幕間 其の一 残火
◆
「――報告書は読んだ。下がってよい」
宰相の声は、ほんのわずかに柔らかかった。侍従は、はっ、と平伏し、そのまま静かに下がった。
「さて……」
円卓の者たちへ、目を向ける。
怒りも驚きもない。ただ、無機質な確認だけが、空気を凍らせた。
純白の着物は、氷のように冷たく見える。
宰相は手にしていた羊皮紙を蝋燭の火にくべる。
紙はゆっくりと丸まり、灰へと変わっていった。
その様子は、あらゆる痕跡を丁寧にこの世から“抹消”する、祈りに似た儀式のようだった。
灰の中、最後に崩れた文字は――“ミツヤ”という名だった。
まるで、己の名が消されまいと、抗っているように見えた。
「諸君。この“狩り”の失敗は、非常に大きい」
静かに、しかし確実に圧を孕んだ声が、室内に落ちる。
「予定された死は果たされず、必要だった生も確保されていない」
言葉はそこで途切れた。
だが誰も、続きを求めようとはしなかった。
「卿らの期待を、我々は叶えることができなかった。
この責任は、誰が取るべきか――私であろう」
一拍の沈黙。
「……さて、私に罰を望む者は?」
宰相の目が、ゆっくりと室内を巡る。
誰も、言葉を発さなかった。
その沈黙が、空気を締め上げていく。
円卓に並ぶ者のなかで、声を上げた者はいなかった。
それが、正解だった。
誰かが唾を飲み込む音だけが、微かに響いた。
「そうか。誰も望まぬか。ありがたいことだ」
一同に視線を移し、告げる。
「“巣”には監視を。迷い子が餌の匂いに釣られて、戻ってくるやもしれん」
誰も異を唱えず、ひとり、またひとりと首を垂れる。
命令は、確かに届いていた。
「狩りに失敗した“鴉”は、もう飛べまい。翼が折れておれば、その処理も容易かろう。
依頼不履行を犯した他の“崩れ”の処理も、順を追ってせよ。卿らに任せる」
「すでに、三名を手配しております」
円卓の一人が、拱手礼をしながら言った。
「よろしい」
宰相は主座から静かに立ち上がる。
円卓を一瞥することもなく、彩硝子のほうへ目を向け、手を合わせた。
そして、部屋を出る。
月光を受け、淡く輝く彩硝子に、興国の王が静かに浮かび上がる。
灰は、まだ、机の上に残っていた。
魂の残滓が、そこに宿っているかのようだった。
◆
硬く閉ざされた部屋に、足音が三つ、近づいてくる。
じゃらり、と鎖が軋む。
火の男は、壁に背を預け、足を組んだ姿勢のまま、わずかに肩を震わせた。
ぎぃ、と扉が開く。
男が二人、女が一人。
「……おいおい。誰だよアンタら。お勤めご苦労さんってか、はは」
乾いた笑いの奥に、わずかな苛立ちと――恐怖があった。
「ここ、収容所だろ? 俺の雇い主って、一体何者だよ」
手首から上が欠損した右腕で、自分の首を指す。
喉元に嵌められた金属環が、淡く刻印を光らせていた。
「こんなもん、嵌められてさ。一思いにやってくれよ。あのバケモンのせいで、公衆にも顔が割れた。……もう終わりさ」
「あの目、夢にも出てくるんだ。あれにまた会ったら、今度こそ殺される。あれは人間じゃない。人の形をした、恐怖そのものだ」
それでも――と言いかけた言葉を飲み込み、諦めたように項垂れる。
その拳は、小さく、震えていた。
訪れた男の右手に握られた短刀が、チラリと光る。
ひと足、またひと足と、こちらへ――
火の男は、項垂れたまま、それを見ていた。
「……待った!ちょっと待ってくれよ!面白い話があるんだって。だから……頼む、動かないでくれ。近づかれると、喋れねぇ……マジで」
そう言い、立ち上がる。
その目は、ぎらりと、鋭く光っていた。
魔力は、首輪によって制御され、動かしにくい。
それでも、今は失き右手に、わずかな魔力を沿わせる。
まるで、存在しない指先を動かすかのように――。
◆
「申し訳ございません。“焔葬”の処分、叶いませんでした。“封環”は魔力の暴発で破壊され、手配した三名は死亡。現在、行方は不明です」
報告が終わると、宰相はわずかに目を細めた。
「あのような木端が、制御装置を破壊したと……」
王の落胤の殺害および遺体の確認――失敗。
英雄還りの確保――失敗。
焔葬の抹殺――失敗。
すべて、落ちた。
だが、その顔に陰りはない。
むしろ、微かに口元が持ち上がる。
「……しかし、火種が散るのは、悪くない」
その声音には、焦りがなかった。
すべてを覆い尽くすほどの、大局観。
「想定外は、時として最良の材料になる。意図しない反応ほど、机上戦は面白い。……なに、失敗がなんだと言うのだ。まだ反応が続いているだけの話だ」
椅子の背にもたれ、宰相は静かに目を閉じた。
報告者の気配が、恐れとともに下がっていく。
そして、宰相は目を見開き、言った。
「魔力の濁った少年、ルカ、と言ったな。“焔葬”と再度対峙する際の、魔力の反応を見たい。“焔葬”を追い、そうなるように仕向けよ。監視も忘れるでない」
「卿の働きに、私は満足している。無能なりに、やれることを、やりなさい」
その言葉に平伏し、絹の服を着た男は、部屋を出た。
宰相の言葉は、どこまでも本心の声音だった。
不穏と混沌が、宰相の手のひらの上からこぼれ落ちる――その様を、愉しんでいるかのようだった。
「“王”の肉体を有する少年、ガレオン君、だったか。まだ生きているだろう?それが因果なのだから」
一人、部屋の中で呟く。
爪を指で毟りながら。
「"王"よ。興国の"王"よ。あなたと同じ刻に生まれていたら、と何度も思っております」
人差し指から、うっすらと血が流れる。
それを啜るように舐めとる。
「取るに足らぬ血だ。所詮、私はこの程度……それでも――」
"王"の御為に。
本日、明日は幕間の更新になります。
よろしくお願いいたします。




