Page4:道化師
「くそっ。こんなところで俺は死ぬのかよ! あんな風に!」
ドアを押さえて叫ぶ剣人に、慌てた様子の祐海が必死に声をかける。
『先輩、何を言ってるんですか。落ち着いてください!』
「落ち着け? 落ち着けるかよ! 剣持った奴が何人もいて、化け物がいて! 皆俺を殺そうとするんだぞ! 落ち着けるか!」
『落ち着かなかったらほんとに死ぬでしょ! あんたは何して食ってるの! どんな時にも冷静なのが、探偵の掟だって、言ったのは誰っすか!』
「……う、うるせえ! こんな状況は想定外だ!」
後輩に馬鹿にされ、いつもどおりに剣人は声を荒らげた。
ざくりざくりと音がする。下僕達が剣を打ち付け、無理矢理扉を割ろうとしている。
剣人は唇さえ真っ白にしながら、必死に鞄を漁る。ペンナイフ、警棒、カメラ、頼りになりそうなものは何も無い。拾った分厚い本の方がいくらか頼りになりそうに見えた。
それでも剣人は鞄の底を漁る。いざというときのサバイバルナイフを、鞄の底に隠していた。
しかしそれを探り当てる前に、薄く硬いものが手に当たる。思わず剣人はそれを掴み取った。
「これは」
剣人が取り出したのは、本と共に収めた金属製のカードだった。
だが様子が違う。無地だったはずのカードに、絵が刻み込まれていた。崖っぷちで踊る、一人の道化。白黒真っ二つの仮面で覆われたその顔は、太陽輝く蒼穹を見上げていた。
刹那、そのカードは道化が被っていた一枚の仮面へと姿を変える。
「うわっ」
『どうしました!』
「どうも……しない!」
硬い木が砕け、剣の切っ先が覗いた。剣人はドアを押さえるのを止め、部屋の真ん中へと飛び出す。無謀で無鉄砲な、愚かな道化の仮面をしかと掴んで。
ドアを突き破った下僕達。一瞬にして彼らの身体が宙を舞い、広間に叩きつけられる。目を見開いた怪物は、背中から伸びる触手を波打たせた。
「そうきたか……」
部屋から飛び出してきたのは、狂ったように逃げ惑った探偵ではなかった。白黒に彩られた装いに身を包み、光も闇も映した仮面でその顔を覆い隠した、向こう見ずな道化だった。
切れ長の覗き穴から見える金色の瞳が、貫くように怪物を見据えている。怪物は全身を震わせながら轟くような笑い声を発した。
「貴様も目覚めたか、狂気に」
「知るか」
鋭く飛んだペンナイフが、怪物の眼に突き刺さる。噴き出す緑色の体液、劈く絶叫。ナイフの突き刺さった目を触手で庇い、怪物は剣人を睨む。
「殺れ!」
起き上がった下僕が一斉に剣人へ飛びかかる。しかし、恐怖を忘れた剣人の敵ではない。
背後から振り下ろされた剣を避け、回し蹴りを見舞う。
目の前から繰り出された突きを叩き落とし、右拳でその鳩尾を打ち抜く。
そのまま肘鉄で横の下僕の顎を穿ち、突っ込んできた下僕の背を、跳び上がって蹴飛ばした。
再び吹き飛ばされた彼らは、壁に叩きつけられ、地面に突き倒され、階段に強か顔を打ち付けた。
仮面が剥がれ、下僕は元の人間の姿へ戻っていく。
「ここまでとは……なるほど。ならば私が直々に喰って差し上げよう。終われることに感謝したまえ」
「るせぇっ! 勝手なこと言うんじゃねえ、この化け物!」
『先輩、何があったんですか? どうしたんですか!』
「説明は後だ! 今は黙っててくれ!」
サバイバルナイフを取り出した剣人は、一気に伸びてきた触手を切り落とし、緑の鮮血を浴びながら怪物へと迫っていく。
突き出したナイフが、怪物の鋏と交錯する。じりじりと間合いが詰まっていく。剣人の気迫に、怪物は僅かに身動ぎした。
「何だ、その瞳は。狂気の者の目とは違う……」
「だから、知るかっつってんだろ!」
剣人が叫んだ瞬間、ナイフが不意に白く輝く。切れ味の増したその刃は怪物の鋏を切り落とし、そのままその顔とも胴体ともつかない袋を切り裂いた。
声もなく暴れ、もがき苦しむ怪物。広間が揺らぎ、木片が降り注いでくる。
怪物は潰れた眼で剣人を睨みつけ、触手を蠢かせて地下室へと飛び込んだ。気がついた下僕達も、慌ててその後を追う。
剣人がナイフを構えて逃げ出した方角を睨みつけていると、いきなり地震と錯覚するような衝撃に襲われ、火柱も上がった。
「……爆発が起きた」
『退却しましょう。後で色々聞かせてください』
「了解だ」
頷いた剣人は、燃え盛る屋敷の扉を今度こそ蹴破り、光に満ちた外界へと飛び出した。
「……とまあ、かくかくしかじかというわけだ」
日も落ち、すっかり暗くなった頃。事務所で剣人は道化の姿で祐海に説明していた。いつもは冷静な彼女も、今回ばかりは狐につままれたような顔をしていた。
「そんな、バカなことがあっていいんですかね」
「俺に聞くなよ。現にこんな目に遭ってんだからな」
「先輩が会ったっていう化け物、一体何の目的があって……」
「わかんねえよ。人間の考えることならともかく、化け物の考えることなんてな」
剣人は仮面を外す。すると、次の瞬間にはいつもの探偵ルックに戻っていた。立ち上がった剣人は、ブラインドをずらして外を見つめる。
人々が行き交う夜の町並みは、平和そのものに見えた。
深い溜め息をついた彼は、しばしの間ぼんやりと階下の人々の姿を眺めていた。
――あの時俺は、何を考えていたのかわからない。でも、だからこそ俺はこうして生きているのだろう。今思い返しても胸が悪くなる。こんな事件、これっきりで終わればいい。そう思いたいが、手元の愚者はきっと俺に告げている。『これで終わりじゃない』と――