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「ここが、カノンが寝たまま登った伝説の地」
「偶然だよ? 1回だけだよー」
ナーリェン山の山頂の扉。そこがBF戦"移ろいの大木偶"の入り口だった。
道中は枝分かれした道もあったのだが、カノンはゲーム時代に寝落ちしたまま、ここまで来たという。寝落ちの経験がないワタラセには、にわかに信じ難い話だ。
「あ、わたっち。状態異常に"エフェクティブ・アシスト"乗っかるから」
忘れずにね、とロサがアドバイスする。確かに、"エフェクティブ・アシスト"は魔法・物理問わず状態異常付加にボーナスを与えるらしいが、わざわざアーチャーのサブジョブにエンチャンターを付けてまで使うことは、普通ない。
「ワタラセちゃん」
くいくい、とズボンを引っ張られ、振り向く。カノンがワタラセを見上げていた。
「力を抜いて、楽しんで。--ワタラセちゃんなら、絶対大丈夫だから」
言葉とは裏腹に、カノンの目は真剣だ。じっと訴えるように、見つめてくる。
ワタラセは否定も肯定も出来ず、目を逸らした。カノンは何も言わずそっと手を離す。
「ほんじゃ、行くよー」
ロサが、ガラスで出来た人形を掲げた。ガラスが割れる音とともに視界を光が塗りつぶし、浮遊感に襲われる。
それも一瞬のことで、気が付けばワタラセは広大な広間に立っていた。他のパーティメンバーも、突入前と同じ距離にいる。
「"移ろいの木偶人形"を確認。あれが、敵」
タマユラが指さす方向に、3階建ての家程の高さの人形が立っていた。さきほどロサが掲げたガラスの人形、その巨大版だ。
(でかい……!)
腕の一振りで、肉塊になりそうだ。
後ずさりそうになるワタラセの尻を、不意に誰かが撫でた。
「ちょっ、うわっ?!」
「男子の尻は堅いなー」
若干残念そうに、犯人のロサが呟く。
「なななな、なにするんですか、急に!」
「腰引けてたから、元気付けようかなーなどと」
断じてセクハラではない、というロサをジト目で見つつ、確信する。ノニンが言っていたのは、このクーシー娘のことだろう。
「あ、じゃ腰のマッサージとか」
「必要性わからないし! 絶対逆セクハラですよね、それ!」
間違いない、変態だ。
「お触りはだめっしょ、ロサ。……いいぞもっとやれ」
範囲強化魔法を掛けながら、シャーロットが呟く。今度ははっきりと聞こえた。慰めの接待プレイどころか、逆におもちゃにされている気がする。
「えっと、さっきの子達と違ってアクが強いから……気にしないで?」
「…………」
カノンがこそっと言ってくるが、何をどう気にしなければ良いのかわからない。もしや八つ当たりで怯えさせた復讐なのだろうか。
何ともいえない顔をしているワタラセをよそに、戦闘準備は着々と進んでいた。いつの間にかに、命中力を上げるロサの呪歌も掛けられている。
「よし、とっておきの子を喚ぼっかな〜--おいで、黄龍!」
カノンの声に応え、輝く黄金の鱗を持った龍が姿を現した。大地を揺るがすような咆哮を上げる。ワタラセは初めてみる召喚獣だ。中国の神獣かなにかだっただろうか。
「たまちゃん、準備おっけー?」
「いつでも」
タマユラの抜刀を見届け、カノンが"プリズム・ドール"を指さした。
「黄龍、ごー!」
一声鳴き、黄金の龍は尻尾で地面を打ち据えた。隆起した大地がモンスターに少なくないダメージを与える。
同時に、タマユラが掛けだした。よろめいた"プリズム・ドール"に切りつけ、叫ぶ。
「我が名はタマユラ! 克目せよ、私は--」
唸りを上げて、人形の手が少女めがけて振り下ろされた。思わず目を逸らすワタラセの耳に、重い金属音が届く。
「--全てを止める、絶対不倒の盾」
中二病全開、と言われそうな言葉を紡いで挑発しながら、タマユラが不敵に笑った。目は強い輝きを湛えており、人形の剛腕を受け止めた黄金の盾は少しも揺らがない。
「タマユラかっけー! パラディンきた、これで勝つる!」
ロサが竪琴を奏でながら叫んでいるのを聞いて、呆然とその光景を見ていたワタラセは我に返った。
巨大なモンスター相手に一歩も怯まないさまは、モニタ越しに見ていたパラディンの姿そのものだ。
(何が、違う? 俺は--)
ゲームも現実も関係なく盾として威風堂々と振る舞う彼女と、戦う術を失って途方に暮れている自分の差はなんだ。
ワタラセは、駆り立てられるように矢をつがえた。懇願しながら弦を引く。
(頼む、中れ、中ってくれ--でなきゃ、俺はッ--!)
「あ、引きが甘いような気が」
「うぇ?! ちょ、なっ--!」
いつの間に背後に来たのか、シャーロットが遠慮なくワタラセに抱きつき、弦を引く腕を力づくで引っ張った。背中に当たった感触に動揺して弦を握った手が滑り、矢が放たれる。
風を切りながら飛んだ矢は、モンスターの肩に深く突き立った。
「な--?」
「ほらー、ナイスショット!」
"グラトニー・シースラグ"に放った矢とは、飛翔スピードが比べものにならない。シャーロットから解放されたワタラセが唖然としたまま、意見を求めるようにカノンを見ると、彼女は黄金龍に攻撃を指示しながらウインクを返してきた。
「"冒険者"だもん。落ち着いてちゃんとやれば、出来ないわけないよ」
「冒険……者……」
「わたっち、状態異常行ける? アナが痺れ切らすと怖いから」
「え、あ、っと」
見れば、アナスタシアが大鎌を手にワタラセを見ている。目が合うと、応援するように微笑んでガッツポーズを取ってくれた。
「--行ける、と思う。いや……」
ワタラセは、左手に握った弓を見た。翡翠色の霊弓は、ゲーム時代と変わらず誇らしげに淡く輝いている。
大きく深呼吸をする。思い描くのは、モニタ越しに見た自分のキャラクターの姿だ。
彼ならば--自分ならば。
「絶対に中てる--"エフェクティブ・アシスト"!」
"スラッグの矢"をつがえながら、スキルを発動させる。体を伸ばすように力一杯引いた弦は、鋭い音を立てて矢をモンスターの体に導いた。続けて矢を放つ度ガラスの巨体に吸い込まれるように中る。
「遅延……沈黙……」
与えた状態異常効果を呟きながら、矢を射っていく。
「毒……麻痺……暗闇。状態異常付与完了! お待たせしました!」
ワタラセの声に、アナスタシアがにやりと笑みを浮かべた。
「うふふふふ--ショータイム」
おしとやかさとはかけ離れた、獰猛な肉食獣の笑みのまま、アナスタシアが走り出した。黄龍の背を駆け上がり、高く跳躍する。
「キリキリ踊れ、"スパイラルファング"!」
体ごと回転させた大鎌の斬撃は、落下速度の勢いも乗って鎌鼬のようにモンスターを襲い、そのHPの3割を奪った。
「ふっはははははは、まっだまだぁッ!」
「アナは前衛やると、ハジケるからのー」
二重人格か、と突っ込みたくなるほどの豹変っぷりだ。タマユラから狙いを全く変えない"プリズム・ドール"の背後で、とても楽しそうに大鎌を振るっている。
「ほら、アクが強い子ばっかりで……」
「ああ、はい。わかってます」
取り繕うようなカノンの台詞に、適当に頷く。
今やワタラセは普通に矢を放っても、しっかり命中するようになっていた。彼女たちとのやり取りが、無駄な力を抜いたらしい。
(焦りすぎて、満足に引ききらずに撃ってたんだな……)
何が悪かったのか、はっきりわかった。突然抱きつかれて驚いたが、シャーロットのお陰だろう。反射的に思い出した柔らかい感触は、首を振って忘れる。
「おー、格上相手にもダメージでるね。さすが異界シリーズ」
「ねー。いい感じ」
タマユラの盾が安定しているため、前に後ろに呪歌を配るロサに比べ、シャーロットは余裕があるようだ。回復魔法を飛ばしつつ、指示をするだけのカノンと雑談している。刃や盾が文字通り火花を散らしている前線に比べ、非常に緩い。とはいえ、シャーロットの支援も、カノンの指示による黄龍の技も途切れることはない。
そうしている内に、敵のHPが5割を切った。
「一気に落とせそう。全力で行くよ」
タマユラの言葉で、場の空気が一気に引き締まった。それまで命中重視だったロサの呪歌が、攻撃力を上げるものになる。
「我ら冒険者は風--大地を渡る悠久の風! 誰にも止められはしない!」
タマユラが敵を挑発するセリフを合図に、シャーロットがメイスを手に駆けだした。
「プリーストの本気を見せるよ--"バニッシングストライク"!」
メイスによる光属性の攻撃技、それに合わせてアナスタシアが大鎌を力強く振り抜く。
「ぶった斬るッ"ソウルハンティング"!」
HPが4分の1に減った敵に、黄龍が上空から襲いかかった。
「黄龍、本気でやっちゃって!」
モンスターの足下に、光で描かれた方陣が浮かび上がる。黄龍が"プリズム・ドール"に巻き付き、激しく隆起する輝く石の柱に飲み込まれた。
「うわ、派手だー!」
暢気に歓声を上げるロサを横目に、パーティメンバーのHPを確認する。前に出ていた3人も巻き込まれたように見えたが、ダメージは受けていないようだ。
「四神の中心の神様だからねー。あ、ほら後1割」
召喚獣の技のエフェクトが消え、無傷の3人が見えた。タマユラが振り返り、叫ぶ。
「ワタラセ、決めて!」
剣を振りかぶり、横凪ぎに払った。
「"シャインブレード"!」
剣の軌道が、光の軌跡を描く。残りHPは、0.4割だろうか。
ワタラセは、ダマスカスの矢を矢筒から取り出した。今装備できる、最高威力の矢だ。鏃に口付け、霊弓"アルベリヒ"につがえる。弦を引き、"プリズム・ドール"を見据える。
イメージするのは、鏃から敵の心臓まで結ばれた1本の線。
「この一矢に、全てを込める--!」
ゲーム時代、発動マクロに組み込んでいたセリフが、自然と口をついて出た。一瞬の苦笑を、不敵な笑みに変えて、弦を更に引き絞る。
「貫け、その魂を。穿て、その全てをッ "ピアッシング・ストライク"!」
轟音を上げ放った神速の矢は光の束となり、違わず"プリズム・ドール"の心臓を貫いた。その僅かに残っていたHPを、全て奪い去る。
"プリズム・ドール"がゆっくりと膝を付き、乾いた音を立てて砕け散った。膨大な光が視界を埋め尽くし、急激な浮遊感がワタラセを襲う。
「--う……?」
ゆっくりと目を開くと、赤く染まった大地が見えた。天を仰ぐと、空が茜色に染まっている。
「いやっほう、勝ったー!」
「やったー!」
ぴょんぴょんと、ロサとカノンがジャンプし、カノンの召喚獣がそれを眺めている。
「わあ、綺麗な夕焼けですねー」
「ねー。ここの景色いいわー」
すっかり正気に戻ったアナスタシアとシャーロットが並んで辺りを見渡している。勝利と同時に、山頂に排出されたようだ。
「そうか、勝ったんだ……」
手にしていた弓を掲げる。夕日を受けて朱色に染まった相棒の輝きが、勝利を祝ってくれているように見えた。
「おつかれー。これ、分け前」
先程の気迫溢れる様が嘘のように、ふらふらとタマユラが歩いてきた。差し出されたものを、反射的に受け取る。
「--えっと、これ何ですか?」
"オベロンの王冠"という名のとおり、手の平に乗るサイズの王冠だった。装備品ではなく、なにかの素材のようだ。
「ん。それ、強化素材」
その子の、とタマユラが指さしたのは、ワタラセの霊弓だ。
「85レベル用に出来る。オーヴィンの、武器屋にいるNPCが」
段階を踏んで、強化をしていけるらしい。
「もしかして、このBF--これ、取るために?」
荒れていたワタラセを気に掛けてくれたのだろうか、そう問うと、タマユラはにっこりと笑った。
「ゲーム時代から、"冒険者"は助け合うもの。だから私は、今でもこのゲーム好きだし、嫌いになってほしくない」
「冒険者……」
ワタラセは、この世界に降り立ったときのことを思い出した。
モニタの向こうに広がる広大な世界に心躍らせ、側を走るキャラクターが別の誰かであることに驚き、寝る間も惜しんでモンスターと戦った。レベルを上げるために見知らぬ者同士でパーティを組み、次の日は別の者と協力する。やがて知り合いが増え、仲間が出来て共に様々なコンテンツに挑んだ。
どれもゲームの中での事だが、ワタラセにとっては現実の出来事と遜色ない、掛け替えのない思い出だ。
「--うん、このゲーム大好きです。……そっか、"冒険者"だった、俺も」
現実世界に帰るつもりがなくなったわけではない。こちらと同じく、現実世界にも掛け替えのないものはあった。それは彼女たちも同じだろう。
ただ、今この世界にいることを受け入れ、全力で生きる覚悟をしただけだ。
タマユラは、ワタラセの答えに満足そうに頷き、イヤリングを差し出した。小さなガラス玉の中に、紅白のバラが咲いている。
ユニティシンボルがあしらわれたチャットツールだ。"薔薇の花園"という名に因んでいるのだろう。
「これ。ウチに来るなら」
若干緊張しながら、ワタラセはそれを受け取った。気が付けば、みんながじっとワタラセに注目している。
耳に付けた瞬間、一気に声が耳に流れ込んできた。
「ワタラセちゃん、加入〜!」
『勝ったんでしょ? おめでとー!』
『ふむ、初の男子だな。よろしく』
『先程はどうも。よろしくお願いします、ワタラセ』
『今日はお祝いのお鍋ね! 気を付けて帰ってきてね』
「ふふ、賑やかさが増えましたね」
「んむ。ビバ新人!」
「宴会やっほう! よろしく、ワタラセ」
口々に声を掛けられ、嬉しくも照れる。
「え、えっと……頑張ります、よろしく」
一斉に賑やかな声が聞こえてくるのは、不思議な体験だが、悪くない。はにかんでいるワタラセの肩をタマユラが叩いた。
「ようこそ、ワタラセ。頑張って--私は、頑張らないけど」
『みんな、おっはよー!』
耳に飛び込んできた声が、ワタラセの意識を覚醒させた。付けっぱなしだったチャットツールから聞こえてきたのは、ヨーコの声のようだ。
(あー……昨日そのまま寝たのか)
粗末な寝台から、のろのろと起きあがる。マットが堅いせいで、体の節々が痛む。
革鎧こそ外しているものの、服は昨日着ていたそのままだ。
昨夜、ブレイズの部屋で開かれた鍋パーティーはアルコールも入り、深夜まで盛り上がった。酒豪のシャーロットとマリアカラスに挟まれてしこたま飲まされたワタラセは、気が付けば自室で寝ていた。
帰ってきたときの記憶は見事に消し飛んでいる。
『ワタラセさん、起きてます?』
「え。ああ、おはようございます。昨日はどうも」
アナスタシアが、どこか弾んだ声で話しかけてきた。柔らかな口調だ。
『昨日、ベットが良くないって話してたから作ってみたんです』
スキルが上がっていれば、素材を合成して様々なアイテムを作り出すことができる。アナスタシアは、家具や矢を作れる木工スキルを上げているのだと、昨日話していた。その際、粗末な寝台を使っていると話していた、ような気がする。
『宅配したので、受け取ってくださいね』
みんなに作っているので、と言い添える。気を使わないようにだろう。
「ありがとうございます。早速配置しますねー」
部屋を管理するブラウニーを呼び出す。宅配ポストを確認させると、2つのアイテムが届いていた。まずは、アナスタシアから届いたベットをメニューで選び、設置する。
「………………そうか、みんな女の子か……」
寝心地のとても良さそうな寝台だ。粗末な物とは比べものにならない。
ただ一つ問題が有るとすれば、可愛らしいレースの天蓋付きだというところだろう。いわゆる「お姫様ベット」というものだろうか。
『どうですか? 使い心地とか、飾った感想とか』
「あー、ええっと--凄く寝心地良さそうです」
どうせ自室だから、と見た目は気にしないことにした。軽く腰掛けただけでも、柔らかさが違う。競売場に出品されれば高値が付くに違いない。ありがたいことだ。
『あ、あと、ロサさんからも届いてません?』
「ああ、そういえばもう一つ届いてました」
『きっと似合うと思います、家具にも』
もう一つも家具なのだろうか。ポストから引っ張りだし、確認する。
「………………………………」
装備品、だった。室内着のようだ。アナスタシアの言葉からして、ロサのお手製だろうか。柔らかそうな布だが、問題はデザインだった。
ローブのようだが、何故かレースやリボンが施されている。色がパステルグリーンなのは、せめてもの思いやりだろうか。
「って、これ女性用じゃないんですか…………?」
『気のせいだお。騙されたと思って着てみれば分かるお?』
非常に胡散臭い返答が、ロサから帰ってきた。ワタラセは、手にした服をじっと見つめる。
「……………………って、嘘じゃないですか! キツい、これ見た目のダメージ凄いキツい!」
試しに着て鏡の前に立ってみたことを後悔しつつ、普段着に着替える。何が悲しくて朝っぱらから女子力が高そうな膝丈のキャミソールを着なければならないのか。
『あら、かわいいのにアレ』
「ブレイズさん着てるんですか、コレ……もはや女装ですよ」
『男の娘、っていいと思わんかね。んん』
『ロサ、なんてもんを……いいぞ、そのまま外に出て見せろー』
「シャルさん、それちゃんと聞こえてますからね?!」
大騒ぎをしながら、ワタラセが異変に巻き込まれて8日目の朝が過ぎていく。
それは昨日よりも確実に賑やかで、充実した一日の始まりだ。