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いつか、呼べる名  作者: 塩治房智
第一幕 第一部
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幕間 其の三 暁のコドウ

 その日、“王国の矛”は荒れていた。

 戦場を駆り、瞬く間に命を刈り取る。

 振るわれる刃は、矛の直線ではなく、稲妻の軌跡。

「さっさと片付けて、帰ってやらねえと」

 返り血を浴びたまま、愚痴のように吐き捨てる。


 ここは西の前線。アルスレッド魔導帝国との国境線。

 敵影はまばらだ。三日前、"無白の英雄"プリュミノー率いる遊撃隊が魔導工兵(まどうこうへい)の軍勢を切り崩し、前線を押し戻した余波がまだ残っている。


 笛の音に、天を仰ぎ見る。

 中空には、丸々と太った黒衣の男が一人。風の魔素が、淡く緑色に体を照らす。鷹と同じ高さから、大地を見下ろしていた。

 紅白の旗を持ち、踊るように、両手を振る。

 ――敵軍後続なし。中央は眼前の敵を制圧せよ。左翼は背後に展開。右翼は横から叩き、兵器と歩兵を分断。

 王国兵は一斉に動く。一つの体のように。その中でも、赤き腕章をつけた者どもは、一切の無駄なく、遅れた仲間すら導く。それが、遊撃隊の面々であった。


 

 目前の装甲へ一閃。金属音が耳に痛いほど響き、刃は浅く止まった。

「……硬えな。新型か」

 帝国の兵――その主戦力は人ではない。煙を吐き散らし、奔流(ほんりゅう)の如く戦場を飲み込む魔導兵器。さながら、黒鉄(くろがね)の怪物。帝国はそれを"戦車"と名付けた。


 剣を握りしめたまま、男の身体を灰色の魔素が包む。あまりの眩さに、幾人かの味方は、手で目を覆った。

 

「おらよ!」

 斬りつけた穴に、手を突っ込む。羽毛を毟るように鋼をちぎり取り、後続の敵へ投げつける。

「よう。こんなとこに隠れてやがったか」

  その声を聞いた途端、工兵の脚が勝手に竦んだ。

 ――忘れられるはずがない。

 西の戦場で幾度も仲間を薙ぎ払い、誰も逃げ切れなかった王国の怪物。

 帝国の兵は、その名を畏れて呼ぶ。

 “金獅子”。

 敵を追い立てるその姿は、獅子というより、狼に似ていた。

 

 戦況を一人で塗りつぶす――稀代の英雄。蒼羽の巣長兄、ヴァルト・プリュミノーは、此処に在った。


「すまねえな。おめえらに恨みなんぞねえが、今日の俺は機嫌がわりいんだわ」

 最期にその声を耳にした者は、断末魔すら許されず、光を奪われた。

「おら。次」

 振り返れば、戦車が後列で唸りを上げていた。ヴァルトは一足でその巨躯に迫り、剣を振り下ろす。

 先ほどは装甲に弾かれた刃が、今度は迷いなく鉄を裂き、轟音と共に巨体を膝から崩れ落とさせた。


 きぃぃ、と(いなな)くような音が鳴る。

 戦車の砲口が赤く灼け、火焔が打ち出される。それは脇目も振らずヴァルトを狙って飛んだ。

「魔導工具で、ここまでの火力が出せるのか」

 ぽつりと呟き、斬り捨てた装甲を炎の槍に投げつける。

 轟音。爆炎が弾け、鉄片が宙を舞った。悲鳴。巻き添えを食らった遊撃兵が倒れ伏す。


 容赦はなかった。帝国の戦車は、間髪入れず倒れた青年を狙い、次の火焔を放った。

 青年兵は、悲鳴をあげた。

 一瞬、英雄の思考が鈍る。弟たちは、あの日――どれほど怖い思いをしたのだろうか。

「ちっ」

 舌打ちと同時に、ヴァルトの両脚が灰色に閃く。

 冥府へ誘う光が迫る。髪を焼き、空気を焦がす。視界が揺れた――。


「ジルベール。まだ動けるか」

 名を呼ばれた男は、気づくとヴァルトの腕に抱かれ、宙を裂く跳躍の中にいた。

「申し訳ありません、隊長。顔に、……お怪我を」

 その右頬には、赤い雫が流れ、うっすらと皮膚の下の白が見えていた。


「はっ。なんてこたぁねえよ。それより逃げてな。今日は少し暴れてえ気分なんだ」

 地上におり、部下を岩陰へ押し込む。


 再び宙に浮いた紅白の旗が、合図を出す。

 ――命令無し。

 それに従うように、王国兵は統制もなく我先に退いていく。いまから現れんとする暴風雨に飲まれぬように。

 砂塵が舞い、誰もが息を呑む。

 その視線の先、"王国の矛"は静かに佇んでいた。

 

 ばちん、と乾いた音がした。

 空気が震え、肌の産毛が総立ちになる。

 天に、(だいだい)に輝く太陽は一つ。しかしこの日は、陸に、白銀に(きら)めくもう一つの太陽があった。(あかつき)のように眩く、されど温もりはない。脈を打つように、ただ閃いている。いつもの光景だった。

 

 

 前線を押し上げ、日が暮れる。

 魔導工具は魔素に反応して光を放つ。そのため夜襲には不向きで、夜の(とばり)が降りる頃には、戦場も次第に沈黙を取り戻す。

 血の匂いだけを残して――。


 天幕(てんまく)の中、ヴァルトは固い携行食を噛み砕き、背嚢(はいのう)に荷物を積める。

 十から上は数えるのも面倒になった。見かける端から叩き潰した。兵站(へいたん)の補給地点まで砕いた。

 明日の朝、味方の斥候(せっこう)からの報せ次第では、そのまま戦場を離れ、家に戻れる。姉には手紙を出した。数日で届くだろう。弟たちの顔がよぎった。

「待ってろよ。すぐ戻る」

 そう独りごちた時、革を叩く音がした。

「バラッド上等兵、入ります」

 先だって負傷した足を引き摺りながら、男は天幕に入り、敬礼した。幼さを少し残す青い瞳は、戦場の恐怖を微塵も感じさせず、ただヴァルトを見ている。

「先ほどは命を救っていただき、ありがとうございました!」


 その余りの兵士然とした態度に、はっ、とヴァルトは笑う。

「いいって。これいるか?食える時に食って、さっさと治さねえとな」

 携行食の袋を投げ渡し、椅子をぎいと引いた。

「まあ座んな。今日は悪かったな。身内に色々あって、判断が鈍っちまった」

 頭を下げる。その予想外の行動に、部下は言葉を失う。

「おめえさん、うちの隊に来て最初の戦だろ。よく生き残ったもんだ」

 肩をすくめ、口の端を歪める。

「俺んところは、とにかく死人が多い。危ねえからな。その代わり、それなりに融通は効くけどな」

 その双眸(そうぼう)は、一切笑っていない。失った命の重みを、噛み締めるかのように、一度だけ目を閉じた。


「……俺のせいさ。俺を信じて、みんな無茶しやがる」

 そして目を開き、真正面から言い放つ。

「おめえさんは、ぜってえ死ぬんじゃねえぞ」


 ――ヴァルト・プリュミノー。

"王国の矛"であり、"当代不敗"の英雄。

 今昼、ジルベール・バラッドは、戦場で神話を見た。帝国の兵器を、飴細工のように砕く巨躯の鬼神。しかし、今目の前にいる青年は、あまりに小さく、脆く見えた。


「お約束します。私は死にません」

 英雄に対し、励ますように言葉を紡いでしまったことを、すぐに気づく。

 その響きに、ヴァルトは自嘲気味に口角を上げる。薄暗い部屋の中、蝋燭の火が揺れ、目元に影を作った気がした。

「隣の天幕に、副長のジュノーがいる。なんか気になることがありゃ、あいつに聞きな」


 少し気まずくなり、はっ、と、返事をし、踵を返す。

「あぁ、おめえさん、兄弟はいるか?」

 背中越しに発された声に、振り返り、応える。

「はい。妹と弟が一人ずつ。父が戦場で亡くなっていまして。私が父親代わりです」


「そうか。父親代わりか……。チビども、大事にしてやれよ」

 慈しむように、優しく届いた。

 再び敬礼をし、若き兵は天幕をあとにした。


 ◆

 

「ジュノー曹長。隊長はどこか、お体が悪いのでしょうか」

 隣の天幕に訪れ、ジルベールは明日の予定を確認したのち、問うた。魔導工具の明かりが眩しかった。寝台に置かれた紅白の旗の汚れは、使い古されたことを示している。

 隻眼の中年、小太りな男は、ただ淡々とその質問に返す。

「あー。昨日な。あいつの親父と弟二人の葬式だったんだわ」

「え……」

 思わず絶句する。

「それで今日、あの暴れっぷりよ。帝国兵も可哀想に。八つ当たりだわな。それにしても判断は遅かったし、動きは雑だったな。あいつが負傷するところは、本当に久々に見た」


「いえ……あれは私を守るため負われた傷です」

 青年は思わず庇った。自分を救った英雄の姿を否定したくなかった。


「いつものヴァルトなら、その前にぶっ壊してるんだわ。それほど集中力を欠いてたってこと。僕はあいつがこんなに小さい頃から見てるが、今日ほど不出来な一日はなかったな」

 遊撃隊が誇る叡智、"俯瞰する者、黒風(こくふう)の隼"と自称する彼は自身の腰に手を当てて、ため息をつく。


「――"無白の英雄"が、そんな調子だと、"明日"が怖い?」

 間の抜けた声に、温度はなかった。

 不意に投げかけられた言葉に、首を横に振る。

「いえ!私は、私のやるべきことをやるまでです」


 その返答に、口角を上げて、新入りの方に肩をやる。

「気張りすぎだわな。僕たちがやることは、ヴァルトが戦いやすいように、敵を誘導して、味方の損害を減らすこと」


「それに、あいつは強いよ。すぐに立ち直る。何年か前に、ヴァルトが違う戦場に単独で向かったことがあってね。その間に前線が荒らされて、隊が半壊したことがあった」

 恐怖を思い出すそうな素振りも、死んだ仲間たちを懐古する様子も見せず、続ける。

「戻ってきたヴァルトに状況を伝えた時、同じ目をしてたな。あー。目といえば、その時、これ」

 そう言って、眼帯を外し、こちらに見せる。室温が急に下がるように、背中の産毛が立つのを感じた。瞼は火傷で塞がれて、隆起していた。

 

「その時も、あいつは敵を倒した。それで立ち直ったな。だから、今回もきっと大丈夫」

 目に再び布を被せると、あくびを一つして、灯りに触れる。

「もう寝るな。右足、お大事に。あれ使って。遊撃隊へようこそ」

 出入り口を指差す。入室時は死角になっていたが、そこには杖が立て掛けられていた。

 ジルベールが治療を受けた際に、杖を固辞したことを読んでいたかのように。

 天幕は明るさを失い、すぐにいびきが聞こえた。


 翌日、結局帝国軍は、戦車で現れることはなく、まるで凪いだ湖畔のように、平穏だった。

 ヴァルトは愛馬に乗って、戦地を抜けた。



 五日間、戦地には大した動きもなく、若き上等兵は槍を振っていた。父から受け継いだそれは、何年も振っているのに、まだ腕に馴染まない。

「やってるな。足も良さそうだな。そろそろヴァルトが戻ってくるはずだわ」

 腹の肉をつまみながら、ジュノーが稽古を見ていた。

「お疲れ様です。隊長は、大丈夫でしょうか」


「なんの。あー。ほら。読み通り。エクレールの蹄の音だわ」

 太っちょの男はヴァルトの愛馬の名前を指し、耳を澄ます。

「"二代目銀虎"のお戻りだな」


 その束の間、等速に鳴る音が聞こえた。金髪を振り(かざ)し、雷霆(らいてい)の如き速さでこちらへ向かう影。

 時を飛ばすように距離を詰める。

 

「すまねえ。意外と時間食っちまった」

 その声には、先日の(かすみ)のような儚さはなく、大木のような力強さがある。

 揺らぐことなく、敵を貫く"王国の矛"そのものだった。


「片付いたみたいだな」

 顎の肉を揺らし、小柄な隻眼は馬上の男を見上げる。


「ああ、もう大丈夫だ。弟どもは、立派に巣立っていきやがった。俺もちゃんとやらねえとな」

 その眼には一切の曇りもなく、紅玉(ルビー)のように、深く、美しかった。

 

 黒馬の騎士と、肥満の従者。

 ジルベールは思った。英雄譚とは、この場面を書き残したものなのだと。


 


第一幕はこれにて完全完結となります。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

本編では意図的に時系列を前後させた構成を取っています。

第二幕も、ぜひともよろしくお願いいたします。


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