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4.ワンワン

イシューの声は綺麗なアルトで妙に耳に残った。息切れの名残か、少しかすれた甘い声。

 

 お前は俺の。


 イシューは言った。





 お前は俺の、ワンワンだ――。






「誰がワンワンだああああ!」

 叫びながら跳ね起きるとゴツンと鈍い音がして、頭のてっぺんが硬いものにぶつかった。い、いたい。いや、石頭だからそんなに痛くないけど。

「う、お、お目覚めですか……」

 頭上から苦しそうなナシロの声が降ってきた。え、なんで頭上から。よくよく回りを見てみると、どうやら私はナシロに後ろから抱きかかえられているらしい。

 足元がふわふわする。というか足が地面についていない。目の前には謎のケダモノの後頭部。

 そこまで認識して、ようやく自分が動物に乗って移動していることに気が付いた。

「何この状況!?」

「やっと起きたか、天秤」

 からかうような口調で言いながらイシューが隣に並んだ。ヤツも同じケダモノに騎乗している。初めて見る動物だ。ラクダのようなアルパカのような横顔が一瞬見えた。

「雹が止んでも中々目を覚まさないから寝ているうちに運ばせてもらった。もうすぐルーパに着く。しかしすごい音だったぞ、さっきの頭突き」

「く、いえ、この程度、平気です殿下……」

 ナシロが呻くとイシューは意地悪く、けけけと笑った。本当にいけ好かないヤツだ。

 なるほど、状況を把握してみるとどうやら私はかなり長いこと気絶していたらしい。

 さっきまで殺人的な雹が降っていたのが嘘みたいに晴れていて、首だけ動かして見上げた空には雲ひとつない。頂点近くにあったはずの太陽は随分と地平に近づいており、日没が近づいているのが分かった。

 私の体は紫色のペルシャ絨毯に包まれていて、その上からナシロに支えてもらっている。かなりの密着度だが、ナシロはお母さんポジションだなーと思っていたからだろうか、不思議と嫌な感じがしなかった。イシューとは違って。


 イシューとは違って!?


「あああああ! そうだよ! 気絶したのあんたのせいじゃん!」

「うっ、あ、あまり動かないでください」

 思わずイシューの方へ身を乗り出す。ナシロが困っているが知ったことではない。自分の主人がセクハラ行為に手を染めようとしているところを止められないのが悪いのだ。

 イシューは面白いものを見るようにニヤニヤして、少し首を傾けながら私を見ていた。

「俺が? 何か悪いことしたか?」

 野郎、しらばっくれるつもりらしい。ちょっと顔がいいからって調子に乗りやがって……。

 私は力いっぱいイシューを睨んだ。

 そういえば今気付いたが、ヤツは妙に色艶の良い茶髪の襟足だけ、長く伸ばして三つ編みにしているようだ。それが沈みかけの太陽を背にしてきらきら輝いている。ああ、ぶった切ってやりたい。私は息を吸い込んだ。

「初対面の女の子にあんなに近づくなんて失礼だと思わないわけっ?」

「隣に寝転んだのはお前だろ。べつに俺がわざと近づいたわけじゃない」

「嘘付け、そのあと上半身起こして近寄ってきたでしょうが!」

 ここで初めてイシューは視線を逸らした。小さい声で何かつぶやいている。

「ちっ、おぼえてたか」

「覚えとるわ!!」

 完全におちょくられている。ふ、ふざけやがって……怒りのあまり体が震えてきたわ。

殴りたい衝動を必死に抑えていると、ナシロがぽんぽん、と背中を優しく叩いた。

「すみません、不愉快な思いをさせてしまって。出会ったばかりの相手にあんなに近寄られたら誰だって嫌ですよね。ただ、走りつかれてぼんやりしていただけで、殿下に悪気はなかったんだと思います。ほら、イシューさまもちゃんと謝って」

 ナイス助け舟。ナイスお母さん。

 家来に優しく、しかし厳しく促されて、イシューはとうとう観念したらしい。決まり悪そうに後頭部を掻きながら言った。

「あー……と。すまない、調子に乗りすぎた。まさか気絶するほど驚かすと思わなかった。悪かったよ。――ただ俺は本当に、子どもの頃からずっと、“天秤”に会えるのを待ちわびていて。それでお前が目の前にいるのがつい、嬉しすぎて」

 ぽつぽつと並ぶ謝罪の言葉。

 が、途中から若干怪しい感じになってきたようなそうでないような……。いやここはスルーしておこう。気付かないほうが幸せなことってあるよね。

「もういいよ、反省してるのはわかったから」

「そ、そうか?」

 本当はもうちょっと突いてやりたかったが、身の安全のために切り上げることにする。代わりにずっと気になっていた疑問にカタをつけることにした。



「で、ワンワンってなんなの?」

「「は?」」



 イシューとナシロの声が重なって聞こえた。

 ハトが豆鉄砲を食らった顔、というのはこういうのを指すのだろうか。イシューのさらさらの茶髪の下で、金色の目と口がぽかんと開いてこの上ない間抜け面だ。ナシロの顔は私の頭の上だから見えないが、きっと同じような表情なのだろう。

 数秒の後、沈黙を破ったのはイシューだった。


「何って……ワンワンはワンワンだろ」

「ええ、ワンワンとしか言いようが」


 いやいや待ってくださいよ。


「ワンワンってあれでしょ? 赤ちゃんが犬を呼ぶときの……」

「「は?」」

 今度も二つ声が揃った。

 あ、頭が痛い……いったいなんだっていうんだ。どうやらこの世界では“ワンワン”という単語が、何か特別な意味を持っているらしい。

「犬の赤ちゃん言葉はバウワウだろ。ワンワンはワンワンだ、お前言葉が通じるのに本当にわからないのか?」

「ちょっと私の世界とは言葉の意味が違うみたいで……。なんかこう、言い換えて説明できないの?」

「言い換え、ですか。しかしワンワンはこう、崇高で抽象的で偉大で創造的な概念のようなものですし」

「それに宗教的な見方をすればワンワンはつまりお前だと解釈することもできる」

 意味わかんねええ!! どんだけ深い意味を秘めてんだよワンワン!!

 途方にくれた私にナシロが背中からそっと語りかけてくる。

「例えば、今私たちが乗っているのはパラウマですが、これはなかなか賢い生き物です。水をあまり必要としないし、食べ物がなくても一ヶ月ほど元気に動きまわることができます。砂漠の側に住むには欠かせない生き物ですね。ところでこいつの頬ひげを軽く引っ張ってみてください」

 何が始まるのかわからないが、ワンワンの意味を理解する手助けになるなら、とケダモノの頬へ手を伸ばす。一際長くて硬い毛を掴み、ゆっくりと引っ張った。


 パラウマは「ブヒー」と啼いた。


「これがワンワンです」

「ああそうだな、これもワンワンの一種と言えるな」

 私は脱力した。



 ますます意味が分からない、ケダモノがブヒーって言っただけじゃないか……なんで二人ですごい感心しあってるんだこいつら。丁寧に説明してくれたつもりなんだろうが、逆にかく乱されたような気もする。

「あのさ……私たぶんこの世界のこと理解できないと思う」

 がっくりと頭を垂れると、イシューとナシロは慌てはじめた。

「そ、それは困る! あのな、ワンワンというのはつまり生き物の根幹であって」

「そうです、誰もに当てはまり誰も純粋にはそのものを見たことがないもので」

「あっ、ほら、例えば目の前に石が飛んできたら目を閉じる、これもワンワンと言えて」

「そうですね、食事をとるのもワンワン、睡眠をとるのもワンワン」

「とにかくワンワンは生活の端々に溢れているんだ」

 ほ、本格的に頭が痛い。


 それから街に着くまでイシューとナシロのワンワン談義は続いた。30分ほどだったが、その間に一生分の「ワンワン」という単語を聞いた気がする。しかもそれだけ説明されたというのに、ワンワンの意味は私にはさっぱり理解できなかったのだった。

 




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