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いつか、呼べる名  作者: 塩治房智
第一幕 第一部
18/23

幕間 其の一 残火

 

「――報告書は読んだ。下がってよい」

 宰相の声は、ほんのわずかに柔らかかった。侍従は、はっ、と平伏し、そのまま静かに下がった。


「さて……」

 円卓の者たちへ、目を向ける。

 怒りも驚きもない。ただ、無機質な確認だけが、空気を凍らせた。

 純白の着物は、氷のように冷たく見える。


 宰相は手にしていた羊皮紙を蝋燭(ろうそく)の火にくべる。

 紙はゆっくりと丸まり、灰へと変わっていった。

 その様子は、あらゆる痕跡を丁寧にこの世から“抹消”する、祈りに似た儀式のようだった。


 灰の中、最後に崩れた文字は――“ミツヤ”という名だった。

 まるで、己の名が消されまいと、抗っているように見えた。


「諸君。この“狩り”の失敗は、非常に大きい」

 静かに、しかし確実に圧を孕んだ声が、室内に落ちる。


「予定された死は果たされず、必要だった生も確保されていない」


 言葉はそこで途切れた。

 だが誰も、続きを求めようとはしなかった。


(けい)らの期待を、我々は叶えることができなかった。

 この責任は、誰が取るべきか――私であろう」


一拍の沈黙。


「……さて、私に罰を望む者は?」


 宰相の目が、ゆっくりと室内を巡る。

 誰も、言葉を発さなかった。

 その沈黙が、空気を締め上げていく。


 円卓に並ぶ者のなかで、声を上げた者はいなかった。

 それが、正解だった。


 誰かが唾を飲み込む音だけが、微かに響いた。


「そうか。誰も望まぬか。ありがたいことだ」


 一同に視線を移し、告げる。


「“巣”には監視を。迷い子が餌の匂いに釣られて、戻ってくるやもしれん」


 誰も異を唱えず、ひとり、またひとりと首を垂れる。

 命令は、確かに届いていた。


「狩りに失敗した“鴉”は、もう飛べまい。翼が折れておれば、その処理も容易かろう。

 依頼不履行を犯した他の“崩れ”の処理も、順を追ってせよ。卿らに任せる」


「すでに、三名を手配しております」

 円卓の一人が、拱手礼(はいしゅれい)をしながら言った。


「よろしい」


 宰相は主座(しゅざ)から静かに立ち上がる。

 円卓を一瞥することもなく、彩硝子(ステンドグラス)のほうへ目を向け、手を合わせた。

 そして、部屋を出る。


 月光を受け、淡く輝く彩硝子に、興国の王が静かに浮かび上がる。


 灰は、まだ、机の上に残っていた。

 魂の残滓(ざんし)が、そこに宿っているかのようだった。



 硬く閉ざされた部屋に、足音が三つ、近づいてくる。


 じゃらり、と鎖が(きし)む。

 火の男は、壁に背を預け、足を組んだ姿勢のまま、わずかに肩を震わせた。


 ぎぃ、と扉が開く。

 男が二人、女が一人。


「……おいおい。誰だよアンタら。お勤めご苦労さんってか、はは」


 乾いた笑いの奥に、わずかな苛立ちと――恐怖があった。


「ここ、収容所だろ? 俺の雇い主って、一体何者だよ」


 手首から上が欠損した右腕で、自分の首を指す。

 喉元に嵌められた金属環(きんぞくかん)が、淡く刻印を光らせていた。


「こんなもん、嵌められてさ。一思いにやってくれよ。あのバケモンのせいで、公衆にも顔が割れた。……もう終わりさ」

「あの目、夢にも出てくるんだ。あれにまた会ったら、今度こそ殺される。あれは人間じゃない。人の形をした、恐怖そのものだ」


 それでも――と言いかけた言葉を飲み込み、諦めたように項垂れる。

 その拳は、小さく、震えていた。


 訪れた男の右手に握られた短刀が、チラリと光る。

 ひと足、またひと足と、こちらへ――


火の男は、項垂(うなだ)れたまま、それを見ていた。


「……待った!ちょっと待ってくれよ!面白い話があるんだって。だから……頼む、動かないでくれ。近づかれると、喋れねぇ……マジで」


 そう言い、立ち上がる。

 その目は、ぎらりと、鋭く光っていた。


 魔力は、首輪によって制御され、動かしにくい。

 それでも、今は失き右手に、わずかな魔力を沿わせる。

 まるで、存在しない指先を動かすかのように――。



「申し訳ございません。“焔葬(えんそう)”の処分、叶いませんでした。“封環(ふうかん)”は魔力の暴発で破壊され、手配した三名は死亡。現在、行方は不明です」


 報告が終わると、宰相はわずかに目を細めた。


「あのような木端(こっぱ)が、制御装置を破壊したと……」


 王の落胤の殺害および遺体の確認――失敗。

 英雄還りの確保――失敗。

 焔葬の抹殺――失敗。


 すべて、落ちた。


 だが、その顔に陰りはない。

 むしろ、微かに口元が持ち上がる。


「……しかし、火種が散るのは、悪くない」


 その声音には、焦りがなかった。

 すべてを覆い尽くすほどの、大局観。


「想定外は、時として最良の材料になる。意図しない反応ほど、机上戦は面白い。……なに、失敗がなんだと言うのだ。まだ反応が続いているだけの話だ」


 椅子の背にもたれ、宰相は静かに目を閉じた。

 報告者の気配が、恐れとともに下がっていく。


 そして、宰相は目を見開き、言った。


「魔力の濁った少年、ルカ、と言ったな。“焔葬”と再度対峙する際の、魔力の反応を見たい。“焔葬”を追い、そうなるように仕向けよ。監視も忘れるでない」


「卿の働きに、私は満足している。無能なりに、やれることを、やりなさい」


 その言葉に平伏し、絹の服を着た男は、部屋を出た。


 宰相の言葉は、どこまでも本心の声音だった。

 不穏と混沌が、宰相の手のひらの上からこぼれ落ちる――その様を、愉しんでいるかのようだった。


「“王”の肉体を有する少年、ガレオン君、だったか。まだ生きているだろう?それが因果なのだから」


 一人、部屋の中で呟く。

 爪を指で(むし)りながら。


「"王"よ。興国の"王"よ。あなたと同じ刻に生まれていたら、と何度も思っております」


 人差し指から、うっすらと血が流れる。

 それを(すす)るように舐めとる。


「取るに足らぬ血だ。所詮、私はこの程度……それでも――」

 "王"の御為に。

本日、明日は幕間の更新になります。

よろしくお願いいたします。

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