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いつか、呼べる名  作者: 塩治房智
第一幕 第一部
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第八話 此岸花 中編

 上段に掲げた木剣を、振り下ろす。力を抜いて、そして入れる。言葉では簡単なことが、体で示そうとすると、どうしてもできない。

「どうかな。よくなってそう?」

 コーネルは、うーん、と小首を傾げる。

「俺には十分、完璧に見えるけどな」

 その言葉に、納得がいかぬように、ルカはまた構える。


「ルカ坊、なにが気に食わねえ?なにがイメージと噛み合わねえ?」

 ヴァルトは、刃に軽く砥石を走らせながら、聞く。


「アズルさんが、森狼の主を倒した一撃。上段からの一振りだったんだけど、それに近づけてる気がしないんだよ」


「なるほどな。衰えても尚、一刀で沈めたのか。やるじゃねえか、親父殿」

 見ていないはずのその剣閃を、回顧するようにヴァルトは顎に触れる。

 

「あまりヒントを出すと、学びにならねえからな。一つだけ教えてやるよ。腕だけで振るな。目を瞑って、その瞬間をもう一度思い出してみな。……ああ、もう一つ。丸だ。丸を意識しろ。あーあ、二つになっちまった!まあ、頑張れよ」


 ルカは構えを解くことなく、目を瞑る。

 腕だけでなく、体全体を。流れを。記憶を辿るように、思い出す。

 剣を高く上げ、全身の力は抜いていた気がする。静寂が森を包み、鳥の羽ばたき音だけが響いていた。

 主が大きく口を開ける。口から発される嫌な匂いが、記憶から届いた気がした。

 地面を強く踏み込み、膝を柔らかく沈める。腰でその力を廻し、背中で受け止める。肩を抜いて、肘を自然に落とし、最後に手首で刃を走らせる。

 そのイメージを、自身の体に乗せ、打ち込んだ。

 自分の体は、小さい。余すことなく使う。

 剣は、扇の軌道を描く。

 

 風切り音が短く裂けた。しかし、その一閃は、あの日のアズルの残像よりも、数瞬遅く、鈍かった。けれど、手応えが先ほどと違った。

 ほう、とヴァルトは何も言わず、ただ笑う。

 

 おお、とコーネルは目を見開き、手を叩く。

「すげえ……。速かったぞ!ルカ!ガレオンみたいだった!」

 その賞賛に、素直に喜ぶことはできない。ルカが目指す一撃は、兄弟ではなく父を目指したものだったから。

「……まだ、まだまだだよ。全然足りない。けど……これは」

 そう言い淀み、ルカは兄を見る。


 その視線を感じ、ヴァルトは剣から視線を上げる。

「おぉ、気づいたか。そうなんだよ。上段は、攻めの構え。よほどの実力差や体格差がねえと、なかなか使えねえ。親父殿と主にゃ、それほど差があったわけだ。」

 その言葉に、自分の心のざわつきが正しかったことを感じ、ルカは焦りを覚える。


「でもな、ルカ坊。剣っつうのは、何も丸書いて終わりじゃねえ。ただ考えて、振り続けて、それで見つけるんだ」

 ヴァルトの言葉は、ルカの胸に、何にも邪魔されることなく届いた。


 「……うん。振るよ僕。考えながら、振り続ける」

 丸を書いて終わりじゃない。上段だけに、囚われていたことを悟る。

 かっかっかっ、と笑い、ヴァルトは指を一本立てる。

「まあ、悪くねえ太刀筋だったぜ。褒めてやる」


「それに、今後おめえさんは、親父殿より明確に選択肢が広がる。敵と真正面から向き合って、斬れそうにねえなら、相手の動きを阻害してやりゃいい。おめえさんは、それをできる権利を持ってる。なんだかは、分かるよな?」


「魔法……」


「そうだ。おめえさんは、親父さんが持ってなかった属性魔法を持ってる。ってことは、全く同じ条件で戦う必要はねえってことだ。俺の知り合いの土属性の使い手は、相手の足場を、一面泥にしたもんだぜ。てめえの足元も泥にしちまって、それに呑まれて死んじまったけどな」


「魔法は、そいつの生き様を示す。表現が難しいなら、イメージを口にしてやればいい。そうすりゃ、自分でも頭の整理がついて、だいぶマシになるはずだ。だから、てめえの魔法に名前をつけるやつも多いんだわ」

 その瞬間、あの日、崖で黒ずくめの男が魔法を出す前に「焔種」と聞き慣れぬ言葉を言っていたことを思い出す。名を呼んだ瞬間、弾けるように膨れた火球。身を焼いた、確かな熱を、揺らぐ光を。


 名前を与えることで形を得る――ルカの中には、それがなぜか強く残った。けれど、自分の魔法にどんな形を求めるのか、まだ分からなかった。


「それに、格好つけて叫ぶと、かっけえだろ?相手にはバレちまうけどな」

 はっ、と笑い剣から無造作に油を拭き取り、「頑張んな」と言ってヴァルトは去って行った。その背中は、背の高い木々の影の中、大きく、輝いて見える。


 いつか、自分の生き様を、その名を、自分の声で叫ぶ日が来るのだろうか。そんな想いが、胸に溶けた。


 

「トムがいないの……おとうさんのおはかにかざるおはなをとりにいくっていって、もりに……」

 剣の稽古が終わり、部屋に戻ると、しゃくりあげるような泣き声が聞こえた。

「ケイン、大丈夫だから。私たちが探してくるからね」

 年少組の茶髪の男の子、ケインの頭を撫でながら、落ち着くように諭し、長弟へ振り返る。

「ヴァル、あんた、ちゃんとチビたちのこと見てなさいって言ったわよね。なんでやらないのよ!日が暮れたら、大人でも迷子になるのよ!?」

 

「俺だって薪割ったりしてたんだよ!……ちくしょう!なにしてんだ俺は……!」

 怒鳴り返しながらも、自分を責めている兄の姿に、ルカは胸が痛んだ。


 その言葉に、シエルは唇を噛み、言葉を飲み込んだ。叱りたい気持ちと、弟を思う気持ちが入り混じっていた。


「お二人とも、落ち着いて。今喧嘩することに意味はありません。シエル、ヴァルト青年は今すぐ森に入ってください。子どもの足です。そこまで遠くには行ってないはずです。子どもたちは私が見てますから」

 アンジェリカの静止に、二人は頷く。


「ごめんなさい、ごめんなさい。ぼくがとめなかったから」

 ケインは、シエルとヴァルトの間に入り、涙で声にならぬ声で、言葉を紡ぐ。


 ヴァルトはしゃがみ込み、ケインの頭を乱暴に撫でた。

「大丈夫だって。わりいのはおめえさんじゃねえ。兄ちゃんだ。すぐ見つけてくるからよ、あとでみんなでぐるぐるごっこしようぜ」


 そう言うと立ち上がり、森に駆けようと、足を向ける。


「僕とコーネルも探すよ。僕らもこの森にはかなり詳しいから。久々に帰ってきた姉さんが行くより、ずっと確率は高いと思う」

「ああ、そうだな。俺らが走ればすぐ追いつける。姉御は待っててくれ。迷子になられたら面倒だからさ」


 シエルは反論しかけたが、ふたりの瞳に浮かぶ決意を見て、静かに頷いた。

「わかった。絶対に四人で帰ってきなさい。美味しいスープ、作っておくから」


 三人はそれぞれの武器を腰に帯び、家を出た。

 ルカは、アイリスから託された剣の柄を確かめて歩を速める。

 

「この近くで魔物は見たことねえが、一応言っておく。危ねえことは、なしだ。おめえさんたちもまだまだ小僧だからな。それじゃ、俺についてこい」

 ヴァルトは険しくも、それを弟たちに気取られぬよう、高い声で言う。


「いや、三手に分かれよう。そのほうが早く見つかる」

 その声に、ルカは否定の意を示す。その手は震えていた。


「何言ってんだ!野犬や、下手したら盗賊だっているかもしれねえんだぞ!」

 予想外の返答に、思わず声を荒げ、ヴァルトは振り返る。


「そんなことよりトムを早く見つけることが優先だろ!」

 ルカは折れない。

 

「言い合ってる時間がもったいねえ!俺がまっすぐ行く!兄貴は東!ルカは西!頼むぜ!」

 コーネルはそう言うと、薄暗くなった夕焼けが作った木影を縫うように、駆け出した。足には、迷いも恐怖もなかった。


 その背中を見て、ヴァルトは首を縦に数度、振る。自分を納得させているようだった。

「わかった。ならルカ坊、頼むぜ。悪かった」

「うん、僕もごめん。見つけたら、すぐに家に連れて帰るから」

 その言葉を最後に、二人は左右に分かれた。


 少し進んだ森は、入り口よりも遥かに暗く感じる。

 そして、視線の奥には、葉が生い茂り、夕闇より遥かに深い闇がある。

 まるでルカを手招きしているように。

 歩き慣れた森の、夜の姿は、不思議と怖くなかった。

 けれど、枝を踏む音、鞘が布に擦れる音が、心臓の鼓動のように響いた。


 

花があるとしたら、昼間、陽の光が当たるところ。この方向に、鮮やかな赤の花が咲いていた場所を、知っていた。去年、アズルとトムと三人で、狩りに出た時に、見かけたことを、覚えていた。「きれいだねえ」と呟いたトムの声が、耳に残っている。きっと、あそこだ、と確信があった。

 

 駆ける。弟はきっと、道に迷って不安で泣いてるに違いない。


 前方から、聞き慣れた泣き声が届く。

 その声に安堵しながら、もっと強く足を踏み出す。


 夕方の日の光が、幼子を照らしていた。

 その足元では、赤い花弁が揺れている。

 けれど、その周りを、二匹の獣が低く唸りながら回っていた。

 獲物を狙う、血に飢えた眼で。そのうち一匹の左耳は、半分欠けていた。


 瞬間、血が沸騰するのが分かった。

 二度と目の前で家族を失いたくない。

 決意だけが足を前に動かす。


 剣を上段に構え、斬りかかる。

 全身の力をふっと抜き、一歩にすべてを賭けた。膝から肘までを連動させ、最後に手首を鞭のようにしならせ、刃を奔らせる。

 悪くない。上手く振れた――はずのそれを、獣は身を翻して避ける。

 だが、それでいい。道は開かれた。

 弟の小さな体を背に受け、ルカは再び獣と向き合う。

 あの日、ガレオンが獣に斬りかかった瞬間が、脳裏を掠めた。

 右の手のひらが、小さく疼くのが分かった。それは痛みではなく、熱。――以前よりも弱く、けれど、確かだった。


「トム、大丈夫かい?もうお家に帰れるからね」

 敵から目を離さずに、弟に声をかける。

 ぎゅっと、ズボンの裾を掴まれる。小さな手の震えが伝わり、気を引き締める。


  耳の欠けた犬が、その一瞬を見逃さず、喉を裂くような声で吠え、飛びかかってくる。

 弟の手に気を取られ、反応が遅れる。

 円だけではない。ヴァルトの声が、耳の奥から聞こえた。

 今は――ただ速く、一直線で。

 ルカは腕を折りたたむと、一気に伸ばす。

 狙いは顔。しかし、そこに当たることなく剣閃はぶれた。

 喉笛に切先が入り込み、ひゅっ、と空気が漏れ、温い飛沫が顔に散った。

 鉄の匂いが鼻腔を灼く。

 動かなくなったそれから、目が離すことができない。


 震える手を握り直す間もなく、左耳から入る、吠える音。背後――トムの方だ。

 二匹目の犬が、口を開け、一直線に突っ込んでくる。

 甲高い悲鳴が、鼓膜に突き刺さる。


 間に合わない。どうする。――これしかない。

 もう誰も、家族を奪うことは許さない。


 「止まれッ……!!!」

 地面に掌をつけ、魔素を流し込む。

"止まれ"。その言葉が、脳にかちりとはまった。

 琥珀色の光が広がっていく。

 ぬかるみが息を吸うように膨れ、脚をのみ込み、ずぶ、と沈める。

 牙をむいた口が泥に触れ、短く鳴く。視線が合った。そこで世界が半拍止まる。

 こちらを見上げるその様子は、断頭台に送られた罪人のようだった。


力の抜けた足を、かろうじて手で支える。泥の魔法は、己の足元すらも包み、進むのに手間取る。

 踏ん張って、ようやくトムの前へ出る。

 どく。どく。と拍動が聞こえる。

 初めて、自分が望むように、狩るのではなく、――殺した。殺す。首を、斬る。


その瞬間、酸っぱさがせり上がる。喉で押し戻す。


罪は消えない。手はその感触を覚えている。

 

「自分を守ってこそ、他人を守れる」

父の残したこの言葉。

 守るとは、奪うことと少し似ていた。――いま、命を刈り取ったから、生きている。

 

 これまで守られていたから、気づかなかった。夜はきっと、ずっと危険だった。


 そして、先ほどの一撃。まだ、誇れるものではない。けれど、自分の歩みが進んでいることはわかった。

 

 亡骸から流れ出た血は、泥と混じり、赤黒くなっていた。

 すっかり日は暮れて、月光が、二人を淡く照らす。

 手首の腱が鳴る。間に合った安堵と同じくらい、掌は疼いていた。

 

 以前父と弟と三人で見た花――それがここに在る。

 赤く濡れる剣から写し返される光に揺れる曼珠沙華は、返り血を宿したまま、季節外れに咲いていた。

読んでいただきありがとうございます。

前話に引き続き、ルビを振ることができておらず、申し訳ありません。

仕事が落ち着き次第、まとめて修正いたします。

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