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いつか、呼べる名  作者: 塩治房智
第一幕 第一部
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第二話 雨の強い日に 前編

 あの日から、幾百(いくひゃく)の夜を越えた。

 そして今日、教会の門の前に着き、中へと足を踏み入れる。

 数人の衛兵とすれ違ったとき、ミツヤがふと立ち止まる。

「……親父。あの衛兵、なんか変じゃなかったか?夏なのに肌が青白いし、雨の中なのに、靴が濡れてなかった」

 小声で呟いたその言葉に、アズルがちらと視線を返す。

「……気づいたか。ああいうのは、なにも言わないほうがいい。今はな」

 それだけ言って、アズルは前を向いた。


 手続きを済ませ、子どもたちは主聖堂へと向かう。

 その背に向かって、アズルがやや大きめの声で呼びかけた。

「お前たち――行ってこい」

 親指を立て、ぶっきらぼうに笑う。

 四人は、見たことのない養父の不器用な張り切り方に、どこか照れくささを覚えながら、一瞥(いちべつ)だけくれて前を向いた。



 主聖堂に入った瞬間、静けさが耳を打った。

 外の雨音すら遠く、色とりどりの光だけが、空間を染めていた。

 高く掲げられた彩硝子に映るのは、玉座に座した女神と、その足元に膝をつく、黒髪の男。

 興国(こうこく)始祖王(そしおう)──イェース・エルドラント一世。

 その名を知らぬ者などいない。


 けれど、ルカの視線は、女神の顔に吸い寄せられた。光を透かすその横顔が、なぜか曖昧に見えた。

 なにか、足りない。

 この像は初めて見るはずなのに、知っているような、忘れていたような既視感があった。


 気づけば、ルカは手のひらに軽い熱を感じていた。

 拳を握り、すぐにほどく。


 自分の“なにか”が、ここで暴かれる。

 その確信が、背中の奥でじわりと(うごめ)いていた。

 


 見知らぬ子どもたちも集まり、聖堂の席は、ほとんどが埋まっていた。

 そのとき――

 定刻を告げる鐘の音が、雨に滲んで町へと広がっていく。

 

 夏と冬、年に二度の属性識別の日──"識別鐘(しきべつしょう)"が鳴る。

 

 澄んだその音は、今日という特別な日を静かに、けれど確かに刻んでいた。


 その音に呼ばれるように、ひとりの司祭が台上へと上がる。

「……ええ、皆さん。本日は、おめでとうございます」

 丁寧に礼をし、柔らかな口調で話し始める。けれど、ルカにはその声が耳に入ってこなかった。

 見慣れない同年代の子たちに囲まれ、息が詰まりそうになる。椅子の背にもたれようとして、けれど背筋がこわばって、それすらできなかった。


 ……それは、ルカだけではなかった。

 ミツヤはフードを深く被り直し、二人も生唾を飲んでいた。

 知らない場所。知らない空気。知らない目。

 たとえ隣に誰かがいても、自分という存在がどこかに投げ出されたような、そんな感覚。

 まもなく、自分の“すべて”が明かされる。


 ――そんな予感が、心で、息を潜めていた。


 

 水晶が光を放つたび、歓声が広がった。中でも"色"を持った子どもには、惜しみない拍手が注がれる。


「――ルカ・アルフェリオ」

 今は亡き両親から受け継いだ、その“姓”が呼ばれた。

 足が、わずかに震えるが、立ち上がる。

 両足の重みを確かめるように。

 そして、兄弟たちの方へと、ひとつ息を吐いて──振り返った。


 ミツヤは、まっすぐこちらを見ていた。

 その瞳には、不安も、迷いもなかった。


 ただ、深く頷く。その仕草が、ルカの気持ちを軽くする。

 昨夜の言い争いが、ふと頭をよぎる。

 それでも、ミツヤの頷きは、なにも責めてはいなかった。


 肩の力が抜けていくのを感じながら、再び前を向いた。


「……はい!」


 短く返事をして、壇上へと歩き出す。

 そこには水晶が据えられている。

 彩硝子の光がそれに触れ、さらに弾けるように、きらきらと輝いていた。

 


 ルカは、足を止める。

 息を呑んだ。

 目の前のその光景が、まるで魔法そのもののように思えた。


「それではルカ・アルフェリオ。水晶の横に両手をかかげなさい。そして、輝けと念じなさい」


 壇上の水晶に、ルカが両手をかざす。

 心の中で、「輝け」と、そっと言葉を置く。

 その姿は祈りに似ていた。

 女神に。あるいは、あの日見た誰かに。


 淡く、茶色の光が水晶の奥から浮かび上がる。

 だがそれは、他の子どもたちのときに見た光とは、どこか違っていた。


 くすんでいる──いや、揺らいでいる。

 光は、茶でもなく、灰でもなく。

 ほんのわずかに、複数の色が滲んで見えた気がした。

 例えるなら、いくつもの属性がまだ分化する前の、原初の混色のようだった。

 

 澄んでない。

 だが、汚れているとも言い切れない。

 

 司祭は、その光をしばし見つめた。

 何かを確かめるように、水晶の表面を指先でそっとなぞる。

 目元には一瞬、苦味とも困惑ともつかない色が浮かぶ。


「……土属性、ですな」

 ――この混濁はなんじゃ。不吉な。と口に出しかけ、司祭は口をつぐむ。

 子どもの晴れの日に、そのようなことを言うわけにはいかなかった。


 けれど、場はしんと静まり返った。

 誰も拍手しない。視線だけが、ひりつくように突き刺さる。


 司祭は喉を鳴らし、無理に声を絞り出した。

「……少し、濁っておるが──記録には、土と記しておこう」


 その声には、拒絶と恐れが滲んでいた。

 ルカは拳を握り、胸の奥に残ったざらつきを押し込むように息を吐いた。

 ――なぜか、見られている気がした。

 

 

 ルカは、水晶から手を離した。

 踏み出した足が、少しだけ震えていた。


 背を向けて、壇を降りる。

「なんか、気味悪いね」

 誰かがつぶやいた言葉が、心に重く残った。


 戻る途中、ちらりと兄弟たちを見た。

 彼らは何も言わずに、ただ頷いた。

 それが、ぎりぎりの支えになっていた。

 

「コーネル・ドータ」

 

「はひ!」と妙な返事をし、壇へ向かう。

 緊張しているのがよくわかった。背筋が変に伸びすぎていて、足取りもぎこちない。

 それでも、水晶の前に立ち、両手をかざした。


 水晶は、しばらく沈黙していた。


 やがて、わずかに──ごく淡く、灰色の光が灯る。


「無属性、ですな」

 司祭は穏やかに言う。

「濃くはありませんが、これも立派な魔力。自分に合った使い方を学べば、きっと役立ちますぞ」


 コーネルは一瞬だけがっくりしたような顔をしたが、すぐに照れ笑いを浮かべ、頭をかいた。


 けれど壇上を降りるとき、ふいにコーネルの顔から笑みが抜け落ちていた。……笑っていなかった。

 ルカは思わず、両手の親指を顔の前で立て、コーネルに向けた。

 


「ミツヤ・プリュミノー」


 名前が呼ばれ、「はい」と呟く。

 その足取りに、迷いも不安もなかった。

 静かに壇上へと上がり、水晶の前に立つ。


 両手をかざした、その瞬間。

 水晶が、びくりと震えた。

 ()いで、冷たい灰色の閃光が、主聖堂を貫いた。

 色味は淡く、輪郭も儚い。なのに、空気を切り裂くようだった。

 

 “光”ではない。“閃光”──それは目を刺すような無音の刃。

 英雄王の描かれた硝子は、まるで問いかけるように、ミツヤの背に目を落とした。

 

 司祭が、咄嗟に目を覆う。

 それでも体勢を崩し、前のめりに倒れかけ、

 支えを求めて掴んだ手が──ミツヤのフードに触れた。


 す、と布が落ちる。

 頭髪が、光を吸いながらあらわになる。


 光が消えたあとも、空気だけが凍ったままだった。


 誰かが、呟いた。


「……黒髪だ」


 それを皮切りに、ざわめきが広がる。

「見たの初めて。それよりもいい男ね」

「隠してたのか? なんでフードなんか……」

「まさか、貴族……?」

「かっこいい……」


 けれど、ミツヤは気に留めた様子もなく、ただ静かに手を下ろし、水晶から離れた。

 その表情に、違和感も、自覚もない。

 そして、恥ずかしさからフードを再び被った。


「見つかったか……失くし物が」

 誰かの呟きが、喧騒にかき消された。

 豪雨にも関わらず、乾いた足音が鳴る。誰も気づかぬほど、小さな音で。

 声の主も、いつの間にか群衆の中へと紛れていた。

 

 遠く離れた場所から、アズルが目を細めていた。

 声も動きもない。ただ、見ている。

 何かを思い出すかのように。

 その眼差しは、他の誰よりも、深く沈んでいた。


 

「……大変失礼しました。無属性、ですな」

 司祭は軽く頭を下げた。

 そして、小さく独りごちる。

「しかし、異質な……」


 そして、おほん。と咳払いをして、観衆に顔を向けた。

「皆様もご静粛に。それでは──ガレオン・プリュミノー」


「うす!!」


 威勢のいい返事とともに、ガレオンはどたどたと壇上へ駆け上がる。

 靴音が堂内に響き、子どもたちの何人かがくすくすと笑った。


 大きく息を吸い、ガレオンは勢いよく両手を水晶へ添える。

 ……が、水晶は、何の反応も示さなかった。


 ぴくりとも動かない。淡い光も、揺らめきも、一切ない。

 ガレオンは顔を真っ赤にし、さらに力を込める。ぐっと歯を食いしばる。

 けれど、結果は変わらなかった。


「…………」


 しばしの沈黙。

 やがて、ガレオンは肩を落とし、首をもたげてこちらを見た。


「……ちきしょう……なにも出ねえか……」

 なんとも言えない顔をして、ぽつりと呟く。


 そして、

「おいおい……なんだよそれ。俺、魔法使えねえの?」

 そう言って、がははと笑った。

 けれど、その目は、どこか怯えていた。

 

 そのときだった。

 司祭が、大きく息を呑み──目を見開いた。


「……これは……。まさか……“英雄還り(えいゆうがえり)”……?」


 その呟きに、ざわめきが起こる。

 老人は、ガレオンに向けて拝む。伝説を見るかのように。

 衛兵の一人が、息を呑み「ほんとうか……」と呟く。

 次の瞬間、その手が自然と打ち鳴らされ――やがて主聖堂は拍手に包まれた。

 そんな中、アズルは拍手に加わらなかった。

 静かに腕を組み、眉間に刻まれた皺を、そのまま動かさずにいた。

 誇りではなく、不安が――彼の横顔に浮かんでいた。


「御伽話の王様と一緒だ!」

「何十年ぶりだ!?まさか立ち会えるとは」

「末代までの自慢だ!」

「結構いい男じゃない」

 父の感情は誰にも察されぬまま、群衆は熱を帯びていく。

「また戦乱の世が起こる。凶兆じゃ……」

「普通じゃないわ……」

 ――極少数を除いて。


「ガレオンくん、と言いましたな」

 司祭は壇上に近づき、にこりと笑って言った。

「あなたは……教会の誇りになります。断言しましょう。いずれ、我らの守り手として立つお方です

 ぜひ、ご両親にご挨拶をさせてください。ぜひ13歳になってからは、教会の兵士隊へ!」


「え?あ、いや、親とかは……」


 ガレオンは言葉に詰まり、頭をぽりぽりとかいた。


 壇を降りてきた彼に、ルカが駆け寄った。

 もう自分の魔力が濁っているなど、どうでも良かった。


「ガレオン、それって……すごいことだよ。選ばれたってこと!」

「へ? なにが?」


 ガレオンは、きょとんとした顔のまま目をしばたたいた。

 すると、後ろからぽつりとミツヤが言う。


「……“英雄”とは、興国(こうこく)の王のことを指してる。つまりお前は──その王と、同じ体質なんだよ。魔法は使えないがな。ガキでも知ってる逸話だぜ」


「え、それって……すごいのか?」


 今度こそ、ガレオンは目を丸くした。

 だが、それでもやはり、どこか他人事のような、飄々とした顔は崩れなかった。


 

「だから! 興国の王ってのは、傷の治りが異常に早くて、力も人間離れしてて、魔法なんか使えなくても──一本の剣だけで、怪物も敵兵も切り伏せてきた、そういう伝説の英雄なんだよ!」

 コーネルは話を理解しないガレオンにイラつきつつも、興奮を隠せないようだった。


「……でも、魔法を使えた方が強えだろ?」

 ガレオンは真顔で、心底不思議そうに首を傾げた。


「コーネル、もうやめとけ。このバカに何を言っても無駄だ。英雄還りってのは、どうやら頭の中も筋肉になるらしいからな」

 ミツヤは肩をすくめて、にやりと笑い、続けた。


「あと、どこかの伝承では、魔法も使えたって話だぜ。村の婆さんから聞いたことがある。それにこのバカ、親父に何度言われても剣を振るのが大振りになるのを直さないからな。その体、ちゃんと活かせるのかよ」

 憎まれ口を叩きつつも、嬉しそうだった。


 ルカは、神話の立会人になったような感覚だった。

 目の前の出来事が、いつか本になる気がした。──そんな気がして、胸の奥が熱くなった。


 四人はそれぞれ外套を濡らしながら、蒼羽の巣へと向かっていた。

 興奮の余韻が続き、言葉が途切れることはなかった。


 教会から出ると、ガレオンに向けられる視線が、どこか違っていた。

 教会の人間、衛兵、見たことのない旅人たち。

“英雄還り”──その言葉だけで、人の目が変わる。

「俺はあの手のやつらは好かん」

 アズルは、そういう連中と関わるのを、何よりも嫌っていた。


「宿なんか取らんぞ。顔を売りにきたわけじゃねえ。」

 そう吐き捨て、町に泊まるという選択肢を、あっさり切り捨て、自分は手紙を出しに行く必要があると言い、子どもたちだけを、先に帰らせた。


 降りしきる雨のなか、少年たちは黙々と歩いていた。

 けれど、その足取りには、不満よりも――どこか誇らしげな気配が宿っていた。


 ――そのとき。



 遠く、森の方から、女の悲鳴が、雨を裂いて届いた。


 四人は一斉に足を止め、辺りを見渡す。


 雨の音が、速くなった気がした。

 

 

 

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