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春に歌えば

作者: 鳥本さやか

普通に、学校に行って、普通に会社勤めして、普通に恋愛して

そしたら結婚して普通に家族を作る。それが人の幸せだろう。


「でも俺は違うさ…でかい夢があるんだ…!」


そう言い張って25歳。周りの同級生はそろそろ結婚式とか

はじめているのにも関わらず、春人は未だ無職で

それでいて恋人いない歴=年齢の自己新記録を更新し続けている。

夢はミュージシャン。口にすればそれを人は嗤う。

才能がある運のあるごく一部のやつらだって、鼻で笑う。

それでも春人は気にならなかった。

鼻で嗤う奴等が内心は自分の夢を追いかけ続けられる自分を、

羨ましがっていると知っていたからだ。


「だいたい俺は…神なんだぞ!?」


春人は確かに56329回も、人が音楽を聴いてくれている。

ただし、ネット上に限られているが…。

両親に自慢げに言っても、眉間にしわを寄せて

「あんた…大丈夫?」と本気で心配される始末。

それでも書き込みにあった言葉を思えば春人は誇らしく、

やはり夢を諦めなくていい、と自信を持てたのだ。


「俺は天才、で神なんだ!ふふふっ、はははっはっははは」


おそらくこれを大喝采で叫んでいたら、両親は深刻に彼を病院へ送り込んだだろう。

春人をそうしないのは、彼が本気で音楽をしたいのだと、

父も母も知っていたからだ。


しかしこの彼にも分岐路が訪れたのだった。

季節は秋がなりをひそめて木枯らしの吹く冬。

春人のもとにメッセージが届いた。「海堂冬二」という実名が本文に添えられた依頼だった。


***


住所を見ながら春人は、今まで行ったこともない海側の町に着く。

冬の海は厳しく、サーファーでもなければ特に

訪れないその海道の道を歩いて行った先に、春人は立ち止まっていた。


着いた。けれどすぐ、顔が赤くなっていく。

(馬鹿にしやがって…)


目の前には公的施設が立っているだけだ。

ライブ会場という趣でも、ホールとかでも、そうかといえば

小さな喫茶でもなんでもない。ただの病院だった。


冷やかしだったのだ。きっと今頃この場所のどこかで

春人を見ては大笑いしているに違いない。

思ってすぐにここを退散してやろうと、踵を返す。


「ちょっとまて…えっと……貴様が…ハルウタさん?」


振り返れば其処にいたのは

想像していた春人の音楽のファンとは程遠い、

おかたい背広に身を包んで厳しい面持ちをした

黒縁眼鏡の長身男だった。

歳もたいぶとっているように見える。


「…あんたが……ロック聞くの?」

「馬鹿か貴様は」

「馬鹿…?なんだよおちょくってんですか?

 なら俺だってべつにいいんだ」

「馬鹿の上に短気…全く典型的な馬鹿の若造だな。早く働け」

「…ってめぇ」


その明らかに人を見下し冷えた目の男を、

春人はありったけの眼光で睨むが物ともしない。

それでも男は名刺をさしだして、春人に告げる。


「海堂冬二だ。貴様みたいな馬鹿でもあの子はお前が好きみたいだな」



***


通されたのは三階の個室。

表札には海堂さくらと書かれている。

冬二は、春人とはまったく態度を変えたひどく控えめなノックをする。


「誰?」


反対に、中にいる声はとても不愉快そうな声だった。


「さくら……連れて来た」

「やるじゃない。すこしは使えるみたいね」

「………入ってもいいのかい?」

「連れて来てよ」


冬二は二度頷く、そして春人を見ると「入れ」と命じてくる。

合点がいかないながらも、しぶしぶ入るのは少しの期待があったからだ。


深窓の御令嬢―はたまたは清楚な女の子。

この冬治といういやな男だけれど娘さんは隔世遺伝が起きたような美少女で、けれど不治の病だったりする。

病床で唯一支えたものと、

春人は自分が呼ばれた意味を考えて予想した。


(そんな彼女の心の拠り所がこの俺の音楽じゃないのか?)


淡い美少女の期待を込めて、扉を開いて見る。


いたのは、完全に赤い色に洗髪した髪の毛。

こっちを見ている目は普通に視るだけでも睨んでいるように思えるほどの アイメイクの濃さ。目に突き刺さるんじゃないかと思える睫毛の異常な長さ。

爪もカラーリングがされている。

ネイルアートというのだろうか。

春人はそんなことする女が料理を作れるのだろうかと、

内心疑っている。


「なによ…なんか文句ある」

「いえありませんでございます…」


病弱な清楚なお嬢様のイメージが、脳裏でどんどん消えていく。

ドラマや漫画にも今時出てこない設定に、春人は自分の妄想が甘いものだと痛感した。

確かに春人の音楽を聞く人間がそんなイメージ像の子向けとは思えない。 けれどこの目の前の女の子はひどい。

ヴィジュアル系を極めすぎている。

春人も結構パンクな恰好をしているが、

せいぜい染髪にスケルトンのロゴを好んでいるくらいの格好。

今時の大学生の格好をしている。


「……あの俺の音楽好きになってくれてありがとうございます」

「別にソウルが合っただけだから」

「……」

 (ソウル?こういう返しは今までなかった。どうすればいい?)

「なに?!」

「………いや…なんでもないさ」

「ふん…じゃあ話聞かせてよ………」

「はい?」

「あんたのこと…聞かせろっていってんのよ。何考えて音楽つくってるかとか…夢とか…」


すごい見た目で春人は動揺したが、

さくらというこの女の子は普通のことを訊いてくる。

そこでようやく本調子に戻れそうな春人は、深呼吸をした後、勇気を持って

まずさきに気になっていたことを尋ねてみた。


「歳幾つ?」

「19歳」


というには決して見えない。


***


彼女の質問は長かった。

春人は、答えられることを答えれるままに話して聞かせた。

ただし虚実も交えて。


春人はもうテレビの音楽も手にかけている、ということ。

その話は内々にあってもうすぐ発表だ、ということ。

彼女がいる、こと

愛されすぎて困る、というのろけ。

まだ更に夢がある、ということ。


話すと、彼女はだんだん目を輝かせて春人を見つめていた。

その眼にそのアイメイクと不釣り合いなほど、

大きくて綺麗な真っ直ぐな尊敬を、春人は感じ取っていいた。


いい気分になる。やはりファンというのは嘘ではないらしい。

浴びせられる言葉に恍惚として面会時間を終えた。


****


「馬鹿が…」


病室を出て第一声がこの言葉。

「……なんすっか」と言うと冬二は呆れた物言いで言い返す。

「すべてつくり話だろうが……お前のことは調べてわかっている」

「……プライバシー…の」

「どこの馬の骨ともしらん相手に娘を直接会わすわけにはいかないだろう」


そう言って、彼は頭痛を抑えているのか悩ましくため息をついた。


「……じゃあもうこれっきりですか…?いいですよ別に」

「…いや……会って…ほしい」

「はぁ?」


馬鹿にしているのに、頼みごとをするこの冬二という男を

春人は心底理解できない心地で見る。

だがその冬二が、慇懃に頭をたれて折り目正しく、春人に頼んでいた。


「なんすっか……」

「…………頼む」

「………まぁいいですよ」


同じ人とは思えないほど、

頭をあげた顔は再び冷徹な表情をしていた。

冬二は「ふん、ご苦労だった」と短く言いながら、

封筒に金をいれると春人に渡す。

それを春人はつき返す。


「俺は、俺の1ファンの為にここに来るんです」


冬二は冷笑する。

「金なのにいらんのか?

 ふん…一寸の虫にも魂はあるものなんだな。

 かわいそうに、親の家計の足しにしてやらんのか」


封筒を鞄の中に冬二はしまいながら、小馬鹿にした物言いで春人に言った。

またなにか言ってやろうかと口をあけるが、きりがないと思い、

春人は少しだけ頭をさげて、別れを示すと冬二の下から足早に去っていく。


「おっさんまじムカつく」

もちろん帰り道、彼の口から冬二に対しての不満は轟々だった。


****


3日に1回の周期で彼女に会う

それ以外は春人も音楽活動やバイトで日夜過ごしていた。


さくらと話すのは他愛もないことばかり。

好きな歌、好きなアーティスト、歌論議。会える時間を、たくさん話していく。

ほとんど春人は話すばかりだ。

さくらは春人の言葉を聞くたびに「やっぱり思った通りの人」

と笑って心から尊敬して褒めてくれる。

恐ろしいメイク顔も慣れてこれば恐ろしさも幾分かマシになっていた。


褒めてくれる言葉を、こうやって生で耳から聞いて

おくられる言葉に声と笑顔が、励ましにもなり春人の才能を信じさえてくれた。


さくらは歌が好きで、春人の歌詞が好きで歌声も曲も大好きで。

さくらのことを知っていくのも、結構な時間はかからなかった。

だからそこまで時間はかからなかった。


「…もうここに来たくありません」


冬二にそう告げたのに、かかる時間も

そうかからなかった。


***


場所を変えて話をすることになり、冬二が案内したのは、病院の屋上だった。 ベッドのシーツが大量にはためいているのは

今日が快晴で洗濯日和だからだろう。冬には珍しい小春日和だった。

誰もいないその屋上に―

その冬空の快晴を見上げている冬二と、屋上のコンクリートと蟻んこを

見つめるしかない春人がいた。

「理由を聞いていいか?」

「………傍にいるのが耐えられないんだ」


蟻んこが一生懸命になにか小さな食べ物らしきものを、運んでいく。

その地面のちいさな営みを春人は見下しながら、苦々しく

口を開く。

「それは…あの子が病気だからか」

「見くびらないでください。俺だって…勘がいいほうです。

 ………あの子重い病気なんでしょう?」

「そうだ。まぁウジ虫の脳みそにも想像力があったということか」

「で、俺に会わせようと思ったのはあの子のせめてもの願いだからでしょう」

「そうだ」

「でもあの子が好きなのはハルウタっていう奴のことだ。俺じゃない…

 それがもう辛い」


彼女の理想のハルウタを、ネットでいるハルウタを、みんなに神と呼ばれる そのハルウタを、リアルな現実でも演じればいいと思っていた。

簡単だし、それに演じていくにつれてもしかしたら、

春人自身、本当に夢を追いかけていける自分への励ましになれるんじゃないかと 本気で考えた。


でも真逆だ。


「…見なくていい自分が見えるんだ…。あの子に会うたびに。

 本当の俺は……25にもなって仕事もなくて、親に甘えて……

 夢、夢…って言ってさ。俺は…」


ゆるやかに、ゆっくりと夢を諦めていく自分が見えてくる。

嘘を重ねるたびに、それと違う自分。

有名な自分、無名な自分。

神とあがめられる自分、誰にも見向きもされもしない、取り残されていく自分。 友達に会うのでさえ、そのたびになにか言い訳を考えるか

必死に虚勢を張る準備をしている自分まで新たに発見した。


「俺は………あんたの思う底辺の人間なんだって」

「……そうか。そういう理由か…ならば私の言葉はこれだ」


封筒が投げてよこされる。

それは札束のはいったいつかの同じものだった。


「どういうことですか?」

「金ならいくらでも積む。だから会えそれがお前の仕事だ」

「無理って言ってるでしょう?俺あんたの娘になんにも糧なってません」

「関係ない………会え」

「…俺あの子が言ってるような音楽への情熱も、今は持ってるかさえ怪しい。歌詞をつくっても嘘くさくて、

歌を歌っても陰惨で愉しくない。俺は……俺は…」

「蟻も殺せぬほどのナノサイズの人間だな」


ついには微生物扱いかよ、と冬二の侮蔑に内心少し心地よく感じた。

今回ばかりは言い返すこともできないし、

その冬二の言葉通り…春人という人間はその通りなのだから。


「そんなお前であっても、あの子はお前に会いたがっている」


シーツが邪魔で冬二がよく視えない。

春人はそれでも彼に歩み寄りたくはなかった。

この人の、言葉はいつもひどい、見つめられる目もいつも冷やかで―


「それでもあの子はお前と言葉を交わすときだけ笑顔を見せる。

 なぁ微生物。私が…どんな想いであの子を見ていたと思う…。

 あの子が病気だと知って、

 仕事を休んであの子に言葉をかけても、

 あの子は……私にむけてくるのは嫌悪だ」

 

風にはためくシーツが大人しくなる。

空を見上げている冬二の様子は分らないのだが

今まで見たことのない、自信の無い…寂しい目だけが少し視えた。


「優しくしてもあの子にはすべて嫌味にしか通じない。

 でもあの子はお前と話すときだけは笑う。私は貴様が大嫌いだがあの子の笑顔はたまらなくもっとできうる時間のかぎりもっと…見たいんだ」

「だからって俺は…もうおもい知りたくはないんだ」

「そんなの知るか…甘えるな…」

「俺だって…あんたの事情なんか知らないよ!」


冬二は言い捨てる。春人は言い募る。

眉間を寄せて睨むその視線からは冷笑や見下しは、どうしてだが感じない。

どこか懐かしい、面影が重なる。

それは…父だったかもしれない。母だったかもしれない。

先生だったかもしれない。先輩だったかもしれない。


「嘘を本当にする。それくらいの甲斐性ぐらい持てナノ虫が」


冬二は言いながら、春人の横を通り過ぎていった。

屋上が寒い。寒いけれども、春人はしばらくその場を動けずに立っていた。


***


―嘘を本当にする―


具体的には何をすればいいかわからなかった。

だから思い悩むだけで、ふらふら停滞しながら春人はさくらに会う日々を続けていた。


「…一年後の冬、ハルウタってどんなことしてんの?」

「………ん?そーだな。ラジオのDJってのもやってみたい」

「ははっ、だっさい」

結構本気で話してみたのだが、こうも一蹴されると少々切ない。

けれどまぁ、さくらは笑うからくってかからず流すことにした。

「あ、そうだ。あのな、実は今日来るときにへんなおばさん見たんだ!」

「うん?」

「おばさんはお婆ちゃんじゃないだろう?だから席譲らないじゃないか。 それなのにこんなときだけ、レディーファーストだの言って 席ぶんどったんだ。それでさ…」


最近彼女は先の話をするようになった。

将来の話、夢の話とか未来の話。

春人はいつもその話の矛先を変えていく。

自分の嘘のことやつくり話時々本気で思ってることを織り交ぜながら

話しながら、耳を傾けてくれる彼女の様子を見る。

相変わらず目を輝かせて聞いている様子は変わりなかったが

ひとつだけ、俯く顔を時折するようになった。

理由を春人は知らない。

「さくらちゃんは?」と春人は彼女の先の話を訊かない。

きっとそれは彼女の心の地雷だと思うから。

こうやって素直に話をきいてくれる彼女を見ながら、

「俺は全部嘘なんだよ」と告白してしまいたい時がある。

早くこの後ろめたさから逃げ出したい。

でもそんなことは今更できない。


話していてわかるんだ。

彼女がどれほど「ハルウタ」を好きか。


(彼女の理想を、俺の逃げで壊しちゃいけないんだ。それだけは…)


きっと壊すときは今の春人はハルウタを越える時でないといけないのだ。 その機会を逃さないように、今ただ春人は日々を過ごすしかなかった。 笑顔がこぼれるさくらの顔を見つめながら、春人も優しく笑顔をする。 思い出すのは屋上での出来事と冬二の空を見上げる姿。

その彼が言っていた。

この目の前のさくらの顔を冬二は見たかったのだ。


(けれど見れないんだな)


あんだけ嫌味や腹が立つことばかり言われていても、なぜかもう

あれ以来冬二に対して憤りがわかなくなった。


代わりの時折気まぐれに思うのだ。

(この笑い声がせめて届けばいいんだけどな…)


だから春人は面白い話を仕入れることに余念がなかった。

さくらの大笑いした声が、病院のどこにいても彼女の父親に届きますように。


****


年を越えた新春を迎える一月。

春人はしばらくさくらに会うことができなくなっていた。

それは良いニュースの為だ。


彼が長年続けていた地味な音楽活動がネットで

小さな話題を呼んで、小さな突破口が巡って来た。


「ラジオのパーソナリティーのようなことをしないか」


その連絡が嫌がらせじゃないか、詐欺ではないだろうかと慎重になったが 本当の現実だった。

話が決まればすぐに取り掛かることが多くなっていった。

そしたら一気に人と会わなくてはいけない用事が増えていく。

そしたら自然とさくらのことを考えなくなっていく気がした。


春人はそれだけは嫌だった。

だから彼女によく暇さえあれば連絡をしてきた。

パソコンのさくらの父親のアドレスだが、かまわずに内容を送り続ける。


今日見たもの、聞いたこと、その全部をさくらにあげるように

毎日毎日―彼女の為だけに。 春人が変われた転機を与えてくれたのは絶対にさくらとその父親だ。 あの海堂親子にだから、春人は自分の両親よりも先にいつも伝えていく。


「今日も愉しかった。忙しいけど、いいかんじだ!」

そして落ち着いたら、絶対にさくらに会いに行こうと

固く決めていた。会いに行ったらあの気難しそうな父親もいるだろうけれど その時は胸を張って会いに行くんだ。言い張ってやる。

限りない嘘を、1パーセントは本当に近づけたんだ、と。


****


病室はなくなっていた。

春人は病室が変わったのだと思って看護師さんのところに行く。


「海堂さくら」を尋ねると、言いにくそうな顔で

看護師は言葉を濁して「どういった関係ですか?」と訊く。


「春人……三木春人って言います!」と少し怒って話すと、奥から別の看護師。


彼女はよく顔を合わせていた看護師で、ただ春人の顔を見るなり溜め息をつく。


「もう少し、早く来てほしかった…わ…」


そう言った彼女は、春人を案内して行った。


****


通されたのは特別医療室。


個室のその部屋は7階だった。

「海堂さくら」と書かれている表札を確認して、春人はドアを開けようと

したが、その手を制止させられる。


「…………あのね。春人くん……さくらちゃん……変わってしまったの。

 あなたは…覚悟がある?……ちゃんと優しくできる?」

「???どういうことですか?」

「覚悟、決めてほしいってことなの」


看護師の有無も言わさない促しに、春人は何度も首を振る。

よくわからないが、春人はとにかく

もうすぐに彼女に、会いたかった………。


「………えっ?」


そこにいたのはいつか自分が想像していた女の子だ。


髪が長くて真っ黒で、白がすごく似合ってる儚げな清楚な感じの

女の子。その子はベッドに座って、大人しく小さくなって、大人しく本を読んでいる。

入って来たのに、春人に対してなんら興味を示さない。


「……さくら…ちゃん?」

「…………」

「……来たよ、俺」

「…………」


どういう事情だよ、と思って看護師を振り返る。

彼女は首を振る。

その意味を理解するのに、勘の鋭さが冴え渡るのに

時間がかかった。


そういえば、あの過保護な冬二はどこにいる。


****


「………会社で敵を作る人だったみたいよ……自分にも他人にも厳しい人だから…」


冬二の事情を聞けたのは、さくらの元母親だと名乗る女性だった。

病院でやって来た彼女の物語る冬二の話は、

言葉にすれば数行で終わる。


冬二は妥協を許さない人で、働いているのならばそれ相応に

熱意を持って働くべきだと考える人だった。

新入社員の一人が猛烈に反発してきたらしい。

冬二は容赦なくその社員を切り捨てた。

すると地下鉄で満員電車の中―海堂冬二は何ものかに鋭利な刃物で数回刺された。

病院に運ばれても助からず、あの人らしからぬ呆気なく

亡くなってしまったらしい。


人の死を数行で淡々と語りこむ元妻だった女を、

見ながら春人はさくらのことを思う。

彼女は、独りなのだろうか。


「あの人、さくらの為にいっぱい保険金をかけてたの………」

女がその言葉をこぼした時、春人は一つ訊く。


「……誰が受け取るんですか」

「全部さくらに……そうかいてあったみたい…。でもあのこまだ19歳よ」


その言葉だけでもう、春人には何通りかの状況が想像できた。

奥歯を噛みこんだ後自分の想いを代弁する言葉を探しながら女に告げる。


「俺は………さくらさんの家族でもないし血縁のない者ですが彼女は恩人なんです」

「……ええ、知ってるわ。あの子を笑わせてくれたお友達だって。看護師さんから何回か」


そうだ友人だ。

馬鹿にせず、素直に聞いてくれた夢の話を…本人の春人すら

信じていなかった自分の話を彼女は信じた。

飛び出す言葉は腹の立つものばかりで、人のことをミジンコだのナノ単位で語りかけてくるような男は、実に不器用な父親だった。

でも彼女を想う心は本物で、だからこそ春人は

彼の一部分の一ヵ所だけ共通に理解できる

部分があったように思える。


「ありがとう…これからはあの子は母親である私が支えるわ」

でもこの目の前の女を、春人は理解することができないでいた。

腑に落ちない表情の春人に、女は初めて不快そうに気だるく話す。


「なぁに、…あなたなにが言いたいの?」

「これからたくさんあんたみたいな人、金欲しさのやつだが何人

 やって来ても俺はあの子を守るって……そういいたいんだよ」


パタン…


ドアが開かれた。現れたのは病室から出ることがすくなかったさくら。

きつく結ばれた唇に、睨まれる視線は…春人も含まれて、

目の前のすべてを見つめていた。


****


春人が来なくなった日々―ずっと毎日父を考えていた。


「………お父さん……」


差し伸べられる優しさを知っていたけれど、それでも煩わしかった。

気管支喘息に日常生活をおくるのが難しい容体。

治す術が今の医学ではまだ難しく、経過を遅らせることしかできない。

そんな病気の宣告をされて

さくらはどうして生きていいかわからなくなった。

傍にいつもいてくれたのは父だった。

あれほど仕事が好きなのに、父はそれを全て休んで自分にそそぎこんでくれている。

辛かった。自由に、自由に好きに父は過ごしてほしい。

だからもう早く死ねばいいと、自分なんていなくなればいいと思った。

父が向ける顔を、さくらは辛くて見ることもできなかった。

勢い任せに話してしまった言葉は、父を傷つけたかもしれない。

でもしばらくしたら父は病院に来なくなって、

代わりに、さくらがいつか話した若い音楽家の人を連れて来た。


ロックが好きな彼の為に、ロックが好きな女の子を研究して

つくりあげた化粧も髪型も、冬二は驚いていた。

父の代わりにハルウタが現れてさくらは夢中でいろいろ話した。

彼の音楽の熱さが好きだった。

共感できる詞が好きだった。話し方も声もどんどん好きになった。

恋だったのかもしれない。

でも叶わないと、すぐに知っている。

ハルウタは最初に言っていた。


「彼女がいる」と。


きっとその人はハルウタの事を一番に考えてくれて

一番好きな事も嫌いな事も知ってる。その女の人にしか見せない顔が、あるんだろう…。

ではさくらを一番に考えてくれている人は誰だろう、と考える。


―さくらのことを一番に考えている…お前を守るよ。本当だ―


そう口にした父を、思い出していた。

父に会いたいと、誰に伝えればいいだろうと考える。


携帯電話も解約して、今分かっているのは家の電話くらいしかわからない。

夜の公衆電話に電話をかけたら、顔も覚えていない母親と名乗る女が話す。


「お父さん……もうこの世にいないのよ」

さくらを一番に考えてくれた人は、さくらが知らない間に、

知らないところで、世界のどこにもいなくなっていた。


父の手記はない。メールもなにもない。

ただ遺言に遺産のすべてを愛娘のさくらに捧げると言うのだ。

父の冬二が死んだあと、葬式が落ち着いた後。

毎日のようにさくらの親戚も、父の友達もやって来た。


たくさん気遣ってくれる優しい言葉の数々をさくらは笑顔でうける。

「平気です」「大丈夫です」その二言の繰り返し、

呟きながら、さくらはいつしかやってくる見舞い客の共通の言葉を

見出していくようになった。


「で……いろいろ処理が大変だと思うの…」


処理って何?

父の死の処理のことだと、彼等が言っているのは分かる。

けれどさくらの中ではまだ父は死んでいない。


「会いたい…父さん……」


あれほど毛嫌いした父。冷たい物言いで突き放してきた父。

優しさが全部ウソに思えてしまった毎日を、さくらは父にあたるしかなかった。

最後に、最後の父と交わした言葉はなんだっただろう…。


―やるじゃない、少しは使える…―

―連れて来て…-

―父親顔しないで!私のこと、なんにも解ってない癖に―


もう思い出すことが罰のように思えた。


***


鬱屈としたある日、彼がやって来た。

ひさしぶりに聞いた気がする。


「俺は…………彼女は恩人なんです」


途切れ途切れに聞こえてくる声。

会えることが嬉しくなって扉の傍に歩いていく。


「なぁに?なにが言いたいの」

あの人の声がして、さくらは足をとめた。彼女はハルウタに何を話しているのだろう…。


「これからたくさんあんたみたいな人、金欲しさのやつだが何人

 やって来ても俺はあの子を守るって……そういいたいんだよ」


さくらは扉を開ける。

目の前には、会いたかった人の姿と二度と見たくなかった人の姿が在る。

その両方に、さくらは叫んだ。

向ける言葉を公平に、けれど春人に告げたいのはそんな言葉じゃ決してなかった。


「帰って……!」

(あなたを父のようにさせたくない。)


「もう2度と来ないで…!!」

(父のようにさくらという枷で、自由を失ってはいけない。)


「…………都合のいい時にだけ現れて何?こういうときだけ…ふざけないで」

(あなたの唄が好きだから。

きっとさくらだけじゃなく、誰かがあなたの歌を待ってるよ。あなたの声を待っている。)


「もう私は私のことはちゃんとするわ……好きに生きたいの…消えて!!」

(だから、守るなんて言ってあなたの夢を縮ませないで…)


彼がひどく目を見開いてさくらを見る。

あの女の人は、「そう…ごめんなさい」と足早にその場を去っていくのに

その人はまだそこに立っている。


「……ごめん…俺……知らなくて…本当に…ごめん」

「……なら帰って」


嬉しかった。

あれほど酷いことを言ったのに、まだ傍にいてくれる。

帰ってほしい。

これ以上此処にいればさくらは辛い事を吐かなくてはならない。


さくらの願い虚しく、春人は帰らなかった。


「私、嘘ついてたのほら見てこの感じ。…これがあなたの歌なんか聞いてるように見える」

「……」

「バカみたい。いつまでも…夢、夢ってさ…さっさと社会の為に働けっての…」

「………わかった」


短く、彼は言う。そこになんの感情を読めずさくらは戸惑うが

彼はただ言う。

「嘘でもなんでもいいから」

怒っているのだろうか。悲しんでいるのだろうか。

そのどちらともとれる顔で彼は語る。

「嘘でもなんでも馬鹿でもいいから…この際クレームでもいいや。なんでもいい。

 だけど聞けよ」

「………なに」

「こちとら嘘が多いんだ。だから嘘つき呼ばわりされてもいいよ。だけどこれだけ…」


きっと次の言葉が彼の最後の問いかけだ。

それを否定したら、彼も去るだろう。今度こそ本当にさくらは独りになるのだ。

その決意はできた。

今せめて彼の言葉を否定できる程くらいには。


「嘘ばっかの俺は、でも今君を独りにしたくないんだ…。本気で好きだから」


さくらは彼の、眼差しを見つめ、一息呼吸を整えてから話す。


「…馬鹿じゃない?………本気にするほうがおかしいよ」


ドアを閉め。すぐに鍵をかけて。

それからさくらはその場から動けずに、ドアの傍に座り込んだ。

唇を噛んで、彼がドアの傍から離れるのを待った。


気持ちをただ押し殺して、さくらはうずくまる。


それから彼女は病院を変え、彼もここに来なくなり―

まるで最初から出会ったことがない頃の無関係に戻っていった。


まっさらな関係に


***


27歳のラジオDJ。

一言でいえばそんな肩書が今の三木春人にはついている。


相棒の古井戸永太ことエイタと冗談やふざけた話をしながら、スタッフルームに入り

全員に挨拶してからまた、本日の放送の打ち合わせをする。

今日は豪華ゲストがやってくるらしく、普段は呑気な面々も

少々気を張り詰めて最終確認をしあった。

多少緊張するが春人はいつもどおり、ハルウタとして頑張るだけだ。

進行は好調で、リクエストも紹介するエピソードも

なかなかいいものが集まってくる。

ゲストは次の収録の為にたった10分で席を立つが、それでも

また再来月やってくる約束をしてくれた。

エイタがリクエストからのメッセージを渡す。

受け取るハルウタは軽重な語り口で喋り出していく。


「ラジオネーム、冬の花束さん。

すっかり寒さもなくなり、あったかいニュースがしてきましたが

ハルウタさんのところは寒いですか?…寒いね。あぁ、恋がしてぇ…

いえまあ身もハートもちょっと冷えるわ。どうだエイタ?」

「俺は新婚!」

「……はい、もういいよっ!」


少しのコメントをはさみつつ、リクエスト者のコメントを読む。

 

「この曲は、私の思い出の深い曲で…昔大好きだった父も

 私が小さい頃よく口ずさんでいたものです。久しぶりに聞きたくなりました。

 お願いします…はーい!じゃあ…おっと…ごめん…」



―好きな事を頑張るあなたを今もあの頃と変わらず応援しています。これからも頑張ってください さくら ―



続きの一行を見て、読み上げようとしたら声が出なかった。

ただその一行を信じられない思いで見つめ、

もしかしたら都合のいいベッドの中で見てる夢だとも思うがどうもそうではない。

そしたら途端に声の代わりに、思い出だけが溢れてきた。


スタッフは全員それぞれ苦笑する。

こんな反応はこのメッセージを読ませようとこっそり打ち合わせした時から

分っていたことだ。すぐに事態のフォローの指示をおくる。


妙な自信家で律義者で一途で人一倍泣き虫の

この相棒に代わり、エイタはリスナーに向かってリクエスト曲を紹介した。



「Formicidaeで『春に歌えば』…どうぞ」




ベタなオチです。でも、やっぱりなんかこんな話好きです(^^ゞ


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