5.ルーパにて
「転びそうになったとき地面に手をつくのは?」
「ワンワンだ」
「じゃあ歌を歌うのは?」
「それはワンワンじゃありませんね」
「うーん、分かった! ワンワンって反射のことじゃない? 突かれると痛い、みたいな」
「いや、反射はワンワンの一部だけどそのものじゃないぞ」
ああ、やっぱり理解できん。
私たちはワンワンについての問答を続けながら宿屋へ向かっていた。ルーパは想像していた以上に大規模な街で、夕暮れ時だというのに通りにはまだ沢山の人が行きかっている。砂漠のすぐ側にこんな立派な町があるなんて驚きだ。
ここではほとんどの建物が石を泥で塗り固めて作ってあるらしく、全体的に白っぽい。通りには布でできた簡易テントが立ち並び、野菜や果物、工芸品が売り買いされていた。
街の人々はイシューたちと似たような格好をしていて、肩から垂らした布がとてもカラフルだ。その雑踏に西日が差して、どうにもこうにも、異国情緒というか、綺麗な光景だなあと思った。
ここが異世界だという点についてはもう諦めて受け入れることにした。うん、もういいよどうでも。もはや投げやりな気分なんだ。ワンワンの一件で、説明を求めることさえもう諦めた。
二人の話によると、王宮がある街に帰れば説明の上手い研究者たちがいるので、ひとまずは王都までついてきて欲しいとのこと。気が進まないが、他に当てもないので従うことにした。
ちなみに制服のままでは目立つので、私はさっき借りた紫色の絨毯をすっぽりと被っている。割と薄着の人が多いこの街では、これでも結構目立つけど。てか、さすがに暑いな……。
街の入り口にあった検問所でパラウマから降りるようにと促されたので、私たちは二頭のケダモノを牽いて歩いていた。仮にも王子様が動物への騎乗を制限されるっておかしくないか? さてはさっきの身の上話は全て嘘っぱちだったんじゃないか……とか思ったりもしたが、街の様子を見て納得した。この大喧騒の中、いくら王子様でもこんなケダモノに乗ってドカドカ歩いてたらヒンシュク買うわな。
今歩いているのはどうやらこの街のメインストリートらしい。それにしてもすごい人の波だ。あ、あのテントで売ってる赤い実なんだろう? あっちの青い葉っぱも、見たことのないものばかりだ。
ついつい気をとられていると、急にイシューに腕を強く引かれた。
「こら、余所見すんな。はぐれたら困るだろ」
「い、いたい」
急に手を握ってくるとは、油断も隙もないヤツめ!
慌ててイシューの腕を振り払い、ナシロの背中に隠れる。イシューは頬を引きつらせていた。
「お、お前……本当失礼なやつだな……」
「失礼なのはそっちでしょうが。さっきからスキンシップ過剰すぎ!」
悪人ではなさそうだが、乙女の危機という観点からしてイシューは十分に危険人物だ。私にそんな魅力があるとは思えないけど、どうやら彼らにとって私は“天秤”とかいう重要人物?らしく、そのせいで妙な幻想を持たれているようなので。
「おい、ナシロから離れろ」
「いやだ! イシューに腕掴まれるぐらいならナシロの絨毯持ってるほうがよっぽどマシ!」
「はあ!? お前はいいかもしれんがナシロが可哀相だろ、よく見てみろ!」
言われて見上げてみると、ナシロは右手にパラウマ、左手にパラウマという状態で困ったような微笑を浮かべていた。
「いや、私は別にいいんですが……」
「いいや、思ったことはハッキリ言ったほうがいいぞ、ナシロ。この上背中に三頭めのパラウマがしがみついたんじゃ、手に負えないだろ」
「誰がパラウマだ!」
ああむかつく。肩をすくめる仕草も、半笑いの意地悪な声も、もう全てがむかつく!
がしかし、悔しいけどイシューの言うことももっともなので、渋々ながらナシロからは離れることにした。さようなら、青いペルシャ絨毯。
イシューは勝ち誇った表情でこっちを見ている。な、殴りたい……!
俯いて怒りに震えているとナシロがぽんぽん、と私の肩を撫でた。
「殿下、もう少し女性の気持ちを汲めるようにならなければいけませんよ」
そう、そうだよナシロ! さすがお母さん。もっと言ってやって!
しかしその後ナシロは言わなくていいことを言った。
「初めて訪れた異界の地。天秤だって物珍しいに違いありません。宿には私が荷物を入れておきますから、その間にお二人でゆっくりと市場を見学なさっていてください。どのみち服や装飾品も揃えないといけませんし」
わかってねえええええ!! 全然分かってないよ、お母さん!
「そういうわけで殿下、お任せしましたよ」
言うが早いか、ナシロはパラウマを引っ張って雑踏の中へ消えていった。ものすごいスピードだ。イリュージョンかなんかか。
あっという間にこいつと二人きりにされてしまった。恐る恐る隣を見上げると、緊張した様子のイシューと視線がかち合う。やつはぎこちなく言った。
「し、仕方ないな……行くか」
ねえ、なんで緊張してるのこのひと! ああ、頬が赤く見えるのは夕日のせいだけだと思いたい。
****
歩いている間は食べ物の店ばかり目に付いたが、よく見ると衣服や装飾品を並べたテントも多い。これは食べ物のほうが珍しいものが沢山あったからであって、私の食い意地が張っているからではない、決して。
嫌な予想に反してイシューは普通だった。ちゃんと着いていく限り手を繋がれたりもしなさそうで、少し安心だ。というか逆にちょっとびびられているような。なんでだ。お母さん(ナシロ)がいないと落ち着かないんだろうか。
服を幾つか見ていて気付いたのは、やっぱり王子だけあってイシューたちの服装は他と比べて豪勢だということである。露天に飾られた服の多くは、色鮮やかだけれどもぱっと見ペルシャ絨毯には見えなかった。安そうなものはイシューたちの肩布と違って細かい刺繍が施されていなかったからだ。ただ、意外なことにジャラジャラ鳴る腕輪やガラス玉の連なったベルトなどは、数や質の差はあれ、皆何かしら身に着けていた。
テントを幾つか覗いた後、ある店の前でイシューは立ち止まった。
「ここはだいぶいい生地使ってるな。王都までけっこうあるし、この店で好きなのを何着か選ぶといい」
促されて覗くと、なるほど、今まで見た露天の中ではかなり上等なお店のようだ。店の下に敷かれた大判の布の上に、所狭しとばかりに服が並んでいる。テントの奥に座っていたおばちゃんが、いらっしゃいと愛想よく笑った。
これも店を見ているうちに気付いたことだが、こちらの服装には男女の差が殆どなく、個性の主張は肩布と装飾品で行うらしい。まず一番下に着るのはゆったりしたツナギのようなもの。これは色が決まっていて、生成りの白か黄土色が一般的。肩のところで上手いこと結んでサイズ調整を行うっぽい。男性は下がズボン状、女性はスカート状になったものを着ている人が多い。
だから下に着るものを選ぶのは、あんまり考えなくても良さそうなのだが……。困った。肩に巻くペルシャ絨毯は一体どういう基準で選べばいいのか分からない。
仕方ない、あまり聞きたくないが、ここは現地人の知恵を借りておくべきだろう。
助けを求めるべく視線を送ると、イシューは一瞬怯んだように見えた。
「な、なんだ」
「あのさ、ちょっとよくわかんないから適当に見立ててくれない?」
「あ、ああ、それもそうか」
イシューは一つ頷くとぎくしゃくと服を選びにかかった。いけ好かないヤツだが、ここまでにすれ違った人たちの服装も参考に考察してみたところ、こいつは割とセンスが良いらしい。装飾品やらの店の人から「兄ちゃん洒落てるね」なんて声まで、幾度かかけられていたし。リップサービスかもしれないけど。
まあ、私が選ぶよりは無難なものを見立ててくれるよね、と安心していたところ、店のおばちゃんの生暖かい目線に気付いた。……なんだろう。
私の前には、女物の服はえらんだことがないから自信はないが、などと呟きつつ服を探すイシュー。あれっ、何だか違和感を感じるんですが何だこれ。
服屋を覗く若い男女の二人連れ。
似合う服を見立ててとねだる女。
緊張しながら服を選ぶ男。
あれれ? この世界の男女交際のやり方は知らないが、もしかしてこれって外から見ると……と、そこまで考えたとき店のおばちゃんが言い放った。
「あっらー、もしかしてあんたたちデート? まあまあ、最近の若い人たちはよくやるわ~。よし、アタシも一緒に選んであげようかね!」
やっぱそうだったああああああ!!
イシューがギクリと体を強張らせる。
「ち、違っ、そんなんじゃない!」
うん、そうだね確かに違うけど妙に甘酸っぱい感じの反応すんな! 逆に肯定してるみたいになっちゃうだろ!!!
焦る私たちを見て更に勘違いを深めたらしいおばちゃんは、うっふっふ、と笑うのだった。