第七話 LADY 前編
「あの黒ずくめの野郎、逃げやがったらしい。収容所には、身元不明の三人の焼き焦げた死体が残ってたってよ。村の爺さんから聞いた」
コーネルが、ルカに告げる。
「あいつが、また僕たちを狙いに来ることはたぶんないと思う。あいつの狙いは、ミツヤだったから。理由はわからないけど、何度もそう言ってた」
感情が見えないその言葉に、コーネルは何も返さなかった。
ただ、しばらくのあいだ、ルカの顔をじっと見ていた。
なぜ、ミツヤが狙われたのだろう。その問いは、コーネルの胸の中に、重く残った。
「僕は、僕が、言えることじゃないけど、あいつは許せない。あいつがいなければ、ミツヤもガレオンも……。もし、また目の前に現れるのなら、僕は……」
ルカは、兄弟の視線に気付き、言葉を切る。
「大丈夫。ほんとだよ?昨日、君と約束したから」
そう言い終わると、木剣を握りしめ、外へ出た。
独り残された少年は、拳を固く握りしめる。
「バカ野郎が。一人で抱えやがって……」
ミツヤと、ガレオン。二人は、コーネルにとっても、同い年の兄貴分だった。ルカの気持ちは、痛いほどわかっていた。
そして、手拭いを頭に巻き、今は亡き父と過ごした作業場へ向かった。
◆
「自分を守ってこそ、他人を守れる」
アズルの手紙に綴られていた、その言葉だけが――ルカを動かしていた。
あの日、守ろうと思った者は、全て消えた。
だが、瞳には、意思が宿っていた。
いま、やることは、強くなること。
そして、できることは、剣を振ること。
連日振り続けたその柄は、赤黒くなっていた。
上段に構え、それを振り下ろす。
また、構え、もう一度、振り下ろす。
まるで足りない。これでは、斬れない。
何日も振り続けてきた代償のように体は重い。
刃先の風が頬を撫でるだけで、空気は割れてはくれない。
父の一撃は、空の光そのものを断ち切っていた。
「いい振り方です。まだ脱力が甘いですが」
唐突に聞こえたその声に、ルカは振り返る。
いつの間にか、そこに女が立っていた。
小麦色の肌に、白金の髪。小柄だが、丸いメガネをきらりと光らせる。なんとも形容できぬ威圧感があった。これに少し似た雰囲気を、ルカは昔から知っている。
「驚かせたのなら、申し訳ありません」
一礼し、こちらに近づく。
「いいですか?"斬る"のではなく、"落とす"。得物と腕の重さを意識して。余計な力は抜いて。さんっ、はい」
その声の圧に、姉の面影がよぎった。
なんとなく逆らえず、言われた通り木剣を掲げ、力を込めず振り下ろす。
音が違う。鋭く、速い。さっきまで届かなかった何かに、指先で触れた気がした。
「おお!私の教え方と相性が良さそうですね。合わない人は、とんと合いませんので」
ぱちんと手を打ち、思い出したようにあっと声を上げた。
「私、アズルさんの古い友人なんです。彼からの手紙を受けてこちらに参りました。いらっしゃいますか?」
教会の印が入ったペンダントを見せ、ルカに微笑む。
かあ、と鴉が哭いた。
◆
その問いに、ルカはすぐに答えられなかった。
「……父は、四日前に亡くなりました」
そう捻り出したあと、ルカはしばらくのあいだ、目を伏せた。
女は、何も言わずに頭を垂れた。
風が通り抜ける。少しの沈黙も空には届かない。
「そう、ですか。……最期まで、貴い人でした」
女が、胸元から封をした小さな包みを取り出す。
「私がこれを受け取ったのが、二日前でした。仕事で家を空けていましたので」
「ただ――『手伝ってくれ。もし間に合わなければ、倅たちを頼む』と」
「あなたは、ルカ少年、ですね?他の子らは?」
ルカは、小さく息を吐いた。
手に持った柄に、ぎゅ、と力をこめる。
「……僕たちは、逃げました。ミツヤと、ガレオンと、僕と、コーネル。全員で」
そこで言葉を切ったあと、少しの間を置いて、続ける。
「でも、ガレオンとミツヤは、僕が突き落としました。崖から川へ。敵に捕まる前に。助かったかどうかは……わかりません。遺体は見つからなかったので」
女は何も言わなかった。ただ、その場に立ったまま、じっとルカを見ていた。
「そう、ですか……。有り体に言えば、辛かった……ですね」
ひと呼吸、置いてから、言葉を継ぐ。
「……ですが、悲観するのは、まだ早いかと」
「川底に遺体が沈んで、見つからないというのは、珍しいことです。
この時期の川の流れは、どこも穏やかです。もし発見されていないのなら、逆に――生きている可能性の方が、ずっと高い」
「……まあ、あくまで希望的観測の範疇を超えませんが。それでも私が突き落としてきた者たちは、そうでした」
女は、肩をすくめる。冗談のように、過去を切り取って。
「ああ、ごめんなさい。こんなときに言うことじゃないですね。昔を思い出して、つい」
その最後の言葉を聞く前に、ルカは、伏せていた目をあげる。
――生きている可能性が高い。
藁をも掴む、なんて言葉があるが、それよりもずっと細い。
今にも切れそうな蜘蛛の糸――慰めと呼ぶには脆すぎる。それでも、前を向くには、十分すぎるものだった。
「なら、僕がしなきゃいけないことは……」
後ろ向きの"それ"ではなく、前を向いた覚悟。
大地が、ルカの足をしっかり支えている。
手のひらが、ほんのわずかに汗ばむ。
気づけば、背筋は伸びていた。
◆
その足で、女性とともに孤児院へ戻った。
コーネルが庭の薪割りをしていた。ルカを見ると、手を止める。子どもらは、コーネルの近くで遊んでいた。
ルカは、ただ一言だけ、伝えた。
「……二人とも、生きてるかもしれないって」
彼らには、感嘆も、歓喜の声もない。
息を呑む音だけが、風に混ざるように響いた。
それでも、兄弟たちの生存の可能性は、確かに空気を変えた。
凍えていた空気が、焚き火の灰の匂いとともに、わずかに緩んだ。
子どもたちが喜ぶ顔を、にこやかにアンジェリカは見つめていた。
「自己紹介が遅れましたね。私は、アンジェリカ・リンスレット。親しみを込めて、アンジーでいいですよ。あなた方のお父様の、とても古い友人です」
自らの心持ちを切り替えるように、一度深く目を瞑り、言う。
そして、大事なお話が、と指を立てて続ける。
「大変申し上げにくいのですが──こちら《蒼羽の巣》は、解散となります。
今後、皆さんには、それぞれ里親か、修行先に移っていただくことになります」
最初に反応したのは、年少組の子どもたちだった。
「……え、やだ」「なんで?」「おわかれなの……?」
ぽつぽつと声が漏れ、やがて、ざわめきが部屋に広がる。
「ガレにいとミツにい、まだかえってきてないのに!」
ひとりが叫んだ声が、火の粉のように他の子らの胸にも火を点ける。
「ミツにいと、まだばいばいじゃないって、やくそくしたのに!」
「やだ!わかれたくない!ルカにいといっしょがいい!」
泣き出す子もいた。
小さな掌が、ルカの袖を掴んで離さない。
アンジェリカは、肩をすくめ、ぼりぼりと頭をかいた。
「……あー……もう、こういうの、いちばん苦手なんですよね、私」
慈愛の籠る目を、子どもたちに向けながらも、助けを求めるように、ルカとコーネルに視線を移した。
「ちょっと待ってください。アンジェリカさん。なぜ離れ離れにならなければならないのか、理由があるんですか?僕らは、二人が帰ってくる場所を守らなくちゃいけないのに!」
ルカは、泣き出した子を抱き抱えながら、強く言い切った。
「じゃあ、なんだよ……!親父さんが死んで、ガレオンもミツヤもいなくなって、今度は家まで失くすのかよ!」
コーネルが、怒鳴る。
「納得いかねえよ!俺たちは家族なんだぞ!血は繋がってなくても、"プリュミノー"なんだよ!」
ルカは、強く拳を握りしめる。
「"蒼羽の巣"は終わってない。終わらせない。そのためなら、僕らはなんだってしますよ」
語気は強くない。しかし、琥珀色の魔素が、ルカの体から滲み出し、取り巻いている。それに、ルカは気づいている様子はなかった。
家族を守る意思が、家族を壊そうとするアンジェリカへの敵意が、それを象っているかに見えた。
アンジェリカは、すぐに言葉を返さない。
少しだけ、目を伏せて──それから、苦笑するように、吐き出した。
「……ああもう、アズル……どうして、私にこんな役を回したのかしらね。あなたは、いつもそう。肝心な時にはいないのよ」
そして、子どもらに声をかける。
「言いたいことは、とてもよくわかります。けれど、これはアズルの遺言なのです。『もし、自分の身に何かあれば、倅たちを頼む。ヴァルトを"父親代わり"にするわけにはいかない』と」
「そして――」
と言った後に、目線を空に向ける。何かを思案しているようだった。
「うん。これは、言わなくてもよい、ですね」
そういうと、子どもたちに視線を戻す。
アズルの手紙に書かれていた、ミツヤの話。そして、それを取り巻くであろう暗部。子どもたちへ聞かせるには、重荷すぎる。いつかは伝えなければならない。けれど、いまではない。そう、断じた。
「"蒼羽の巣"が解散したから、なんだというんです?一度離れたら、二度と会わないつもりですか?家族とは、そのようなものですか?」
「あなた方が、アズルから伝えられた"家族"というものは、それほどに脆いものなのですか?」
一人ずつに視線を移し、確認するように、諭すように言う。
「違うでしょう?」
その言葉に、子らは黙るしかできなかった。
「少し、時間をください。僕らだけでは、決められません。せめて兄のヴァルトが帰ってきてからに、させてください」
ルカは、そう言い返すことしかできず、泣きじゃくる子どもたちを、孤児院の中に入るように、声をかけた。
コーネルは、苦々しく、女を見つめる。
けれど、何も言わず、薪割りを再開した。
「私も今日は、泊めていただいても?」
アンジェリカは、空気を読まずに言う。空気を読めないのではない。読まない。
自分がアズルに託されたことを、完遂すべく、それに忠実に行動しているようだった。
「今日から少しの間、私がお母さんになりましょう。いえ、"アンジーママ"。そう呼んでね」
素っ頓狂な発言に、ルカは思わず声を失った。
怒ることも、笑うこともできなかった。ただ、胸の奥に小さな火が灯ったような気がした。
「おかしいですか?この中で、私がダントツで年長者ですよ。そして、有り体に言えば、あなたたちのお父さんの昔の恋人です。ならば、"ママ"で差し支えないでしょう?」
「は?」
「なんだよそれ」
子どもたちは目を丸くしたが、アンジェリカは気にするそぶりを見せずに、"蒼羽の巣"の扉を開けた。そして、振り返る。
「今度、私たちの"冒険"の話を聞かせてあげましょう」
彼女はそう言って片目をいたずらっぽく閉じて笑う。
ルカとコーネルは、お互い目を合わせたが、二人とも何も言わずにアンジェリカの背中を追う。
風見鶏が、くるくると回っている。
――この家は、まだ、あたたかい。




