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11.イリヤ

 少年は体をすっぽり覆うベージュのマントを羽織っていた。おそらくその下にペルシャ絨毯を着込んでいるのだろう。夕方すれ違った行商人の中にも似たような恰好をした人がいた。銀色の頭髪と白っぽいマントのおかげか、少年の姿は夜の闇の中、月光に照らされてぽっかり浮かんだように目立った。歩む速さはゆっくりで、置いて行かれる心配はしなくて良さそうだ。


 少年は私がさっき通ってきたのとは違う細い道の前で立ち止まり、肩ごしに視線を投げてきた。大人びた、けれど悪戯っぽい表情だ。

「こっちに曲がるよ。近道だから」

 そのまま、一層暗い細道にすたすたと入っていく。少し迷ったがついていくことにした。今更一人で広場まで戻るのは怖いような気がしたので。


「大事なものはちゃんと身に着けていないと危ないよ」

 前をむいたまま少年が言った。

「悪い人間っていうのはどこにでもいるものだからね。それに、よく似合うのだから提げていないと勿体ない」

 やはりどこか大人びた、けれど少年らしいハスキーボイスだ。優しい声色はまるで風の音のように透き通っていて、つい聞きほれてしまう魅力があった。

「いや、あんまり重たくて、つい……。ほんとにありがとうございました。でも、どうして助けてくれたんですか?」

 ドロボードロボーと叫んだ時、広場には沢山の人がいた。当然私の叫び声を聞いた人も沢山いたはずなのだが、ほとんどの人は聞こえないフリをしていた。まあそりゃ他人の厄介ごとには関わりたくないよね、夕飯の最中に。


「なんだか面白かったから」


 少年は笑い含みに言った。面白いって何がだ。ちょっとむっとしながら続ける。

「なにが面白いんですか?」

「ああ、いや、ごめん。物を盗まれたからって、あんなに走り回りながら泥棒泥棒って叫ぶ女の子は初めて見たものだから。ずいぶん威勢がいいなと思ってね」

「うっ……」


 言われてみれば確かに、はしたないほど大騒ぎしてしまった気がする。うう、でも泥棒にあうのなんか初めてだし高そうな借り物だったしでパニックだったんだよ! ぶすくれていると少年がもう一度、今度は笑いながらごめんと言った。


「よっぽど大事なものを盗られたみたいだったし、手助けできたらと思ったんだよ。誰かからの贈り物?」

「贈り物じゃなくて借り物なんです。だからつい必死になったというか」

「ああ、なるほどね」

 少年は道を塞ぐように置かれた木箱にひょいと飛び乗り、こちらに手を差し伸べた。

「どうぞ」

「え、あの、どうも」

 あまりにもスムーズな動きだったためつい手を取ってしまう。相手がイシューならあり得ないなーとか思っているうちに、木箱の向こう側にふわりと降ろされた。おお、なんという紳士。



 月はいつの間にかかなり高くまで昇っていて、建物に挟まれた細い路地裏にも青白い月光が線になって落ちていた。その中を身軽に歩き、時折障害物があると注意を促してくれる少年は、まるで月の妖精か何かのようだ。いや落ちつけ、落ち着くのよ私。ここが異世界だからってそこまでファンタジー要素が豊富なわけあるまい……。


「あなたはどこから来たの?」


 歩きながら少年が言った。どこって、また一番答えづらい質問を。


「ええとその、ずっと遠いところから。そっちは?」

「じゃあ僕も同じ。ずっと遠いところから」


 食えない答えだ。まさかフェアリーランドとかじゃあるまいな……とさっきまでの妄想を引きずって少年の後姿を見つめる。大丈夫、羽はない。


「今、歩きながら何を考えているの?」

「え、あの、羽ないなーって」

「え?」

「え? わ、わあああああ!!」

 私としたことが、ついうっかり本当に考えていたことをしゃべってしまった! いやほんと、何の根拠もない思いつきなんです、ごめんなさい! 少年は驚いた顔で振り向いて、こっちを見て固まっている。


「羽って?」

「あの、その、いや、あなたがなんか、その、すごいキレイだし、身軽だし、なんか、不思議だからその、もしかして妖精かなんかなんじゃなかろうかーとか、いや人間なの分かってるんですけど、つい思いついちゃって。それでその、羽ないなーって」

「……くっ、ぶ、あはははははは!!」


 少年は吹き出し、かなり大声で笑った。その軽やかな笑い声は路地裏の建物に反響し、跳ね返り、半径百メートルほどに響き渡った。

 アホな妄想してたけどそんなに笑わなくたっていいじゃないか……もやっとした気持ちになりながら、私は少年が笑い終わるのを待った。


 ……中々終わらない。


 なんかしまいにはひいひい言いながら壁に寄りかかってる。

 これで私の中のアホな妄想は全て吹っ飛んだ。彼は間違いなく人間だ。それも笑い上戸の男の子なのだ……。



 ひとしきり笑うと、彼は涙をぬぐいながら言った。

「ご、ごめん。面白くて、つい」

「いや、別にいいんですけど」

 よくないよオーラを放ちながら言うと、気づいているのかいないのか、少年は首を傾けた。


「いつもあんなこと考えて歩いているの?」

「違いますっ!!!」

 そんな不思議っ子と思われてたまるか! むっとして見せると、少年は軽やかな笑い声をたてた。

「だよね。ああ、びっくりした。妖精かあ。でもそれを言うならあなたのほうがよっぽど不思議だよ」

「不思議って何が?」

 私の頭の中がか? まあここまでの経緯からしてそれは否めないが、なんだか腹が立つので敬語は取っ払うことにした。


「そうだね、たとえば、こんなに上等な身なりの御嬢さん、普通なら大事に大事に育てられてきたはずなのに、広場でなりふり構わずどろぼうって大声で叫んじゃってるところとか。いったいどういう身分のどんな生い立ちの女の子なんだろうね?」


「それは……」


 異世界から来てこの国の王子について行ってます、とは言えない。それこそ妖精に次ぐおかしな妄想と思われるだろう。だが、この国の貧富の基準はわからないがそれなりに上等な格好をさせてもらっているのも事実で、もしかしたらこういう装いはよっぽどの金持ちだけに許されたものなのかもしれない。だったら金持ちの御嬢さんらしき娘がギャーギャー走り回ってたのはかなりおかしかっただろう。畜生、やっちまったな。


 なんと答えたものか迷っているうちに、気づけば少年はすでに数歩先に歩きだしていた。

「さあ、おしゃべりはこれくらいにして、もうしばらくついておいで。べつに僕はあなたに質問したわけじゃないんだから、答えなくていいんだよ。それに僕だって『妖精かどうか』あなたに答えていないしね」

 少年は肩ごしにこちらを見てウインクした。私のことを追求しないでくれるのは有難いが、妖精のくだりは余計だ。少しむっとしながら、先を行く少年の背中を追った。



 まあ腹は立ったけれど、この会話をきっかけに私は少年に対してかなり気安さを感じていた。軽やかな足取りも月光が照らす銀色の髪もそのままだったが、それはもうさっきまでの妖精さんのような、幻想的で厳かな印象を与えるものではなく、ただ単に綺麗な少年のものとして目に映った。思えばこっちに来てからというもの、ナシロとイシュー意外とはまともに会話もしていなかった。二人は私をあくまで異世界から来た「砂漠の天秤(?)」とやらとして扱うので、こんな風にただの女の子として話せる相手は初めてだ。そう思うと、なかなか楽しいような気がしてきた。

 何か話題になることはないか、こっちの一般人に聞いておきたいこととかないか……と考えていると、すっかり忘れていたが心に重くのしかかっていたある問題を思い出した。ああそうだよ!! これこそ聞いておかねばならない問題!!


「あのさ」

「なんだい?」

「えーと……もしも、もしもだよ? この国の王子様とかそのお付きの人とかと会ったとしてさ。もしもね、その人たちにうっかり……いや身分とか知らなかったり、ねぼけてたりとか、とにかくそういう状態でさ」

「うん」

「砂かけたり頭突きかましたりしたらどうなるのかな?」

「ぶっ」

 少年はまたも吹き出した。くくくくく、と苦しそうに笑っている。

 

 わ、笑わないでよ人の切実な悩みを……。でもだめだ、完全にツボに入ってしまったらしい。イラッとしながら待っていると、彼はさっきより少し短い時間で復活を果たした。

「い、いや、ごめん、その、それ、やったの?」

「たとえばの話だってば」


 本当はやったけどな!

 とは言えないので黙っておく。少年は、だよね、と言ってから続けた。


「それにしてもあなたは本当に面白いことを考えつくね」

「それはどうもありがとう。で、もし本当にやったらどうなるの?」

「くくっ、砂かけと頭突き、を? うーん、そんな前例は聞いたことがないから正確には分からないけども……王族侮辱罪が適用されたら、最悪死刑もあり得るかもね」

「しっ……死 刑 !!!!? すっ、砂かけたぐらいで、死刑!!??」


 せいぜい牢屋にぶち込まれるぐらいで済むだろーと思っていた私はショックを受けた。なんだ王族侮辱罪って!! 


「まああくまで最悪の場合、だけどね。王族侮辱罪は王族本人の意思が反映されやすいから、相手の王族が許してさえくれれば成立しないし、逆にものすごく怒らせると変な言いがかりで殺されることもある」

 少年は淡々と説明した。要は王族の機嫌次第ということか。なんだその自由な法律。

「まあ、王族は滅多に市井に降りてくるものじゃないし、心配はいらないんじゃないかな」

 いや今まさに心配で胸が張り裂けそうなんですけど。


 すっかり喋る気力をなくしてしまった私に、少年は軽やかな声を投げかけた。

「さあ、そこを曲がればもう広場だよ」

 気が付けばざわざわとした喧騒が近づいており、目の前の曲がり角の先から、月光とは異なるオレンジ色のかがり火の明かりが漏れていた。どこをどう戻ってきたのかわからないが近道だったのは確かなようだ。少年に促されて路地から出ると、そこはちょうど先ほどの食堂のすぐ横だった。


「誰かと待ち合わせでもあったのかな? 間に合いそう?」

「あ、ええと……」

 少年の肩ごしにさっきまで座っていた席のほうをちらっと見る。イシューたちの姿は見当たらず、テーブルの上には水差しと木のカップだけが並んでいた。どうやら食事もまだ提供されていないようだ。

「間に合ったみたい」

「そうか、よかったね」

 少年はにっこりと優しく笑った。

 

 広場のかがり火の中で見る少年の姿は月光の中とは違って、妙に俗っぽく見えた。いや、あの青白い月の光が幻想的すぎただけなのかもしれない。ふと、彼の名前をまだ聞いていないことに気付いた。薄暗がりの中では名前を聞こうと思いつきもしなかったのに、明るい場所に出てみると聞いていないのがとても不自然なことのように思える。


「ねえ、あなたの名前は?」

 また会うかどうかも分からないのについ尋ねてしまった。少年はゆっくりと、涼やかでさわやかな声で答えた。


「僕はイリヤ。あなたは?」

「ナツキ。あの、今日はほんとにありがとう」

「どういたしまして」


 少年はそれじゃ、と短く別れの挨拶をすると、人ごみに向かって歩き出した。その背中が見えなくなるまで見送ってから、私は大急ぎでテーブルへ戻った。



 イリヤ。



 異世界で初めて親しく話した一般人――のはずだけれど、月明かりの中の彼の姿は、今日出会った誰よりも謎めいた、不思議な印象を私に残したのだった。


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