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オーヴィン大橋の商業区。競売所前の街灯下に目当ての相手はいた。マリアカラスはやや短く揃えた銀髪を掻き上げ、一度足を止めた。水色の目を見開き、その背を遠くからじっと観察する。
赤いフードを被った丸い頭は、背の低さと丸いシルエットから「たらこ」を思わせる愛らしさだ。MPの増加と自動回復効果が付いた"カーマインクローク"は、ノニンが町着として愛用している75レベル用の装備だ。フードにはクーシー族専用のデザインである耳を入れる部分、通称「耳袋」が付いており、とても愛らしい。更に尻から覗いた白い尻尾はふさふさで、たまらなく愛らしい。
深呼吸をして心を落ち着かせてから、マリアカラスはノニンの元に近付く。努めてクールに、可愛らしすぎる犬っ娘とその隣の男に声を掛けた。
「よろしく頼む」
「あ、よろしくお願いします」
「よろしく。手伝ってくれてありがとう」
ノニンに栗色の理性的で円らな目に見上げられ、微笑まれた。ポーカーフェイスを装うマリアカラスの黒い尻尾が上機嫌な猫のように揺れる。
意外にも、一番乗りだったらしい。クーシー愛がスピードの差に現れたということだろうか。ほかの3人はパーティに入っているものの、自室で準備をしている最中のようだ。
「サムライかモンクか……いや、やっぱニンジャよね!」
「待て、盾役は誰だ?」
「私はダメージ出す係ですしおすし」
「……脳筋め……」
前衛職の中でも特にニンジャは手数が多く火力が高い一方で、後衛職並に防御力が柔らかい。サムライやモンクならばシーフ以上に盾役をこなせるが、ヨーコはそれらを選ぶ気はないようだ。
「大丈夫よー。敵は格下だし、ワタシがエンチャンターで行くから」
ブレイズの得意ジョブ、エンチャンターは片手剣と魔法が使える魔法剣士だ。一人で攻撃から回復まで幅広い役割をこなせるが、その真価は攻撃支援やステータス上昇、ダメージ軽減などの強力で多彩な支援魔法と敵の攻撃を妨害する数々の状態異常付与魔法にある。それらの魔法を駆使すれば、装備次第ではウォーリア並に盾役を務めることも可能だ。
一方、ワタラセのジョブ、アーチャーは火力は高いがターゲットを取ってしまうとあっと言う間に沈む。レベル差があるのでそうそうヘイトがトップになることは無いだろうが、ブレイズが盾になるのならば更に安心だ。
「ヨーコはモチロン、ワタラセ君もちゃんと守る--」
『だばらぶむぐふぅっ!』
不意にチャットツールから聞こえてきた悲鳴が、ブレイズの言葉に割り込んだ。ロサの声だったようだが、どこか嬉しそうな断末魔だった。
『死ニマシタ--バレフィア様の胸に飛び込んで』
満足そうな溜息と共にそう言うロサは、戦闘不能の割に余裕がある。フレッシュゴーレムに殴り飛ばされ、弾みでバレフィアの胸に飛び込んだという。
『ばいんばいんで柔かったわぁ。そして今見上げている、素晴らしきアングル!』
「あの……何かありましたか?」
「--いえ、ウチの変態がユニティチャットで騒いでいただけなので。お気になさらず」
微妙な表情を浮かべた理由を溜息混じりにノニンが説明している。ワタラセは今一ピンと来ていない。よく見れば、今はどこのユニティにも加入していないようだ。距離に関係なくユニティの仲間から声が飛び込んでくるという経験を、まだしていないのかもしれない。
『GMに通報って、今出来ないのか』
『事故、事故ですよノニンさん。ワザとじゃなかった! ってことでシャル様かアナ様、こっち来て回復してクダサイ』
『はいよ〜--あ、ごめん。今ドレッジャがボスに突っ込んだから、手を放せないわー』
『すみません、私達がいないと駄目な子なんです! 周りにきっとヒーラーいますから』
『ああん、フられたぁ!』
楽しんでいる様子がユニティチャットから伺える。
メインジョブとは別に付けられる「サブジョブ」がプリーストならば、サブ故の「レベルをメインジョブの半分まで制限」という制約があっても自己蘇生魔法を掛けられる。それならば倒れてもすぐに復活できるのだが、ロサは回避力に優れたニンジャにしていたようだ。それゆえプリースト2人に助けを求めて、結果見捨てられたようだが、防衛戦に参加しているプレイヤーが周りに沢山いるはずなので、直に回復魔法を掛けてもらえるだろう。
『仕方ない……地面からおにゃのこ観察するか、動けないし仕方ナイヨネ』
異世界を満喫していてなによりだ、とマリアカラスは微笑ましくロサの言動を見守ることにする。
今はすっかりこの世界に慣れた彼女らも、最初からこうだった訳ではない。異変に巻き込まれた直後はローゼンガルテンのメンバー全員も騒然とするオーヴィンで途方に暮れていた。
そんな中「自殺を試みたプレイヤーが、死ぬことなく戦闘不能から復活した」という情報を聞き、カノンとタマユラが町の外を積極的に探索しはじめた。2人に引っ張られるような形で、外に出ることを恐れていた他の者も行動を始め、皆でキングベルまで到ったときにはすっかりこの世界に馴染んでいた。
「外に出ろ」とは突っ込んだものの、タマユラがあのときの積極的な行動から一転してニートを満喫しようとしているのは、この世界に慣れたが故なのだろう、とマリアカラスは思う。
「お待たせー。装備の準備に時間かかっちゃった」
とててっ、とカノンが掛けてきた。パステルグリーンのリボンで左右に纏められた蜂蜜色の髪と、黒くもふもふな犬耳が、跳ねるようなカノンの歩調に合わせて揺れる。その後ろからヨーコとブレイズも来たが、マリアカラスの目線はカノンに釘付けだ。ノニンはクールで愛らしいが、カノンもくりっとした黒目がつぶらで愛らしい。
ノニンは黒絹で縁取られた赤いクローク姿のままだが、カノンは99レベル用の本気装備、使役する召喚獣の能力を上げる"アンバーローブ"を着ている。琥珀色の布地に、白いラインと金糸の装飾が施された、モモンガを連想させる装いだ。
「"精霊門の鍵"……!」
ワタラセが驚嘆したように呟いたのが聞こえた。カノンが背負っている、鍵を模した金の杖のことだ。サモナー専用の杖で、召喚獣のステータス上昇や使役コスト軽減といった効果を持っている。
「これ? 今は楽に手に入るでしょ」
「えっ、だって昔は1000万掛かりませんでした?!」
3年前は、とワタラセはショックを受けたような顔をする。マリアカラスは彼が後発者だからレベルが低いのかと思っていたのだが、どうやら復帰直後だったらしい。よく見れば、彼の青い革鎧"ウィルムレザー"は3年前--レベル上限が80だった時代、銃や弓の命中率を上げるとして重宝された装備だ。
"精霊門の鍵"は当時18人のフルメンバーで挑まなければ倒せなかったネームド・モンスター「流離の一目獣」が落とす"魔法銀の欠片"を、20個集めてNPCに交換するというクエストで貰える杖だ。同様のクエストは片手剣や両手鎌など全種類の武器に用意されており、「精霊界や冥府などの素材を使った武器」という設定から、プレイヤー達には"異界シリーズ"と呼ばれている。
武器によって求められる素材やドロップするネームド・モンスターは違い、いずれも80レベル時代には18人で倒すような強さだったが、なかでも"魔法銀の欠片"は複数人を石化させるという敵の厄介さと、ドロップの渋さから特に高額で取引されていた。
今ではレベル上限の解放によって、ジョブ次第では一人でも倒すことが可能になったため、素材を全て買い揃えても30万ゴールド程度で入手できるだろう。さらに99レベル用に強化を施しても、せいぜい総額は50万ゴールドほどで、普通のプレイヤーでも手が届かない金額ではない。
「今はソロで揃えちゃう人もいるよー。ワタラセちゃんは復帰組?」
カノンの問いに、ワタラセの顔が曇った。肩を落として力無く笑う。
「忙しくなってしばらく入ってなかったんですが、サーバー移転になるからって3年ぶりにログインしたんです……」
「久しぶりに戻ってきたら、知り合いが誰もいなくて」と、溜息を吐く。途方に暮れながらも装備を見直そう思っていた矢先に、ノニンの会話を聞いて声を掛けたのだという。
「ありゃー、大変だったねぇ……。じゃあリハビリも兼ねて、思いっ切り暴れちゃえば? 私しかタゲ取らないし!」
黒髪をポニーテールに結びながら宣言するヨーコ。エメラルド色の目は自信で輝いている。ヨーコが着ているのは、攻撃力と攻撃速度が上がる死蝶の衣-−赤い蝶の刺繍が施された、黒い忍び装束だ。腰には攻撃力と攻撃速度、クリティカルヒット率にボーナスが付く片手刀"因果切リ"を履いている。完全に火力重視の装備だ。
「全力でターゲット奪ってみせるわよ。ワタシはデキるエンチャンターだもの」
「ふふん」と鼻で不敵に笑い、ブレイズはアッシュグレイの瞳を光らせた。いそいそとプラチナブロンドの前髪と帽子の角度を直している。
こちらは詠唱時間短縮と支援魔法効果上昇、MP消費軽減の効果が付いたジョブ専用装備だ。軍服を思わせるロイヤルブルーのチュニックとベレー帽には金糸による豪華で美しい装飾が施されており、この装備着たさにエンチャンターを育てる者もいるという。手にしているのは回復魔法効果が上昇する一角獣の盾、片手剣は魔法命中率と攻撃速度が上がる"シュバリエブランコ"と、魔法でヘイトを稼ぐことを考えた盾用構成になっている。さらにサブとして付けているジョブがウォーリアなのは、本職には少々劣るが"挑発"のスキルで敵のヘイトを稼ぐ狙いだろう。自分の得意ジョブに力を入れて立ち回りを研究する部分は、シャーロットと姉弟揃ってよく似ている。
放っておいても、この2人以外は殴られなさそうだ。マリアカラスが愛用しているのは回避率が大きく上がる赤い革鎧"バーミリオンベスト"と、回避率ボーナスとともに連続攻撃が発動しやすくなる効果付きの短剣"ファルコンエッジ"で、ターゲットを取れるような装備ではない。
「本当に久しぶりなんで、結構知らない装備があるんだな……こんなに--」
じっと皆を見つめて装備の情報を見ていたワタラセが、力無く呟くのが聞こえた。
猫のような耳は、消え入りそうな声を最後まで拾った。
「……こんなに、遅れているのか」