4
最悪だ。
ワタラセは暗鬱とした心持ちで自室の収納箱から矢束を取り出した。
"グラトニー・シースラグ"はルージュジェル3個に加え、ワタラセが希望していた装飾品、飛び道具の命中力を上げる"スナイパーリング"を落とした。誰一人戦闘不能に陥ることもなく、本来ならば申し分ない戦果だった。
(最悪だ……八つ当たりして、驚かせて……)
ダメージが全く与えられなかった苛立ちに任せて、弓を地面に叩きつけた。和やかだった雰囲気は一気に気まずくなり、そのまま解散となってしまった。
敵はワタラセが休止する前に実装されていたはずだ。当時の上限であった80レベル、ましてやそのレベルのアーチャーが装備できる一級品の武防具を揃えているのに、ゲーム時代のように行かない。
多大な労力を費やして手に入れた"アルベリヒ"は、当時のワタラセにとって誇りだった。入手したプレイヤーは殆どおらず、その所持を驚かれるたび「自分は一流なんだ」と自尊心を満たしていた。だが、実生活が忙しくなって3年という月日が流れたことと、ゲームが理想を押し通せない現実となってしまったことで、ワタラセは「ただの人」に成れ果てた。
かつて強力必中の矢でモンスターを射抜いていた一級アーチャー・ワタラセは、もう存在しない。
矢筒に矢を仕舞いつつ、所持アイテムを見てみる。"アルベリヒ"も含め、持っている装備品を全て売り払えば、しばらくは何もせずに暮らせるかもしれない。
どうせ、無用の長物だ。
『ワタラセちゃん、準備できた?』
耳に飛び込んできた声が、ワタラセの思考を中断させた。先ほど一緒に戦ったクーシーの少女、カノンの声だ。
「えっと--もうちょっと、です」
パーティを解散した直後、カノンはワタラセに「手伝ってほしいことがある」と声を掛けてきた。他に腕の良いアーチャーがいるから、と断ったのだが押し切られ、結局バトルフィールド戦を手伝うことになった。
バトルフィールド戦は、各地にある門に特定のアイテムをトレードすると突入できるエリアで、ネームド・モンスターと戦うというコンテンツだ。今回行くのは上限レベルが85だった時に実装されたものだという。尚更出来ることはないはずだ。
(哀れまれた、んだろうな……)
一瞬だけ、カノンは自分に痛ましそうな目を向けた。同情されるのは苛立ちを募らせるだけだが、相手の厚意を面と向かって罵れるほどワタラセは図太くない。
『お願いしてた準備、出来そう?』
「ああ、できます、一応……」
カノンから頼まれたのは、指定された矢を揃えることと、サブジョブをエンチャンターにすることだった。幸い指示された品は収納箱の中に仕舞ってあったので、引っ張りだして矢筒に補充するだけで済んだ。
行きたくない。だが、待たせるわけにもいかない。
ワタラセは鉛のように重い足を引きずり、オーヴェンの大橋に向かった。
朝、ノニンらと待ち合わせをした場所には、カノンと共に見慣れない女性達がいた。ゆっくり歩くワタラセに気付き、カノンがジャンプしながら大きく手を振る。
「ワタラセちゃーん、こっちこっち!」
誘われてパーティに入る。やはりカノン以外は皆知らない名前だ。
「みんなも私と同じユニティなの。全部で9人」
さっきは別のとこにいて、とカノンは説明する。ふと、ワタラセはノニンが誰かを変態呼ばわりしていたことを思い出した。見たところ、皆普通に見える。
「じゃあ、私から自己紹介しますね。アナスタシアです、よろしくお願いします」
そうお辞儀をしたのは、若草色の髪に白い花を飾った、紫色の瞳のエルフの女性だ。金の装飾が施された黒い金属鎧と大鎌、という出で立ちが、おしとやかな印象とミスマッチだ。ジョブはウォーリア・サムライ。前衛アタッカーのウォーリアと、両手持ち武器の威力を底上げするサムライという攻撃的な組み合わせになっている。
「あの、眼鏡とかって掛けます?」
「へ? い、いや、あまり」
唐突な質問に答えると、アナスタシアは残念そうな顔をした。意図が良くわからない。
「はいはい、次はあたし、シャーロットよ。さっきは弟が世話になったね」
「弟……?」
「ブレイズちゃんは、シャルちゃんの弟さんなのー」
シャーロットの「サバ柄の猫のような耳に、金髪薄茶目」という見た目は、ブレイズとあまり似ていない。エルフの姉がリンクスなのか、と首を傾げかけたところで、現実世界での話だと気が付いた。
「回復はあたしがバッチリするから、安心してね」
コバルトブルーの刺繍が施された、純白のベルベットのコートという装備は、回復魔法の効果を上げるプリースト用の装備のようだ。手にしている盾はブレイズが持っていた物と同じ品だろう。
「……しかしこれは、泣かせたくなるタイ--」
「シャルちゃんは、プリースト得意だから!」
シャーロットが呟いた言葉は、カノンの声が重なって殆ど聞き取れなかった。何故か、聞かなくて良かったような気がする。
「じゃー、次だの。私はロサ、よろろ!」
ちゃっ、と手を挙げたのは、ゴールデンレトリバーの様な毛色の犬耳の、珊瑚色の髪と瞳のクーシーだった。人懐こそうな目でワタラセを見上げている。実年齢は近いのかもしれないが、どうしても無垢な少女に見える。
「色々できるけど、今日はバードで歌うよー」
手に持っているのは銀色の竪琴だ。抹茶色の革鎧と、白い羽が飾られたオリーブ色のベレー帽は、呪歌の詠唱スピードを上げる効果が付いているようだ。
「で、あと一人が--あ、来たキタ」
ロサが手を振った方向を振り返る。
(う……わ)
金の美しい装飾が施された白銀の鎧。
高い防御力を誇り、敵対心を上昇させるそれは、80レベルのパラディン専用装備と同じ外見だ。不動の盾を務めるさまが、画面越しに見ていた時も格好いいと思っていたが、実物は一層のこと目を惹く。手にした金の大盾は女神のレリーフが彫られている。こちらは"異界シリーズ"の一つ、防御力が高く、受け流す確率も高める"アイギスの盾"のようだ。いずれも99レベル用に強化されている。
「こんちは、タマユラです。適度にがんばる」
朱色の髪と目の少女が、気の抜けた仕草でお辞儀をする。アナスタシアと同様、装備と中身のギャップが大きい。
「たまちゃんに盾やらせたら、絶対安心だよー。やる気なさそうに見えるけど、実際はスゴいから」
「今の目標は、家に引っ込んでニート生活を満喫すること」
引きこもっていたのをカノンが引っ張りだした、ということだろうか。自分とは違ってレベルも装備も申し分ないだろうに、勿体無いことだ。
(--あれ?)
タマユラの装備を確認していたワタラセは、一カ所だけ不思議な物を装備していることに気が付いた。
「その耳装備は……」
「んん? あ、これ」
タマユラが、ワタラセが指摘したピアスに触れる。虎目石で作られたそれは80レベル時代のもので、HPと回避率を少し上げる効果を持っている。ヘタル国の内乱を阻止するという連続クエストをクリアすると貰える品だ。
99レベルパラディンにとって実用性は殆ど無いだろう。
「おされ装備」
「おさ、おしゃれ装備?」
「うん、おされ装備。--「人は、諦め立ち止まったときに真の意味で敗北する。だから私は、血反吐を吐き、みっともなく足掻きながらも、何度でも立ち上がる!」--なんちゃって」
無気力そうだった目が、強い輝きを灯す。だがそれは一瞬で、すぐに元の気の抜けたようなさまに戻った。
タマユラのセリフには、聞き覚えがあった。
「--それ、最終戦開始前のバレフィアのセリフ……」
連続クエストの最後は、ヘタルの王女バレフィアと共に、内乱の首謀者を取り込んだ"カースドラゴン"を倒すというものだ。
敵は前方向への範囲攻撃と、恐ろしい早さでHPを削る毒のブレスを持っており、盾役にすさまじい負担が掛かる超難関クエストだった。何度も全滅して繰り返し挑むのは当たり前で、「盾役を攻撃そのものを阻止できるエンチャンターに変えて、火力の高いジョブで力押しする」という攻略法が確立するまでは、ワタラセもそのセリフを何回も聞かされたものだった。
(そうか。あれは--)
「ん。パラディンがいらない子だった時の。--無理矢理パラディンで勝たせて貰ったから、その想いを忘れないように」
パラディンの役目は盾、それだけだ。それゆえ他のどのジョブよりも群を抜いて防御力が高く、回復魔法や自己強化の支援魔法、敵からのダメージを抑えるスキルなどが充実している。
盾役をパラディンが務められない、ということはパーティの中に席がない、ということに他ならない。実際、エンチャンターの盾が流行った当時、失望の中でパラディンを辞めた者や、クエストそのものを諦めた者は少なくなかったらしい。
「タマユラはパラディン命だもんね。私はプリースト命だけど」
「凄かったんですよ? "アイギスの盾"もそうですけど、色々装備揃えて、対処方も一生懸命考えて」
「「みんな思い入れのあるジョブで勝つんだー!」って頑張ったのう」
「ねー。勝った時って、深夜2時回ってたよね。私嬉しくて、全然寝れなかったよー」
「あ、私もです!」
楽しそうに思い出を語っているのが、とても遠く感じる。ワタラセとの間に見えない厚い壁があるようだ。きっと彼女たちは、ワタラセが失ったものを全て持っているのだろう。
それが羨ましくて、酷く惨めだ。
「あ、での。わたっち」
「……へっ?」
突然声を掛けられ、ワタラセは抜けたような妙な声で返事を返した。ロサは不思議なあだ名で呼んできた。
「これから行くBF戦、エンチャンターの代わりが、わたっちだから」
「え、エンチャンター?」
ブレイズがいるじゃないか、と言い掛けたところで、突然両肩を叩かれた。
「わっ?」
「頑張ってね! アタシはお夕飯の支度があるから」
驚き振り向くと、いつの間にいたのか、ワタラセの両肩に手を置いたブレイズの顔が間近にあった。何故か背後から小さく歓声が聞こえる。
「い、いや、でも俺じゃ--」
「今夜はアンコウ鍋よー! お姉ちゃん、ワタラセちゃんをお願いね」
「はいよー。お任せ」
一方的に言いたいことを言って、ブレイズは軽い足取りで去っていく。昼間に取ったアンコウを鍋にするための食材を買っていたらしい。
「--って、だから! エンチャンターの代わりって、俺には無理ですよ!」
「これからやる敵は、ちょっと変わってての。こっちの行動をトリガーに、敵の攻撃パターンが変わる」
ワタラセの抗議を無視し、ロサは説明を続ける。
「最初に魔法攻撃を加えると魔法に強く、殴ると物理に強くなる。でもって、状態異常を4種類以上与えると、大ダメージを食らうスキルが封印される」
「変わった敵ですね……」
他のゲームはともかく、「エターナル ウィンド」では珍しい仕様だ。
「今回は、最初にカノンの召喚獣に魔法攻撃させて、魔法耐性を上げる。で、状態異常入れて特殊攻撃封じてから、物理で殴る」
「盾役はたまちゃん。アタッカーはアナちゃんと私とワタラセちゃんねー」
「え、いやだから、俺はさっきも全然中らな--」
「頑張って、エゲツナく削りましょうね!」
「さっきは支援だったけど、今度はガンガンいっちゃうから!」
基本的に、彼女たちはワタラセの抗議を聞く気は毛頭無いようだ。仕方なく、黙って適当に聞くことにした。
どうせ、すぐに失望されることになるのだ。
「で、わたっちには、状態異常攻撃を与えて貰いますお」
「エンチャンターの代わり、と」
釈然としない。状態異常付加ならば、エンチャンターの右に出る者はいないはずだ。
「魔法耐性モードなら、物理での状態異常攻撃がわりと入りやすい。矢、持ってきた? "スラッグの矢"と"パラライズアロー"、"毒蛙の矢"に"サイレンスアロー"」
「ええ、それと"暗闇の矢"が有ったので、持ってきました、けど……」
きっと中らない、という言葉は飲み込んだ。バードにせよサモナーにせよプリーストにせよ、やろうと思えば状態異常を与えられるだろう。どうせワタラセは期待されていないはずだ。
そう考えていると。タマユラの視線に気が付いた。じっと見ているのは、装備情報を確認しているからのようだ。
「ん。中る、イケる。命中ブースト凄いし、威力も出るよ」
「………………」
タマユラの言葉は、気休めにしか聞こえなかった。