最終話 コッラ・ヴォーチェ
今思えば……出逢う前のカウントダウンは、すぐそこまで来ていたんだと思う。
「今年は女子なんだな」
「あぁー……ってか、ミヤ寝てないか?」
「そういえば、和也は何か昨日寝つけなかったとか言ってたな」
「はぁーー、去年の新入生代表のくせに寝るなよなー」
「担任の視線がやばいよな」
「だよな……」
「ちょっ、三井起こしてよ」
「無理。爆睡じゃん」
二年生に進級出来たが、式典の類は暇で仕方がないのだろう。堂々と眠る姿も見慣れたものだ。
文化祭の時のような音色が聴こえてきたら、また別である。ひとつも聴き逃す事なく、起きていた事だろう。
入学式が終わると、担任に軽く注意を受ける事になる和也の姿があった。
「和也が楽器ケース持ってるの珍しいな」
「これから、練習するからな。またなー」
「あぁー、また明日な」
学校に隣接する公園には桜並木が続いている。三井やクラスメイトに、いつも通りに挨拶を告げると、待ち合わせた公園の出入り口に急いだ。
桜が咲き誇るなか、彼の心は昨年の入学式よりもずっと躍っていた。
待ち合わせ場所には、スーツ姿の三人がいた。その格好には似合わず、三人とも楽器ケースを持ち歩いている。
「入学おめでとう!」
「ありがとう」 「サンキュー、ミヤ」 「ありがとな」
今までは全員制服姿だったが、今日からは違うのだ。大学生になった彼らは、これからは私服で、和也は高校の制服のままで、練習する事になるからだ。
一つ変わった事があるとすれば、これからの練習場所だろう。和也は彼らの通う大学の附属音楽高校に通っている為、咎められる事なく、大学の練習室で四人で演奏出来るからだ。
今日は入学式を終えたばかりの為、三人の入学を改めて喫茶店で祝い、演奏させて貰う予定となっている。
「……ミヤも直ぐだよ」
「……うん……ケイ、ありがとう……」
「そうだな」
「あぁー、楽しみだな」
先に大学生になった姿に、多少なりとも和也は寂しさを滲ませていたのだろう。温かな言葉に笑みを返す。
ーーーーこういう時、年の差を感じるよな……子供っぽい自分に気づかされる。
「……俺も、楽しみだよ」
これから新たな環境で学ぶケイ達の音色が、どう変化していくのか。
どんな未来が待っているのか…………楽しみだ。
四人は足並みを揃えるように歩いていく。
性格も育った環境もまるで違う彼らは、四人でいる事が当たり前の日々になっていた。
マスターは三人の大学入学を喜び、注文したメニューをいつもの価格で大盛りにしてくれていた。
四人で奏でるメロディーが店内を包むと、音楽好きの常連客の一人は、マスターと共に眩しそうに目を細め、眺めているのだった。
「ミヤー、今日も練習室寄って行くのか?」
「あぁー、またなー」
「じゃあなー」
二年生になっても変わらず、和也が練習室の主だ。大学の授業が終わるまでの待ち時間はたいてい学校に残り、ピアノやギターを練習していた。ボーカル探しも諦めてはいないが、今だに見つけられずにいた。
圭介から連絡があり、一度教室に寄ってから大学の練習室に向かおうとしていると、数ヶ月前まで過ごしていた教室からピアノの音色が聴こえてきた。
ーーーー上手い…………これ……村山が言ってた子か?
って、今は違う! 歌い手を探さないと……
思わず首を振るような仕草をする和也は、待ち合わせ場所に急ぐべく、心地よい旋律に惹かれながらも、学校を後にした。
「めっちゃ、上手い人いた!」
「前に言ってたピアノ?」
「そう!」
「声かけなかったのか?」
「あっ……」
声をかけるのも忘れるほど、どうやら練習が楽しみだったようだ。
「ミヤ、らしいけどなー」
「アキ…………次は声かける。話してみたい」
「頑張れ」
「出た、ヒロの投げやりー」
話はしているが演奏準備は整っていく。今日から大学の練習室での練習が本格的に始まるのだ。
「とりあえず、野外ライブの流すぞ?」
「うん!」 「あぁー」 「了解」
いつもの楽器を持った四人は、高校よりも広い練習室で心地よい音色を響かせていった。
ーーーーそれは突然で、必然的な出逢いだった。
和也が置き忘れた楽譜を取りに戻ると、一年生の教室からピアノの音色が聴こえてきた。
「やば……」
この間の子だよな……やっぱり上手い!!
そう感心していると、透き通るような歌声が聴こえてくる。盗み聞きのようになってしまった和也は、教室の扉越しに響く、彼女の音色に静かに耳を傾けていた。
……やっと……見つけた…………歌が上手い人なら、世の中にたくさんいる。
でも、それだけじゃ駄目なんだ……彼女みたいに、声に特徴がないと!
「……一年生かぁー……」
…………ん? 合唱の曲ってことは、初見でこのクオリティってことか?!
独り言が増え、思わず扉を勢いよく開けそうになるのを抑える。曲が中断しないように、最後の一音まで聴き入っていた。
彼女は一度弾き終えると、また同じ曲を練習し始めた。繰り返されるメロディーは、回数を重ねる度に無駄なく指先が動き、声の大きさも増していくようだ。その音色の心地よさに、和也は声をかけるのも忘れ、観客の一人となっていた。
気づくと日が暮れ、窓辺から見える桜の木は風に吹かれ、花びらが散っている。
彼女は、和也が曲の余韻に浸っている間に帰ってしまっていた。
先程まで弾いていたグランドピアノに視線を移す。彼の心は奪われていたのだ。
「ーーーーっ、見つけた!!」
慌てた様子で練習室に入って来た和也に、三人とも直ぐにその理由が分かった。いつもは表情に出さない彼が、いつもとは違ったからだ。
「えっ?! ボーカル?!」
「うん!!」
「……どんな奴?」
「えーーっと、一年……女子……」
「女子?!」
「うん! ぜったい彼女がいい!!」
あれだけ、ちょっと前に流行っていた紅一点のようなバンドにはしないと、思っていたのにも関わらず、どうしようもなく惹かれていた。
その口ぶりからも彼が諦める事はないと、圭介達も悟ったようだ。
和也に歌声を惚れられた名前すら知らない彼女に、若干同情すると同時に、合ってみたいと思う彼らがいた。
その日から名前の知らない彼女を探し始める事となるが、一クラス四十名しかいないだけでなく、ピアノのコンクールで優勝する程の実力の持ち主だった為、すぐに分かった。
ーーーー上原奏か…………どうりでピアノが上手い訳だ。
和也がそう納得するのも無理はない。音楽に精通している高校の為、ピアノが弾けて当たり前の世界の中でも、彼女の実力は抜きん出ていた。
滑らかに動く指先に、一オクターブ以上開く柔軟さ。彼女が紡ぎ出す音色は、ずっと聴いていたくなった。
和也は放課後になると、彼女の元に自然と足を運んだ。あの音に何度でも合いたかったからだ。
「ミヤ、まだ声かけてないのか?」
「……聴き入ってたら、いなくなってるんだよ……」
「ミヤらしいな」
「確かに。そんで、hana向けにアレンジするとか」
「大丈夫。必ず野外ライブに来て貰うから、そのつもりで」
「あぁー、"春夢"のアレンジ変えるんだろ?」
「うん! 俺の声だときついけど、hanaの声ならいける!」
「勝手にあだ名付けてるし……」
「そういえば、何でhanaにしたんだ?」
「えっ? 紅一点だから。あと、"ナ"ってつくし。女子だから、ネット配信も考慮してって感じかな」
「意外とちゃんと考えてた」
「奏なら、カナもありだったんじゃないか?」
「うーーん、何となく花っぽいから?」
「まぁー、いいけどな。hanaが気にいるなら」
「そうだな」
彼女が加入するとは限らない。そんな中、彼らには彼女が加入しない未来はないのだろう。すっかりと『hana』の呼び名が定着していた。
いつものように練習を終えると、途中まで揃って帰る。その道中も話題になるのは、ここ数日で既にwater(s)の一員になっているhanaの事ばかりだ。
「じゃあ、ミヤのクラスメイトが言ってたピアノの上手い子が、hanaなんだな?」
「うん、俺が楽器店で聴いたのも……もしかしたら、そうかも……」
「かも? ミヤなら、分かりそうだけど」
「それが、楽器店で聴いた子より上手いんだよ!」
「うわっ、まだ一年だろ?」
「それは、やばいな」
「でしょ?」
「何の曲、弾いてたんだ?」
「一番印象的だったのは、ラフマニノフだったな……」
「ピアノ協奏曲第二番?」
「そう! カノンとか合唱の伴奏しながら歌ってたかと思ったら、いきなり壮大な感じになって!」
「気分転換的にでも弾いてたのか?」
「かもな……ってか、伴奏しながら歌ってたから、歌いたかったんだと思うけど」
自身の事のように嬉しそうに語る和也は、彼らの期待値を益々上げていった。本来なら上がりすぎた期待値に追いつかず、加入目前で終わりそうだが、そうならなかったのは彼女が本物だったからだろう。
「春江さん!」
「みんな、久しぶりだね。ケイ達は大学合格おめでとう」
『ありがとうございます!!』
seasonsのバックステージにある一室に集まっていた。予定していた単独ライブを変更させて貰う為だ。
「へぇーー、それは見てみたいわね」
「それで演奏時間なんですが、予定の半分程にして頂きたいんです!」
「……テスト的な感じなのね?」
『はい!』
前もって願い出たとはいえ、急なスケジュール変更に変わりはない。断られたら、次のワンマンライブに出て貰えばいい。無理を言っている自覚があり、内心緊張しながら春江の言葉を待っていた。
「……いいわ。やってみなさい」
「ーーーーっ、ありがとうございます!!」
喜びの声を上げる姿に、彼女は冷静に尋ねた。
「でも、まだ誘ってないのよね? 大丈夫なの? 四人でやるなら、そのまま時間をキープしとくけど…」
「いいえ」
言葉を遮るように、はっきりと告げたのは和也だ。
「それは問題ありません。hanaはwater(s)の一員です」
「…………そう……楽しみにしてるわね」
「はい!!」
彼の瞳があまりに光を帯びているように感じた為、彼女は期待を寄せる事にしたようだ。若き音楽家たちに。
そんな和也の様子に、メンバーはしょうがない奴だ……と、言いたげな表情だ。それは、彼らも一度も聴いた事がないのだから当然の反応である。ただ彼の音楽に対しての熱量は信じていた。
和也にだけは分かっていたのだ。彼女の音を、その歌声を聴けば、一瞬で虜になると。
……もう一度、彼女の音が聴きたい。
弾き語りが出来るプロは山程いるけど、こんな想いを抱いたのは初めてだ…………
和也にとって、はじめての感情が芽生えた瞬間だった。
今思えば、出逢う前のカウントダウンは、楽器店で音色を聴いた時から、始まっていたんだと思う。
もっと言えば、ケイに話しかけられた時、この学校に入学した瞬間から……
『チャンスは巡って来た時に掴むものでしょ?』
巡ってきたチャンスを掴んでいたって自覚してる。
それは突然だったけど、必然的な出逢いだったって…………
「ミヤ、この曲はどうする?」
「声域気にせず、アレンジしたい!」
「そんなに幅が広いのか?」
「うん!」
また当然だと、言わんばかりの即答だ。
彼女の声で曲のイメージが溢れてくるのだろう。彼自身の創作活動も大いに捗っているが、当の本人はまだ何も知らない。
出逢った事すら分かってないのだ。それこそ、自分の歌を聴かれていた事にも気づかず、ただ合唱発表会に向けて、一人で練習をしていたのだ。
指揮者と合わせる前に、完璧に弾きこなしたかったのだろう。こういう所は、彼と似た者同士と言えるが、それに彼らが気づくのは二日後の事だった。
「……上原奏、water(s)に入らない?」
water(s)にとって、hanaの加入は転機にもなった。
五人の音が重なり、欠けていた音がなくなった。
仮ボーカルは、もういない。
声域を気にしなくてもいい。
アレンジも自由自在。
彼女の声こそが、すべてだ…………
はじまりはギターを弾くだけだった。
kamiyaとして活動して、十五の俺は夢ばかり見てたと自分でも思う。
それでも、諦めずに探し続けてきたから、出逢う事ができたって…………プロになり、water(s)五人の音色が街を染める日が必ずくる。
本気でそう想っていた彼の夢が叶ったのは、十七歳の三月。
それも期待を寄せていたあの日と同じ、桜色に染まる季節だった。




