見つめ、次に手が届きそうなものを吟味していると、ピアノの音色が聞こえてきた。誰かが試弾きしているのだろう。店員に声をかければ、どの楽器にも触れる事が出来る所も楽器店の魅力の一つだ。
「…………この曲……」
思わず音色の方に歩いていく。グランドピアノの周囲には、彼女の友人であろう私服姿の女の子が数名立っていた。立ち尽くしていると、言った方が正しいだろう。想像以上の音色に驚いた様子が分かる。
視線を移せば、鍵盤に触れる横顔は実に楽しそうであった。今にも歌い出しそうになりながら、流行りの曲を弾いている。当然だが譜面はなく、人が集まり出した為、即席のリサイタルは終了となった。
「奏、すごい!」
「さすが、合唱コンの伴奏者だねー」
「ありがとう……」
彼女は照れくさそうにしながら応えると、友人に預けていた剣道防具を受け取り、楽器店を出て行った。
和也が思わず辿ってしまうほど、音色が響いていた。クラシックではなく、J-POPを弾いていた所も、彼が惹かれた理由の一つになっていただろう。ボーカルを探していた筈の彼が、彼女のピアノをもう一度聴きたいと感じたように、去っていく彼女に声をかける人達がいるのを、ただ眺めていた。
ーーーー今みたいな子が……ピアニストに、なるんだろうな……
大学でピアノ専攻を目標にする彼がそう感じてしまう程、自身の音色との違いを感じずにはいられなかったのだ。
彼は自宅で練習するべく、急いで帰宅する事になったのは言うまでもない。
和也はキーボードの練習や歌の練習に行き詰まる度に、ギターに持ち替え、発散するようにしていた。
夏休みが明けた為、四人が集まるのは週一が殆どとなっていた。和也以外のメンバーが受験生という事も、大きく関係している。彼らは、難関大学と言われる帝東藝術大学音楽学部に進学希望だ。
圭介は和也と同じく付属の音楽高校に通っているが、エスカレータ式ではなく、試験は行われる。作曲科や邦楽科もあるが、圭介と明宏は器楽科の弦楽専攻、大翔も同じく器楽科の管楽・打学専攻が希望であった。
バンド活動は続けていくが、それぞれが今までやってきた楽器で進学希望の為、外部から受験する大翔と明宏にとっては、狭き門を突破しなくてはならない。
それが和也にも分かっているのだろう。週一だけの練習になり、ライブが出来ない日々が続いても、文句は一つもない。とはいえ、一人での練習には限界がある為、water(s)のアカウントで単独の弾き語り動画をアップする事も時折あった。
ある意味では一人で動ける良い機会の為、出番がなくともseasonsや他のライブハウスを覗きに行っては、ボーカルを探していた。恋よりも音楽が優先の和也がいたのだ。
「ーーーー今の人、上手いですね……」
「ミヤでもそう思うんだね」
「思いますよ。ボーカルにしたいとは思いませんけど」
はっきりと告げる和也に、春江は笑みを浮かべていた。
ーーーーそうなんだ…………歌の上手い人なら、seasonsにも数名いる。
でも、上手いから集客力があるとは限らない。
どちらかといえば、その人にしか出せない音色がある個性的な人の方が、コアなファンがついているようだし……
週末、時間のある度にライブハウスを梯子する彼は、そう結論づけた。
water(s)の名のとおり、自分達にしか出せない色をつくりたい。
その為の練習……
彼に練習は苦にならない為、今日もギターを背負ったままカウンター席に腰掛け、春江やバーテンダーに相手をして貰っている。
water(s)がステージに立たなくなった為、ライブハウスもいつも通りに稼働していた。即ち、春江達が和也と話せるくらいの余裕があるのだ。
「ボーカル、まだ見つからないんだね」
「はい……」
「まだ諦めてないの?」
「諦めませんよ……必ず探し出します。それまでは、仕方ないですね……」
「じゃあ、ミヤが見つけてくるのを私も楽しみにしていようかな」
「はい! 春江さん、必ずクリアボイスを見つけてみせます」
宣言する意思は固いが、それはオーディションでも行わない限り難しい事だった。春江だけでなく和也も自覚していた為、それ以上は口にせず、宣言に留めていたのだ。
和也はレモネードを飲み干すと、惹かれるものがないと分かり、帰宅する。最初は落胆していた彼も、この二ヶ月程で習慣になっていた。圭介達に出逢えた事の方が、貴重な体験であり奇跡的な事だったのだ。
「ふぅーーーー……」
実力試験を終えた和也は受験生の彼らとは違い、風呂上がりの今もイヤホンをつけながら、麦茶を片手に曲を聴いている。それはwater(s)の曲だったが、自身の弾くキーボードの音色に、楽器店で聴いた音色を重ねていた。
「……あの子……上手かったな……」
あれから、楽器店に行く度にピアノのスペース覗くけど、いないんだよなー……
横顔もうる覚えの少女の滑らかな音色に惹かれた。本人にその自覚はないが、その音色に恋をしていたと言えるだろう。自然と独り言も増える。
鈴虫の音もなくなり、涼しくなってきたと感じるようになった夜、いつも通り作詞作曲を行なっていた。
それは、彼にしては珍しく恋する気持ちを綴ったバラードな曲であった。