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10.銀色の少年

「いいか、絶対ここを動くなよ。絶対だからな」

「うん、早く行ってきなよ」

「すみません、天秤。すぐ戻りますので」

「俺たちが戻るまでに一歩でも動いたらただじゃおかないからな!」

「わーかったってば!」

 イシューはまるで脅しのような口ぶりで数回繰り返すと、ナシロに腕を掴まれて店を出て行った。姿が見えなくなるまで何度も何度も振り返りつつナシロに引きずられていくイシューを見送って、私はため息をついた。

 私だけが食堂に居残る案はイシューの猛烈な抵抗によって迎えられたが、絶対に動かないで待っていること、食事がきたら先に食べておくこと、などを条件に許された。それでもイシューは心配だのなんだのと赤い目で大騒ぎしていたけれど。私だって子どもではないのだ。椅子に座って待っていることぐらいできる。

 私の座っている席は店の中でも端のほうにあり、隣に接した広場がよく見えた。すっかり日は落ちて空は暗いけれど、広場はまだまだ人通りも多くにぎやかだ。あっちこっちに食べ物の屋台が並んでいる。香辛料のにおいがつんと鼻をついて、自分が空腹だったことを思い出した。ちらりと店内を振り返るが、夕食時の食堂はどうやらなかなか忙しいようで、注文した品が出てくるにはまだしばらくかかりそうだ。

 椅子の背にもたれ、首に下げた純金のネックレスを外した。イシューの手前我慢してたけど、けっこう重いんだよねこれ。テーブルの上に置くとガシャガシャといかにも重そうな音がした。いったい何グラムあるんだろう、これ……。

 ぷいーん、と間の抜けた音がした。あたりを見回すと、金色のコガネムシが電灯の周りを飛んでいる。羽が光を反射してきらきら光った。イシューの貸してくれたネックレスと同じ色だ。もっともこっちのほうがよっぽど身軽そうだけど。そういえばさっき砂漠でぶん投げた虫もこんなんだったっけ。このへんには多い虫なんだろうか。虫に罪はないけど一応ごはん屋さんだし、こいつも追っ払っておくか。

 私はテーブルの上に身を乗り出して腕を振り回した。だが、敵もさるもの。私の手を上手に掻い潜ってぷいんぷいんと飛ぶ。苛立ちを感じつつさらに身を乗り出したその時、


 じゃらじゃらじゃらっ!


 何か金属が落ちた音がした。反射的に目をやると、広場と店の境目、ちょうど私の足元の辺りで、地面に落ちたものを拾おうと屈んでいる薄汚れたおっさんと視線がかちあった。

 え、なんだこれ。

 おっさんの手からは何やら金色のものがこぼれ出している。

 ……それもしかして、さっき外したネックレス?

「どっ……どろぼう?」

 いまいち状況が飲み込めないまま小声で呟くと、それを合図におっさんは立ち上がり脱兎のごとく駆け出した。あっというまに人ごみに紛れていく。

「え、ちょ、ちょっと待ってよ!!! ドロボー!」

 反射的におっさんを追いかけ店から飛び出した。泥棒の逃げた方向へ走ると、人気のない路地の方へ曲がる後ろ姿がちらりと見えた。

「まあああてえええええ!!」

 くそう、おっさんめ! それいくらすると思ってんだ!? 私も知らんけど多分すごい高いぞ! しかも借り物だぞ、王子様からの! 盗まれるとかほんと有り得ないから!

 私は夢中になっておっさんを追いかけ、広場を後にした。もちろん、イシューが馬鹿の一つ覚えのように言い含めていった「絶対ここから動くなよ」の言葉は、すっかり頭から消えていたのだった。


 路地は思いのほか薄暗かった。このあたりも夕方までは露店が並んでいたはずだけど、店じまいの済んだ今では人っ子一人見当たらない。当然広場にあったようなかがり火もあるはずがなく、頼りになるのは月明かりだけだった。立ち並ぶ家の白壁がうっすらとほの青い。

「ちょっとおっさん!! 出てきなさいよ!! どろぼー!!」

 おっさんを見失ってしまった私はとりあえず声を張り上げながら走っていた。とはいえ、半ば絶望的な気分を味わってもいた。おっさんがこっちの方へ逃げたのは確かだが、路地裏へ逃げ込まれては土地勘のない私には到底見つけられない。それどころかこんな薄暗いところ、女の子一人で歩いてたらかなり危ないんじゃあるまいか。

 広場の喧騒から離れ、しんとした住宅地へ迷い込むにつれ心細くなってきた。ひょっとしてこれ、けっこうやばい? 今更になってイシューの言葉を思い出す。

『いいか、絶対にここを動くなよ!』

 あれは過保護すぎるわけじゃなくて、もしかしてほんとに治安が良くないから念を押されたのかも。日本は治安がいいから油断しがちだけど、他の国に行ったときには気をつけろとかよく言うし。ていうか、こんなひっそりした路地日本でも危ない。

 でも! 純金のネックレス借りといて不注意で無くしましたとか言えるはずがない!! 万一働いて返せとか言われたらどうすりゃいいんだ!? 考えただけで恐ろしい。絶対に取り返さねば!

 私は自分自身に気合を入れた。 その時、

「ぎゃあああああああ!」

 突然路地裏に男の叫び声が響いた。よっぽど痛い目にあったような苦しそうな声だ。しかもその声はどうやら、一つ先の角を曲がった辺りから聞こえてきた。

 や、やっぱり危ないんじゃん!! 近いしどうしよう!?

 回れ右をして逃げようとするが、いきなりのことにびっくりして体が動かない。その間にも男の呻くような泣き声が聞こえ、更に悪いことにこちらに近づく足音までしてきた。やばいやばいやばい! 呻き声は近づいてこないから、つまりこれって痛い目に合わせた方の足音だよね!? やばいってほんとに!

 すた、すた、すた。

 妙に静かな足音。なにこれ、もうほんと、なにこれ。急にファンタジーの世界にぶち込まれたかと思ったらホラーか!? ホラーなのかこれは!! 半泣きの私の前に、足音の主がとうとう姿を現した。

 恐ろしさのあまり、腕で顔を覆ってぎゅっと目を瞑る。

 足音が止まった。

 ああ、見てる! これ確実にこっち見てるよ今!!

 いやー、これはやばい。ごめんイシュー、ナシロ、約束守らなくて……。

「大丈夫?」

 予想外に涼やかな声が優しく言った。

 恐る恐る目を開けてみると、月明かりの下、銀髪の少年が口元に微笑を浮かべてこちらを見ていた。

 深い黒の瞳、すっと高い鼻梁、ふんわりとした薄い唇。それはとてもとても綺麗な顔の少年で、私は思わず息を呑んだ。年の頃は丁度私と同じくらいだろうか。

 じゃらり、と音がした。よく見るとこちらに向けて差し伸べられた手の上には、イシューから借りたネックレスが乗っている。

「あ、それ……!」

「あなたのでしょう? 泥棒って叫んでいるのが聞こえたから」

 少年は何が楽しいんだか知らないが、くすくす笑いながら近づいてきた。恐る恐るネックレスを受け取る。

「あ、ありがとう。あの、えっと……取り返してくれた…の?」

 警戒しながら尋ねる。少年は笑顔のまま頷いた。

「じゃあ、さっきの叫び声はあのおっさんの?」

「そういうことになるね」

 こともなげに言ってのける少年を、私はまじまじと見つめた。正直チンピラみたいなのが登場すると思っていたので、目の前に立っている線の細い美少年が泥棒のおっさんをのしたというのが信じられなかったのだ。……それに彼が良い人だという保障もないし。

 疑っている気持ちが伝わったのか、少年は首を傾けた。

「もしかして僕のことを怪しんでいるのかな?」

「え! ええと、その……」

「まあそれくらいの警戒心は持っていた方がいいかもしれないね」

 話しながらこちらへ近づいてくる。すた、すた。それにしても軽い足音だ。こんな細身でおっさんをやっつけちゃうなんて、こいつ実は妖精さんなんじゃなかろうか。……ていうか怖いよ、なんかどんどん近づいてくるよ! なんでこんな近いのか!! 思わず腕で顔をガードすると足音が止まり、ふふっと笑う声が隣から聞こえた。

「怖がらなくても怪しいものじゃないよ」

 爽やかで涼やかな、その声音があまりにも優しかったものだから、私はつい顔を上げて少年の方を見た。

「この辺りはあなたみたいにかわいらしい女の子が一人歩きするには、すこし危ない。ついておいで。広場まで送ってあげるよ」

 微笑む顔は優しげで、一切の腹黒い打算も暴力的な面も無さそうに見えた。無理に私の手をとるわけでもなく、そのまま振り返りもせずに歩いていく。正直不安な部分もあったけれど、ここに立っていてもどうにもならないことだし、私は大人しく彼についていくことに決めた。

 月明かりの照らす街をすたすたと軽い足取りで歩く銀色の少年。それはとてもとても綺麗で不思議な少年だった。


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