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第玖話 ベッドの下の輪郭のない気配にこの眼が開くときは

館での夜時間になります。

タイトルはある曲の歌詞から抜粋。


「ここ社宅でもあるから、泊まっていきなよ」


 今日はもう遅いからと家に帰ろうとしたところを二人に呼び止められた。必死に館での宿泊をお断りすると「帰りの足は無いのでしょう」と決定打を刺され、この浮かれた友人と僕は見事この館での宿泊券を手に入れてしまった。こんな幽霊館に寝泊まりだなんて、どうかしてる。だけど、たしかにここへ来る途中で愛車は大破してしまったし、そも、帰り道が分からない。困惑する僕を伴なって阿伽奇さんに寝泊まりする寄宿舎の部屋へと通してもらい、荷解きを済ませる。泊まることになるだなんて思いもしなかったから特に大きな荷物なんて無いけれど、これからの未来に何だか幼い頃のように少しだけドキドキした。

 だいたい荷解き出来たら乍原を連れ立って、教えてもらった風呂場へと直行。すぱぁんと乍原が景気良く風呂場への扉を開けると、目の前にはホテルにあるような大浴場が広がっていた。

 入り口付近の左右には数十の洗い場に、左の少し奥まった所には水風呂とサウナ、右は打たせ湯。正面には全面ガラス張りの見晴らしの良い浴槽が横たわり、銭湯によくあるような獅子の彫り物が厳めしい口から源泉を垂れ流していた。

「ひゃっほう、でっけぇ銭湯だぁ!!」

「おいこら、走るなって!」

「いっでぇええ! 転んだぁ!!」

「子どもか。……お前いくつだよ?」

「はたちー! ひゃっふうぅう!!」

「あっ、ばか、身体を洗ってから湯船に入れって!!」

「いとーも早く入ろうぜー!!」


 乍原用にっておしぼりを何個かもらってきたが、見ての通り両手を広げても足りない程の大きさの湯船や洗い場には人っ子一人いなかった。こうなったら乍原も臭いや垢など気にせず入れるらしい。広い湯船で全力クロールする乍原を横目に、僕は全面ガラス張りになっているために見える、山に沈む夕日をぼんやりと眺めることにした。


「しっかし、すっげぇよなぁ。何ていうか、ホテルみたいだ」

「なぁなぁ、いとー、見てみてー! まーらいおーん!!」

「げっ、きったねぇな! お湯を口から吐くんじゃねぇ!!」

「このお湯パチパチするー。すっげぇえぇ!!」

「炭酸湯かぁ。って……おいこら、だから飲むなって!!」


 社長に聞けば、何でもこの館は社長が暇を潰せるように「パードレ」が用意してくれたものらしい。とある資産家を両親にもった社長は折角ならとこの館を自らが打ち立てた「ホラーゲーム愛好会」の総本部として提供し、ホラーゲームを愛してやまない人々を雇い、社員全員で館をより高いクオリティものにするよう目指しているのだそうだ。

 基本的な福利厚生は整っているんだが、如何せん社風は「明るくアットホームな職場」で、社訓は「一日一ビビリ」という訳の分からなささ。営業での仕事内容は、至って単純。この館に来た人をびびらせればそれで良いらしい。僕は営業ではなく本社事務の臨時職員ということで一月で五十万。さらに前金の十万をもらっているから手元にあるのは、しめて、六十万だ。

 なんてこったい。何だか王手を打たれた感じがして、いやに気持ち悪いな。何だかこれから悪いことでも起こるのかなんて妄想が働くほどに、僕は不安に駆られた。


「いとー、風呂から出たらコーヒー牛乳おごってー」

「……お前なぁ。もうちっと心配しろよ」

「いーとーおー!!」

「だぁっ、もう! ひっつくな、鬱陶しい!!」


 駄々っ子のように腰に腕を巻きつける乍原の頭を殴ってやれば、「けろん!」と蛙のような声がして、僕は乍原の口から発射される水鉄砲に面食らう。ぱたぱたとお湯が顔から滴り、乍原がとても愉快そうにゲラゲラと笑っていた。


 この野郎。風呂から出たら覚悟しろよ。




◇◇◇



「うんめぇ!この肉うんめぇええ!!」



 元のゲーム設定である館の離れにある大浴場で、風呂上りのアイスやらコーヒー牛乳やらをむさぼり食い過ぎだと僕に拳骨を食らった死人。が、まったく気にすることなく乍原は上品なテーブルクロスを掛けられた、ゆうに二十人は座れるであろう長テーブルに、これでもかと並べられた豪勢な料理に夢中になっている。テーブルマナーのテの字も知らないであろう乍原の豪胆さに、僕は少しだけ安堵させられた。

「なっ? なっ? 亥唐もそう思うだろ?!」

「えっ、あ、……な、何が?」

「こんなうめぇの、生まれて初めてだー!!」

「……お前にもうまいっていう感覚があったんだな」

「うめぇ! うますぎる! もうオレいつ死んでも良い!!」

「お前が言うと洒落にならんからやめろ!!」

 一般市民がいきなり上流階級の食卓にご招待されても、味など分かるわけがない。がちゃがちゃと物音を立てて料理を胃の中へと流し込み、例の如く脇腹からぼろぼろと溢しながら奴は「うめぇ! 我が生涯に一片の悔いなし!」などと、これまた幸せそうな顔をして笑っていた。

 どうでも良いが、お前の悔いはその程度のものなのか。

「今日は久しぶりに楽しいご飯だねぇ、アカキ」

「ノブ様のお心の広さに感服致します」

 この騒々しい食卓を微笑ましく見守る幼女と、脇に控えながらもまるで養豚場の豚を見るようなさげすんだ眼で僕らを見る阿伽奇さんは、さながら主従関係そのものだ。それでも社長と乍原が楽しくおしゃべりをしていると、社長が眠そうな欠伸あくびをする。それを合図に、食事を済ませた僕たちは誰ともなく、皆がばらばらと部屋へと動き出した。


 部屋を出て壁にある間接照明の灯りを頼りに、薄暗い廊下を乍原と歩いていく。先程までの明るい雰囲気から打って変ったような静寂に、僕は湯冷めしたわけでもないのにぶるりと身を震わせた。


「……な、なぁ、乍原」

「んお?」

「……いや、やっぱ何でもない」

「何だよ、気になるじゃん。言えってー!」

「ここって静かだなって思っただけだって」

「そういや、たしかに。あんま気にしてなかった!!」

「お前の能天気さが、たまに羨ましいよ」

「何か言ったかー?」

「……何でもねぇ」


 都会の喧騒から離れた山の中は、随分と静かだ。暗い廊下を騒がしい乍原と歩きながら、耳を澄まさずとも聞こえてくる梟の鳴く声や、虫たちの生を主張する声が物静かに木霊している。時折あのおぞましい犬の遠吠えが聞こえるが、乍原の明るい「じゃあな」という声で、僕は思わずぽつりと言いそびれたことを口に出してしまった。




「……あいつ、何で死んでまで働こうとしてんだろ」



◇◇◇



 いつの間に自分の部屋の前まで来ていたのか。次第に重くなってきた瞼を擦りながら、僕も疲れているんだと思うことにして、目の前の豪奢ごうしゃな扉を開ける。

 鍵は貰ってはいたがかかっていなかったのか、その部屋の扉はドアノブを捻るだけで簡単に開いた。内装は、入って左手にクローゼット、簡素な机に照明器具。右手にはヒノキの香りがするチェストボードときちんと整えられたベッドだ。

 そこに、ラベンダー色のネグリジェを身に纏った阿伽奇さんが、長い黒髪をゆったりと後ろで結い止めた姿で腰掛けたまま僕の方を見ていた。メイド服も似合うが、本当にこんなこっ恥ずかしい恰好をしても様になるよな、この人。

 女性としてスタイルも良いし、言葉遣いも丁寧だが、僕はどうしてもこの人を「女性」としてではなく、「不思議な人」という認識しか持てない。だからこそ、普段なら緊張する場面でも、この人だけはこういった不法侵入紛いのことをされても「阿伽奇さんだから」と妙に納得してしまうのだった。

「……何して、んだよ?」

 曖昧な敬語を使おうとしたが、今日の一連の動きを思い出して腹が立ってきて、ついぶっきらぼうな言い方になってしまう。しかし、阿伽奇さんは気にも留めないで、当然のような顔をして僕の話を無視した。

「あなたに少し、お話があるんですの。お聞きなさい」

「えぇええ……。もう既に命令?」

「お察しの通り、あなたにはお嬢様の遊び相手および除霊師になって欲しいの」

「まてまてまて。除霊師ってなんだ。看護師みたいに言うなって」

「あら。だってあのお部屋の方々が視えたのでしょう?」

「ほぼ強制的に視させられたんだよ!」

「あれで合格したようなものですから、どうぞ明日から職場へおいでくださいな」

「あんたよくここまで僕の話を無視出来るな?!」

「あたし、しつこいのは嫌いなの」

「くっ、お、ぉおおぉお……!!」

 文句は言いたいけれど、何を言っても真面に取り合ってくれない。こんな自由奔放な阿伽奇さんに、何をどう言えば伝わるか考えて。やがて、考えることを止めた。

 腹いせにはぁとこれ見よがしに溜息を吐いてみせるが、阿伽奇さんは涼しげな顔で「溜息を吐くと海二さんの数少ない幸せが零れてしまいますよ」だなんて言ってくるしまつだ。


 くっそ腹立つ。誰の幸せが数少ないって。余計なお世話だ。


「それでは。お話することはありませんので、失礼します」


 僕が怒りと諦めの百面相をしているにもかまわず、阿伽奇さんはするりと僕の脇を通り抜け、扉へと手を掛ける。あの細くて長い指が躊躇ためらいがちにドアノブを回したかと思うと、阿伽奇さんは少しだけ僕の方へと視線を向けてきた。

 部屋の照明に照らされ、上気した頬にさっと朱が差し、やや目を伏せていたかと思うと、彼女は艶然えんぜんと微笑んだ。


「……ベッドの下は古典的ですわよ、童貞さん」


 え、と思わず間抜けな声を出してしまった。阿伽奇さんの言葉にさっと血の気が失せ、ばっとベッド付近へ視線を移す。そこには、分かりやすいようにベッドの床下からピンク色の雑誌が三冊ほど床に出され、とてもお子様には見せられないような頁が開かれていた。よく見ると、上部に「借りてた、返す!」と汚い文字が綴られた付箋が貼られ、ちらと見えたゴミ箱にはティッシュが入っていた。


 もしや、あの野郎。


 再びばっと振り返ると、くすくすと嘲笑う阿伽奇さんが退出するところだった。


「ちっ、違う違う違う! 誤解だって、これは!!」


 慌てて扉まで駆け寄るが、コントのように目の前で閉まり切り、激しく顔面を扉に強打してしまう。


「ぶえっ!!」


 痛い。ちかちかと頭に星が回り、くらくらと頭が揺れる。とてつもなく、痛い。痛いが、それどころじゃない。このままでは部屋に移動してすぐにふけった最低野郎だと思われてしまう。別にそれ自体はあまり恥ずかしいとか思わないが、あの阿伽奇さんだ。絶対これから館で働く上での良い強請りネタになることだろう。それだけは、絶対に避けなくては。


「まっ、待ってぇえ!!」


 ばぁん、と扉を開け放って廊下に飛び出すが、もう阿伽奇さんの姿はどこにもなかった。廊下の窓が開いていたのか、ぴうと肌寒い風が吹きわたり、窓から青白い月光が差し込んでくる。長い廊下の先には月明かりによって薄まった暗闇が大口を開けて僕を音もなく笑っていた。

 ぶるぶると握りこぶしが震え、どしゃりと膝からくずおれる。

 いろいろと頭の中で言い訳やら何やらが過ぎるが、とりあえず。

 自然と漏れ出た涙声は、どこか子供じみていて。



「ど、童貞じゃねぇし、ばかやろぉおおお……!!」



 その翌朝。腫れぼったい目で朝の挨拶をする羽目になった。





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