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第拾壱話 真夏の真昼はきぐるみで 前編



 蝉の声が遠くで忙しなく鳴いている。

 真夏の真昼時は、僕も蝉も働き時だった。


「ふーー、あっちぃ」

「おつかれさん。……にしても、お前それ様になってるよ」

「えー、次は亥唐がやるんだぞ。オレもう無理、死んじゃうー」

「これほど死ぬという言葉に説得力のない奴ってそうそう居ないよな」

「んー、なになに。どゆこと、どゆこと?」

「胸に手を当てて聞いてみろ」

「えー、……こう?」

「僕のじゃない」


 ぺらりとテントの幕を開けて入ってきたのは、大きなイヌのきぐるみを被った乍原だった。真夏の真昼に急拵きゅうごしらえのテントでは涼感など得られるわけもなく、中に居る僕も外から戻ってきた乍原も汗だくだ。

「ほい」

「ん。サンキュ」

 すぽん、と軽やかな音を立てて犬の頭部を取り外し、首から下はイヌのきぐるみのまま隣にどっかと腰掛ける乍原。クーラーボックスで冷やしておいた飲料水を手渡すと、むわっと汗と線香と発酵したような臭いが鼻を衝く。この臭いを嗅ぎ慣れていない者にとっては、異臭どころか悪臭だろうな。ふと、暑さで朦朧もうろうとした頭で考える。

 ごくごくと喉越し良さ気に一気飲みした乍原は実にオッサン臭い息を吐いた。

「げっはーっ、生き返るぅ!!」

「お前もう既に生き返ってるだろ」

「おっ。今日は洒落込しゃれこむねぇ、いとー!」

「ほんと、謎すぎるんだよお前。実は幻でしたってオチとかやめてくれよ?」

「またまたぁ。亥唐だってオレが居て嬉しいだろぉー?」

「嬉しいから早く実家に帰れよ」

「ん~?」

「聞こえないフリすんな」

 わざと肉球のついた手袋をつけた方の手で耳に手を添え、これまた「聞こえません」アピールをする乍原に拳骨を食らわせる。短い悲鳴が上がったものの、乍原も負けじと外で鳴く蝉と張り合うように声を張り上げた。


「あれぇ? そーんなこと言っていいのぉ? だってコレ亥唐の生活費なんだろ?」

「……うぐっ」


 このゾンビ。無駄に痛い所を突いてくるな。


「本来なら一人でやるようなアルバイトを、オレが手伝ってやってるんだぜぇ?」

「やっかましい。そもそもお前が居なかったらやりくり出来てたんだろうが!」

「えーー、いっちゃん、ひっどぉおい。傷付いたー」

「もう十分痛んでるっつーのにそれ以上どう傷付くんだよ、その身体」

「あらやだっ、いっちゃんのえっち!」

「……急にカマ言葉使うな。気持ち悪い」

「ぶぅー。いっちゃんの朴念仁ぼくねんじん

「言ってろ。そろそろ出るぞー」

「ほーい。んじゃ、また三時間後にな」

「……おう」


 じっとジッパーを下げて乍原がイヌのきぐるみを僕に引き渡す。渡されたきぐるみを手に取った瞬間に僕は早くも乍原の後に回ることを後悔した。


「お前、これ……」


 全身が汗でじっとりしているのだ。股の間から首回りにかけて、万遍まんべんなく。袖の部分なんて腕を通した瞬間に汗で冷やりとして気持ちが悪い。両足の部分は吸い込んだ汗のせいでぴっちゃりと吸い付き、背中も同様だった。これで三時間も炎天下の中で動き回らねばならないのか。そう思うと、ついついげんなりしてしまう。しかもなんか臭かった。


「えぇー……」


 あまりの異臭や手触りに絶句してしまう。だって、まさかアルバイトを開始して一時間でこんなことになってると思わなかったし。茫然としていると、追い打ちをかけるように乍原から、びちゃりとまた両手に何か湿り気のあるものを手渡される。


「じゃあこれ、頭ね」

「……ん。って、くっさ!!」


 それも既に汗を吸い込んでじっとりとしており、台所の排水溝のようなぬめりと男子特有の汗の臭いと線香が僕の鼻を殴り合っていた。

 じろりと乍原を睨んでやれば、乍原はぺろりと舌を出して「やっちゃった」と小声で呟く。

 何が「やっちゃった」だ。何もかわいくねぇんだよ。それで許されると思ってんのか。逆にすっげぇ腹立つ。いい加減にしろ。

「……お前なぁ」

「いやぁ、ごめんって。暑すぎてちょっと汗掻いたわー」

「お前これ、ちょっとの量じゃねぇだろ! びっちゃびちゃなんだけど! 料理ならこれ鍋にひたひたになるぐらい浸かってたっつってもおかしくねぇぐらい!!」

「逆に涼しくね? これぞ涼感ってやつ? オレってば気が利くじゃーん」

「ただただ不快感しかねぇよ! あとこれ、線香臭い!!」

「あっ。それオレのおならだわ」

「お前の体臭ってどうなってんの?! ……あっ、この前のトイレの臭いの原因はお前か?!」


 乍原の言葉を拾いながら、不意に自宅でのトイレ異臭騒ぎのことを思い出して追及すると、乍原は悪びれることなくのんきな口調で感想を述べる。


「なーんか我慢しないとって思ったら出るんだよなぁ」


 ちったぁ反省するなり恥ずかしがるなりしろよ。この腐乱野郎。図書館でやったみたいなことにしてんじゃねぇ。あの時は階下の人まで嗅ぎつけて「もしかして死体が放置されてるんじゃないか」って警察沙汰になりかけたんだからな。


「何だその『笑っちゃいけないと思ったらよけい笑いそうになる』みたいなの?!」

「亥唐はなんない? オレよく中学の集会でやってたけど」

「なるかぁ! なったとしても、ここまで臭くねぇし!!」

「おっ。やっぱり、なるんじゃーん」

「そこだけ拾うんじゃねぇ!!」

「なんだよー。ちょーっと屁をこいただけじゃんかー」

「お前のは汗臭いとか屁の異臭だとかそんなちゃちなもんじゃねぇんだっての!!」

「なになにー? もっと恐ろしいものの片鱗へんりんを味わった気がするー?」

「……お前の屁如きが天下の吸血鬼様と同等にしてんじゃねぇ!」


 ぜぇはぁ、と暑い最中で騒ぎまくった当然の結果として肩で息をしていると、乍原が何やら思いついた様子で、ぽむと両手を合わせる。


「えー。……あっ。じゃあ、一周回ってフローラルだったとか?」

「お前それフローラルの意味分かって言ってんのか?!」

「だいたいこんなんだろー」

「……今度はフローラルな香りのするファブリーズかけてやるから待ってろ」

「ばっか、ファブリーズ自体がダメなんだって!!」

「もうっ、……知るかぁあああぁあっ!!」



 いい加減にしないと僕の体力が保たない。

 そう判断した僕は、びっちょりと濡れそぼった犬の頭をひっかぶり、大股でテントを後にする。









 時給1000円、学歴不問、履歴書不要。

 僕らの熱い短期アルバイトが、いま幕を開けた。


















「軽い熱中症ですね」





 一時間後。童顔の青年にテントまで運ばれ、目を丸くする乍原。

 僕は脱水症状でテントにとんぼ返りすることとなった。




キリは悪くなったのですが、今日はこの辺で。ホラー要素が入らなかった…

次回は必ず入れます

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