1.はじまりは砂漠から
太陽が、視力を奪ってやるとばかりにさんさんと輝いている。ああ、空は青空、世界は平和。
強い日差しを受けて私の影が白い砂にくっきりと落ちている。
私が高校に入学したのは昨年の春のことだ。今は11月。
時の経つのは早いもので、始めは履き慣れなかった革靴も半年が経った今では体の一部のように馴染んでいる。
今は両足とも砂に埋もれて足首しか見えないけど。
ええそう、お気に入りのプリーツスカートも砂埃に霞んで白いけど。
気が付けば私は何故か砂漠のど真ん中に突っ立っていた。
「やってられっか!!」
私は世界を祝福するのをやめてキレた。そりゃそうだ。授業の課題を済ますため学校帰りにちょこっと砂丘を見に来ただけのはずが、なぜか本物の砂漠に投げ出されてしまったのだから。
原因も現在地もさっぱりわからない。確か地域学習うんたらで、身近な観光地を調べる係になって、砂丘を見に来て、ちょっと砂の上を歩いてたらだんだん暑くなって、気付いたらこの状況、と。ともかく現状を打開するべく元来た道を辿ってみたりもしたが、行けども行けども終わらない砂漠だった。十分ほど歩いてようやく気付いた。こりゃ本物の砂漠だと。まさかあのしょぼい砂丘が本物の砂漠と繋がっていたとは知らなかった。
しかし、11月なのにこの日照りとはさすが砂漠。日本なのにね。ね。日本ですよねここ?
あまりにも有り得ない状況にファンタジー的な単語が脳裏を過ぎったりもしたが、深く考えないことにしておく。
それにしても暑い。冬服の厚手のブレザーにこの陽射しは耐え難い。ていうか日焼けしそう。などなど考えながらふと下を見ると足元にできた影の中、ちょっと早めに起き出した虫が涼んでいた。おうおう、かわいいのう、今見渡す限り存在する生物は私とお前だけだよ。私はそっとその虫をつまみあげる。やたらツルツルしていて金色だ。私はソレを投げた。
「人の影で涼むなコノヤロー!」
ああ、暑さとはなんと恐ろしい。やり場のない苛立ちをもたらし、私のような慈悲深い人間からさえも哀れみの心を奪ってしまうのね。
虫は「プィ〜」と悲しそうな羽音を立てて、飛んでいった。
ちょっと清々してニヤッと笑ってしまう私。…いや、私、優しい女子高生だよ、うん。この暑さが悪いのさ。
そうこうするうちなんだか喉が渇いてきた。あいにくと飲み物は持っていない。でも、あっちこっち歩き回っても、余計に迷うだけで終わりそうな気がする。
かといって、この砂漠の真ん中で、ボサッと突っ立ってるのも気が滅入るが。
ウーム…。
「座っとこ」
ウロウロしても仕方ない。そのうち誰か通りかかるだろう。最悪、誰も来なくても、家族には砂丘に行くって言ってあるし、そのうち探してくれるはずだ。この砂漠が本当に砂丘とつながっているのならば……あ、いやこの考えはやっぱナシで。いやな答えに辿り着きそうだ。
とにかく落ち着いて救助を待てる場所を作ることにした。まず、砂を少し掘って体を横たえる空間に仕上げる。次に鞄から体操着を引っ張り出して、定規と筆箱、弁当箱を支えにして、二重の幕を張った。こうすると砂漠でも涼しくいられるって、前になんかのテレビで言ってたんだ。体操着にデカデカと名前のゼッケンついてるから、恥ずかしいけど。
ミニ天幕の下に体を滑り込ませる。うーん、そんなに涼しくはないけど、何もないよりマシだな。ちょっとは楽みたい。天幕の中では横たわる以外できることもなかったので、ちょっと眠ることにした。目を閉じて呼吸を整えていく…。
と、その時。半分砂に埋まりそうな私の耳が、かすかな話し声を捉えた。
誰か来てくれたんだ!
思わず起き上がりかけた瞬間、想像を超えた言葉が鼓膜を震わせた。
「ヌャー。チョベリピッチョン」
ちょっとまて、今なんつった?
声自体は、凛々しい男の声だけど、なんか内容おかしい。怖いな…起き上がるのはやめて寝たふりを敢行することにしよう。それにしても、なんか外国語っぽいけど…。
声はそれだけでは終わらず、更に続く。
「ニャシロ、ワンワンヲヨベ。ピリャサラマキンヌ」
「キツニユマグネ?」
「シマダデブー」
「ニリャ。ワンワンヲヨベ」
「ニリュ。ワンワンヲヨベ」
…ますます意味が分からない。どう考えても日本語ではないのに、発音が日本語そっくりなのだ。もしかしてすごい方言とかなのだろうか。だとしたら一体この状況でワンワンを呼んでどうするつもりなんだろう、そして島田さんをデブとか言うな。
二人の外人らしき男たちはどうも私に用事があるらしく、交互に声をかけはじめた。
「ワンワン〜サリ」
「ワンワン〜」
近くまで来て天幕に手を差し伸べているようだ。顔は見えないが、天幕の隙間からサンダルのようなものを履いた足とじゃらじゃらした腕輪をつけた手が見える。優しい声音で呼びかけてくる。
「ワンワン~」
「……って、ワンワンって私かよ!」
思わずがばっと跳ね起きて簡易天幕を吹っ飛ばし、ツッコミを入れてしまった。
「ワンワン!」
やたら嬉しそうに叫ぶ外人たちともろに目が合ってしまう。しゃがみこんでいる二人はこの上なく嬉しそうな表情で私を見つめている。うち一人は茶髪に黄金色の瞳、もう一人は黒髪に青い目。茶髪のほうが十代後半で黒髪は二十代前半といったところか。どちらも女子高生の集団に放り込んだらきゃーきゃー言われそうな整った顔立ちをしているが、なにより私の目が引き付けられたのはその二人の服装だった。
肩の開いた白い布のようなものを基本に、それぞれ硝子玉の首飾りや、やたら細かい細工のベルトなんかをうっとおしいくらい重ねていて、右肩からは、だらっとしたペルシャ絨毯のようなものを垂らしていた。
何だ、この異文化っぷりは。
とても日本の寂れた観光地で出会う人間の服装とは思えない。
もしや夢なのではと思って頬をつねるが、痛かったので現実のようだ。
「ワンワン〜ヌラ〜」
一瞬気を抜いている隙に、意外と近くから声が聞こえた。気付けば外人たちは私を挟み撃ちにするようにして迫ってきている。茶髪の方なんか、息が顔にかかるくらい近い。
「ぎゃー!近っ!なんだあんたら!こっちくんな!」
しかしどうやら日本語は通じないらしく、二人の外人はワンワンワンワン言いながら更に近寄ってきた。おまえら三歳児か。
茶髪から身を逸らすとその分だけ黒髪に距離を詰められ、逃げ場がない。はっ、もしやこいつら、いたいけな私をどこかにさらっていくつもりなんだろうか。外国では日本人の女の子は人気だとか聞いたことあるし!
私は恐怖を感じ、砂をすくって茶髪の外人の顔目掛けて投げた。
「シャラポア!」
効果抜群。茶髪はなぜか国際的テニスプレイヤーの名前を叫びながら砂の上をのたうちまわった。この言語、規則性とかなさそうだな…。
茶髪ののたうちまわりっぷりは、芸人だってこんなオーバーリアクションしねぇよと言うくらいすさまじい。ちょっと可哀相だけど乙女の危機だから仕方ない。もう一人も同じ目に合わせて逃げようと、砂の中に手を突っ込んだ。
そのとき。
砂に突っ込んだ指が何か硬いものに触れた。なんだろう、と思う間もなく、目の前が真っ白になり。
すぐに元に戻った。
なんだろ今の…。立ちくらみ?
しかし、次に聞こえた言葉に、私は更に驚くことになる。
「痛てー!目ェ超痛てェ!」
それは聞き慣れた日本語だったのである。