第5話 コン・アニマ
ーーーー緊張する……今までの比じゃない。
他のバンドとすれ違う度、緊張感が増していくようだ。
和也達のように四人組のバンドや三人組、デュオやソロ等、様々なプロを志す者が集っている。中には彼らのように、サクソフォンやトロンボーン等の管楽器を持っている人もいるようだが、そこまで周囲に視線を向ける余裕はない。
「ーーーーいよいよだな……」
圭介の声を合図に、四人は視線を通わせた。これから始まる十五分間のライブが、緊張感はあれど楽しみで仕方がないのだ。
seasonsではドラムやマイクのセッティングはスタッフが行なっている為、彼らはギターやベースを持って舞台に立っていた。
water(s)専用のアカウントで告知はしていたが、フリーライブではない為、ワンドリンク制のこの会場に聴きに来てくれる人がいるかは分からない。そして、彼らは友人には一切教えていなかった。仮にwater(s)目当てで聴きに来てくれる人がいたなら、それは確実にファンと呼べるだろう。
「こんばんはー! はじめまして、water(s)です!」
圭介が手短に挨拶を済ませると、明宏のアップテンポなドラムから曲が始まる。
ステージはスポットライトを浴びて明るいが、客席は間接照明のため薄暗い。観客はドリンクを片手に目当てのバンドが出て来るのを待っていると、いう所だ。今日のライブでいうなら最後のバンドが三十分と、一番長い持ち時間の為、彼らが目当ての客が大多数である。
water(s)は六時半から十五分間の持ち時間の為、客入りはまだまばらだ。空いているテーブルが目立つ中、一番前に陣取り聴く人がいる。彼らのファンなのだろう。静かに、その多彩な音色に耳を傾けていた。
「……うま」 「すごっ……」
「あぁー、何てバンドだ? 初参加だろ?」
「えーーっと、water(s)? 聞いたことないな」
「前、行こうぜ」 「本当に初参戦?!」
音色に吸い込まれるように、ステージ近くに集まる人が増えていく。とはいえ、早めの時間帯という事もあり、会場を埋め尽くすほどの人がいるわけではないが、殆どの観客が聴き入っていた。
「ーーーー久々に……本格的なのが出てきたわね……」
「春江さん……これ、凄くないですか?」
「えぇー、まだ若いのにたいしたものね」
seasonsのオーナーでもある春江は、観客を一瞬で虜にした彼らに羨望の眼差しを向けていた。それはかつて、春江のよく知る風間雄治の想い描いた夢の一つでもあった。
『いつか此処からプロになる子が出るかもしれないだろ?』
このスタジオが出来て二十年近く経つが、その殆どがアマチュアのまま音楽の世界から去っていく。それほどまでに音楽だけで食べていく事は難しいが、数十年ぶりの光景が広がり、夢を見ずにはいられないのだ。
ステージに向けて拍手と歓声が沸き起こる中、揃って一礼すると、笑顔のままステージを去っていった。
「ーーーー楽しかった……」
和也の漏らした声が合図になったかのように、ライブの高揚感からか勢いよく抱き合う。
ーーーー初めてのライブハウス…………聴いてくれる人がいた……それだけで……
四人は顔を見合わせ、ハイタッチを交わす。その表情からも胸の高鳴りを抑えきれない事が分かる。
次のバンドは、温まっているステージにやり甲斐と同時に、やり辛さも感じる事になった。それほどまでに彼らの演奏が響き、呑み込まれていたのだ。
「water(s)の四人は、こっちに来てくれるかい?」
「は、はい!」
会場のスタッフに言われ、圭介が勢いよく応えると、バックステージにある一室に呼び出された。
「お疲れさま、素敵なライブだったよ」
「……ありがとうございます」
圭介ですら、ひと言応えるのがやっとの状態だ。目の前にオーナーがいる事が一番の理由だろう。風間を知っている彼らにとっては感慨深いものがあったが、それだけではない。ここで下積み時代を過ごしたミュージシャンも確かにいるからだ。
「さっそくだけど、来週も十五分の予定の所、三十分ステージに立ってみない?」
「えっ……?」
「今日のステージの結果ね。ちなみに、料金は変わらないよ?」
「……いいんですか?」
そう聞き返したのは和也だ。
春江が客観的に見ても、その実力は抜きん出ていたが、彼らにとっては少しは認められたという自信に繋がっていた。
「勿論、私もファンになったからね。CDは買わせてもらうよ」
『ありがとうございます!!』
揃って勢いよく応える姿は年相応の反応だ。彼らはオーナーに認められた事だけでなく、CDを買ってもいいと思って貰えた事が嬉しかったのだ。
用意した一枚千円のCDは、持ち込んだ二十枚全て完売する事になった。
週末になると彼らは、seasonsでライブを行なっていた。最初は十五分の持ち時間が、三十分になり、必然的にwater(s)が出演する日に出たがるバンドマンが増えた。
それは新参者とはいえ、集客を見込めるからだ。集客があれば、それだけ多くの人に自分達の曲を聴いて貰える機会が増える事に繋がる。実際は、ファン以外の曲に耳を傾ける観客は少数派だが、それでも空っぽに近い会場で演奏するよりはマシである。
ギタープレイがネット上で有名だったkamiya所属のバンドという事もあり、業界人もお忍びで足を運ぶと噂された事も、seasonsのステージに立ちたがる演者が増えた要因の一つとなっていた。
彼らはCDが売れる度、必要な機材や貸しスタジオの資金にあてていた。音楽の質を上げるには、それなりの時間と共にお金がかかるものである。
「夏休みもあと少しかー」
「早いな」
「ヒロは部活もお疲れー、金賞だったんでしょ?」
「ミヤ、ありがとう……まぁーな。吹奏楽部は、サクソフォンの腕を磨く良い練習になったよ」
「お疲れさま」
そう言った圭介が飲み物をトレーに乗せて戻ると、アイスコーヒーを三つに、カフェオレを一つ、テーブルに並べた。
今日はいつもの喫茶店に集まっていた。
イヤホンをつけ、iPadで自分達のライブ映像を見ながら、単独ライブに向けて調整を行う。
曲順や音のバランス、照明はライブハウスの為、拘る事は出来ないが、自分達で出来る範囲の事は、完璧に仕上げたいのが本音だ。
普段は完璧主義ではない彼らも、音楽においては完璧を、耳に残るような音色を、求めずにはいられないのだ。
ライブをやる度に試行錯誤を繰り返しながら、その一瞬をより良いものにしていく。音に関して妥協を許す者は、water(s)には皆無であった。
「落ち着く……」
「だなー。久々にミヤ、ピアノ弾いてよ?」
「うん、じゃあ、みんなも適当に入ってきてよ」
「了解」 「あぁー」 「うん」
和也がアップライトピアノを弾き始めると、明宏のチェロ、圭介のヴァイオリンに、大翔のサクソフォンの音色が響く。これは彼らが四人で演奏を始めた頃に作ったオリジナルの曲だ。
「上手いものだなー」
「えぇー……彼らは最近、バンド活動してるみたいですよ」
「へぇー、それは、いつか聴いてみたいものだねー」
常連客の一人がそう溢すと、マスターは嬉しそうに微笑む。若き音楽家達に期待を寄せているのは、春江だけではないのだ。
彼らの放つ温かな音色が、コーヒーの香りと共に店内を優しく包んでいた。
「春江さん、今日はよろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくね。準備はいいかい?」
『はい!』
まもなくseasonsがオープンの時間を迎える。
water(s)は単独ライブを行う事になっていた。四人はこれから始まるライブを前に、円陣を組むように並び、右手を中央で重ねた。
「行くぞ!」
『おーー!!』
緊張感を飛ばすように声を上げる姿を、春江は静かに見守っていた。
「ここ数年で一番多いんじゃないですか?」
「そうね……ライブをする毎に、water(s)の良さが増してるわね」
「良さですか?」
「……彼らをどう思う?」
「僕は音楽に詳しくないですけど、耳馴染みが良いというか……一度聴いたら忘れないですかね?」
「それは大切な事だけど、誰にでも出来る訳じゃないからね。でも……まだ、揃っていないみたいよ」
「揃っていない……ですか?」
「ボーカルを探してるんですって……この前、目ぼしい人はいないですか? って聞かれたけど、彼のお眼鏡に叶う人はいないみたいね」
「えっ?! 彼がボーカルじゃないんですか?」
「ミヤは、仮だそうよ」
「……仮ですか」
春江の言葉にスタッフの彼も驚いたようだ。それ程までに和也の歌声に惹かれるものがあったからだろう。そうでなければ結成まもないバンドが、単独ライブを出来るように直ぐになる筈がない。
ステージに立つ四人は会場を魅了していた。彼らの音色が会場を包み込んでいたのだ。
「お疲れー!」
「お疲れ!」
「楽しかったな!」
「あぁー!」
初めての単独ライブに、達成感もひとしおなのだろう。抱き合ったり、ハイタッチを交わしたりと、四人ともテンションの高いまま喜び合っている。
そんな彼らに、春江は自家製のレモネードをご馳走した。この数年というより、ライブハウスが出来て以来の一番の集客であったからだ。
「みんな、お疲れさま」
「春江さん、ありがとうございます!」
『ありがとうございます!!』
ゴクゴクと飲み干し、良い飲みっぷりを見せる彼らに、春江も笑顔で応える。本人達だけでなく、彼女もまたwater(s)の未来を楽しみにする一人であった。
和也はwater(s)のmiyaとして、夏休みの間中、活動し続けた。単独ライブという夢への一歩が叶ったのは、夏休み最後の土曜日の事だった。