最後に。
ここまで小生は、
AIの台頭によって揺らぎ始めた創作の在り方
感想やレビュー文化が抱える歪み
そして、数字という価値尺度がもたらした功罪
これらについて、拙いながらも筆を進めて参りました。
しかし誤解のないよう、最後に改めて申し上げておきたいのです。
小生は決して、「AIを使う者」や「評価を求める者」を糾弾したいわけではない──と。
むしろ、小生自身もまた同じ海を漂う一人の創作者であり、
時に数字へ心を乱され、
時に他者の言葉に救われ、
時に打ちのめされてきた人間に過ぎません。
だからこそ、小生はただ静かに問い掛けたいのです。
我々は今、何のために物語を紡いでいるのだろうか──と。
承認のためでしょうか。
数字のためでしょうか。
ランキングのためでしょうか。
もちろん、それらを否定するつもりは微塵もありません。
評価される喜びは、間違いなく創作の原動力の一つですし、
誰かに必要とされたいという願いは、人としてごく自然な感情です。
しかし同時に、小生はこうも思うのです。
物語というものは、本来もっと不器用で、
もっと時間のかかる営みではなかったか──と。
言葉に出来ない思いを抱えながら、
胸の奥底を何度も探り、
悩み、迷い、立ち止まり、
時に紙を丸めて放り投げ、
それでもなお、
「伝えたい」と願う何かが心の内側に残ったとき、
初めて一行の文章となる。
その不格好で、非効率で、なのに尊い時間こそが、
創作という営みの核心ではなかったのでしょうか。
AIが文章を生成し、
感想が評価の装置となり、
レビューが作品の価値を方向付ける世界において──
我々が見失ってはならないのは、
「物語の奥に息づく“人の体温”」
なのかもしれません。
どれほど整った文章であっても、
どれほど展開が巧妙であっても、
どれほど数字を稼いだとしても、
迷い
葛藤
祈り
喜び
悲しみ
このような人間的な揺らぎが宿っていなければ、その物語は、きっとどこかで空虚な響きを帯びてしまう。
小生は、そう感じてやみません。
AIは否応なく、これからも進化し続けるでしょう。
感想もレビューも、
数字という価値尺度も、
きっとこの先ますます影響力を増していくはずです。
だからこそ──
最後に踏みとどまる場所は、いつも自分自身の胸の内なのだと思うのです。
自分は何のために書くのか。
この物語を誰に届けたいのか。
そして、胸を張って「これは自分の作品だ」と言えるのか。
その問いだけは、どれほど時代が変わろうとも、AIが進歩しようとも、作者自身が背負い続けるしかない問いなのでしょう。
小生は、そう考えています。
拙い文章ではございましたが、ここまで読んで下さった方へ、心よりの感謝を申し上げます。
そして最後に。
願わくば、この荒波の創作海に身を投じる全ての同志たちが
数字や評価に振り回されすぎることのない、
ただ「物語を紡ぐ喜び」そのものを、どうか忘れぬままでありますように。




