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いつか、呼べる名  作者: 塩治房智
第一幕 第一部
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第六話 fire sign

 二人が、暗闇へ落ちていく。

 ――僕が落とした。

 水に落ちる音は聞こえず、姿は見えなくなった。

 まるで闇に包まれるように、少しずつ。


 アズルさんの目は、もう開くことはなかった。

 でも、その顔には、まだ何かを言いたげな光が、残っていた気がした。


 兄ちゃんは俯いて、歯を食いしばっている。けれど、その目は前を向いている。

 

 コーネルは怒っているように見える。でも、走っている。



 僕だけがダメだった。

 僕だけが役立たずだった。

 なのに、自分の意思とは無関係に、なにかに操られるように、立ち上がって前を歩き出した。


 ああ、これは夢なんだな。そう思った。


 

 目が覚めるのが、自分でもわかった。

 夢は怖かったけれど、名残(なごり)惜しくて、それから少し、目を開けなかった。

 ふと、足を見る。

 二日前から、ずっと立っている感覚がなかった。

 ふわりと、宙に浮いているようだった。

 だからこそ、目を離せない。

 自分の足なのに、意志はなかった。

 なぜか今日は、地に足がつきそうな気がした。

 でも、それが自分の意思かどうかは、まだわからなかった。


 誰かの気配に気づいて、扉の方を見た。


「ルカにい、あさだよ。きょうルカにいがごはんとうばんだよ」

 年少組の子らが、ルカを起こしに来ていた。


「あ、ごめん。すぐ行くよ」

 体を起こし、立ち上がる。


 火で焼かれた傷は、何も感じなかった。

そのことに、もう驚きはない。


でも──

胸のあたりだけが、どうしようもなく痛んだ。

 


 

 食堂に降りると、ルカは食事を作り始める。

 簡単なものを作り終えると、皆を呼び、「いただきます」と食べ始める。

「おい、ルカ。多いぞ」

 コーネルが小声でそう伝える。

 あっ、とルカは声を出してしまい、子どもたちもそれに気づく。


 ルカは、アズル、ミツヤ、ガレオンの席を見た。

 湯気は立っている。

 でも、そこには誰もいなかった。


 手を伸ばしかける。下げようとして──


 子どもたちのスプーンが止まる。


 一人の子が、鼻をすすった。

 音を立てまいと、手で口を覆っていた。

 隣の子が、そっと肩に手を置いた。


 誰も泣き声を出さない。

 でも、目元を拭う手だけが、いくつか動いていた。


「よっしゃー!チビども、今日は俺がぐるぐるごっこしてやるから、2階に行くぞ!」

 コーネルがわざと大声を出して、変な顔をしながら子どもたちに近づいて行く。

 そして、ルカに対して指で輪っかを作り、子らを引き連れて、去って行く。


 ◆

 

 ルカは、食事を終え、皿洗いをしていた。

「おい、ルカ、またぼんやりしてるのか?」

 声がそう聞こえた気がして、後ろを振り返る。

 そこには誰もおらず、陽の光が、食堂を照らしていた。

 少し探すように視線を泳がせるが、やはり誰もおらず、皿洗いに戻った。

 水が落ちる音と、食器を拭く音だけが、小さく響いていた。


 

 村から、数人の大人が、蒼羽の巣へ様子を見にきた。

 ヴァルトが不在の間を頼んだようだ。

 ルカは、礼を言って、急に身支度をし始めたようだった。


「お前、明け方にも行ってただろ……」

 コーネルが、ルカに聞く。

 少し答えづらそうに、ルカは返す。

「うん……」

「そうか……」


二人のやり取りは、そこで終わると、ルカは扉に手をかけ、振り返らずに言った。

「絶対、見つけるから」

 彼は何も言わず、その背を見つめていた。


 

 崖を下りると、朝の霧がまだ、水辺に残っていた。

 草が濡れ、足元がすべる。

 昨日の痕跡を探しながらも、なにかを祈るように、ルカは水際を歩いた。


 川の流れは、昨日より濁っていた。足を踏み入れるたび、水音が跳ね返ってくるようだった。


 そうしていると、一箇所だけ、水の色が暗くなっているところがあった。

 

 ルカは、何かがある気がして、服を脱ぎ、川へ飛び込んだ。

 二人を探すためなのか、自分のためなのか、そのどちらもなのか、ルカにもわからない。

 

 夏だというのに、川は刺すように冷たかった。


 あのときの二人は、この水の中で、何を思っただろう。

 ルカは、答えのない問いを抱えたまま、水底へ潜っていった。


 思ったよりも深く、底は暗かった。

 水は濁り、指先すらよく見えない。


 この深さなら――二人はまだ、生きてるかもしれない。

 ルカは、祈るしかなかった。

 意味があるかなんて、どうでもよかった。

 祈らずにいたら、息を止めるより先に、心が潰れてしまいそうだったから。

 そのまま、息の続く限り、泳ぐ。


 水を掻く音だけが、耳に残った。

 

 

 ルカが水面から顔を出す。

 幾度となく、潜り、泳ぐ。

 何度も潜る。

 見えない。触れられない。

 水の中を掻き続けていた。

 

 けれど、やめる理由がなかった。


「ルカ!なにしてんだ!あぶねえぞ!」

 その声に、振り返る。

 コーネルが、ロープをこちらへ投げ込むのが見えた。

「あがれ!バカ!」

 

 ロープが、水面に浮かんでいる。

 ルカは、それを見つめたまま、動けなかった。


 本当に、あがってしまっていいのか。

 彼らは、まだ水の底にいるかもしれないのに。


「バカ野郎!一回休憩だって言ってんだ!」

 いないはずのガレオンの声が、コーネルのものと重なって聞こえた。


 手が、勝手に動いていた。

 気づけば、ロープを握っていた。


 そのままぐいっ、と引っ張られ、川べりへと引き上げられる。

 昨日のように、宙ぶらりんのまま、足は動きそうにない。


「なにやってんだよ。お前。一人で無茶しやがって。俺も呼べよ」

 それ以上言うと、泣きそうだったのか。

 コーネルは、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「ごめん」

 それだけ言うと、ルカも背を向けた。

 唯一残った同い年の家族の言葉が、妙に胸に響いたから。


「ルカ、火ぃ起こそう。冷えたら風邪引くぜ」

 そう言って立ち上がったコーネルは、いい塩梅(あんばい)の流木をすぐに見つけ、腰からナイフを抜いた。


 刃の根元には、彼の名と小さな羽の印が刻まれている。

 柄の皮は、(あめ)色になっていた。

 手に馴染み、角はすり減り、滑らかに光っている。


 雑に扱われた形跡はない。


 何度も磨かれ、何度も使われ、それでも壊されなかった時間だけが残っていた。


 かつてアズルが、ルカたち四人に贈ったものだ。


……火も、獣も、命も。

 かつて、アズルが言っていた言葉と、笑顔を思い出し、喉の奥が熱くなった。



 コーネルは、刃先で枯れ草を削りながら、無言で火を起こし始めた。

 迷いは、なかった。

 石と木と、少しの草。

 火打ち石を打つ手に、ためらいはなかった。


 一度目。

 火花が跳ねる。


 二度目。

 小さな煙が立つ。


 三度目。

 ぱちっ、と音がして、火が灯った。

 無駄がなく、正確で、美しかった。


 それを見て、ルカは思った。

……アズルさんは、今もここにいるんだな。


「……何じっと見てんだよ」

「たまには手伝えよ……バカ」

 そういうと、指でちょいちょいと、自分の横を指し、座るように促した。

 ミツヤみたいだな、とルカは少し吹き出した。

 

 

 火で暖を取る。あの夜の黒ずくめの男の魔法の火は、氷みたいに冷たく感じたが、この火は、優しく、暖かかった。


「アズルさんの手紙読んだ?」

 ルカが聞くと、コーネルは寂しそうに鼻をすすった。

「ああ、読んだぜ。ありゃ、ひでえぜほんとに。誰か死んだらそいつの分は燃やせって、燃やせるわけねえだろ」

 憎まれ口を聞きつつも、少し笑っていた。


「……僕、実はまだ、読めてないんだ」

 ルカは彼の表情を見て、そう言うと、胸元から手紙を取り出した。

「なんだか怖くてさ。一緒に、読んでくれない?」


 コーネルはきょとんとした顔をして、それでも頷いた。

「何やってんだよ、まあ俺は別にいいけど。恥ずかしい話書いてあっても、知らねえぞ」


「うん、頼むよ」

 そう言って、ルカは封を切った


 

 ルカ・アルフェリオへ


 手紙なんてお前に書くのは、初めてだな。

 これは、全員宛に書いてることなんだが。


 いなくなったやつがいたら、帰ってきた時に渡してくれ。

 でも、もしそいつが死んでたら──その手紙は、もういらねえ。焼いてくれ。

 

 

 こんなもの、柄にもねえし、本当は送るつもりはなかったんだが、俺が、死ぬって可能性もあるから、書き起こす。


 まずは、この手紙を読んでるってことは、間違いなく、何か起きたってことだな。 俺は、なにかあるって予感しながらも、父としてなのか、兵士としてなのか、お前らのことを、蒼羽の巣に残しちまった。

 すまねえ。

 俺の力だけでは、たぶん解決するのは難しい。そう思っちまった。頼りにしちまった。

 謝っても許されねえことだと、思う。

 けど、俺はお前らの力を、勝手ながら信じさせてもらった。

 それが、親ってもん、なのかはわからねえが、そういうことだ。

 

 なにを書いてるか、自分でもわからなくなっちまった。

 

 でもな、お前は、優しい子だ。

 だから、自分を後回しにする。

 それは悪いことじゃねえ。

 けどな、それは、最善じゃねえ。

 自分を守ってこそ、他人を守れる。

 覚えときやがれ。


 

 その続きは、なぜか目が滲んで、焚き木の光を反射して、読めなかった。


「ありがとう。一緒に読んでくれて。居てくれて」

 裾で目を覆う。

 コーネルは、ルカの赤い髪をくしゃっ、と撫でる。

「お前は、二人を守ろうとしたんだ。もう二度と"殺した"なんて言うなよ。もし言ったら……兄弟やめるからな!」

 その声は震えていた。

「うん。二度と言わないよ。約束する!僕……強くなるから!」

 目を隠したまま、頷き、決意する。

 薄暗くなった川辺に、焚き木の火が、ぱちぱちと、音を立てる。

 それは、まるで――拍手をする観客のようだった。

 

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