前編
「ラージ兄様」
そう呼ぶのは父の妹たる人の一人娘、マリィアだ。
「ヴィ」
そう呼ぶのは父の妹たる人の娘、フィリアだ。
マリィアとフィリアの母は双子の姉妹だった。そのためか、二人は姉妹と見間違うほどによく似ていた。
その二人の従兄であるヴィンラージは、血の繋がりが分からないほど、二人と似通うところがなかった。
それでも従兄。三人は仲が良く、幼少期は共に遊び、青年期に入っても時々は一緒に日々を過ごしていた。
マリィアとヴィンラージの婚約が決まるまでは。
見つけた。
ヴィンラージは探し人の姿を見つけ、名を呼ぶ。
「フィリア」
声に振り向いたフィリアは、母親譲りの緑の目でヴィンラージを映す。金の髪がさらりと揺れた。
「ヴィ。どうしたの?」
「お前の様子が可笑しいからだろうが」
他の誰も気づかないこと。そうあるようにフィリアが振舞っているのだから当然だが、それにヴィンラージが騙されたことはない。騙されるつもりもない。
それを知るフィリアはくすりと笑う。
「あら、やっぱりヴィには分かってしまうのね」
「吐け」
「…どういう聞き出し方?もう」
そんなだから怖がられるのよ?と続けるフィリアは、だからどうした、と言わんばかりの従兄の態度に肩をすくめる。
顔の造作はいいのに、基本無表情、無口のこの従兄。集う女性は数あれど、その全てがその冷たい視線に臆してしまう。そのせいで冷たい、怖い。そう噂されているのだ。
長い付き合いのフィリアは知っている。ヴィンラージが優しいこと。温かいこと。だから時々違うのだと言いたくなる。言ったところでヴィンラージの態度が変わらない以上、意味のないことだから言わないのだけれど。
「フィリア」
そんなフィリアにヴィンラージはむっとしたように名前を呼べば、ふふ、と笑い声。
「大したことじゃないの。ただ少し先のことを考えていただけ」
「先?」
そう、先、とフィリアが目を伏せる。
その姿に何故か心の臓が冷えた心地がしたヴィンラージが口を開く。フィリア、そう呼ぶために。
けれど少し強く吹いた風にフィリアの髪が流れると、フィリアが目を開けた。ヴィンラージが口を閉ざすほどに強く、何かを決めた目を。
「ねえ、ヴィ。マリィを幸せにしてあげて」
ヴィンラージが返すのは沈黙だ。
つい先日決まった婚約者。ヴィンラージとフィリアの従妹。ずっとずっと一緒にいた大切な従妹。
なのにヴィンラージは頷かない。フィリアの目を見返すも、頷かない。
「ね?」
「不幸にはしない」
「…幸せに」
「不幸にはしない。それ以外は頷かない」
「ヴィ」
硬い表情のフィリアは、けれど苦しそうに目を揺らした。そう答えるヴィンラージの気持ちを察することができるからだ。だからそれ以上は言えない。強要など、できない。
「フィリア」
「ええ」
「愛している」
「…っ」
「愛している」
「…私も、愛してるわ」
重ねた唇はこれが最初で最後。
もっと早くに口に出せばよかった。互いの気持ちはとっくに分かっていたのだから。
もう、共にはいられない。
鐘が鳴る。
祝福の鐘が鳴る。
白いドレスを身に纏って歩いた従妹。行き着く先で待つ従兄。それを微笑んで祝福した。
従妹は幸せそうに笑っていて。向かい合う従兄は無表情で、従妹を通り越してこちらを見ていた。
祝福の歌が流れて。
祝福の声が注がれて。
二人の婚姻が為された瞬間、唇に触れた。愛する人の唇と重ねた唇。
目を伏せる。
幸せになって、マリィ。
幸せにして、ヴィ。
その気持ちに嘘なんてないのよ。
鐘が鳴る。
祝福の鐘が鳴る。
流れる涙は何の意味を含んでいるのだろうか。
鐘が鳴る。
祝福の鐘が鳴る。
この鐘を、自分のためには生涯聞かない覚悟を決めたことを、今はまだ誰にも言っていない。