7.続・わからない男
露店で飲み物と果物を買い、私たちは広場の隅に腰を落ち着けた。さっきのメインストリートともう一つ大きな通りとの交差した場所で、他の場所に比べ食べ物を扱う店が多い。中には大きな天幕を張って、食堂のような体裁を整えてある店もちらほら見えた。
「ほら食えよ」
「ああ、うん」
今まで意識しなかったが、いざ目の前に食べ物や飲み物があると自分が飢えていたことを思い出す。イシューが買ってくれた飲み物はライチのような味で、冷たくて美味しかった。パラウマの背中でナシロに水を分けてもらったけど、それっきりだったから余計に美味しい。夢中になってごくごく飲んでいるとイシューが笑った。
「そんなに喉渇いてたのか?」
「んぐっ。――わ、わるい?」
「いや、気付かなくて悪かったな。もう一杯貰ってきてやろうか」
「それはいいけど……」
何だかいやに親切だ。不審に思ってよく見てみるとイシューは妙に落ち着きなくそわそわしていた。何だろう。ナシロがいないうちに話しておきたいこと、が関係しているのは間違いなさそうだけど。
私の無言の訴えが通じたのか、イシューはぽつりと呟いた。
「お前は俺が嫌いか?」
「はあ?」
いきなり何を。
イシューはいたって真剣らしい。思いつめた表情でカップを握り俯いている。
「えーと、ごめん。ちょっとよく分かんないんだけど、どういうこと?」
「……さっき、腕を掴んだら振り払われたし、顔、近づけたときは、気まで失ってたし……俺のことが嫌なんじゃないかと、思った」
ぼそぼそと歯切れが悪い上に要領を得ないが、とりあえず分かったのは、こいつが地味に傷ついていたということである。イシューはふてくされたようにずるずると飲み物をすすった。
「そりゃ、急に近づいたのは悪かった。でもだからって気絶までするか、普通? 腕を掴むのも、あんなに拒否されると思わなくて」
だから、とイシューは続けた。
「嫌われたのかなと思った」
――気が遠くなりそうだ。イシューはさっきまでの生意気ぶりが嘘のようにしゅんとしている。
でも待て、なんだこいつ。
たとえ私に心底嫌われたとしたって、所詮初対面の相手だ。そんなに気にすることだろうか? もっと言えば、嫌われるのが怖いぐらいならもう少し違う接し方があったはずだ。それを好き勝手しておいて、「俺のこと嫌いになった?」なんて一体どの口が。
だが――だが、しかし。
殴りたいとか髪の毛ちぎりたいとか色々考えた私だが、イシューのことを嫌いかと言われるとそうでもなかった。
だって何だかんだ言って服買ってもらったりしたし、悔しいけど世話にはなってると思うもの。それにあの砂漠にイシューたちが来てくれてなかったら、今頃は殺人雹が原因で死亡、なんてことも有り得たのだ。そう考えると感謝してもいいくらいだと思う。
スキンシップ過多なのは嫌だけど。
「嫌いじゃないよ」
熟考の結果伝えた答えに、イシューは傍目にも分かるほど、ぱっと顔を輝かせた。
「ほ、本当か」
「うーん、私のいた所じゃ、あんまり異性にくっついたり触ったりする文化がなかったから、ああいうのは嫌だけど。それさえ無ければ」
「そうか、ありがとう、天秤」
嬉しそうに笑うイシュー。
――いけ好かないヤツだけど、根っこの部分は実は結構いいやつなのかもしれない。ところで、と私は続けた。
「あのさ、ずっと気になってたんだけど、その天秤、って呼ぶのどうにかならない? 私にも一応名前あるんだしさ」
なんかマジメな話になったから軽く話題を変えよう、程度のつもりで言ったのだったが、何故かイシューはものすごく驚いた顔でこっちを見た。
「え、お前、名前あるのか?」
いやいや待て待て。
「あるに決まってるでしょうが!」
「えっ? 天秤じゃなくて?」
「違うよ! 私はナツキ、澤村ナツキっていうの。ちなみにナツキ、のほうが名前だから」
全く、王子様(多分)の発想は恐ろしい。天秤が何だか知らないが、異世界人だろうが名前くらい普通あるだろ。そんくらい分かれよ。
イシューは虚をつかれたように呆然としていたが、ああ、と呟いてからなぜか嬉しそうに笑った。
「なんだ、そうか。お前は名前があるのか、そうか、ナツキ。そういうことか」
「へっ?」
急に名前を呼び捨てにされて驚く私にイシューは言った。
「天秤のことは、上手く説明できないから詳しくは王都でと話したな。まあ簡単に話すと言い伝えのようなものなんだ。大地を分かつ砂漠の天秤が異界の地より舞い降りる、と。この国では当たり前に知られている神話だし、俺も小さい頃からその話を聞いて育った。天秤が現れるという予言の年が近づいていたから、会える日を楽しみにしてな。どんな姿をしているのだろう、どんな声で話すのだろう、って。憧れみたいなもんだな」
な、なんかえらくスケールのでかい話になってやしませんか。
神話? 予言? やめてよそんなご大層な。
「だから、ナツキに会えて嬉しかった。伝説の天秤が、憧れの相手にようやく、って。――でも俺が想像していた天秤の姿は、勝手な想像でしかなかったんだな。俺は天秤が自分の役割も知らない娘だなんて考えたこともなかった。天秤にも名前や、育ってきた世界があるなんてそんなこと、思いもしなかった」
でも違ったんだな――とイシューの呟く声。
「悪いな、天秤に会えたことに感動しすぎて、ちょっと動揺してた。なんか、やたら触ったり近づいたり。本当に天秤が目の前にいるって、確かめたくてさ。そんで、お前に嫌われたかと思って。勘違いされると嫌かなって、おばちゃん相手にすげームキになってさ。そもそも同い年くらいの女と話す機会がなかったから、恥ずかしいってのもあったし。ヘンなことしちゃったな。でもまあ、これからは気をつけるから」
うーん、分かったような、分からないような。
結局イシューの中でわだかまってた事柄が私の名前によって何故だか解決されたらしいが、殆どが自己完結みたいなもんだったから、聞いてもよくわからないな。でもまあ、とにかくこいつが本当に根はいいやつっぽいことは分かった。あと、今後は普通に接するよう気をつけてくれるってことも。
他の事はきっとこれから関わっていくうちに分かる、だろう。多分。
「そういえばさ、“天秤”について詳しく聞くのは王都とやらまで我慢するとして。イシュー自身は、天秤に会ってどうしたかったの?」
イシューはすっかり緊張が解けたようで、軽く伸びをしながら私を見て笑う。
「んー? ガキの頃に思いついたことで、ほんとガキみてーな話だけどさ」
沈みかけの夕日を背に長い三つ編みがきらきらと輝く。
いたずらっぽい笑顔で楽しそうに。
「俺はそいつと友達になりたいと思ってたんだ、ナツキ」
その時初めて、私はイシューを格好いいと思った。
客観的な観察とかではなく、悔しいことに――心が震える、的な意味で。