第八話 此岸花 後編
月光は、少年たちと獣の亡骸を揺らしている。
花を数本、地面から引き抜く。土は泥に変わったからか、根はあっさり抜けた。
「怖かったね。歩ける?」
その問いかけに、トムは口を真一文字に結び、強く頷く。
「なら、行こう」
二人は、来た道を戻る。帰りを待つ、家族の元へ。
手はもう、震えていなかった。
◆
「こっちにはいなかった。結構奥まで走ったんだけどさ」
森の入り口に戻ったコーネルは、自分より早く着いていたヴァルトに伝える。
「俺の方もだ。あとは西だな。ルカ坊……」
「大丈夫よ。二人ともすぐ帰ってくるから」
シエルも様子を見に来ており、弟たちに言う。その響きに、不安を感じさせず。
森の奥から、聞き慣れた笑い声が重なって聞こえる。
手を繋ぎながら歩く、二人の影が見えた。
「ただいま!」
二人は手を振り、こちらに駆け出す。
三人はその姿を目にして、一斉に走った。
ルカの服と髪に血がついていることに、すぐ気づいた。
五人は、シエルを中心に輪となり、安堵を確かめ合った。
シエルは、トムを強く抱きしめる。
小さな手で握っていた赤い花が揺れる。
「あのね。これ、おとうさんのおはかに、おそなえしたくて。まえにおとうさんと、いっしょにみたおはなだから」
姉は幼い優しさを、断じることはできなかった。
「ありがとう。優しい子ね。でも次、一人で危ないことしたら怒るからね」
より強く、腕に力を込める。その温もりが、不安で冷えていた心を、溶かす。
花弁が一枚、ひらりと肩に落ちる。
ルカは、二人を見て、ようやく守れたことを実感した。
それと同時に、危険に対して、自分が、蒼羽の巣が、あまりに無防備だということを理解した。
このままでは、いつか、取りこぼしてしまう。
解散する。いつか、誰一人欠けずに集まるために。
ヴァルトのあの言葉の重さが胸の奥に、焼きついた。
◆
家の扉を開くと、香辛料のいい香りが、鼻をくすぐる。それは、血の匂いを上書きしていく。
「おかえりなさい。その様子なら、皆さん無事のようですね」
アンジェリカは胸に手を当て、ほっ、と声を出した。
「さあ、食事にしましょう。お姉ちゃんと"アンジーママ"が頑張って作りましたからね」
シエルは浴室の方向を指さす。
「その前に。あんたたちは風呂入ってきな。ほら。待っといてあげるから」
「はーい」
血が渇き、服は硬くなっていた。
体についた全てを流した後、食卓に戻った。
席につき、形が不揃いの野菜を、箸で掬う。
きっと、これはシエルが切ったに違いない。味は不思議と美味しかった。アンジェリカが整えたのだろう。
「なあルカ、俺、思ったんだけどよ。やっぱり、一度離れるべきなんじゃねえかな。正直、トムが迷子になったとき、心臓が止まるかと思った。ガキの頃、町へ四人で向かったことあったろ?親父さんに本気で怒られたあれだよ。あの気持ちがわかったぜ」
コーネルはまっすぐにルカを見つめる。
「うん。僕もそう思った。兄さんがいても、僕たちが弱ければ、いつか取り返しのつかないことが起きる。野犬ですらこの様なんだから。今日わかったよ。」
二人はお互いの意思が、同じだとわかった。
「姉さん、兄さん。アンジェリカさん。僕らも、"解散"に賛成する。だから、弟たちのこと」
ルカは立ち上がり、少し言い淀む。
「頼むよ……」
頭を下げ、コーネルもそれに倣う。
シエルは箸を持つ手を止め、静かに頷いた。アンジェリカは目を伏せ、唇をきゅっと結んでいた。
子どもたちも、兄たちの真似をして、お辞儀をした。
「よし、おめえさんら。辛気くせえのはなしだ。最後の日まで、楽しもうぜ」
ヴァルトはパチンと手を叩き、豪快に笑う。
それに釣られるように、皆の笑い声が聞こえた。
最後の日まで、残り数日。
全員、言葉にせずとも、理解していた。限られた時間を、刻み込むように過ごそうと、皆は思った。
――いつか、蒼羽の巣で再会できるその日まで。
◆
年少組の子らの里親は、アンジェリカが首尾よく見つけ、一人、また一人と引き取られていく。振り返り、手を振る彼らの姿を、刻みつけるように見送る。
残りは、トムだけとなった。
トムのお願いで、引き取り手が来る前に、アズルの墓に、最後に参ることになった。
先日、花瓶に挿した彼岸花は、少し色が黒ずんでいたが、それでもまだ生きているようだった。
手を閉じ、父に祈る。これからの弟たちの幸せと、再会を。
「トム。お父さんに伝えることは、もうないかい?」
「うん……!いっぱいおはなししたよ!」
手を繋ぎ、歩き出す。
花弁が風に揺れ、まるで此岸から彼岸へと、約束を渡しているように見えた。
◆
「ルカ坊、ネル坊。おめえさんらはどうする?」
ヴァルトの問いかけに、コーネルは、間髪入れることなく答える。
「俺は、姉御に着いていくよ。旦那さん、鍛冶と魔導工具の職人だろ?俺そういうの、好きだろ?弟子として、引き取ってもらえるらしいし」
その反応に、兄は頷く。
ルカは、わかっていた。直接話したわけではなかったけれど、コーネルはそう言うだろうなと。
シエルは、それを聞き、親指をぐっと立てた。
「よし、ならルカ坊、次はおめえさんだな」
「僕は……」
その瞬間、いろいろな思い出が、蘇る。
アズル、ミツヤ、ガレオン、皆の顔が。
そして、強く伝える。
「僕は兵士になる。兄さんに着いていくよ。みんなを守れるように、強くなりたいんだ」
その答えに、ヴァルトは嬉しそうに、申し訳なさそうに笑う。
「そうこなきゃな。ただ……すまん!俺に着いてくることは許可できねえ。おめえさんにゃ、まだ危なすぎる」
嬉しいに決まっている。連れて行きたいに決まっている。だが、ヴァルトは、自身にそれを許さない。
「え!」
とルカは、驚きの表情をあげる。断られることは、想定していなかった。
コーネルも、意外すぎる回答に、少し笑いそうになっていた。
「兄ちゃんの仕事は、本当に強えやつしか務まらねえんだ。おめえさんはまだまだこれからだろ。俺が紹介してやるから、そこで修行を積め」
その申し出に困惑する。ルカは、他人をそこまで信じていなかったから。
「ああ、それなら」
と、横で書き物をしていたアンジェリカが口を挟む。
「私と一緒に来ませんか?」
「アズルに受けた恩を、いまここで返したいのです。仕事上、移動は多くなりますが退屈はしませんし、人並みには剣も魔法も教えることができます。もちろん、ヴァルト青年やアズルには遥かに及びませんが」
射抜くように、ルカを見つめる。
「ほら。初めて会った日、私とあなた、意外と感性が合ったでしょ?そして、成長し強くなったら、従軍できるように口利きもしましょう。これでも私、顔が広いんです。チャンスをいただけませんか?」
そう言って片目を瞑るアンジェリカを、一同は見た。
この人は、きっと信用に足る。
ルカは、ヴァルトとコーネル、そしてシエルの顔を見る。
「アンジー、この子は、きっとお役に立ちますし、強くなります。お願いします」
姉は、頭を下げた。昔の恩人に、弟を託す。
ルカも、それを真似た。予想外の進路に、戸惑いはしたものの、信頼のおける大人に修行をつけてもらえることは、素直に嬉しいと思った。この数日間で、アンジェリカの人柄は見えていたから。
◆
「おねえちゃん、おにいちゃん、またね!だいすき!」
「またね!大好きだよ!」
その声を背に、今朝、トムも引き取られていった。
残すはコーネルとルカだけ。
昼には、二人とも家を出る。
ヴァルトに連れられて、ここに来てから八年。そして、コーネルと出会ってから六年の月日が流れていた。
彼とは、比較的ずっと波長が合い、喧嘩らしい喧嘩などすることはなかった。きっと、合わせてくれていたんだ、とルカは思った。
二人は、どちらからともなく、アズルの墓に向かっていた。
目の前につくと、花は枯れていた。それを花瓶から出し、新しいものに変える。
「親父さん、また来るよ。次はミツヤとガレオンを連れて、全員で。いままで、ありがとう」
コーネルは当たり前のようにそう言うと、手を合わせ、瞳を閉じる。その時、涙が一筋、目からこぼれ落ちるのを、ルカは見逃さなかった。
「お父さん、僕、頑張るから。みんなのこと、守れるように。僕が強くなるまでみんなのこと、見守ってて」
父。そう呼ぶ。そして、決意を伝えた。
日光に照らされる彼岸花が、ゆらゆらと頷いているように見えた。
半刻、墓の周りの掃除などを済まして、家に戻った。
小雨が降り出し、全ての感情を少しずつ、流し落としていくようだった。
◆
「なら、そろそろ行くわ」
コーネルは、シエルと共に荷物を持ち、ルカ、ヴァルト、アンジェリカに挨拶する。
「俺がたまに戻って家の様子を見に来るから、安心しろよ」
ヴァルトの言葉に、コーネルは親指を立てる。
「頼むぜ。手紙書くから」
そして、同い年の家族に向き合う。
「ルカ、俺たちはずっと兄弟だ。次男は誰だろうな」
冗談めかし、手を差し出す。
ルカは、握り返す。コーネルの手は、小さく震えていた。
「……うん、もちろん。次男は、四人集まった時に、決めようか」
そう笑うと、手を引っ張り、抱きしめる。
その二人の背中がぱしっ、と叩かれる。
「あんたたち、なに浸ってんの!またすぐ会えるわよ!」
姉は、涙声になりながら、二人を強く抱いた。
姉の腕は、いつもより重く感じた。
兄は、気づかれぬように目を拭っていた。
小さくなる二人の背が、見えなくなるまで、大きく手を振る。
「絶対、会いに行くから!」
声が枯れるほど叫んだ。
ただひとり残った、同い年の家族。その優しさを、ルカはよく知っている。
遠ざかる背中を、焼きつけるように目で追った。次に会う日まで、絶対に忘れないと心に刻んだ。
「私たちも、そろそろ行きましょうか」
アンジェリカの声に、振り返る。
「はい。よろしくお願いします」
剣を腰に帯びて、鞄を背負う。
「兄ちゃん、また。必ず一緒に働けるように、頑張るから」
嬉しそうにヴァルトは頭を掻く。
「おう。もし泣きたくなったら、いつでも呼びな。俺は、おめえさんの兄ちゃんだからよ」
そう言い終わると、乱暴にぐしゃり、とルカの頭を撫でる。
温もりを感じる。母を失った日からずっと、この手に支えられていた。
そして、視線を蒼羽の巣に移す。
しばらく戻れない我が家。初めて自分で、選んだ場所。
――さよなら。ありがとう。またね。
心の中で伝えた。
◆
アンジェリカと、雨に濡れた道を歩く。
この道を以前通った時は、五人いて、騒がしかったけれど、今日は嘘みたいに静かだった。
蒼羽の巣に通じる、たった一つの轍。この歩きにくさすらも、愛おしいと思った。
振り返らず、進む。
小雨はすぐ上がり、陽を差し込み、空に虹をかけた。
ふと横を見ると、それは弧を描いて対岸へと伸び、その終わりは見えない。
けれど、ルカは分かっていた。その先には、きっと――。
ルカは足を止めた。一瞬、息を整える。胸の奥で、小さく震えていた何かを押し殺すように。
雨上がりの光が大地に反射し、きらめきが足元を照らす。
そして、前を歩く彼女を呼び止める。
「改めて、よろしくお願いします。アンジェリカさん。僕の名前はルカ・アルフェリオ。いや――ルカ・プリュミノーです。父が託し、僕自身が選んだ、大事な名前です」
その名乗りに、振り返る。
驚くように、一瞬眉をぴくりとあげ、アンジェリカは微笑む。
「あら、素敵な苗字をお持ちですね。私はアンジェリカ・リンスレット。アンジー先生、そう呼んでね」
そう冗談めかしたと思うと、真剣な眼差しで宣言した。
「今後は容赦なく鍛えていきますから、そのつもりで。強くなりなさい。ルカ・プリュミノー」
七色の下、光と影が混ざる大地に立つ。
虹は、空と地平線を繋いでいる。
ルカは、家族の名を背負い、あの日止まってしまった足を強く踏み出した。
その足跡は、まっすぐに続いている。
蒼き羽の雛鳥は、風を掴み、巣から大空へ飛び立っていった。
これにて第一・第二部の本編はひとまず完結です。
ここまでたどり着いてくださって、ありがとうございます。
あと1本か2本、幕間を書けたらと思っています。
どうぞお付き合いください。
塩治房智




