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3章


「家族って何?」

「家族って何?」

『……嬉しいことや楽しいこと、辛いことや悲しいこと。それらを一緒に経験して、一緒に生きてくれる大切な者のことよ』

「ふぅん……?」

「ねね、じゃあわたしたちは? 家族かな?」

「わ。いいね、家族。わたしたち、家族だといいな」

『ええ……そうね。あなたたちは――私たちは、きっと家族なのだわ』

「えへへ。なんだか嬉しいね」

「うん。嬉しいね」

「? エレクトラ、どうして目から水を出すの?」

「どこか、痛いの?」


     ■


 少女――ルトゥーシトと生活を共にして、徐々に彼女の生態が明らかになってきた。

 どうやら彼女は食べるという行為をほとんど必要としないようだ。

 水があれば生きていける、というのは彼女の談だが、まさか本当に食わずとも快適そうに生活しているところを目の当たりにするとさすがに不気味なものを感じる。

 だがどうやら食欲は普通にあるらしく、食べ物に興味がないわけではないらしい。

「食べた方がいいのか?」

「食べなくても平気だよ」

「じゃあ、食べないのか」

「ううん。食べたら元気良くなるよ」

「……結局どっちなんだ」

「んー……どっちなんだろうね?」

 首を傾げるルトゥーシト。

 オルドウィンは根気強く質問を変え、再度問いかける。

「今まではどうしてたんだ?」

「三日に一食くらいは食べてたかなぁ。あんまり美味しくなかったけど」

「……じゃあ、食べた方がいいな」

「うん。食べてみたいかも」

 そういった会話があり、オルドウィンは頭を悩ませる。

 ……どうしたもんか。

 食べさせるだけなら適当に金を掴ませて外食させればいいが、彼女は一応追われている身だ。ひとりで外を出歩かせるようなリスクは、できることなら侵したくない。

 ならば、と思い立ちダイニングの片隅に置かれた冷蔵庫を開けてみる。

 すっからかんだ。

 いや、何というか。これ以上ないまでにすっからかん。おまけに電源すら入っていないため、冷気も出てこない。

 薄汚れた箱状の何かと化した冷蔵庫が、じっと恨めしげにこちらを睨んでいるような気がして。オルドウィンは扉を閉め、思わずそれから顔を背けた。

 ……参ったな。レンジもないし、冷凍食品も使えん。

 まさかこの部屋で飲み食いしようという事態になるとは。全く以て想定外だ。

「……デリバリーしかないな」

 手軽で、尚且つ外を出歩くリスクを減らすことのできる素晴らしい案だった。

「おい。何が食いたい?」

「? 食べるもの、選べるの?」

 ああ、そうか。まずはそこからか。

 ヴィーコンに近所のデリバリーができる飲食店を表示させ、ルトゥーシトへ見せる。

「好きな物を選べ。注文すると持ってきてくれる」

「ホント!? うわぁ、どうしよ! ねね、何が美味しいの!?」

 表情がころころと変わる奴だと思う。だが決して感情の起伏が大きいわけでもない。反応がいちいち大袈裟、とでも言うべきか。

 ……まぁ、見ている分には退屈はしないしな。

 うっとうしく思うときもあるが、じゃれついてくる動物だと思えば可愛いものだ。そうだ、こいつはあくまで動物だ。飼い主から一時的に預けられているだけの。

「ねね、この……ピザ? って美味しいの?」

「そうだな。まぁ、美味いんじゃないか?」

「食べたことないの?」

「食べたことはあるが、ここに来てからはないな」

「そっか……うん、じゃあ、これ食べる!」

 細くて白い指が指したのはチーズとトマト、そしてカレーがふんだんに使われたピザである。写真には溢れんばかりの具がトッピングされており、見た目のインパクトは強烈だった。

「そうか。値段は……意外とするな。まぁ、いいか」

 思わぬ出費とはこういうことを指すのだろう。

 電話してから三〇分ほどでドアがノックされ、湯気を上らせたピザが姿を現した。

 嗅覚素子に香ばしい匂いが届くが、食欲は刺激されない。

 ルトゥーシトがテーブルに広げられた食べ物に、興味津々といった様子で目を輝かせている。

「さ、食え」

「うん! いただきます!」

 きちんと手を合わせて唱える。まぁ、動物なことには変わりないが、素直なのはいいことだ。

 ルトゥーシトは両手に絡ませていた細い触手のような器官をシュルシュルと伸ばし、切り分けられたピザを一枚、器用に持ち上げた。

「って、おい! なんだそりゃ!」

「何って……あ、これってなんて言うんだろ。ツタみたいだね」

 きょとんとしたかと思えば、楽しげに笑うルトゥーシト。

 オルドウィンは込み上げてくる苛々としたものを感じたが、理性が勝利したのでため息ひとつで済ますことができた。オーケー。いいだろう。忘れちゃならない。こいつは異族で、常識がないのだ。

「いいか。ここに来たからには、人間と同じように振る舞ってもらう。食事の作法も、人間に則ったやり方に従ってもらうからな」

「あ、そっか。人間にはないんだもんね」

 納得したのかシュルシュルと持ち上げたピザを皿の上に戻すルトゥーシト。素直なのはいいことだ。いいことなのだ。

「えっと……どうやって食べるの? 普通に手で食べていいのかな?」

「あー……そうだな。たぶん、そうだ」

 他人がどうやってピザを食べるかなんて知らないが、たぶんそうだろう。この手の食べ物を食器を使って食べるイメージはない。

 小さな手が軽く倍ほどの大きさのピザを取るが、こちらは触手のときのようにうまくはいかない。生地の上に山ほど載せられていた具の一部が皿に落下してしまう。

「あぅ……難しいよー」

「慣れろ」

「美味しそうだよー」

「なら早く食え。たぶん美味いぞ」

 ルトゥーシトはあうあうと四苦八苦しながら、やっと生地を口に運ぶことに成功する。

 最初は濃いめの味にやや驚いた様子を見せたが、数回もぐもぐと口を動かすごとに笑みが増えていった。

「美味しい! 美味しいよ!」

「そうか。たくさん食え。まだあるからな」

「うん! ……オルドウィンは食べないの?」

「俺は……食う必要がないからな」

「どうして? 食べないと死んじゃうんじゃないの?」

「死ぬって……そうだな。普通の奴は食わないと死ぬ。でも俺は普通じゃないから、大丈夫なんだ」

「普通じゃない?」

「俺の体は、機械なんだ。元々人間だったんだが、ちょっと無茶した挙げ句こんなんになっちまってな。元々の体なんて、もう全体の一%もない」

 正確には脳髄以外の全てが機械に代替えされている。

 欠損した手足や臓器の代わりに義体として使われたりすることはあるが、ここまで完全な代替えを行ったというケースは稀だろう。莫大な金が必要になるし、それ以降も維持に金と手間が掛かる。むしろ完全に代替えするくらいなら死を選んだ方がその人間はおろか、周りの人間のためにだってなるだろう。そうまでして生きながらえる価値のある命なのかは、さておいて。

 オルドウィンの場合、最後の生体部分である脳の維持には栄養の摂取が必要だが、それも定期的に行えばいいだけだ。注射でいい。だからわざわざ物を食べる必要がなくなり、食事という習慣が薄れていった。

 別にそれを恨んでいるわけではない。全て自分の行動の結果であるから、それを否定しようとも思わない。

「そんなわけだから、俺は食べる必要がない。気にせず食え」

「だ、ダメだよ! 食べないとダメ!」

 少女は首を振り、食べかけのピザを押しつけてくる。

「だから、言ってるだろ。俺が食べたって意味がないんだ」

「意味がなくても、ダメ!」

「…………」

 彼女は自分がこれを食べるまで、ずっとこうしているつもりなのか。

「わかった、食べる。食べるから」

 食べかけを突き返し、テーブルの上で広げられたピザを一枚手に取り口に運ぶ。

 口へ持っていく途中で二つの思いが交錯する。不安と、僅かな期待だ。この体になってからまともに食事なんてしていない。味覚素子があるらしいが、試したことがなかった。

 もしも今、このピザを食べても味がわからなかったら? 妙な食感だけが感覚として伝わるばかりで、味覚が機能していなかったら?

 思い切って食べてみる。

 咀嚼し、呑み込む。

 味は、あった。

「……ふむ……」

 ぽつりと口から言葉が漏れた。ただし違和感は拭い去れない。まだ生身であった頃の感覚との差異があるからなのか。

 ルトゥーシトはそんな彼の気も知らず、嬉しそうに笑った。

 そして自身も手に持った一切れを大口でがぶりと噛みつくように頬張る。

「美味しいね!」

「……ああ」

 一口食べて。

「美味しい!」

「ああ。……そうだな」

 こうして誰かと食事をするのも久しぶりだ。上等な食事とは言えないが、これはこれで悪くないと思えた。

 味はともかくとして、美味そうに食べる様を見ていると自然と心が落ち着くものだ。何というか、食べなくても腹が膨れる感覚というのか。

 結局オルドウィンは一切れをゆっくりと消費し、その他は全部ルトゥーシトが平らげてしまった。

「ごちそうさまでした!」

 明らかに許容量を超えてるように見えたが、苦しそうではない。いくら食べても大丈夫なのだろうか。彼女の生態の謎は増えていく。



『仕方がないだろう。あの子がお前のところへ行くと言って聞かなかったんだから』

「なら事前に知らせるなり、俺が戻るまで一緒にいるなりできただろうが。あいつは狙われてるんだぞ」

『一緒にいたさ。あの子がお前の気配に気付いたから、その場からいなくなっただけだよ。お邪魔しちゃ悪いと思ったからね』

「気配……? あいつは周りの気配がわかるのか」

『わかるらしいぞ。もしかすると魔術アルターチャンネルかも知れんな。どっちにしろどういう原理かわからないが、ルトゥーシトにはそういった感覚があるようだ』

「一部の異族が持つ特殊能力とかいうアレか。……そうか、それで追っ手から逃れることができたのか」

 中には高温の火炎や超低温を操る者までいると聞いたことがある。異族の中にはそういった能力を持つ個体が稀に存在するらしいが――まさか彼女も?

『そうも考えられる。まぁとにかく、あの子のことをちゃんと見てやれ。私じゃどうにもできないようだ』

「お前にできないのに、どうして俺にできる」

『さぁな? 好かれてるんだろうよ、ルトゥーシトに』

「初対面の男にか?」

『案外、どこかで出会ってるのかも知れんよ。お前が忘れてるだけなのかも――おっと、お客だ。んじゃ、切るぞ』

 と、あの日の夜はレジーナとこんなやりとりがあって、結局彼女を居候させることになってしまったオルドウィン。

 追っ手に発見されてしまうリスクを少なくするために、日中は外に出ないように言いつけてある。

 そしてそのせいなのか。朝の出勤前になって、いきなり彼女がレジーナのところに行きたいと言い出してきた。

 正直、いい顔はできない。彼女は追われている立場であり、もしかするとこの街にも既に追っ手が潜伏している可能性がある。あまり外を出歩いて欲しくはないのが本音だ。

「オルドウィンが送ってって、帰るときも迎えに来てくれればいいよ」

「一日いるつもりか?」

 それは迷惑だ。彼女は情報屋としてそこそこ名を知られているが、昼の間は普通の人間と同じような生活をしている。一日中面倒を見させるというのは気が引けた。

「……レジーナにわたしのこと、押しつけようとしたのに?」

「…………」

 それを言われてしまったらぐうの音も出ず。ダメ元で連絡してみると、何と先方が了承してくれたではないか。

 朝の街を二人は連れ立って歩いていた。

「オルドウィンってさ、この街のガイドさんの仕事してるんだよね?」

「まぁ、そうだな。大体観光客の相手だが」

「ふぅん……じゃあ、街のこと、詳しいの?」

「じゃなきゃ食っていけないからな。――急になんだ?」

「ううん。ちょっとだけ気になったから。そっかー、ガイドさんかー……」

 それきり何も言わず隣を歩くルトゥーシト。いつも何を考えているのかわからないが、今朝はそれが顕著に感じられる。ただの気まぐれなのだろうか。

 アパートから徐々に中央通りへ近づいていくにつれ、人の流れが見えてくる。その中の大半は商社や役所の勤め人であり、この時間はまだ店屋も開ききっていないため観光客の姿は少ない。

 それでも一応、隣の少女とはぐれてしまわないように気を配ってやる。観光客のガイドと同じ要領だ。

 店が軒並みを連ねる中央通りの片隅に、彼女の店はある。店先に並ぶ色とりどりに咲く花を取り扱う花屋だ。近づいていくと次第に視界に様々な色が入ってきて、鼻をくすぐるような匂いが漂ってくる。鼻の奥の嗅覚素子にこびり付くような強い匂いを放つ花もあるので、オルドウィンとしてはあまり得意な場所ではなかった。

「よう」

 店先で掃き掃除をしていたレジーナがオルドウィンの声に気付いて振り返る。彼の隣にルトゥーシトがいるのを見て、咥えていた煙草を携帯灰皿に入れて鎮火した。

「ルトゥーシト、おはよう」

「おはよ、レジーナ!」

「朝から元気いいね。元気な子は好きよ」

 にこやかに挨拶する両者を、挨拶を無視されたオルドウィンは手持ち無沙汰に眺める。久しぶりに会った両者とはいえ、こちらの挨拶くらい返してくれてもいいのではないか。

 ごほん、と一拍。

「おはよう、レジーナ。今日はすまんな。仕事があるのに」

「……別に。ずっと外に出られないのも可哀想だ。巻き込まれた手前、それくらいはするさ」

 レジーナは巻き込まれた、という部分を強調して口にする。その件を出されてはオルドウィンは何も言えなくなる。

「ルトゥーシト、店の奥に部屋があるからそこで待ってなさい」

「はーい!」

 ぴちぴちと音が聞こえてくるかのように、少女は飛び跳ねながら店の奥へと消えていった。それを見届けたところでレジーナが口を開く。

「相方から連絡は?」

「……いや、まだない」

「そう……」

 短く返事して、止まっていた掃き掃除を再開する。とっくに店先は綺麗になっていたが、彼女はそれをやめようとしなかった。

 石畳と箒の擦れる音が響く中、彼女は言う。

「街の中で怪しい輩を見かけた話はまだ聞かないが、用心はしておいた方がいい。例の相方の情報も追ってるが、あまり期待はするな」

「ありがたい。しかし、街の外にも耳があるのか。さすが情報屋だな」

「お前な、もっと電網を使えばいいんだ。情報なんてすぐに引き出せる」

 一回りほども年下の娘に呆れられ、唸ってしまう。接続できないことはないのだが、どうも苦手だ。

「ほら。仕事に行くんだろう。ここにいられると商売にならない。さっさと行った行った」

「……じゃあ、頼んだぞ」

「わかっている。あの子にも、何か考えがあるんだろう。少しは好きにさせてやるのもいいだろうさ」

 そしてオルドウィンは花屋を離れ職場へ出勤し、一日の仕事の終わりにまた花屋を訪れる。

 帰り道のさなか、ルトゥーシトはなぜかずっと上機嫌だったが、オルドウィンはその理由を知らず、聞くこともしなかった。

 次の日もルトゥーシトはレジーナの店へ行くと言い出した。昨日約束したとのことなので連れて行ったがやけに歓迎されていた。こんなことがこの後何日か続くことになる。

 そして四日目に事件は起きた。

 オルドウィンは午前の仕事を終え、報告書を事務所で作成していた。午後からの短いガイドを飛び入りで依頼されたので、それまでには提出しておきたい。別段急ぐ書類ではないが、仕事を先送りにしておくのはどうも性に合わない。

 そこでなぜか、急に事務所内がざわめきだした。またゴキカブリが出てラミアム辺りが騒いでいるのだろう、とそれを無視して書類作成に集中するオルドウィン。

 モニタに向かっていると、不意に肩を叩かれる。

 振り向くとアウルシュテムが威圧感を纏いながら自分を見下ろしていた。

「書類はもう少しでできあがる。もう少し待ってくれ」

「それは後でもいいと言ったが。――それよりも、お前に客だ」

「客?」

 誰だ。午後のガイドの依頼者か? 席を立ち上がり事務所の出入り口に目をやると、ざわめきの元である人だかりができているのが見て取れた。客が来てるっていうのに、仕方のない連中だ。

「どこにいる?」

 アウルシュテムが黙って指差す。

 果たして本当にペンが持てるのだろうか、という程に太ましい彼の指が差したのは、その人だかりの中心だ。群がっているのが主に事務所内の女子――あえてこう表記しよう――だというのが気になった。

 オルドウィンが立ち上がったことで彼の姿を見つけることができたのだろう。

 群の中心で揉まれていた小さな影が、一際大きな声で名前を呼んだ。

「オルドウィーンっ」

 ああ、なんてことだ。オルドウィンはさすがに頭を抱えた。

 人だかりから抜け出した小さな影はててて、とオルドウィンの元まで辿り着くと、にこやかな笑みを浮かべる。

「えへへ、来ちゃった♡」

「…………」

 来ちゃったじゃねえよ。

 事務所内から向けられる様々な目線に黙ることしかできず、アウルシュテムが使用許可してくれた会議室で改めて向かい合う。

 終始ニコニコしている少女に、まずは何と言ったらいいのかを考えた。

「……どうしてここに? レジーナはどうした?」

 浮かんだ言葉はまず二つだった。何かあったのかと勘ぐってしまい、つい矢継ぎ早になってしまった。

 ルトゥーシトは首を振り、ポケットをごそごそとあさる。取り出したのは、小さな手に握られた紙幣だ。

「これが……どうした?」

「働いたの。レジーナのお手伝いして、自分で稼いだんだよ」

「稼いだぁ?」

 思わず間延びした声を上げてしまったが、少女は嬉しそうに続ける。

「あのね、あのね。それで、このお金でオルドウィンを雇いたいの」

 今度は声が出なかった。

「オルドウィン、ガイドさんなんでしょ? わたし、この街に来てからずっとお外に出たことなかったから。オルドウィンと一緒なら、大丈夫かなって」

「…………それで、レジーナのところで働いたっていうのか?」

「うん。なんかすっごく機嫌良かったよ。笑いが止まらない……? 感じ?」

「成程」

 がちゃりと会議室の扉を開け、アウルシュテムが入室してきた。ルトゥーシトは彼の体躯の大きさに目を見開く。

「おっきい! うわぁ、おっきいね!」

 思わず指差してしまうほどの驚きがあった。たしかに彼ら魔人族はこの街ではアウルシュテムひとりしかいない。何でも数自体が非常に少ないと以前どこかで聞いたことがある。

「他人を指差しするな。……アウルシュテム、盗み聞きか?」

「聞こえてきただけだ。それよりも――」

 ちらり、とルトゥーシトに目をやる。

「……娘か?」

「いや、違う。今は……ワケがあって、預かってる」

「……そうか。てっきり、レジーナとの隠し子かと思ったのだが……よく考えると年が合わんな。それとも連れ子か?」

「そんなわけあるか」

 そうきっぱりと口にしたことでアウルシュテムはそれ以上勘ぐるのをやめた。

「それよりも、予約は入れてあるのか? 午後から一件、仕事が入ってるんだ。急に来られても対応なんてできないぞ」

「それなら問題ない。どうもレジーナが先手を打っていたらしいな。正式な手順を踏んで予約されている」

 ぐぬぬ、とも言えず、代わりにため息が出る。すべては計画されていたことだったということか。

「――わかった。準備してくるから、ここで待ってろ」

 ややうんざりした様子で会議室を出て行くオルドウィン。連日レジーナの店に通っていたのはこのためか。そうまでして外に出たかったのだろうか。

 ……理解してやれてないのは、俺だけか。

 少し、彼女の処遇を考え直す必要があるのかも知れない。

 オルドウィンが会議室を出て行った直後、アウルシュテムは傍らにいるキラキラと輝く瞳でこちらを見つめる少女に目をやった。こんな外見をしているため子供に近寄られたこともなかったが、どうやら彼女は他とは違うらしい。

「私が怖くないのかね?」

「ううん。おっきくって、すっごく硬そうだけど……優しいにおいがするから、きっとあなたも優しい人なんだね」

 オルドウィンと一緒だね、と少女がころころ笑う。そんなことを言われたのは初めてで、アウルシュテムは口元を隠す甲殻の奥で思わず笑みを浮かべてしまった。

「そうか、そうか……。ありがとう。――名前は、なんと言うのだね?」

「ルトゥーシトっていうの。よろしくね」

「そうか。私は魔人族のアウルシュテムと言う。よろしく、ルトゥーシト」

 屈託なく微笑む少女を見ていると、なぜだか心が洗われるような気がした。午後の仕事ももう一踏ん張りできそうだ。

 ……成程。これならば、たしかに売り上げも上がるだろう。

 実はここ最近、レジーナの店はちょっとした噂になっていた。彼女が急に売り子を雇ったらしく、その少女の評判が非常によろしい、とのこと。

 そしてアウルシュテムは一目見て、気になっていたことを問うた。

「君は……どの枝族しぞくだね?」

「え?」

「枝族だ。我々は生まれたときから、何かしらの枝族に属している。人間は種族、などと呼んでいるが」

 アウルシュテムが見たところ、目の前の少女は非常に人間に似通った形状をとっており、長い耳のあることから妖精族であると思っていた。しかし洋服の袖から微かに見え隠れする細い触手のような器官は、それを簡単に否定してくる。何より妖精族は人前に出てくることを頑なに拒む。〝皇国〟内部の深い森から出てこず、ひっそりと暮らしている彼らがこのような人の溢れる場所に出てくるはずがなかった。

 ルトゥーシトは少しだけ困ったように笑い、首を振る。

「わたし、自分のこと何もわからなくって。ただ、人間じゃないってことだけしか」

 枝族不明の未登録異族というわけか。本来ならば通報するべきなのだろうが――オルドウィンの元へやって来た、という事実が気になった。彼も彼で得体の知れない人物ではあるが、少なくとも悪い人間ではない。そんな得体の知れない人物の元へ、得たいの知れない異族がやって来る……。

 ……理由は……聞かない方がいいのだろうな。

 彼女もまた、得体は知れないが悪い人物ではないようだ。そんな人物を市警に突き出すわけにもいくまい。

「安心したまえ、ルトゥーシト。奴はこの街で最も良い腕を持ったガイドだ。必ず、君の力になってくれるだろう」

「うんっ。――えへへ、オルドウィン、喜んでくれるかな」

「何をだ?」

「わたし、ずっとオルドウィンから貰ってばっかりだから。でもわたしからオルドウィンにしてあげれること、考えてみたけど、こんなことしか思いつかなくって」

 それは少女のせめてもの恩返し、という意味で受け取れた。あの排他的な男が、ひとりの少女のために何をしてやったのか。

 ……いや、子供だから、か。

 オルドウィンの子供への対応は知っている。だが彼は決して子供好きなのではなく、何らかの使命を持っているかのように子供たちへ世話を焼くのだ。時に自分の身すらも顧みずに。まるで自分がそうしなくてはいけない、と働きかけられているかのように。

 だからこそ彼女に手を貸してやったのかも知れない。それともこちらでは考えつかない別の理由があるのか。

 いずれにせよ、ルトゥーシトはオルドウィンが傍らにいることを許した少女だ。彼自身が彼女に何かを感じているのだろう。

 アウルシュテムは小さく頷きながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。彼の傍らにいるからこそ、ルトゥーシトに頼みたいことがあった。

「……ああ、大丈夫だ。君の心は、必ず奴にも伝わる。だから――奴のことを、支えてやってはくれないか」

「支え、る?」

 ルトゥーシトはそう反復し、首を傾げる。

「そうだ。奴はここで働き始めて一年になるが、誰とも打ち解けようとしない。私でさえ、奴の本心を測ることはできない。何か理由があるのだろうが……ともすれば、ふらりと街を出て、何処かで死体で見つかってもおかしくないような奴だ。奴の目には、今が映っていない。心を閉ざし、誰も近づかせない」

 よほどのことを体験したのだろう。彼はずっと、何かに囚われているように感じられる。

「だからこそ、誰かが隣にいないといけないのだ。奴が今を手放さないように、隣で奴と共に歩んでくれる誰かが」

 その席にはレジーナもいるが、彼女でさえオルドウィンから拒絶され、彼に近づくことができないでいる者のひとりだ。しかしこの少女ならあるいは。

 ルトゥーシトはじっとアウルシュテムの深い青色の隻眼を見つめていた。お互いに見上げ、見下げなくては顔が見えないような体躯差があるにも関わらず、少女の瞳は魔人の目を見据えて動かない。

 やがて少女はアウルシュテムの言葉に頷いた。

「難しいこと、わかんないけど……オルドウィンが笑って過ごせるようになるなら、わたし、がんばる。もっともっと、がんばる」

 異族と異族。二人の約束が成る。

 その後、ルトゥーシトはオルドウィンに連れられて街を歩いた。彼は普段の仕事と同じように彼女を客として扱い、少女は何も知らない観光客としてオルドウィンのガイドを嬉しそうに、楽しそうに聞いていた。

 そしてちょうど東区のとある店の前を通ったとき、ルトゥーシトが足を止め、ショーウィンドウに並ぶ商品に興味を示す。

「何か気になるものでもあったか?」

「うん……」

 彼女が足を止めたのは角のない机や椅子やおもちゃ、体に害の少ない菓子など、子供向けの商品を取り扱った店だ。

 その中でもルトゥーシトが興味を示しているのは、色とりどりのカラービーンズ。それをぼうっと眺めている。

「……ねね、オルドウィン。あれ、欲しいな」

「あれって、カラービーンズか?」

「うん。欲しいな。買ってきていい?」

「あ、ああ……好きにしろ」

 オルドウィンが頷くと同時にルトゥーシトは駆け出し、特に問題を起こすこともなく買い物を済ませる。金の使い方はレジーナに聞いたそうだ。

 小さな袋に詰められたカラービンズを空に掲げて、ルトゥーシトは楽しそうに笑う。

「綺麗だねー。お日様にかざすとキラキラする。きっと宝石ってこんな感じなんだろうなぁ」

「…………」

 人混みの中、隣を歩く少女が満面の笑みを浮かべながらお菓子の入った袋を大事そうに抱える。まるで本物の宝石がそこにあるかのように、その瞳を目一杯に輝かせながら。

 ……? こんなやり取り、前にもしたことがあったか?

 既視感があった。この光景に見覚えがあるような気がして、自然と過去へと思いを巡らせてしまう。

 だが記憶が疼くのを感じ、その先は考えるのをやめた。

 続いて東区の人間街から西区の異族街へ移動する二人。その光景の変わりよう、文化の違いに驚き、笑った。

 目的地を指定していなかったため、オルドウィンは住人たちのよく使う生活用品の売っている店や子供の集まる広場、道が入り組んでいて迷いやすい箇所を案内して回る。

 この街に生活する者なら誰でも知っているようなこと――それは観光客に話すにはあまりにも退屈な内容だったように思えるが、ルトゥーシトは終始、興味津々といった様子でオルドウィンの声に耳を傾けていた。

 言葉数の少ない自分のガイドにもいちいち大きく反応する少女を見るのが徐々に楽しくなってきて、気付くと普段の仕事よりも饒舌になっている自分がいた。

 いや、ルトゥーシトとの間に取り交わされるやり取り自体に、夢中になっていたのかも知れない。そんなはずはないのに、なぜか娘と話しているような気までしてきて――オルドウィンにとってそれはとても、懐かしい感覚だった。

 そうして午後一杯を使ってイアペトゥスの街を巡ったのだが、饒舌になったオルドウィンの話がつい長くなってしまい、結局最後の締めとして予定していた沈む夕日を拝むことができなかった。

 暗くなり、人もまばらになった橋の上。ルトゥーシトが楽しそうに言う。

「間に合わなかったねー」

「……そうだな」

 そのせいでなんとも締まりのない終わり方になってしまった。いつも通りなら日没の始まる時間に余裕で間に合うルートを選んでいたはずだが、どこかでリズムが狂ったようだ。そしてこいつはどうしてこんなに楽しそうなのだ。

「今日は楽しかったねぇ」

「そうか?」

「楽しかったよ。オルドウィンと一緒に街を歩けたから」

「……そうか」

 その言葉が聞けたのなら、この仕事にも意味があったのだろう。完璧に納めることができなかったのはこちらの落ち度だが、喜んでくれたのならそれでいい。

「……ねね、オルドウィンってさ」

「なんだ」

「友達いないの?」

「……。そうだな。いないな」

「アウルシュテムは?」

「あいつは上司だ。仕事上の付き合いで、友達じゃない」

「でもアウルシュテム、オルドウィンのことすっごく心配してたよ」

「……上司としてだ。協調性のない部下がひとりいたら、職場の空気も悪くなるだろ」

「でも――」

「いいんだ。ルトゥーシト、お前は俺の生活に口出ししなくて、いいんだ。そんな必要はないんだ。第一、そんな関係でもないだろ?」

「……そっか。そうだね」

「ああ」

 これでこの話は終わりだ。そういう意味で強引に流れを断ち切ったつもりだった。しかし彼女は終わらせるつもりなどなかったらしく、やや考え込んだあとに話し出す。

「……じゃあ、ね。わたしが、オルドウィンの友達になるよ。そうすれば、カンケーとか、口出しとか、してもいいんだよね?」

「俺が言いたいのはそういうことじゃないっ」

 ついに声を荒げたオルドウィンを、橋の上の通行人たちが振り返る。一斉の視線を受けてしまい、それでカッとなった頭が冷静になっていった。子供相手に何を本気で怒っているんだ。そう言い聞かせながら、言葉にする。

「ルトゥーシト。お前には友達を選ぶ権利がある。俺みたいなオヤジを友達にするよりだ、自分と同い年の友達がいた方がずっといい。お前が元々いたその――施設でも、そうだったんじゃないのか?」

「友達――友達はいなかったよ。ずっと一緒だった子がいたけど、どこかへ連れて行かれちゃった。お世話をしてくれたり、話し相手になってくれてたエレクトラも、死んじゃった」

 少女の表情が一瞬だけ暗く陰りを帯びたものに変わる。施設では孤独ではなかったようだが、仲の良かった友達と離れ離れになってしまったのだろうか。エレクトラ、というのは施設の職員か何かか。

 いや、それらは今はどうでもいいことで、はっきりさせるべき事が別にある。

 ルトゥーシトは次の瞬間にはまた無邪気な笑みを浮かべる。先ほどの陰りはなくなっていた。

「わたし、次に友達になるならオルドウィンがいい」

「……どうしてだ。なんで、俺なんだ?」

 初めて会ったときから抱えていた疑問だった。

 どうしてまだ出会って間もない人間にこんなことが言えるのだ。生まれた場所も、生きてきた時間も、種族すら違う人間に。まるでそれが当たり前のことであるかのようにルトゥーシトはこちらに近づいてくる。踏み寄られたくない場所にまで踏み込んでくる。

 オルドウィンにはそれが恐ろしかった。

「どうしてお前は、俺に近づいてくる。お前にとって俺は他人で、ただの避難所に過ぎないはずだ。お前は自分の身の安全だけを考えていればいいのに、どうしてそんなに俺を気にする」

 それとも、お前は誰にだってこんな風に接するのか。フランツやレジーナ、アウルシュテムにも。

「……違うよ。オルドウィンは、いつも寂しそうだから」

「なんだと?」

「寂しそうで、時々すっごく悲しくて、苦しそうな顔をするの。だから何かできないかなって、そう思ったから」

「それは――そんなものは、余計なお世話だ」

「それでもいいの。わたしは、オルドウィンの傍にいたいよ。何もできなくても、オルドウィンが苦しくなくなるまで、傍にいたいの」

 自分に向けてまっすぐに伸ばされた眼差しを受け、オルドウィンはそのまっすぐさにたじろいだ。

 まったく理論的でなく、信用に値しない物言いだった。にも関わらずオルドウィンが押し黙ってしまったのは、少女の曇りのない愚直なまでに感じられるその眼差しのせいだった。

 嘘を吐いているわけでもないだろう。腹の奥に本当の目的を隠したまま、自分を利用するために言っている言葉でもない。少女は。ルトゥーシトは、本当のことしか言っていない。心で思ったことを口にしている。ただそれだけのことだった。

「お前は……お前は、まともじゃない」

 オルドウィンが静かに告げる。それでもルトゥーシトは押し黙り、眼差しを向け続ける。

「俺とお前は、所詮他人だ。他人に俺のことを知った風な口を利かれるのは、あまりいい気分じゃない」

 歩き出すオルドウィン。少女はついに目線を落とし、俯いてしまう。

 だが数歩歩いたところで、男が立ち止まる。そして振り向きもせず、言葉だけを背後の少女へ投げ掛けた。

「――今日のガイドは、何というか……楽しかった」

「え……?」

「だからだな……またのご贔屓をってやつだ。客としてなら、また案内してやる」

「あ……う、うん!」

 俯いて陰ってしまっていた顔に笑顔が戻る。ルトゥーシトは走ってオルドウィンに追いつき横に並ぶ。あらかじめアウルシュテムからは直帰の命令が出されているため、これから報告書を作りに事務所まで行くことはない。

「今度は、夕日を見てみたいなー」

「…………」

 オルドウィンは無言、ルトゥーシトは終始笑顔を浮かべたまま、二人で肩を並べて夜の街を歩いて帰る。

 少しは近づくことはできただろうか。

 ルトゥーシトはそんなことを漠然と考えて、不意に隣を歩くオルドウィンの大きな手に目をやった。

 その大きな手に少女の小さな手を重ねると、少し驚いたような反応を男は浮かべた。しかしこちらを見ようとはしない。見ようともしなかったが――黙ってその手を握りかえした。

 繋がる手と手。

 そうして、やっと二人は街の風景に溶け込むことができたような気がした。二人にとって一番自然な形を見つけることができたのかも知れない。

 近づくことはできたのか。今はまだ結論を出すことはできないけれど――きっといつかは。

 ひとつに繋がった二人の影が、それを物語っているようだった。



 仕事から帰宅したオルドウィンが驚いたのは、ルトゥーシトが麺棒を片手に自分を出迎えてくれたことだった。

「おかえりー」

 何とも脳天気な声を耳にして、次いで右手に持った麺棒を目にして、最後に少女のエプロン姿を見て、もっともらしい疑問を投げ掛ける。

「……何の真似だ?」

「こうしたらオルドウィンが喜ぶと思って。えへへ」

 それは……たしかに悪い気はしない。が、それよりも先にこいつは料理なんてできたか、という疑念が湧いてくる。

「それよりもー。おかえりのあとは?」

「あ、ああ……ただいま」

 その言葉を聞いて満足げにルトゥーシトは微笑み、ててて、とキッチンへ戻っていった。

 ……何なんだ?

 あまりに唐突すぎやしないか。帰ってきたら、おかえり? そして、夕食の準備?

「何なんだ、これは」

 なかなか理解が追いつかない。

 考えが纏まらないままに玄関をくぐると、テーブルの上に携帯式のコンロと鍋が置かれていた。鍋からは湯気が立ち上っており、ぐつぐつと何かを煮込んでいるような音がしていた。

「……何なんだ、これは」

 もう一度呟くと、ルトゥーシトが嬉しそうに告げる。

「何って、晩ご飯だよー、晩ご飯」

「いや、何となくわかるが……その麺棒とコンロと鍋はどこから持ってきた?」

「レジーナに相談したら貸してくれたの」

「お前、じゃあまた勝手に外を出歩いたのか」

「あ、で、でもね、ちゃんと人混みの中を歩いたし、帰りはレジーナに送ってきてもらったの。だから、その……」

 何か言い訳をしようとあたふたするが、何も思い付かなかったのだろう。しゅんと項垂れ、

「……うん。勝手に出歩きました。ごめんなさい」

 深々と頭を下げ、腰を折るルトゥーシト。

 オルドウィンも何か言おうと口を開き掛けるが、殊勝な態度を取られることは予想外だ。言い逃れをしようものなら説教が必要だと思っていたが、こう素直に謝られると何も言えなくなる。

 だからため息をひとつついて、

「いや、わかってるなら、いいんだ。一応追われてる身だからな。その辺をわかっているなら……」

「…………」

 頭を下げたままルトゥーシトと、それに向き合いながら無言になるオルドウィン。なんだ。こいつは俺にどうしてほしいんだ。

 そうして黙っていると、急に鍋を煮込む音が気になり始める。

 ちらりと目をやると、テーブルに二人分のどんぶりが置いてあることに気付く。何かの料理だろう。どんなものが鍋に入れられているのか。

 ……こいつが作った料理、か……。

 ひとりで食べてもよかったのに、わざわざ自分が帰ってくるのを待っていたのか。

 そう考えると、なぜかいても立ってもいられなくなる。ルトゥーシトがどうすれば頭を上げるのか、何となくわかってしまう。

「ルトゥーシト」

 名前を呼ぶと、頭を下げたままの少女がぴくりと体を硬直させた。

 自分の甘さに思わず呆れてしまい、つい投げやりに言い放ってしまう。

「……食うぞ。……飯」

「!」

 勢いよく頭を上げ、腰を戻す。

 少女が破顔し、頷いた。

「うん!」

 二人でテーブルに向かい合って座り、鍋を囲む。

「それで、こりゃ何を作ったんだ。煮込み料理か?」

「ううん。レジーナが材料を入れてくれて、帰ってきてから水とスープ? を入れてぐつぐつしてたの」

「ほとんどレジーナが作ってるじゃねえか。中身は何だ?」

 鍋ぶたを開けると数種類の葉野菜とぶつ切りにされた何かの肉が、ぐつぐつと音を立てていた。

 初めて見る料理だ。レジーナの創作料理か何かだろうか。

 しかし妙な匂いはしないし、見た目も特に何かあるわけでもない。野菜と肉を鍋に突っ込んで煮ただけ、というシンプルなものだ。

「うわぁ、おいしそうだねー!」

「……ま、とりあえずよそるか」

 見た目だけならば、果たして料理と呼べるかどうかさえ微妙だ。いや、ただ単にオルドウィンが見たことのないだけでどこかの国の郷土料理だったりする可能性もある。料理は味だ。見た目も大事だが、結局は味なのだ。

 とどのつまり、ルトゥーシトの口に合えばもう何でもいい。味覚がまともに働いているのは彼女の方だ。

 二人のどんぶりにそれをよそる。オルドウィンは少量、ルトゥーシトは多め。

 瞳を輝かせながら少女が手を合わせた。

「じゃあ、いただきます! ――あ、間違えた」

 ぶんぶんと首を振って、一呼吸。

 にっこりとオルドウィンへ微笑んで、

「いただきますしよ、オルドウィン?」

「――――」

 食卓を囲む三人がいる。男がひとり、女がひとり、女の子がひとり。三人が三人とも笑っていて、思いやりと温かい空気に包まれた食卓だった。

 三人は家族だった。

 愛が愛を呼び、やがて幸せへと繋がり至ることのできた、紛れもない『絆』の形だった。

 女の子は男に向かって言う。「いただきますしよう」。男は――オルドウィンは頬を綻ばせながら、手を合わせる。それに続いて妻と、娘も手を合わせた。

 そうした光景が目に浮かび、目の前の少女と記憶の中の娘が重なり始める。

「オルドウィン?」

 そして呼びかけられて、オルドウィンは我に返る。

「お、おお……すまんな」

 なぜルトゥーシトにあの子の面影を見る。気のせいだ。少し――思い出してしまっただけだ。

 思い出を記憶の奥底に封じ込める。

「じゃあ――」

 気を取り直したオルドウィンは静かに手を合わせ、

『いただきます』

 今度は二人揃ってだ。こうすることに意味がある。

 早速一口目が少女の口に運ばれ、

「! あっとぅうぃ!」

「そりゃ熱かろうよ。――ほら、水」

 今の今まで鍋の中で煮えたぎっていたものだ。口に入れると危険だということは見るよりも明らかだった。

 受け取ったコップの水を飲み干しながら、悶えるルトゥーシト。

「火傷したか? 変な感じ、しないか?」

 呆れながらも彼女のことが心配になり、思わず席を立とうとするオルドウィン。

 しかしルトゥーシトは手で大丈夫、と訴えてくる。

「……! ……ふぁ、ふぁいほうぶ……」

「いや、喋れてないだろ」

 むぐむぐと噛む口を再び動かし、やがて飲み込む。

「おいひい! おいしい!」

 熱さ、痛さを通り越したのだろうか。ルトゥーシトが食事を再開する。さすがに学習したのか、ふーふーと吐息で一端熱を取ってから口に運んでいたが。

 そんな彼女の様子を見ていたオルドウィンの手が、自然と動いた。

 手にしたスプーンをどんぶりに添えて、適度に冷めた葉野菜をすくい取り、口に運ぶ。

 ……味が薄い。

 そうしてひとりで苦笑した。こいつ、もしかしたら何を食っても美味いとしか言わないんじゃないか。

 だが一口食べる度においしいね、と笑いかけてくる少女に、オルドウィンはいつの間にか洗脳されてしまっていたのかも知れない。ずっと胸の中にいた焦燥感のようなものがなくなっており、空いた場所に温かさのようなものが宿っている。

 それが何なのかはわからないが、いい。何だか懐かしい感じがして、悪くない。

 ……まぁ、いいか。

 相変わらず味覚の違和感は消えないが、それでも今は何となくおいしく食べられそうな気がした。

「……美味いな」

「うんっ」

 オルドウィンはこの夜、実に四年ぶりに笑ったのだった。

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