2.掘り当てたもの
一体何が起きたのかよく分からないが、とりあえず茶髪ペルシャ絨毯は突然日本語を叫びながらのたうちまわっていた。
「痛ええええ!目ぇ痛えええ!!」
その発音、砕けた若者言葉の使い方までどこからどう聞いても日本語だ。さっきまで謎の言語を喋っていたというのに。
「なんで……?」
「なんでってお前が俺の目に砂かけるからだろーがああああ!!」
茶髪がわめいた。ああいや確かにそうだけども。
「イシューさま、大丈夫ですか」
今度は黒髪ペルシャ絨毯が日本語で言い、おろおろと茶髪に駆け寄った。どうやら茶髪はイシューという名前らしい。イシューは未だ地面でのたうっており、その姿はさながらヤダヤダをする子どものようであった。
腕や足に大量に飾られた金属の輪がジャランジャラン鳴って非常にうるさい。彼の赤いペルシャ絨毯は砂にまみれて大変もったいないことになっている。
それにしても、イシューがやられても黒髪が「ちくしょうやりやがったな!」とか言ってこないあたり、どうも悪党の類ではなかったようだ。あれ、ちょっとやりすぎたかな……いやでも、ワンワンとか言いながら女の子に迫ってくる方も悪いと思うの!と自分を正当化しておいてみる。
「ナシロっ、絶対俺たち担がれただろ!こんな野蛮な女が天秤なはずないって!」
「落ち着いてください、とにかくほら、これで目を洗って」
「……ああ、うん、洗う……」
ナシロ、と呼ばれた男が水筒らしき筒を差し出すと、イシューは大人しくそれを受け取り、少し離れて背を向けた。
しかしさっきからこの茶髪、図体はでかいくせにほんと子どもみたいだな! 目薬のように目に水を垂らして、いてーなどと言いながら瞼をしばしばさせている。
こいつが子どもとするとさしずめお母さんのほう、ナシロが私に向き直って言った。
「申し訳ありません、驚かせてしまったようで。私も殿下も悪気はなかったのです、どうぞお許しください」
両手を合わせて深々と頭を垂れる。その丁寧さときたら、つむじを通り越して彼のうなじがよく見えるほどである。あまりにも畏まられて、私は逆にびびってしまった。
「えっ、ああ、いや、その。私もちょっとやりすぎちゃったと思います、はい」
「全くだ」
遠くからイシューがぼそっと呟いた。なんだこいつ、元はあんたのせいでしょうが!
ナシロがイシューに咎めるような視線を送る。
「殿下。もう洗い終わったならこっちに来てください」
「へいへい」
水筒の栓を閉め頬に垂れた水を拭うと、ふてくされた様子でイシューが戻ってきた。
両手を頭の後ろで組んで明後日の方向を向いている。実に態度が悪い。態度が悪いが、こうして改めてペルシャ絨毯男が二人並ぶと、なんだか圧倒されるものがあった。まず、髪の色、瞳の色が日本人では有り得ない。肌の色も黄色人種にしては濃すぎるし、顔立ちも彫りが深い。
これはひょっとすると、いやもう高確率でどうやら、何かこう、ファンタズィー的なアレが……。
いや、ここは一縷の望みをかけて一応聞いておこう。
「日本とかアメリカとかヨーロッパ、中国って聞き覚えあります?」
「え?すみません、ちょっとよくわからないです」
「聞いたこともねえよそんなん」
はい確定ー。まさか日本の砂丘から徒歩でいける場所にアメリカもヨーロッパも知らない人間が住んでいるわけがない。というか今まで考えないようにしていたけど、この時期にこの気候、百歩譲っても日本じゃ有り得ない。
頭が痛くなってきた。
ということはつまりここは所謂異世界、とかいうやつ? そんな馬鹿な。
だって異世界とか、そんな、ねえ?
あ、きっとこれ夢なんだ、そっかー砂丘で横になってるうちに眠っちゃったんだね。だったらもう一回寝よう。
私は考えることを放棄した。
ミニ天幕があった場所に横たわり、鮮やかなペルシャ絨毯どもが見えないよう目を閉じる。ああそうさ、これは夢だ、だからもう一度目を覚ませばきっと現実さ!
安らかな眠りのポーズをとった私を奴らが囲む気配がした。
「何してんだよお前……」
「あの、お疲れなのでしょうか、でしたらこんなところで休まれずとも……宿をご用意しますよ?」
「つかおまえ本当に天秤なわけ? とてもそうは見えねえんだけど」
交互にぼそぼそと話しかけてくる。眠れないからやめろよ!
しかも砂漠の癖に背中になんかゴツゴツしたもの当たってるし、なにこれ石かなんか?
もしかしてさっき立ちくらみがしたときに指に当たったやつだろうか。
本当やめてほしい。イライラすることばっかりだ!
だってゴツゴツして痛いってことは、これが現実だってことじゃないか!
「ああああもう!」
私は起き上がると左右の男たちを睨み、私を夢からたたき起こしたにっくきゴツゴツを排除すべく砂を掘った。それはもう勢いよく。
奴らが呆気にとられている気配を感じたが、もうなんか何もかもどうでもいい。イシューは私が払い上げた砂がまた目に入ったらしく、「ぎゃあ」と呻いていた。残念な奴だ。
「いってええええ! お前ほんといい加減に」
「あったあ!」
イシューを無視してゴツゴツの正体を取り上げる。それは石ではなく、錆びた金属で出来た、ずいぶん凝った意匠の細工物だった。中心の軸から左右対称に腕が伸び、それぞれの端に丸い玉がのっている。それはまるで、
「……やじろべえ?」
「天秤だ!」
右隣から身を乗り出すようにしてイシューが叫んだ。あまりにも大きな声だったのでびっくりしてしまう。反対側ではナシロが目を見開き、息を呑んでいた。
天秤?これが。どう見てもやじろべえにしか見えないけど。
きょとんとする私の両腕をイシューが掴んだ。そのまま、顔をぐいと近づけて話しかけてくる。その目はきらきらと輝いていて、それで。
「やはりお前が天秤か! ずいぶん探したが甲斐があった。ずっとお前に会いたかったんだ!」
整った顔立ちに満面の笑みを浮かべて言った。
えーと。
ええーっと。
さっきまでと随分態度が違うような気がするのは気のせいでしょうか。
目によく砂が入る残念なイケメンが、その目を輝かせながらよく分からないことを言ってくるのですが。
しかも目が砂のせいで充血しててちょっと怖いのですが。
会いたかったって何? 誰に?
すっかりフリーズした私に、ナシロが横から助け舟を出した。
「おおおお落ち着いてください、殿下。まっ、まあ、こ興奮するおおお気持ちちはわかりますぎゃっ」
頼むからちゃんと助け舟になってほしい。
「とっととにかく、まずは私たちの身分を明かしまして、でないと何もお話ができませんから」
「ああ、それもそうだな」
イシューはようやく私の腕を開放すると、肩から垂らした絨毯を翻し、砂の上に肩膝を付いて頭を垂れた。
「俺はイシュベール・ルディ・フェ・ナディール。ここより南方の王国ナディールの王子だ。イシューと呼んでくれ。こちらは俺の従者ナシロ・レティ。俺たちは我が国に“天秤”を迎えるべくここへ来た」