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いつか、呼べる名  作者: 塩治房智
第一幕 第一部
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第五話 美しい名前 前編


「状況報告を申し上げます。二日前、コラトン地区にて実施された識別式において、黒髪の少年を、草の者が発見いたしました。名は、ミツヤ・プリュミノー」


 王国の宮殿内。

 重厚な扉が静かに閉じると、広間に沈黙が落ちた。

 椅子の背にもたれる老人は、細い指で卓上をとんとんと叩きながら、その名を反芻する。


「……プリュミノー。聞き覚えがあるな。たしか“無白の英雄"──ヴァルト・プリュミノーの姓か……」


「はっ。左様でございます。王都からはるか南、サウスガーデンの外れの『蒼羽の巣』という孤児院に身を寄せていたようです。十年以上は潜伏していたかと思われます」


「『青き羽』か……プリュミノー。もしや、その孤児院の主は、"アズル・プリュミノー"ではないか?」


「左様でございます。宰相。……失礼ながら、私は名を聞くのも初めてでしたが」


「“銀虎”……ふっ。亡霊め。貴様のような若造にまで忘れられるとはな」

 

 宰相と呼ばれた男は、再びふっと鼻で笑った。

「……あの人斬りが、孤児院などと。笑わせてくれる。しかも、生死不明となった、国王の落胤と同い年の"黒髪"の少年と共に。――全て、腑に落ちた。なぜあの男が、十数年前、全盛期にあっさりと軍を去ったのかも、な」


 間を置かず、命令が下る。


「――その少年には消えてもらうほかあるまい。王は床に伏し、他の子らは……そう、“不慮の事故”だった。あとは、あの一匹だけだ。早急に"解決"せねばならぬ」

 

 立ち上がりかけた宰相を、侍従が慌てて呼び止める。


「お待ちください。実はもう二つ、報告がございます」


「……これ以上に"面白き話"が……?」


「――“英雄還り”が、見つかりました」


 その言葉に、老人の足が止まる。

 ゆっくりと椅子へ腰を戻し、初めて真面目な声で問うた。


「場所は?」


「同じくコラトン地区、そして『蒼羽の巣』です。名は、ガレオン・プリュミノー。年齢は十二、識別の結果、魔素放出不能。"英雄還り"にしか起こらぬ現象です」


 宰相の眼が細まる。


「──面白い」


 唇の端をかすかに吊り上げながら、最後の報告を促す。


「……まさか、残り一つも、"蒼羽の巣"とやらの、子供か?」


「はい。名をルカ・アルフェリオ。土属性、魔力量は中程度ながら、判定時に識別水晶が一時的に異常をきたしました。魔素に混濁が見られ、記録が一部破損しています。現場を見ていた斥候は、『瑣末(さまつ)なことかもしれないが、揺らいでいた』と」


「混濁、揺らぎ……か……そのような現象、聞いたこともないが……」

 自身の記憶を、隅から引き出すように、顔を左上へと向ける。

「宰相……先ほど申し上げた、ヴァルト・プリュミノーの件、いかがなさいますか?」


 侍従(じじゅう)の言葉に思考を妨げられ、男は少し不機嫌そうに、表情を崩した。

「"王国の矛"の対処か。それは私が手配しよう、遠方へ行くようにな」

 

 そして、また、話を本筋に戻す。

「ふむ……"混濁の少年"は保留。黒髪の少年と、英雄還りを確保せよ。“銀虎”は始末しろ。孤児院の子どもらは──あくまで"事故"としてな」


「王の"血"を引く者と、王の"体"と同じ体質を持つ者が、共に在る……か。"王国の守り神"が育った辺境の孤児院で……。これも一興だな。女神の戯れか、それとも……」


 冷徹な声音のまま、男は椅子を立つ。

 その歩みは、迷いなく、重い。


「……何にせよ、ついに、盤上の駒が揃い始めたな。さあ、“王”の座を継ぐにふさわしいのは、どちらか」


 誰にも聞こえぬよう、(わら)いを(こぼ)した。



 子どもたちが眠りについた夜、居間には、男ふたりの声だけが静かに響いていた。


「それは災難だったな。誰も大怪我しなくて何よりだよ」

 昨日に起きた事件について、ヴァルトは心の底からの感想を述べた。


「あいつらも成長してるってこった。いつまでもガキのままじゃねえ。いつかはお前くらい強くなるかもな」

その父の言葉に、嬉しそうに英雄は笑った。

 

「……それにしてもまさか今日、帰ってくるとは思わなかったぞ」

「ああ。識別式のタイミングで、たまたま手が空くとは俺も思わなかったよ。帝国の奴ら、降って湧いてくるように戦線に現れやがる」

「無属性でありながら、王国騎士団遊撃隊長。"無白(むはく)の英雄"様は大変だな。お前たち兵隊さんのおかげで、王国は守られてる」と冗談まじりに褒めつつ、アズルは少し笑った。


 ヴァルトは手にした杯を軽く掲げ、少しばつが悪そうに目を細めた。


「……それで。結局、ガレオンの属性ってのは、なんだったんだ」

ヴァルトの問いに、少し間を置いて、アズルが答える。

「――英雄還り、だった」


 盃が、わずかに音を立てた。

「……やっぱりか。あの坊主、傷の治りが昔から早かったからな……」

「識別式前に可能性を伝えねえと、とは思ってたんだが。タイミングが掴めなくてな」

「そりゃあ、簡単な話じゃねえよな」


ヴァルトは顎を撫で、息を吐いた。

「……でも、あいつは折れねえ。バカだけど、骨がある。そういう目ぇしてる」


「ああ」

アズルの声は、短く、けれど深かった。


「ルカは……魔力が濁ってた」

「濁ってた……?」

 ヴァルトの眉がひそまる。

「……初耳だな。そんな例、聞いたこともねえ」


「俺もだ」

「……気になるな」


「それと……」と、アズルは声を落とした。

「ミツヤの黒髪が、大勢に見られた。識別式の場で、だ。貴族から衛兵、教会関係者、色々な奴らにな」


ヴァルトは沈黙する。

杯を置き、静かに言った。


「ありゃ、こっちの片田舎じゃ相当目立つからな」

「……ああ、そうだな」

 長男の声に、少し間を開けて、父は返した。


「ヴァルト、理由は聞くな。今後、お前には無理なこと頼むかもしれねえ」

「何水臭えこと言ってんだよ、親父殿」


ヴァルトは笑って立ち上がる。

「俺は"蒼羽の巣"の長兄、二代目銀虎、ヴァルト・プリュミノー様だぜ?」


「……お前、金髪だろ」


「いいんだよ。名乗りてえんだから。それに初代の髪がもうねえんだ。由来なんてバレねえさ」

 その言葉を聞き、アズルが拳骨を落とした。


 冗談めいたやりとりに、重たい空気が一瞬、和らいだ。

 けれどその夜、ふたりの胸に残ったざわめきは、消えることはなかった。

 そのわずかな歪みの上を、知らぬまま──少年たちは、朝を迎える。

 


 かちん、かちん、と木刀が音を鳴らす。

 ヴァルトが子どもたちと打ち合っていた。

 朝の日差しは本調子にはまだ遠く、庭の空気は少しだけ冷たい。けれど、陽だまりのように優しかった。

 弟たちに、今までで初めて一本取られた模擬戦の後、魔法の講釈を終えたのちに少し休憩を挟んで、稽古を再開していた。

 けれど、打ち合いの合間にふと、彼の目が遠くを見た。

 その視線に宿る“何か”に、子どもたちは気づかない。

 ただ、木刀の音だけが、どこか硬く、深く、響いていた。


「手紙です」

 木刀の音が、わずかに止まった。

 運び屋の男性が、庭先にいた子らに声をかけた。


「二通あります。こちらと、こちら」

 運び屋は、丁寧に封を見せながら手渡した。

 ヴァルトが受け取ると、ひとつはアズル宛──差出人の記載がなかった。

 もう一つは、自分宛。封蝋(ふうろう)には、西部方面軍の印。

 直後、ヴァルトの目がわずかに細まった。


 ヴァルトが「ありがとうございました」と一礼すると、運び屋は軽やかに踵を返し、何事もなかったかのように去っていった。


 ぺり、と封を切った。

 一行、二行──目を走らせていく。

「ちっ。……匂うな」


 目を伏せたまま、しばし黙した。

 表情には出さず、封書を懐へと仕舞う。


 もう一通、差出人不明の手紙を手に取り、封を見つめる。


「……これは、親父殿に渡すしかねえか」


「おーい、小僧ども!」

 声色は明るく、軽やかに。

「兄ちゃん、ちょっと仕事が入っちまった!」


「ええ〜っ!」と子どもたちが声を上げる。


「すぐ戻るさ。帰ったら話だけじゃなく、魔法の使い方も──教えてやる」


 笑って、手を振る。

 そして、二通目の手紙も懐に収め、走り出した。



アズルは手紙を見ると、呟いた。

「返信が……来たか」

 そのあと、無言で封を切った。

 細い目が、紙面をなぞる。


 一行。──眉がかすかに動く。

 二行目で、呼吸が止まった。



――以下の理由により、ご契約を打ち切らせていただきます。商品につきましては、三日後、お引き取りにお邪魔いたします。

 

そして最後の句点にたどり着いたとき、

アズルは、目を伏せ、紙をそっと置いた。


「──三日後に、ミツヤを迎えに来るらしい。そう書いてある」


低く、抑えた声だった。


「迎えに……って、誰が?」


ヴァルトが問うと、アズルは少しの沈黙を挟んでから、答えた。


「……昔からの知り合いだ。俺が、生き方を変える前からの──同志みたいなもんだ」


それ以上は言わなかった。

ヴァルトも、それ以上は問わなかった。


静寂の中で、二人の男の視線が交差する。


父の目は、まるで戦場を前にした兵のように、静かで、鋭かった。


「わかった。親父殿。できるだけ早く戻る。……その間、弟たちを、頼む」


 そう言い残して、ヴァルトは建物を出た。

 朝靄(あさもや)のなか、愛馬を()る背はまっすぐで、影だけが、地を裂くように伸びていた。


 アズルは、静かに呟く。

「……この計ったようなタイミングでヴァルトが不在になる……か。なにも、ないといいが」


 そう言って、部屋の隅にある古い箪笥に近づく。

 子どもたちには決して触れさせぬよう言い聞かせてきた、鍵付きの箪笥だった。

 鍵を回すと、乾いた音とともに、扉がきしむ。


 湿り気を帯びた空気とともに、かすかな鉄錆とカビの匂いが立ちのぼる。


 ゆっくりと手を差し入れ、中から一本の斧を取り出す。


 鈍く光る刃に、かつて刻まれていた名を、指先がなぞる──“轟哭(ごうこく)”。

 それは、かつて“銀虎”と呼ばれた男が、戦場を共にしていた相棒だった。

 先王から、騎士団長と共に賜った、国宝の金属。

 それを、王国随一と呼ばれる名工に鍛造させ、形にさせた。

 重く、硬い。それでいて、よくしなる。


 手にした瞬間、掌に古い痛みがよみがえる。

 無数の命を断ち、守ったその刃。

 もう二度と使わぬと、封じたはずの過去。


 けれど──


「"最後の任務"、か……」


 アズルは、刃の背をそっと撫でた。


 「……"轟哭"、お前を使うことに、なるかもしれない」


 そう言うと、窓から庭の方を見やる。

 木刀を振り、笑う子どもたちの声が、響いていた。

 これからも、その"当たり前"を見るために、"蒼羽の巣"の親鳥は斧を強く握りしめた。

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