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ヒーローが持つ三つの決まり  作者: 影絵企鵝
第〇話 無謀な道化師
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Page1:来訪者


 ――瀬名城博物館爆破事件。ついに事件が起きてから一年になろうとしている。今思い返してもぞっとする。お化けだとか妖怪だとか、俺はそんなもの信じないつもりでいた。だが、あれは間違いなく現実だった。そして今日、俺は思い知ることになった。事件は、まさに今動き出したのだということを――


 差し込む朝日が、小さなオフィスを明るく照らす。レコードプレーヤーから流れるジャズメロディ、コーヒーメーカーから響く作動音が部屋をシックに満たしている。

 窓の外、車の少ない小さな通りを眺めていた青年は、口端に笑みを浮かべて白いカップを傾ける。梅雨の切れ目の晴れ模様が、彼の目にはっきりと映っていた。

 彼の名は柳葉剣人。この瀬名城町で探偵稼業を営む青年だ。細いシルエットのスーツに身を包み、赤いネクタイを締め、整った顔に満ち足りた笑みを浮かべていた。

 彼がさらにコーヒーを啜っていると、部屋の向かいの扉が開く。大きな鞄を肩にかけた、銀縁眼鏡の女が早足で事務所に入ってきた。


「おはようございます。……いつも何も変わらんですね。柳葉先輩は」


 腫れぼったい目を擦りながら、女はコーヒーを啜る剣人を見て肩を竦める。剣人はふんと鼻を鳴らし、コーヒーカップを目の前に掲げた。


「当たり前だろ。朝日を見ながらコーヒーを一杯飲むのが、男の美学って奴だ。何度言わせるんだよ」

「砂糖わんさか入れといて、よく言えたもんですね」


 カバンからパソコンを取り出しつつ、女はきびきびと言い放つ。彼を見つめる目は呆れの色に満ちていた。

 剣人は顔をしかめ、残ったコーヒーをがぶりと呷る。甘ったるい苦味が彼の口をくすぐった。柳葉剣人という男は、コーヒーをブラックでは飲めないのである。


「うるせえよ、柊木」


 柊木祐海(ひいらぎゆうみ)。彼女はこの柳葉探偵事務所で助手を務めていた。

 大学時代からの縁故で退屈紛れに転がり込んできた彼女。一年経った今では、すっかり剣人の諌め役と化していた。

 そんな祐海は、大量の資料がきちりと整理されたデスクに向かい、キーボードを流れるように叩き始めた。


「今日は何にも予定が無くて、暇を持て余しているんでしたっけね」

「そういう言い方はやめろ。仕事に飢えているみたいだろうが。探偵はなぁ……」

「人と向き合う仕事だ。決して金づる扱いしたらだめだ、でしょ? 何度も何度も、一年で聞き飽きましたよ」

「うるせぇ」


 勝手に自分の言葉を引き取られ、剣人は不機嫌そうに肩をすくめた。

 欠伸を一つ、そばにあったルービックキューブを手に取る。彼の手の内で、少しまた少しと色が揃えられていく。客のいない無聊を慰めているうちに、特技の一つになってしまっていた。

 気怠そうな表情で最後の一面を揃えた時、不意に呼び鈴が客の来訪を告げた。弾かれたように剣人は立ち上がると、ルービックキューブを投げ出し扉に飛びついた。

 深呼吸し、静かにドアノブを回す。


「ようこそ、柳葉探偵事務所に。俺が所長の柳葉です」


 剣人は会釈をすると、スーツ姿の男を応接用の黒いソファに招いた。

 白髪混じりの髭を蓄え、大きなサングラスをかけたその男は黙ったまま頷き、静かにソファへ腰掛ける。

 膝に固く手を載せ、ぴくりともしない。その姿に、剣人の目の色がわずかに変わる。改めて息を吸い込むと、剣人は男の向かいに腰掛けた。


「今日は、いかなる御用で?」


 初老の男は小さく頷くと、膨らんだ封筒と共に、少し錆びた小さな鍵束をテーブルの上に差し出した。


「私がかつて使っていた別荘を、調査してもらいたい。最近、別荘から奇妙な音がすると、盛んに噂となっているのだよ」

「別荘の調査ですか。……構いませんが、引き受ける前に、サングラスを取って、お顔を拝見させてもらってもよろしいですか?」

「すまんが、それは出来ない」


 男は余裕たっぷりに首を振る。剣人は頭を掻きながら首を傾げた。その視線は僅かに鋭さを帯びる。


「素性も知らない奴の依頼なんか引き受けない、と言ったらどうします?」

「その時は他を当たるだけだ」

「……わかりました。いいでしょう」


 頑なな男に、剣人はやれやれと首を振る。頭を掻いていた右手で、こっそりと祐海を指差した。

 彼女は目を擦りながらちらりと見遣り、再びモニターをじっと見つめ始める。シャツの襟を正して身を乗り出した剣人は、鍵束をそっと掴み取った。


「良い報告を、お待ちください」



 二時間後、剣人は寂れた廃墟の前に立ち尽くしていた。

 ひび割れた庭に枯れ草が細く頼りなく伸びている。鉄柵は錆付き、緑青がこびり付いた南京錠が広い屋敷へ続く道を閉ざしている。

 剣人は側のレンガ造りの柱を見るが、既に表札は引き剥がされて跡しか残っていなかった。肩に掛けた鞄から携帯を取り出し、耳へそっと押し当てる。


「柊木、調べは付いたか」

『はい。雁木台の高級住宅で今廃墟になってるのは三つありますけど、そこは旧景山邸で間違いないです』

「景山……景山コーポの景山か」

『っすね。外見から窺える年齢から見て、今回の依頼主は景山典弘会長で間違いないです』


 電話の向こう側、相変わらずデスクに向かっている祐海はモニターをじっと見つめながら応える。そこには、瀬名城ベイエリアに建つ巨大なプラントの画像が映しだされていた。


 景山コーポレーション。この瀬名城市を根城とする、一大医療品メーカーだ。

 博物館や美術館を建てる際にはスポンサーとなる、景山系列の中小企業が居を構えて経済を支えるなど、城下町たる瀬名城市には無くてはならないような存在だった。


「そんな押しも押されもしない大会長が、どうして別荘をこんなになるまで放置するもんかな」


 祐海の言を聞きながら、剣人は屋敷を見つめて呟いた。

 蔦は伸び放題で、屋敷の壁を鬱蒼と覆い尽くしている。いくつかの窓ガラスはひび割れ、日に焼け色褪せたカーテンが風に煽られてひらひらしている。街を支配する大企業の会長が住んでいた家とは、剣人には見えなかった。


 剣人の唸り声を聞きながら、祐海は電話を肩で押さえてファイルをめくった。そこには新聞記事のスクラップがびっしりと貼り付けられている。


『はい。今はまた息を吹き返してますけど、リーマンショックで一度業績が傾いたようですね。少なくとも企業成長率は頭打ちになってます。中小企業の切り捨てももちろんですけど、景山家自身も相当身を切ることになったらしい、です。最近の景山コーポのインタビュー記事に書いてありましたよ』

「なーる。そういやそんなこともあったか……親父が死んじまった年だ。ニュースにまでに気を配ってる余裕は無かったな」

『さあ、与太話はこれくらいにしときませんか。ちゃっちゃと調べてちゃっちゃと報告しちゃいましょうよ』


 帽子を脱いでしんみりしかけた剣人の言葉を、祐海はすっぱりと打ち切る。仕方ない。

 肩を竦めた剣人は、帽子を目深に被り直し、ポケットから鍵束を取り出した。


「だな。行こう」


 古びた南京錠を力任せにこじ開けると、剣人は慎重に屋敷への一歩を踏み出した。



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