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いつか、呼べる名  作者: 塩治房智
第一幕 第一部
24/26

第八話 此岸花 後編

 月光は、少年たちと獣の亡骸(なきがら)を揺らしている。


 花を数本、地面から引き抜く。土は泥に変わったからか、根はあっさり抜けた。


「怖かったね。歩ける?」

 その問いかけに、トムは口を真一文字に結び、強く頷く。

「なら、行こう」

 二人は、来た道を戻る。帰りを待つ、家族の元へ。

 手はもう、震えていなかった。


 

「こっちにはいなかった。結構奥まで走ったんだけどさ」

 森の入り口に戻ったコーネルは、自分より早く着いていたヴァルトに伝える。

「俺の方もだ。あとは西だな。ルカ坊……」


「大丈夫よ。二人ともすぐ帰ってくるから」

 シエルも様子を見に来ており、弟たちに言う。その響きに、不安を感じさせず。


 森の奥から、聞き慣れた笑い声が重なって聞こえる。

 手を繋ぎながら歩く、二人の影が見えた。


「ただいま!」

 二人は手を振り、こちらに駆け出す。


 三人はその姿を目にして、一斉に走った。

 ルカの服と髪に血がついていることに、すぐ気づいた。

 五人は、シエルを中心に輪となり、安堵を確かめ合った。


 シエルは、トムを強く抱きしめる。

 小さな手で握っていた赤い花が揺れる。

「あのね。これ、おとうさんのおはかに、おそなえしたくて。まえにおとうさんと、いっしょにみたおはなだから」


 姉は幼い優しさを、断じることはできなかった。

「ありがとう。優しい子ね。でも次、一人で危ないことしたら怒るからね」

 より強く、腕に力を込める。その温もりが、不安で冷えていた心を、溶かす。

 花弁が一枚、ひらりと肩に落ちる。


 ルカは、二人を見て、ようやく守れたことを実感した。

 それと同時に、危険に対して、自分が、蒼羽の巣が、あまりに無防備だということを理解した。

 このままでは、いつか、取りこぼしてしまう。

 解散する。いつか、誰一人欠けずに集まるために。

 ヴァルトのあの言葉の重さが胸の奥に、焼きついた。


 

 家の扉を開くと、香辛料のいい香りが、鼻をくすぐる。それは、血の匂いを上書きしていく。


「おかえりなさい。その様子なら、皆さん無事のようですね」

 アンジェリカは胸に手を当て、ほっ、と声を出した。

「さあ、食事にしましょう。お姉ちゃんと"アンジーママ"が頑張って作りましたからね」


 シエルは浴室の方向を指さす。

「その前に。あんたたちは風呂入ってきな。ほら。待っといてあげるから」

「はーい」

 血が渇き、服は硬くなっていた。

 

 体についた全てを流した後、食卓に戻った。

 席につき、形が不揃いの野菜を、箸で掬う。

 きっと、これはシエルが切ったに違いない。味は不思議と美味しかった。アンジェリカが整えたのだろう。


「なあルカ、俺、思ったんだけどよ。やっぱり、一度離れるべきなんじゃねえかな。正直、トムが迷子になったとき、心臓が止まるかと思った。ガキの頃、町へ四人で向かったことあったろ?親父さんに本気で怒られたあれだよ。あの気持ちがわかったぜ」

 コーネルはまっすぐにルカを見つめる。

「うん。僕もそう思った。兄さんがいても、僕たちが弱ければ、いつか取り返しのつかないことが起きる。野犬ですらこの(ざま)なんだから。今日わかったよ。」

 二人はお互いの意思が、同じだとわかった。


「姉さん、兄さん。アンジェリカさん。僕らも、"解散"に賛成する。だから、弟たちのこと」

 ルカは立ち上がり、少し言い淀む。

「頼むよ……」

 頭を下げ、コーネルもそれに(なら)う。

 シエルは箸を持つ手を止め、静かに頷いた。アンジェリカは目を伏せ、唇をきゅっと結んでいた。

 子どもたちも、兄たちの真似をして、お辞儀をした。


「よし、おめえさんら。辛気くせえのはなしだ。最後の日まで、楽しもうぜ」

 ヴァルトはパチンと手を叩き、豪快に笑う。

 それに釣られるように、皆の笑い声が聞こえた。

 

 最後の日まで、残り数日。

 全員、言葉にせずとも、理解していた。限られた時間を、刻み込むように過ごそうと、皆は思った。

 ――いつか、蒼羽の巣で再会できるその日まで。


 

 年少組の子らの里親は、アンジェリカが首尾よく見つけ、一人、また一人と引き取られていく。振り返り、手を振る彼らの姿を、刻みつけるように見送る。

 残りは、トムだけとなった。


 トムのお願いで、引き取り手が来る前に、アズルの墓に、最後に参ることになった。

 先日、花瓶に挿した彼岸花は、少し色が黒ずんでいたが、それでもまだ生きているようだった。

 手を閉じ、父に祈る。これからの弟たちの幸せと、再会を。

「トム。お父さんに伝えることは、もうないかい?」

「うん……!いっぱいおはなししたよ!」


 手を繋ぎ、歩き出す。

 花弁が風に揺れ、まるで此岸(しがん)から彼岸へと、約束を渡しているように見えた。


 

「ルカ坊、ネル坊。おめえさんらはどうする?」

 ヴァルトの問いかけに、コーネルは、間髪入れることなく答える。

「俺は、姉御に着いていくよ。旦那さん、鍛冶と魔導工具の職人だろ?俺そういうの、好きだろ?弟子として、引き取ってもらえるらしいし」

 その反応に、兄は頷く。

 ルカは、わかっていた。直接話したわけではなかったけれど、コーネルはそう言うだろうなと。

 シエルは、それを聞き、親指をぐっと立てた。

 

「よし、ならルカ坊、次はおめえさんだな」


「僕は……」

 その瞬間、いろいろな思い出が、蘇る。

 アズル、ミツヤ、ガレオン、皆の顔が。

 そして、強く伝える。

「僕は兵士になる。兄さんに着いていくよ。みんなを守れるように、強くなりたいんだ」

 その答えに、ヴァルトは嬉しそうに、申し訳なさそうに笑う。

「そうこなきゃな。ただ……すまん!俺に着いてくることは許可できねえ。おめえさんにゃ、まだ危なすぎる」

 嬉しいに決まっている。連れて行きたいに決まっている。だが、ヴァルトは、自身にそれを許さない。


「え!」

 とルカは、驚きの表情をあげる。断られることは、想定していなかった。

 コーネルも、意外すぎる回答に、少し笑いそうになっていた。


「兄ちゃんの仕事は、本当に強えやつしか務まらねえんだ。おめえさんはまだまだこれからだろ。俺が紹介してやるから、そこで修行を積め」

 その申し出に困惑する。ルカは、他人をそこまで信じていなかったから。

 

「ああ、それなら」

 と、横で書き物をしていたアンジェリカが口を挟む。

「私と一緒に来ませんか?」


「アズルに受けた恩を、いまここで返したいのです。仕事上、移動は多くなりますが退屈はしませんし、人並みには剣も魔法も教えることができます。もちろん、ヴァルト青年やアズルには遥かに及びませんが」

 射抜くように、ルカを見つめる。

「ほら。初めて会った日、私とあなた、意外と感性が合ったでしょ?そして、成長し強くなったら、従軍できるように口利きもしましょう。これでも私、顔が広いんです。チャンスをいただけませんか?」

 そう言って片目を瞑るアンジェリカを、一同は見た。

 この人は、きっと信用に足る。

 ルカは、ヴァルトとコーネル、そしてシエルの顔を見る。


「アンジー、この子は、きっとお役に立ちますし、強くなります。お願いします」

 姉は、頭を下げた。昔の恩人に、弟を託す。

 ルカも、それを真似た。予想外の進路に、戸惑いはしたものの、信頼のおける大人に修行をつけてもらえることは、素直に嬉しいと思った。この数日間で、アンジェリカの人柄は見えていたから。


 

「おねえちゃん、おにいちゃん、またね!だいすき!」

「またね!大好きだよ!」

 その声を背に、今朝、トムも引き取られていった。

 残すはコーネルとルカだけ。

 昼には、二人とも家を出る。

 ヴァルトに連れられて、ここに来てから八年。そして、コーネルと出会ってから六年の月日が流れていた。

 彼とは、比較的ずっと波長が合い、喧嘩らしい喧嘩などすることはなかった。きっと、合わせてくれていたんだ、とルカは思った。

 

 二人は、どちらからともなく、アズルの墓に向かっていた。

 目の前につくと、花は枯れていた。それを花瓶から出し、新しいものに変える。

「親父さん、また来るよ。次はミツヤとガレオンを連れて、全員で。いままで、ありがとう」

 コーネルは当たり前のようにそう言うと、手を合わせ、瞳を閉じる。その時、涙が一筋、目からこぼれ落ちるのを、ルカは見逃さなかった。


「お父さん、僕、頑張るから。みんなのこと、守れるように。僕が強くなるまでみんなのこと、見守ってて」

 父。そう呼ぶ。そして、決意を伝えた。

 日光に照らされる彼岸花が、ゆらゆらと頷いているように見えた。


 半刻、墓の周りの掃除などを済まして、家に戻った。

 小雨が降り出し、全ての感情を少しずつ、流し落としていくようだった。


 

「なら、そろそろ行くわ」

 コーネルは、シエルと共に荷物を持ち、ルカ、ヴァルト、アンジェリカに挨拶する。


「俺がたまに戻って家の様子を見に来るから、安心しろよ」

 ヴァルトの言葉に、コーネルは親指を立てる。

「頼むぜ。手紙書くから」


 そして、同い年の家族に向き合う。

「ルカ、俺たちはずっと兄弟だ。次男は誰だろうな」

 冗談めかし、手を差し出す。

 ルカは、握り返す。コーネルの手は、小さく震えていた。

「……うん、もちろん。次男は、四人集まった時に、決めようか」

 そう笑うと、手を引っ張り、抱きしめる。


 その二人の背中がぱしっ、と叩かれる。

「あんたたち、なに浸ってんの!またすぐ会えるわよ!」

 姉は、涙声になりながら、二人を強く抱いた。

 姉の腕は、いつもより重く感じた。

 兄は、気づかれぬように目を拭っていた。


 小さくなる二人の背が、見えなくなるまで、大きく手を振る。

「絶対、会いに行くから!」

 声が枯れるほど叫んだ。

 

 ただひとり残った、同い年の家族。その優しさを、ルカはよく知っている。

 遠ざかる背中を、焼きつけるように目で追った。次に会う日まで、絶対に忘れないと心に刻んだ。

 

「私たちも、そろそろ行きましょうか」

 アンジェリカの声に、振り返る。

「はい。よろしくお願いします」

 剣を腰に()びて、鞄を背負う。

「兄ちゃん、また。必ず一緒に働けるように、頑張るから」


嬉しそうにヴァルトは頭を掻く。

「おう。もし泣きたくなったら、いつでも呼びな。俺は、おめえさんの兄ちゃんだからよ」

 そう言い終わると、乱暴にぐしゃり、とルカの頭を撫でる。

 温もりを感じる。母を失った日からずっと、この手に支えられていた。

 そして、視線を蒼羽の巣に移す。

 しばらく戻れない我が家。初めて自分で、選んだ場所。

 ――さよなら。ありがとう。またね。

 心の中で伝えた。


 

 アンジェリカと、雨に濡れた道を歩く。

 この道を以前通った時は、五人いて、騒がしかったけれど、今日は嘘みたいに静かだった。


 蒼羽の巣に通じる、たった一つの(わだち)。この歩きにくさすらも、愛おしいと思った。

 振り返らず、進む。

 小雨はすぐ上がり、陽を差し込み、空に虹をかけた。

 ふと横を見ると、それは弧を描いて対岸へと伸び、その終わりは見えない。

 けれど、ルカは分かっていた。その先には、きっと――。


 

 ルカは足を止めた。一瞬、息を整える。胸の奥で、小さく震えていた何かを押し殺すように。

 雨上がりの光が大地に反射し、きらめきが足元を照らす。


 そして、前を歩く彼女を呼び止める。

 

「改めて、よろしくお願いします。アンジェリカさん。僕の名前はルカ・アルフェリオ。いや――ルカ・プリュミノーです。父が託し、僕自身が選んだ、大事な名前です」

 

 その名乗りに、振り返る。

 驚くように、一瞬眉をぴくりとあげ、アンジェリカは微笑む。

「あら、素敵な苗字をお持ちですね。私はアンジェリカ・リンスレット。アンジー先生、そう呼んでね」

 そう冗談めかしたと思うと、真剣な眼差しで宣言した。

「今後は容赦なく鍛えていきますから、そのつもりで。強くなりなさい。ルカ・プリュミノー」

 

 七色の下、光と影が混ざる大地に立つ。

 虹は、空と地平線を繋いでいる。

 ルカは、家族の名を背負い、あの日止まってしまった足を強く踏み出した。

 その足跡は、まっすぐに続いている。

 蒼き羽の雛鳥は、風を掴み、巣から大空へ飛び立っていった。


これにて第一・第二部の本編はひとまず完結です。

ここまでたどり着いてくださって、ありがとうございます。


あと1本か2本、幕間を書けたらと思っています。

どうぞお付き合いください。


塩治房智

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