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チカ半島はオーヴェンの西方、リンクスとエルフが暮らす「モウハーク連邦」の側にある。地方の国々にはオーヴェンから高速の定期船が出ており、2時間もあればモウハーク連邦に到着する。
(ゲーム時代は10分だったんだけどなー)
召喚獣ヴィゾフニルを従えたカノンは、釣り竿を揺らして心中で呟く。現在でも定期船にはモンスターが湧くことがあり、またモンスターを釣ってしまうこともあるため、大人しく隣で座っている雄鳥はその保険だ。その昔、駆け出しだった頃の定期船は命がけだった。釣り糸を垂らすのは怖いもの知らずか、レベルが既に高くなった先行者だけで、低レベルの者は船室の中で船が着くのをじっと待っていたものだ。
ゲームだった頃の魚釣りはボタンを押すだけで退屈だったが、今は自分の手で餌を付けて魚の"食い"を誘う必要がある。手が掛かる反面、「釣っている」という感覚が楽しいので、カノンは出掛けると必ず釣り糸を垂らしている。
背後でヨーコの歓声が聞こえた。カノンが振り返ると同時に、ワゴン車程の大きさのアンコウが甲板に踊り込む。モンスターを釣り上げたのだ。
「アンコウ鍋キター! マリア、トレハンよろ!」
「任せろ、何としても手に入れる!」
昔は船内をパニックにさせた強敵も、レベルが上がった今では食材でしかない。
シーフはアイテムドロップ率を上げる"トレジャーハント"を持っている。アンコウ鍋はマリアカラスの地元の名物なので、気合いの入りようが違うようだ。
「あれって食べるところあったかしら……」
「切り身と肝があるよ〜。ドロップ品だけど」
褐色の皮に深緑の斑模様、という見た目のためかブレイズはあまり乗り気ではないようだ。
モンスターは倒すと消える、というゲーム時代の仕様が生きているため、吊し切りで捌くというわけには行かないが、大アンコウにはドロップ品として切り身と肝が用意されている。ドロップ数は1〜2個だが大きさはモンスターに見合ったサイズなので、10人前位にはなるはずだ。グロテスクな見た目の魚が、自動的に捌かれておいしそうな姿に変わるのだから、実に便利だとカノンは思う。
「夕飯はアンコウ鍋か……!」
じゅるり、とノニンが密やかに涎を拭いている。冷静に見えて実は食いしん坊な彼女のことだ、アンコウ鍋とこれから取りに行くゼリーへの期待に、胸を膨らましているに違いない。
「……あれ?」
ヨーコとノニンから鍋コールを受けて奮闘するマリアカラスを、ワタラセが曇った顔で見つめていた。思えばカノンが"精霊門の鍵"の話をしてから、表情が優れない。
「けこっ」とヴィゾフニルが鳴くと同時に、竿を持つ手に振動が伝わった。釣り竿がしなったことを教えてくれたのだ。カノンは意識を釣り竿に戻し、糸を巻き始める。引きが強くないので、普通の魚だろう。
水面に銀色の姿が見えてきたところで、カノンは立ち上がった。一瞬だけ視線をやって目標位置を確認し、思い切り釣り竿を振り上げる。水面から勢い良く飛び出したイワシは、狙い通りにワタラセの足下まで飛んでいった。
「うわっ?」
「ごめーん、飛んじゃった!」
驚いて反射的に跳び退くワタラセに謝って駆け寄る。元の世界で言えば真イワシだろうか、まるっと太った20cm弱のイワシを拾い上げて、カノンはワタラセを見上げた。元気良く暴れる魚を鷲掴みしていても、クーシー族の上目遣いには相手の心を掴む魔力があると、カノンは自負している。
「あ、いや。大丈夫です。--えっと、活きが良いんですね」
「うん。魚偏に弱い、って字が信じられないくらい暴れるよー」
びびびびびび……と身を震わせる魚をバックに突っ込みながら、さりげなくワタラセに近付く。
冒険者の鞄は異次元にでも繋がっているのか、何を入れても重さを感じさせず、ナマモノをそのまま入れても臭いや汚れが他のアイテムに付くことがない。個数制限を拡張するクエストは冒険者居住区を管理する妖精ブラウニーに関連するものなので、彼らが密やかに世話をしているのかもしれない。
「ワタラセちゃんは、釣りとかしないの?」
「まあ、2時間ですし、釣り竿持ってないんで」
「そっか。釣りの仕様はリアルになったけど、餌とか竿とかみんな鞄に突っ込んでおkだから、楽に楽しめるよー」
今度やってみて、と薦めると「そのうちに」という答えが、取り繕った笑顔とともに返ってきた。沈んだ気分を押し殺している、といった様子だ。
イワシをダシにして話しかけてはみたものの、ストレートに「落ち込んでるの?」とはさすがに聞けないので、カノンは目に付いた物を話題に上げてみる。
「あれ、ワタラセちゃんの弓もお揃いだ」
「え?」
ワタラセが背負っているロングボウを指さす。翡翠色の弓には魔法銀による花の装飾が施され、花弁は瑠璃色に輝いている。ぴんと張られた弦は美しい金色だ。
カノンの"精霊門の鍵"と同じ"異界シリーズ"の弓だ。必要なアイテムは"神樹の枝"4個に"魔法銀の欠片"4個、"妖蝶の羽"5個と"ティータニアの髪"7個と種類が多く、手間の掛かるアイテムだったはずだ。
「作ったの3年前?」
「あ、はい。--弓はそんなにお金掛からなかったから」
「でも当時じゃ大変だったでしょー」
素直に感心すると、ワタラセは苦笑した。どこか投げやりな口調で答え、首を振る。
「今じゃ、大したことないでしょ。90レベル装備とか、これを越えるのは沢山有るんじゃないですか?」
「え。あ、で、でもホラ、強化するとまだまだスゴいよ!」
「なるほど。レベルが上がれば、ね……」
「う、うん……」
より一層暗い顔になったワタラセをカノンは慌ててフォローしたが、結局会話が途切れた。話題選びに失敗したようだ。
「--よし、切り身と肝取ったぁっ!」
マリアカラスの叫び声が気まずい沈黙を破った。振り返れば、カノンの体ほどの大きさの切り身を掲げている。
「--あ、ああ。釣り具仕舞わなくっちゃ!」
上目遣いに笑い掛けてから、そそくさとカノンはワタラセの側を離れた。
「……ねえ、どうしたの彼」
ブレイズが身を屈めて耳打ちをしてきた。彼−−ワタラセは、遠くを見て黙々と歩いている。
「んと……、お話しして……地雷、踏んじゃった、かも」
カノンが口ごもりつつも素直に白状すると、ブレイズは納得したように頷いた。ワタラセの背中を見ながら、同情の色を浮かべる。
「あの弓--"アルベリヒ"でしょ、異界シリーズの。超レア武器よ。なのに、久しぶりに偶然戻ってきたらゲームの世界に飛ばされた上に、後続みんなにレベル抜かされてリアル浦島太郎ですもの。辛いわよね……」
「うう……おもしろ寝落ちエピソードで笑いを取るべきだったよ」
カノンの鉄板ネタは「寝ながらコントローラーのアナログスティックを押し込んで、ナーリェン山の山頂まで登った」というものだ。「壁にぶつかってぷるぷるしながらじわじわと進んでいった」とその時一緒に行動していたシャーロットは証言している。
「--でもまあ、ワタシたちに今出来ることってネームド退治を手伝うことぐらいなのよね」
「うーん……」
パーティ内で大きくレベル差があると、レベルが低い者に入る経験値はマイナス補正される。パーティ外から回復魔法だけを掛けるという方法もあるが、どちらにしてもワタラセには大きなストレスとなるだけだろう。
「--着いた」
先頭を歩いていたノニンが足を止めた。象牙色の砂浜に、目印めいた獣の骨が置いてある。そこが"大食海牛"の出現場所だ。
「待ってね、支援配るから」
ブレイズが守備力上昇、魔法防御上昇、攻撃速度上昇--と支援魔法を配っていく。プリーストならば範囲化させて一気に掛けられるが、エンチャンターの場合は一人ずつだ。
ノニンは装備を町着から、黒いベルベットに銀の装飾が施されたコートととんがり帽子に着替えた。魔法の攻撃力上昇と消費MP軽減の効果を持つソーサラー用装備だ。「メニューを呼び出して、記憶させた装備に変更する」という操作をゲーム時代そのままに行ったのだろうが、一瞬にして着ている物が変わるのを目のあたりにすると、改めてここが異世界であることを認識させられる。
(--って、召喚獣連れてる時点で今更か)
カノンは小さく苦笑すると、目を瞑って意識を集中させた。純白の烏の姿を思い浮かべ、声に出して呼び掛ける。
「おいで、ヤタガラス!」
地面に魔法陣が浮かび上がり、輝きと共に純白の三足烏が飛び上がってきた。一声鳴いてカノンに寄り添う。メニューで召喚魔法を選んで呼び出すことも出来るが、慌てているとき選択するのにまごつきそうなので、カノンはなるべくメニューを介さない召喚を行って慣れるようにしている。
「メニューは、使わないんですか?」
「うん。こっちのほうが簡単だし」
召喚魔法なら喚び出すものの姿を思い浮かべるだけ、とカノンはワタラセに説明する。回復もするならヴィゾフニル、命中率アップの支援をするならヤタガラス、と状況によって召喚獣を変えることが良くあるので、喚びたいときにすぐ対応できるというのは非常に快適だ。
「アタッカーの人とかは、大変だと思うけど--」
「慣れだねー、慣れ。リアルよりずっと体軽いから、結構楽だけど」
そう言うヨーコは、邪魔にならないところで竜のような尻尾を素振りしている。現実世界にはなかったオプションだが、すっかり使いこなしているようだ。
「マリアも尻尾動かせるようにしたら? 結構便利だと思うよー」
「猫の尻尾は打撃武器にならないだろ」
「うん。すべすべのもふもふで、とてもとても癒されるだけ」
マリアカラスに同意するノニンにも尻尾は付いているのだが、猫の方が好みらしい。クーシー好きのマリアカラスはノニンに褒められて僅かに頬を緩めた。クールな表情だが、内心大喜びに違いない。
「--"ヘイスト"っと、これで全員支援配れたかしら」
雑談をしているうちに、ブレイズが支援を配り終えた。カノンはヤタガラスに全員の命中率を上げる技"神使の導き"を使わせ、モンスターの出現場所から距離を取る。ヤタガラスを返して回復専門召喚獣"ユニコーン"を喚びだし待機させた。
「……では、出現させます」
ノニンがカノンの隣に並ぶのを見届け、ワタラセは野牛の肉を骨の上に置いた。出現直後は呼び出した者に殴り掛かるので、後ろに下がらずそのまま留まる。
変化は起こらない。
「…………"出現ポイントにトレード"って、そのまま置くだけで--」
いいのか、とノニンが言い掛けた瞬間、海から巨体が飛び出してきた。ゼラチン質の体を擡げ、ワタラセに被い被さろうとする。
「さっせるかー!」
唸りを上げて、ヨーコの尻尾が巨体--"大食海牛"を打ち据えた。身を震わせたモンスターの狙いがヨーコに向いた隙に、ワタラセは後退する。
「こっち向きなさい、この軟体生物!」
挑発によってターゲットがブレイズに変わった。ヨーコに背を向け、ブレイズに向き直る。それを見届けてからマリアカラスが攻撃に加わる。
ワタラセが後退し、矢を放った。跳ねるモンスターに避けられ、苦々しげに舌打ちする。
ブレイズはヨーコが切りつけるたび挑発を重ね、魔物を翻弄する。攻撃を盾でいなし、受けたダメージを自力で回復する。
「"エフェクティブ・アシスト"--"パラライズ"!」
"エフェクティブ・アシスト"は30秒間、使った者の状態異常付加行動を効きやすくし、その効果を上げるエンチャンターのスキルだ。魔法による麻痺によってモンスターの動きが著しく悪くなり、攻撃頻度が落ちる。こうした絡め手が得意なのも、エンチャンター盾の強みだ。
不意にモンスターがうずくまった。
「ユニコーン、回復!」
カノンの指示で、一角獣が前線にでる。モンスターが毒霧を放出するのと同時に、ユニコーンが降らせた光の粒子が毒を緩和した。モンスターのHPは残り50%、特殊攻撃が激しくなる頃だ。
「--そろそろいいか」
じっと待機していたノニンが、絡み合った蛇が精霊石を抱いたデザインの杖を手にした。魔法の威力に関するステータスを上げるとともに、敵対心の上昇を抑える装備だ。
「サンダーフォール!」
荒れ狂う雷が滝の様に降り注いでモンスターを打ち据え、HPを30%までに削る。火力が高いソーサラーは敵対心を稼ぎやすいので、敵のターゲットが安定してから全力を出すのが定石だ。着弾と同時にブレイズが挑発を重ねたこともあり、ノニンには見向きもしない。
「……くそ、なんで……っ!」
ふと、小さな音も拾うカノンの犬耳に、ワタラセの押し殺した声が聞こえた。ユニコーンに回復を指示しながら目だけで見ると、奥歯を噛みしめて矢を射るところだった。放った矢は軽い音を立ててモンスターに中り、弾力有る体に弾かれる。
「なんで中らない、なんでダメージが通らないんだよ……!」
ゲーム時代にはあり得なかったであろう早さで、ワタラセが次々に矢を射る。だがいずれもモンスターの体を掠るか弾かれるかで、ダメージを与えることがない。
カノンは首を傾げた。敵は80レベル時代のネームドだ。レベルは勿論、装備も申し分無いはずだ。ワタラセが焦り、憤るのも無理はない。
「フレイムピラー!」
ノニンの魔法が再びモンスターに着弾した。炎の柱が大きく立ち上り、そのHPを5%までに削る。
「よっし、トドメは貰った!」
言うなりヨーコが飛び退いた。短刀を構え、身を沈める。
「神速--」
その姿がぶれて消えた。一瞬の間の後、モンスターの前に現れる。
「--無影斬」
ヨーコが背を向けたまま呟く。同時にモンスターに無数の刀傷が現れ、HPの残り5%を全て奪い去った。
ニンジャ専用の短刀スキル"神速無影斬"は、一瞬にして敵を何度も切りつけて大ダメージを与える、という技だ。ゲーム時代は反対側に瞬間移動し宙返りで元の位置に戻る、というモーションだったが、ヨーコはアレンジを加えたようだ。
「ふっふっふ……これぞ練習の成果、カッコいいっしょー!」
「この前ずっとロキブ渓谷に籠もってたのは、この為だったのか」
感心半分、呆れ半分といった様子でノニンは言う。派手なアクションが好きなヨーコらしい行動だ。
「だって見た目は肝心でしょ。ニンジャだも--」
ヨーコの言葉を、何かが叩きつけられたような音がかき消した。
驚き振り返ると、肩で息をするワタラセの足下に翡翠色の霊弓が転がっている。皆の視線が集中したことで我に返ったのか、彼は慌てて顔を上げ、弓を投げつけた腕を背中に隠した。
「あ--ゆ、弓落としちゃって! すいません、驚かせて。何でもないんです、何でも……」
視線を逸らし、俯く。ブレイズが歩み寄り、その足下に落ちたままの弓を拾い上げた。じっくり眺めながら取り出したハンカチで丁寧に汚れを拭き、ワタラセに差し出す。
「あ……」
「傷がないようでよかったわ。大事な武器でしょ?」
ウインクをして差し出された武器を、ワタラセはおずおずと受け取った。
「………………すみません……」
消え入るような声で言う。視線は足下に落とされたままだ。
カノンはそっとチャットツールに手を伸ばし、未だオーヴェンに居る友人に呼び掛けた。
『タマユラちゃん、起きてる? お願いがあるんだけど--』