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18.作戦会議

 それからはお察しの通り、村人が私とイシューをニヤニヤ眺める会からナシロと私をジロジロ見て喜ぶ宴会へとシフトした。とはいっても、ナシロは村人たちの視線からさりげなく庇ってくれたし、時折繰り出される確信的な質問も絶妙な言い回しで上手くかわしてくれたので、私のストレスはずいぶん軽減された。

 パチェを口に突っ込まれた時はどうしようかと思ったが、私の盾になるために敢えて目立つ行動をとっただけのことらしい。



「本当に失礼しました」

 宴の後、村長の家で宛がわれた寝室で事情を説明するなり、ナシロは申し訳なさそうに私に謝った。初めて会った時のように後頭部が見えるほど深く頭を下げられ、慌てて手を横に振る。

「いいよいいよ、むしろ助かったし。ありがとう、ナシロ」

「ですが、ご不快な思いをさせてしまったかと……突然口に指ごと果物を」

「わーっ、わーっ! い、言わなくていいから! 怒ってないから全然大丈夫だから!!」

「そうですか?」

 結果的に助かったとは言え、思い出すと顔から火が出そうなほど恥ずかしい。つい大声を出してしまい、私は口元を手で押さえた。

「っとと、ごめん、大声出しちゃ迷惑だよね」

 なんせ、この家から外に声が筒抜けなのは折り込み済みだ。宴が終わってずいぶん夜も更けているし、村の皆さんの眠りの邪魔をしてはまずいだろう。

村長さんが起きてきやしないかと辺りを見回すと、敷物の上にゴミのような物体が転がっているのが目に入った。上等なブルーのペルシャ絨毯に包まれた大きなゴミだ。茶色いボサボサの毛が一房ついていて、耳飾りやら腕輪などの鮮やかな装飾品が巻き付いているそれは、イシューである。

 私の冷たい視線に気づいたのか、ナシロが苦笑しながらイシューの肩をそっと揺らした。

「殿下、風邪を召されますよ」

「うっせー、俺は疲れてるんだよ」

「魚食べてるときは元気だったでしょ。駄々こねたらナシロも困るよ」

 呆れながら言うとイシューはますますむくれた。

「またナシロかよ! あーあー、仲がよろしいようで」

「なっ、何言ってんの!?」

 思わず声がうわずってしまう。意識しないようにしているつもりだけど、さっきの唇の感触が急に思い出されて恥ずかしくなった。あああ、また顔が赤くなっているんじゃないだろうか。

「!? おいそういう反応やめろ! マジっぽいだろうが!」

 私が熱い頬を手で覆い隠すと、イシューが飛び起きた。怯えたような顔でまじまじとこっちを見ている。

 ……うん、イシュー、それ、私がいつも君に思ってることだから。おかげさまでちょっと冷静さを取り戻したところに、ナシロが朗らかに割って入ってきた。

「ああ、やっと起きましたね。ところで、今後のことも含めて少し打ち合わせしておきたいことがあるのですが」

「打ち合わせ?」

 私とイシューはきょとんとして顔を見合わせた。

「ええ。天秤のことについてです」

「私の?」

 自分を指して問うとナシロは一つ頷く。表情から察するにどうやら真面目な話らしい。隣でイシューも居住まいを正した。

「ナツキ様の正体を王都までどうやって隠すか、考えておかねばなりません。この辺りの村はほとんど私とイシュー様の二人で訪れていましたから、急に女性を一人連れて歩くとやはり目立ちます」

「まあ、それはそうかもな。ここみたいな小さい村ならまだいいが、この先ちょっと拓けたところだとナツキの正体なんかすぐばれるだろう」

「なんで? 拓けてるとなんかあるの?」

 疑問に思って訪ねるとイシューが答えた。

「小さい村だと専任の神官がいない。大抵村長とか長老とかが神事を代わりにやるからな。けど、でかいとこになるとちゃんとした神官がいる。神官なら予言の日時も天秤の容姿もある程度分かってるだろうからな。俺たちと一緒に女がいるのも不自然なわけだし、見ればすぐピンとくるだろう」

「私たちが天秤を迎えに来たことは、表向きには伏せてあるんです。ですからできるだけ隠密に行きたいと思いまして」

「そうなの?」

 まあ、確かに目的を明かしていたら、イシューたちと一緒にいるだけですぐ正体がばれそうなものだ。そして私が砂漠の天秤とかいうヤツだと知れたらきっと、会う人会う人が出会ったときのイシューとナシロのように、私を囲んでワンワンワンワン言うに違いない。怖っ、絶対ばらしたくない。

 砂に埋もれてヌャーという声を聞いたときのことを思い出して、ちょっと遠い目をしているとナシロが気遣うように先を続けた。

「ま、まあ、ですから私としては、ここの村長がお二人を恋仲だと勘違いしたとき、これはなかなか悪くないのでは、と思ったんです」

「い、いや悪いだろ!」

「そうだよ悪いよ! 極悪だよ!」

「そう極悪! ……いやそこまで悪いか!?」

 珍しくイシューと意見があったので言葉を重ねると、なぜか突っ込みを受けてしまう。イシューは頬を少し赤らめて更に続けた。

「大体、あれはナツキが急に抱きついてくるから」


 や、やめろ、思い出させるなあああ!! パラウマから降りた後のことを思い出して私は頭を抱えた。もう、なんなのもう。イシューといいナシロといい、今日は妙なハプニングが多すぎる。


「だっ、抱きついてない! あれはそう、捨て身タックルだから!」

「タックル!? おまえ知らないうちにそんな攻撃を俺に!?」

「お二人とも」

 いつのまにか向かい合って喧嘩の姿勢に入っていた私たちの間で、ナシロがにこやかに言った。声も顔も優しげだけど妙に迫力がある。私たちはぴたりと口を閉じた。

「仲がよろしいのは大変結構ですが、夜ですからくれぐれもお静かに」

「はい……」

「悪い、ナシロ……」

 やっぱりナシロはお母さんだ。


「で、殿下とナツキ様が恋仲だというカモフラージュですが、やっぱり駄目ですね」

 ばっさりと切り捨てるようにナシロが言った。おお、なんという英断。

「結局、殿下の恋人だと思われてはナツキ様が目立ちすぎます。それではあまり意味がありませんから」

「あ、ああそうだな」

 イシューが心なしかがっかりしたような声で言った。えっ、何でがっかりしてるのこの人。自分のスタンスをもうちょっとハッキリさせてほしい。


「でも、じゃあどうするの?」

 私が首を傾げると、ナシロは悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを見た。

「この村では私との仲を疑わせるようにしましたが、ナツキ様はそれではご不満ですか?」

「なっ、」

 少し意地悪く、でも綺麗に微笑まれると言葉が出てこない。ナシロの切れ長な瞳が細められると、妙な色気が溢れてくるのは何でなんだ。蛇に睨まれた蛙のように竦んでしまった私の代わりに、イシューがぴしりと言った。

「ご不満ありありだ、馬鹿。お前だって結構顔が売れてるし、むしろ俺より興味を持たれているだろう。従者の方が嫁入り先としては現実的だからな。でもそれじゃ結局ナツキが注目されるだろうが」

 本当に不満そうだが的を射た反論だ。すごいぞイシュー、ありがとうイシュー。

ナシロは私からイシューへと視線を逸らして、いつものようににっこりと笑った。

「あ、ばれました? ですよねえ」

「当たり前だろ。で、どうするんだ」

 イシューは顔を顰めていたが、ナシロは全く意に介す風もなく機嫌よく続けた。

「そうですね、色々と考えてみましたが、やはり城の下女にするため連れて帰っているのだと説明しておくのが一番穏便なやり方でしょう」

「下女?」

「はい、ですがその……そうなりますと一応、私よりも下の扱いになりますから、ナツキ様にはご無礼をすることになるとは思いますが……」

 ナシロがいたわるように私を見やる。また目があって射すくめられては敵わないので、私は俯いてぶんぶんと首を振った。

「いやいや、むしろその方が落ち着くと思うよ! ちやほやされるのはあんまり慣れてないし」

 これは本当のことだ。イシューもナシロも他人に注目される中で堂々と振る舞うことに慣れているようだが、私はそれがどうも落ち着かないのだ。二人の陰に控えてペコペコしていれば済むのならそうしたい。イシューがふふん、と鼻を鳴らした。

「言ったな。じゃ、ナツキは下女だから俺の言うこと聞けよ」

「いやいや、別に本当に召使いするわけじゃないし……ていうか、イシューって普段周りの人に対してそういう態度なの? 嫌な主人だな……」

「そ、そんなわけないだろ、なあナシロ?」

「殿下にも困ったものです」

「やっぱり……」

「否定しろよおお!」

 わいわいと騒ぎながら、私たちは細かい設定を詰めていった。



 話し合いの結果、私はルーパ周辺の金持ちの娘で、ナシロたちは私の親から娘を城に召し上げてくれと頼み込まれて引き受けた、という設定になった。裕福な家の娘が城に仕えるのは珍しい話ではなく、一緒にいてもそう不自然には見えないだろうというのがナシロの考えだ。イシューも私もそれに賛成し、打ち合わせは一旦お開きとなった。

「それでは、もう夜も遅いですし休むとしましょう。ナツキ様には大変申し訳ないのですが……」

「あ、部屋のことだよね。大丈夫、布で仕切ってくれるんでしょ?」

「すみません。女性がいらっしゃるのに部屋を用意できず……」

「いいよいいよ、村長さんだって急に言われても大変だもんね」

 むしろこんなに小さい村で急に一部屋用意してくれただけでも有り難い。それも、この部屋は割と広いので、真ん中を布で仕切っても三人で寝るのに十分だ。そう答えるとイシューが感心して見せた。

「ナツキはなんというか、順応するのが早いよな」

「そう?」

「そうですね」

 ナシロが木の梁に縄を渡しながらイシュー

を肯定した。

「とても異界から渡っていらしたとは思えません。イシュー様よりよほど物をわかっていらっしゃって、本当に助かります」

「おい、それはどういう意味だっ」

「殿下は少しわがままなところがありますからねえ」

 イシューはむくれていたが、私は少し笑ってしまった。今日は村に着いてから緊張し通しだったので気が緩んだのだろう。三人でわいわい話をするのがどことなく楽しかった。

 ……そういえば、異界から渡ってきたとは思えないって誉め言葉なのかな、微妙だ。

 ナシロは手早く縄を括ると、大きな布をその上に掛けていった。この村の家々はルーパで泊まった宿とは造りが異なっていて、外側は白い土壁だが、中は木造の柱が剥き出しになっている。ナシロの説明によると、ルーパの宿は割と高級な店だったので内側にも土が塗り込めてあったらしい。庶民の家はむしろ柱が見えるのが普通だそうだ。懐に余裕のある家では梁に布を掛けて飾ったりもするという。ここの村長の家ではそういった装飾は見あたらないし、ナシロが掛けている布も荷物から出してきた物だったが。

「ねえ、この村ってもしかしてすごく貧しかったりする?」

 尋ねるとイシューがきょとんとした。

「いや、別に裕福な村ってわけじゃないが特別貧乏でもないと思う。何でだ?」

「いや、村長さんの家なのに布飾りとかないなと思って」

「ああ、なるほど」

 あっと言う間に仕切を完成させたナシロがうなずいた。縄の上に掛けた布は、今は部屋の片側にカーテンのように寄せられていて、半分だけ仕切られた状態だ。白っぽい布で、装飾は何もないけれどしっかりした厚みがあった。けれどかなり軽いらしく、天井の縄はほとんどたわんでいない。

「この村はそれなりに豊かですよ。宴の料理も品数が豊富ですし、果樹に肥やしをやって育てる余裕もあります。さっき召し上がったパチェも」

「その話はやめよう」

 慌てて遮るとナシロは楽しそうに笑った。お母さん割と意地悪だよ……。イシューが咳払いをした。

「ま、まあ、暮らしに余裕はある。だが、ここには布がないんだ」

「布がない?」

「ええ、この辺りは布の始まりなんです」

 ナシロの比喩に眉を寄せると、イシューが腕組みをして得意げに説明し始めた。

「布が一番高く売れるのは王都なんだ。それもこんな風に」

 肩でひらひらしているペルシャ絨毯の端を摘み、私の顔の前に突き出す。綺麗なブルーで繊細な刺繍が施された一品だ。幾何学的な模様が白や金の糸で描かれていて、これだけで十分装飾品としての価値がありそうだった。

「こういう刺繍が丁寧な布は馬鹿高い値段で取り引きされる。それで王都の近くに刺繍の技術を持った人間が集まる。さて、刺繍をするためには布が必要だというわけで、その周りに機織りが集まる。その近くに染め物屋が、糸を依る人間が、蚕を育てる農家が……といった具合に、円が広がるようにして分布してるんだ。それに染め物には沢山の水を使うし、糸を依るのは新鮮な蚕に限るし、養蚕には広い土地がいる。だんだん王都の外へ広がっていくのは必然といえば必然だな。で、ここが布の始まり。養蚕農家が多い村だ」

 淀みないイシューの説明に呆気にとられた。まるで社会科の授業でも受けているようだ。イシューの目はキラキラと輝いていてずいぶん楽しそうで、私はそのことにも驚いていた。

「すごく詳しいんだね」

「当たり前だ、俺が城を出てきた理由には布のことも関わってるからな」

「そうなの?」

「ええ。布は常に消費される高級品ですからね。我がナディール王国の産業でも一番重要な分野です」

「宝石はそうそう買い換えないが、布はヘタれば新しいのを買うしかないからな」

 確かにそれはそうだ。納得していると、ナシロが嬉しそうに言った。

「ですが、布の流通には問題点が多い。殿下はその是正に一躍買われているんですよ」

「成果がでるのはまだこれからだけどな」

「問題点?」

 首を傾げると二人はますます嬉しそうに身を乗り出した。この様子から見るに、よっぽどこの件について腐心してきたのだろう。砂漠から女子高生を掘り返すためだけにやってきた奴らだと思っていただけに、意外だ。割とまともに国のために働いていたんだね。

「中抜き業者がいるんだよ。繭や糸を安く買いたたいて高く売るんだ。そのせいで王都に布が並ぶ頃にはかなりの価格になっていて庶民はおいそれと買い辛い」

「あ、そういうのは私のいた国でも聞いたことあるかも」

 言葉を挟むと、イシューは痛ましそうな顔をした。

「やっぱりそういう奴らはどこにでもいるもんなんだな……で、安く買いたたかれるせいで、農家や機織りは儲けが少ない。悪循環なんだが、そういう業者を仲立ちにしないと、直接品物をやり取りする術がないんだ。あいつら巧く立ち回ってるからな」

「そこで殿下が布の原料を生産している村を巡って、仲買抜きで布を作るためのラインを確保しているというわけです」

 ナシロが胸を張った。

 うーん、難しいけどなんかわかった気がする。

「要はイシューが無償で仲買の代わりをしようってこと?」

「まあ、そういうことだな。俺は仲買とは違ってずっと仲立ちするわけにいかないから、一度村同士の繋ぎを作ったらあとは各自に任せることになるが」

「他の商人が割り込んだとなると元々の仲買も黙ってはいないでしょうが、殿下が相手とあっては文句も言えませんからね。多少強引ですが」

 全く強引だ。王族が権力振りかざしてそこのけそこのけしてきたようなものじゃないか。それ、本当に大丈夫なの? クーデターとか起きないの? 少し考え込む素振りを見せると、イシューが苦笑した。

「いや、仲買にも生活があるから、あまり大がかりなことはできないけど、それでも一つ安値で布を作る経路を確保できれば、市場が動く。そこが大事なんだ」

「なんか、イシューって偉かったんだね」

 ただの馬鹿王子だと思っていたのに、ちゃんと国のことを考えていたらしい。ナシロがイシューを時折誉める理由がようやくわかった気がした。初めて私もイシューを誉めると、奴は顔を赤く染めて頭を掻いた。

「や、俺はべつに……というかその、ナツキに誉められると変な感じだな」

 それから私の顔を見てニコっと笑う。……こういうとき、イシューが青春っぽい反応で我を見失わなかったのもたぶん初めてだ。私は逆にちょっと照れてしまって、

「ほ、誉めてないしっ」

むしろ自分が青春っぽい反応を返してしまった。恥ずかしすぎるしなんか悔しい。

 ナシロが私に助け船を出すようにぽんと手を叩いた。

「さあ、難しい話はこれぐらいにしてそろそろ寝ましょう。でないと明日起きられませんよ」

「おう、そうだな」

 イシューは私の照れに全く気づかず、ナシロに同意した。あれ、こいつ結構鈍い? 私にとっては幸いだけど。

 ナシロが立ち上がって簡易カーテンに手をかける。

「では、仕切をいたしますので」

 そのとき、ナシロの握った布の陰から何か金色の物体が飛び出してきた。すごい勢いで私の顔めがけて飛んでくる。

「ひゃっ!?」

「ナツキ!」

 おでこに当たる直前で、とっさに伸びてきたイシューの手が金色の物体を掴んだ。ぺちーん、と結構いい音ではじき返され、金色の小さなものが敷物の上に転がった。

「いてっ! なんだこれ、虫?」

 イシューの手も痛かったようだ。転がった物をのぞき込んでイシューがつぶやいた。つられて見てみると、なるほど、金色の甲虫が仰向けに転がっていた。ナシロも慌てて側に寄ってくる。

「お二人とも大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。しかし、ここまで金ぴかの虫は初めて見たぞ。珍しいな」

 虫を眺めてイシューが唸った。床の上の虫はお腹を見せてじたばたしている。ちょっと情けない様子だが、確かに足の一本一本まで綺麗な金色で、じっとしていたら細工物かと見紛うほどだった。つやつやと輝いている。けれども私はイシューの言葉に違和感を覚えて首を傾げた。

「珍しいの? 私この虫、結構よく見るけど」

 転がっている金の甲虫は、確か最初に砂漠で私の陰の中に涼んでいるのを追い出し、昨日のルーパの食堂で追い払ったのと同じ虫だった。あんまりよく見るのでこちらではポピュラーな虫なのかと思っていたのだが。

 イシューと同じくナシロも考え込む様子を見せて言った。

「うーん、確かにあまり見かけない虫ですねえ。せっかくですから捕まえてみましょうか」

 言うがはやいか、ナシロは金色の虫を捕まえて手近な袋に詰め込んだ。なんという素早さ。もしかしてナシロの趣味は昆虫採集だったりするのだろうか。イシューも私の横でナシロをあきれ顔で見ているようだったが、ふと思い出して声をかけた。

「ねえ、虫当たらないようにしてくれてありがと」

「ん? ああ、あれ顔に当たってたら結構痛かったと思うぞ。というか、当たってないよな?」

 イシューはなんでもないことのように答え、確認のため私の顔をのぞき込んだ。頬の横に手を添えて額を……っとおおお、近い近い近い!!!! 急な行動に心臓が跳ねる。

 ごく間近で金色の瞳と目が合って、やっとイシューも距離が近すぎることに気づいたようだ。顔を赤くしてビクッと震えた。が、私の目を見つめたきり動かない。何か考えているようだ。

「は、離れてよ」

「いや、ちょっと待て」

 珍しく真剣な表情をしている。後ずさりたいのだが、ほっぺたに手を添えられているせいで上手く避けられない。イシューの手がやたらに熱い。いや、私の頬が熱いのかもしれない。

「なに、なんか顔についてるの……」

 声が震える。イシューのまなざしが真剣すぎてどうにも見ていられない。ぎゅっと目をつぶるとイシューの吐息がおでこにかかるのを感じた。それもやっぱり、熱い。

「怪我しなくてよかった。けどナツキ、俺……」

「怪我は無かったんですか。それはよかった、じゃあ殿下はもう寝ましょうね!」

 突然朗らかな声が聞こえたかと思うと、イシューの熱が体から離れた。びっくりして目を開けると、すでに私の前には間仕切りの白い布が垂れ下がっていた。向こう側からイシューの声が聞こえてくる。

「離せナシロ!! 俺はやっぱり納得がいかない!! 俺もナツキに何か直接食わせるぐらいの大胆な行動をするんだあああ」

「やめましょう、イシュー様、迷惑ですよ」

「なんで俺だけ迷惑なんだよ!」

「迷惑ですよね、ナツキ様?」

 声のトーンは柔らかいのに何か威圧するような気配を感じて、私は思わず声をうわずらせて答えた。

「う、うん、迷惑です!」

「……」

 イシューはぴたりと静かになった。どうやらショックを受けたらしい。顔も見えないのに、どんな表情をしているのか脳裏にありありと浮かぶ。布の向こう側からナシロが優しく言った。

「ほら殿下、まだ寝転がらないでください。それではナツキ様、ゆっくりお休みください」

 倒れるほどショックだったのか……ごめん、イシュー、ほんとは迷惑ってほどじゃ……。心の中で謝りかけて、私ははっと我に返った。い、いやいや、今なにを考えてたの!? 迷惑、超迷惑だから!! 

 頭の中で今日の出来事がぐるぐる回る。ナシロの指の感触とか、イシューの腕の感じとか、色気のある黒髪と濃い色の瞳、金色の真剣なまなざし。心臓が早鐘を打っている。

 ああもう、ほんとにもう。

なんか私この人たちと一緒にいると早死にする気がする。




 翌日の出発は前日に比べて随分と早かった。空が白んできてすぐ、朝食もそこそこに私たちはパラウマに乗った。なんだか逃げ出すみたいにして出てきたのだったが、出立の前、昨日の果物のときのおばさんから、繭がいくつか入った袋を渡された。次の村で糸に紡いでもらうといい、お守りにどうぞ、と渡されたそれを、私はパラウマの上で、何度も眺めていた。

 後ろから私を抱き抱えるようにして手綱を握るナシロのことを、あまり意識しすぎないように、というのも大いにあるけど。ふいに耳元でナシロがささやいた。

「ナツキ様、宴の時に合図を送ったの、お気づきになりました?」

「あっ、合図?」

 急に話しかけられてびくりと震えると、ナシロは楽しそうに、しーっと言った。おかげでイシューはこちらの様子に気づかず、数歩前をカポカポ揺られていた。

「もしかして、昨日のウインクのこと? あれ、どういう意味だったの?」

 ナシロが天然さんではないと思い知らされたあれのことか、と小さな声で尋ねると、ナシロは笑った。

「ああ、やっぱりお気づきでなかったんですね。お手伝いですよ、捨て身タックルの」

 思わぬ答えに驚いて顔を上げると、悪戯っぽい笑みを浮かべて私を見つめるナシロと目があった。

「殿下に一泡吹かせたかったんでしょう? あのときのイシュー様の顔、面白かったですね」

 私も楽しかったです、と笑うナシロの顔はあまりにも綺麗で優しそうで完璧で。


 ああ、お母さん。イシュー、君のお母さん、優しいけどちょっと怖すぎません?


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