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いつか、呼べる名  作者: 塩治房智
第一幕 第一部
13/23

第五話 美しい名前 中編

「ミツヤに引き取り手ができた。急遽だが、三日後の朝に迎えにくるらしい」

 そう、アズルが伝えた日の午後から、“蒼羽の巣”は、異様なくらい静かになった。


 ミツヤは「ふざけんな、勝手に決めやがって」と怒鳴っていた。

 けれど、他の子たちは──その怒りを、まるで聞かなかったかのように笑った。

「……よかったな」

 寂しさを押し殺して、誰もがそう言った。


 ヴァルトが出立して、二日。

 朝の(かね)が鳴っても、誰も競うように階段を駆け下りてこない。

 炊事場には、鍋の煮立つ音だけが、ぽつり、ぽつりと響いている。

 空気は澄み、空は晴れている。けれど、どこかおかしい。


 昨日の午後には、教会の使者がガレオンを名指しで訪ねてきた。

 アズルは一言も語らず、そのまま門を閉じた。

 その後、誰もそのことには触れなかった。


 “蒼羽の巣”全体が、まるで――息をひそめ、嵐の訪れを待つ森のようだった。

 

 

 年少組は、隣村の農家へ手伝いに出されていた。

 アズルが昨日頼み込んだらしい。

 なぜミツヤが引き取られる直前なのか、わからなかった。

 「ミツにい、ばいばいじゃないよね?」と子らは聞いていたが、ミツヤは「当たり前だろ?はやく行きな」と少し寂しそうに笑って送り出していた。

 子どもたちが帰ってくる頃には、自分はいないかもしれない。

 けれど、それよりあの子たちの泣く顔を見たくなかった。


 コーネルが「俺たちは手伝いに行かなくていいのか?」と問うても、アズルは少し黙って──こう言った。


「……お前らは、ここにいてくれ……。すまない」


 その声は、低く、どこか冷たく響いた。

 すまない、と言った理由がわからず、コーネルは戸惑ったが、口にはしなかった。

 命令ではなかった。けれど、拒めるものでもなかった。


 子どもたちが部屋を出ていったあと。

 アズルは、一人、静かに天井を見上げた。


 ──護るべき命は選べ。

 昔の戦場で、幾度も聞いた言葉だった。

 その教えを、こんなかたちで思い出すことになるとは思いもしなかった。


 幼い子らを遠ざけたのは、生かすため。

 年長の三人を残したのは、託すため。

 それでもなお、一人でも多く、“ミツヤの盾”になれるようにと──剣を持たせた。


 けれど──それが、戦士としての選別なのか。

 父としての願いなのか。

 自分でも、もうわからなかった。

 


 そして、その日の夜、それぞれ手渡した武器を、枕元に置いておくよう、(うなが)した。

 ルカは、アイリスからもらった剣を、脇机に立てかけた。


 

 その日の深夜、月は赤く光っていた。

 ルカは、眠ることができず、窓辺でじっと夜空を見ていた。


 胸の奥に、小さな(とげ)が刺さったままだった。

──明日、ミツヤはここを出ていく。

 言い合いのあと、なにもなかったように、話していた。


 けれど──ごめん、の一言が、やけに遠かった。

 ほんの一歩なのに、胸の奥では、踏み出せなかった。

 謝る隙なんて、いくらでもあったのに。


「……明日、謝ろう」


 ぽつりと呟いて、窓から目を離しかけたそのときだった。


 遠く、光が(またた)いた。

 ほんの一瞬後、地の底から這い上がるような轟音が、巣を揺らした。

 窓が震え、寝台の足元で何かが倒れる音がした。

 子どもたちの悲鳴が夜空へ響いた。


 「無事かッ……!!」


 階下から、アズルの怒鳴り声が響く。

 乾いた床を、誰かの足音が走っていく。


 次の瞬間、子ども部屋の扉が乱暴に開かれた。

 斧を片手にしたアズルが立っていた。


 その姿は恐ろしく見えたけれど、

 声には、怒りも威圧もなかった。


「……こっちに来い。怖がらなくていい」


 それは、戦士の声じゃない。

 迷いなどない。守るために、武器を握った──親の声だった。


 子どもたちはアズルに誘導され、一階へと降りていく。


 階段の途中で、誰かの手が、そっと彼の背を押した。

 見ずとも、ガレオンだと分かった。

 そのぬくもりを感じた直後──


 再び、轟音が響いた。

 床が軋み、玄関の扉が、内側から叩き壊された。

 木の破片が、夜風に乗って宙を舞う。


 音の中に、女の笑い声が混じっていた。

 甲高く、乾いた笑い──まるで、子どもたちの悲鳴に酔うような声だった。


 扉の残骸を踏みしめ、靴音が一歩ずつ、床を軋ませる。

 黒ずくめの五名が、隊列を組み、入ってくる。

 笑いは止まない。先頭の女の仮面のなかから。

 誰もが言葉を失うなか、鞘から金属音が響いた。

 それは、最初の一撃のための音だった。


「こんばんは。夜分遅くに申し訳ありません」


 笑っていた。

 その目に、謝罪の色はなかった。

 ただ、愉悦。獲物を前にした狩人のように、静かな(たか)ぶりだけを滲ませながら。

 ガレオンは、剣を構える。真っ直ぐに敵を見つめ、ごくりと喉を鳴らした。


「……おやおや。迎えに来てくださったんですか?」

「ならば、手土産に、その坊やの首でも持ち帰らねば――上に叱られてしまいますので」


 言葉と同時に、刃が走る。

 一撃。斧と交錯し、鋼が火花を散らした。


「これはこれは。“元”銀虎殿。ご存命とは……てっきり、血の海で錆びついたものとばかり」

「……てめえみてえな下衆(げす)と喋る気はねえ。殺す」


「お褒めにあずかり、光栄の至りです」

「私は“小石”。あなたに踏み潰される運命の、“小石”」

「ですが今宵は、どうやら“そちら”が(つまず)く番のようで――」


 その皮肉を最後まで、言わせてやる気などなかった。


 ごう、と斧が唸った。空気が裂け、灰色の閃光が走る。

 振るわれたのは獣の腕ではない。精密に設計された、殺戮(さつりく)の機構。


 “小石”は身を翻し、殺意の軌道から抜けた。

 だが、その背後に立っていた男の喉元は、すでに裂けていた。


 目が見開かれる。理解が追いつく前に、胴が斜めに滑り落ちた。


 血の華が咲いた。

 月に照らされた白壁に、鮮やかな弧を描く。

 斧は、すでに次の構えへ戻っている。

「ひっ」と悲鳴が聞こえた。コーネルだった。

「……これは無理だ」

 ガレオンは、誰にも聞こえぬ声で呟いた。

 そして、無謀な突撃はしないと判断し、剣を納めた。


 アズルは、ガレオンの所作を横目でちらりと覗き、小さく頷いた。

「一人目。あと四人しかいねえぞ……どうすんだ」


 声は冷ややかで、どこか皮肉げだった。だがその裏で、アズルの意識はすでに“殺す”だけではなかった。


 足音。風。気配の揺らぎ。

 建物の裏、崖に抜ける小道――誘導できるとすれば、あそこだ。

 音で釣れば、こちらに意識が向く。抜ける隙は、つくれる。


 建物の外の敵の残りは、たぶん一か二。

 指す手を誤れば、子どもたちは逃げ切れない。

 だが、数が多いほうが楽だ。

 まとめて片付ければ、手間も減る。


 斧の重みを、掌が確かめる。

 やるべきことは、ひとつも変わらない。


 殺して、逃がす。

 それだけだ。


 思考が定まり、獣のように睨みつける。

 冷ややかな殺意は消え、全身から噴き上がるような熱が滾る。

 喉の奥から、咆哮(ほうこう)が噴き出した。


「うおおおおおおッ!!!」

 "銀虎"が吠える。


 斧を両腕で振り抜く。

 壁が砕け、土煙が爆ぜた。

 怒涛の一撃が、空気ごと敵を薙ぎ払う。


 背後に気配を残したまま、アズルは指を向けた。

 子どもたちにしか見えぬ角度で。――逃げ道を。


 理解は及ばなくとも、その指だけは明確だった。逃げろと。

 

 ミツヤは振り返り言った。

 考えるよりも、早く。家族のために。反射的に。

「コーネル。ルカ。ガレオン」

 兄弟たちの名を呼ぶ。


 「行くぞ」

 その声は、力強かった。

 


 ミツヤが裏口を指したそのとき、

 コーネルは足元の敷居に引っかかり、膝をついた。

「っ……ごめ──」

「大丈夫だから」

 ルカがそう言い、ガレオンとともに無言でその襟を掴み、引きずるようにして走り出す。


――行くぞ。

 言葉の響きが、自分でも驚くほど――“似ていた”。


 あの夜、ヴァルトに言われたあの声に。


――ルカは心臓。ガレオンは腕。コーネルは足。

 そして――お前は、“頭”だ。


 あの言葉が、今、ミツヤの背を押す。

「……わかったよ。兄さん」

 裏口から外に出たミツヤを、赤い月がぼんやりと照らしていた。

 

 

「外に、私の部下が、いないとお思いですか?」


「……ああ、すぐに合図を出さずいてくれて、ありがとよ」

 アズルは静かにそう言うと、片手で斧を立て、

 次の瞬間、それを“地ごと裂く”ように叩きつけた。


 地鳴りのような轟音。

 壁の埃が舞い、誰かが仮面の奥で、思わず耳を押さえる。


「おかげで、外に出たガキどもが──まだバレずに走れてる」

 その声音は低く、鋼のように冷たかった。

“誰ひとり、追わせない”という意志が、空気そのものに刻まれる。


 アズルは靴棚をつかみ、投げ捨てた。

 木片が爆ぜ、壁を叩き、玄関の出口が塞がる。


 全身へ、灰色の魔素が、燃え立つように灯る。

 揺らめきながら、しかし一点の曇りもなく──


 ここからは、「逃さぬ者」と「追う者」の死合だった。

 もはや一歩たりとも、引くことはない。

 

 アズルの魔力を見て「ほう、それなり、ですね」

 と"小石"は耳を抑えながら言ってのけ、そして、部下に、手で指示を下す。

――囲みなさい。

 敵は、ジリジリと、足音を立てず、左右に広がっていく。

 前、右、左。三方へと、アズルは視線を散らし、牽制する。

 その瞬間、足元に、小さな魔導工具が投げられるのが見えた。ひとつ、ふたつ。

 無音のまま、一つの閃光が炸裂する。

 光の正体を、見た瞬間には察していた。

 それでも、間に合わなかったように一瞬だけアズルは目を抑える。


 その隙を見逃すことなく、敵は無属性魔法で脚力を強化し、一気に距離を詰めた。

 小石は、それをただ観察していた。


 一斉ではない。アズルの動きに警戒し、順番に攻撃を仕掛けてくる。まずは右──横殴りの一撃。


 がきん、と金属がぶつかる音。

 剣は、アズルの左手の籠手に阻まれた。

 次の瞬間、右手の斧が唸り──首を落とした。


 からん、と転がる頭。数拍遅れて、体が崩れる。

 床と壁は赤く染まり、灰色の魔素が、それを静かに照らした。


「ちっ……全員で来てりゃ、横薙ぎでまとめて捌けたのによ」

 左手から流れる血を、一度だけ、払う。剣戟を受けた籠手は、割れていた。

 

「目が眩んだのは、演技でしたか。あなた、嘘つきですね」

 値踏みが終わったように、"小石"が笑う。

「私もなんですがね」

 その瞬間アズルは、身体に違和感を覚える。

 あの時、投げられた魔導工具は二つ。

「そういえば、光ったのは一つだけだったな……」

 

 アズルがつぶやく。足元に、じわりと広がる痺れ。視界の端が、わずかに滲む。


「もう一つは……毒か」

 "小石"は、笑った。


「とんでもない。そんな物騒なものじゃないですよ。せいぜい――子供騙しです」

「無味無臭なんです。でも、その代わり撒ける範囲は狭いですし、効き目もすぐ切れます。……あ、でも」

 わざとらしく指を立てて、続ける。


「“痺れる”って、違和感ございませんか?」


 

 アズルの肩がわずかに揺れたのを見て、"小石"は楽しげに笑った。

「よかった……。私、間に合ったんですね。あなたと、また殺りあえると聞いて。

 一日、予定を早めましたよ」


 少し首を傾げ、仮面の奥から声を低く落とす。

「……あの日から何度も、あなたの殺し方を考えました。

 何通りも、何通りも。寝る前に、それしか浮かばないほどに」


 顔は見えずとも、口角をあげるのがわかった。

「でも、私のこと──覚えてませんよね?」


 アズルが無言を返したその瞬間、仮面の奥で、声が揺れた。

「それでいいんです。あなたに忘れられたからこそ、私は今日まで生きられた」

「だから今度こそ、刻む。あなたの肉に、この名を」


「すまねえな、覚えてねえ。そして、今日でまた忘れるよ。そろそろ行かねえと。息子たちが待ってる」


 その言葉に、"小石"が一拍遅れて顔を上げた。

「……ああ!そうでしたね。黒髪の坊やの首。ついでに"英雄還り"の確保。任務でした」

「ま、部下が追ってます。……私の手など、必要ないでしょう」

 声に笑みが滲む。だが、それは軽薄なものではなかった。

 仮面の奥から、震えるような声が漏れる。

「──いまの私は、“それどころ”じゃないんです」


 アズルは、片手で斧を握り直す。

 左手の傷は存外深く、右手は痺れている。それでも、まだ握れる。


“振るえるか”ではない。

“振るうしかない”。


 身体が(きし)む。視界が(にじ)む。

 けれど、その足は、一歩も退かなかった。


「……叩っ斬る」


 腕に持った"轟哭"が、ぎらり、と光った。

 

 

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