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第6話:至高のパジャマ完成

始まりの街『アルカディア』。 その路地裏にある安宿の一室で、鬼気迫る形相で針を動かす男がいた。


「……よし。縫い目は完璧だ。次はゴムの調整……きつすぎず、緩すぎず、腹式呼吸を妨げない絶妙な締め付け具合……ここだ!」


ネムである。 彼の手元にあるのは、先日『クイーン・スパイダー』から搾り取った最高級シルクの山。 そして、イノシシの革。 彼は宿のベッドも使わず、床にあぐらをかいて、一心不乱に裁縫作業に没頭していた。


「ちょっと、いつまでやってるのよ……もう3時間も経ってるわよ?」


部屋の隅で、エレオノーラが呆れたように声をかける。 彼女は「変な装備のまま外を出歩かれると、パーティを組んでいる私の品位に関わる」という理由で、監視も兼ねて付き添っていた。


「待て。あと少しなんだ。……この袖のカーブが、寝返りを打つ時の肩の可動域を決める。妥協はできない」


ネムの目は血走っていた。 『生産スキル』など持っていない。 彼が頼っているのは、現実世界で破れたスーツを自分で繕い、ボタンを付け直し、少しでも長く着回すために培った「社畜の貧乏裁縫術」のみ。 だが、その執念がシステムに干渉していた。 通常、生産職でなければ扱えないはずのボス素材が、彼の手によってみるみる形を変えていく。


そして。


「……できた」


ネムが震える手でそれを掲げた。 窓から差し込む夕日が、完成した衣服を照らし出す。


上は、深いミッドナイトブルーの長袖シャツ。 下は、ゆったりとした同色のズボン。 素材は全て、光沢のあるクイーン・シルク。 襟元と袖口には、補強としてワイルド・ボアの柔軟革がアクセントに使われている。


【至高の安眠パジャマ(品質:S)】


製作者: ネム


説明: 狂気的なこだわりで作られた寝間着。見た目はただのパジャマだが、素材のポテンシャルが限界まで引き出されている。


特殊効果:


《絶対なる肌触り》:着ている間、精神的ストレスを無効化する。


《流体装甲》:表面が滑らかすぎるため、物理攻撃を受け流す。


《体温調整》:常に「布団の中の最適な温度」を維持する。


「……美しい」


エレオノーラですら、思わず息を呑んだ。 ただのパジャマのはずなのに、そこには聖騎士の儀礼用装備にも劣らない気品と、魔道具のようなオーラが漂っていた。


「さあ、着替えよう。そして寝よう」


ネムは即座に着替えを済ませた。 袖を通した瞬間、彼は「ほう……」とため息を漏らした。 重さを感じない。 まるで空気の層を纏っているようだ。 動いても衣擦れの音がせず、皮膚と布の摩擦がゼロに近い。


「行くぞエレオノーラ。試運転だ」 「え? 狩りに行くの?」 「違う。広場だ」



アルカディアの中央広場。 噴水があり、多くのプレイヤーが談笑したり、パーティメンバーを募集したりしている憩いの場だ。 そのど真ん中のベンチに、ネムは仰向けに寝転がった。


「……ああ、いい」


石のベンチは本来なら硬くて冷たい。 だが、このパジャマは違う。 シルクと革の積層構造がクッションとなり、冷気を遮断し、背中への負担を分散させている。 まるで、高級なマットレスの上にいるようだ。


「……Zzz……」


ネムは3秒で落ちた。 雑踏の中で、堂々の居眠り。 そのあまりに無防備かつ優雅な寝顔に、周囲のプレイヤーがざわつき始める。


「おい、あいつ見ろよ。またあの変な奴だぞ」 「今度は上下揃いのパジャマ着てやがる……」 「舐めてんのか? ここはPKプレイヤーキラー禁止エリアじゃないんだぞ?」


アルカディアの街中は基本的に安全地帯だが、広場の一部は「決闘」ができる仕様になっていた。 そこへ、意地悪な笑みを浮かべた3人組の男たちが近づいてきた。 いわゆる「初心者狩り」を楽しむ質の悪いプレイヤーたちだ。


「おいおい兄ちゃん、こんなところで寝てると風邪ひくぜぇ?」


リーダー格の男が、寝ているネムの腹を短剣の柄で突こうとした。 悪質な嫌がらせ。 エレオノーラが「止めなさい!」と割って入ろうとした、その時だった。


ヒュッ。 カチンッ!


乾いた音が響いた。 男の短剣が、ネムのパジャマに触れた瞬間、氷の上を滑るようにツルリと軌道を逸らし、ベンチの石造りの肘掛けに激突したのだ。


「あ?」


男は目を丸くした。 今、確実に腹を狙ったはずだ。 なぜ滑った? いや、それ以前に。


「なんだこの布……? ナイフが食い込まねぇぞ?」


シルクの表面は、まるで油を塗ったガラスのように滑らかで、刃の切っ先を一切受け付けない。 《流体装甲》。 摩擦係数ゼロの超高級シルクは、半端な角度の攻撃を全て「滑らせて」無効化してしまうのだ。


「くそっ、ふざけやがって! 起きろ!」


男は逆上し、今度は短剣を振り上げ、本気で突き刺そうとした。 エレオノーラが剣に手をかける。 だが、それより早く、ネムが寝返りを打った。


「……んん……」


ゆらり。 無意識の寝返り。 しかしそれは、男の振り下ろした刃をミリ単位で避ける絶妙な回避動作だった。 さらに、寝返りの勢いで翻ったパジャマの袖が、男の手首に「ペチッ」と当たる。


「ぐあっ!?」


男が悲鳴を上げて短剣を取り落とした。 ただの布が当たっただけのはずだ。 だが、中にはイノシシの革と、ネムの「安眠を妨害されたくない」という無意識の念(物理威力)が込められていた。 カウンター気味に入った袖の一撃は、鞭のようにしなり、男の手首を複雑骨折させるほどの衝撃を与えていた。


「い、痛ぇぇぇ!! 俺の手がぁぁ!!」 「ひぃッ! なんだあいつ!? 寝たまま攻撃してきたぞ!」 「逃げろ! 関わったらヤバい!」


3人組は這うようにして逃げ出した。 残されたのは、変わらず「すやすや」と寝息を立てるネムと、呆然と立ち尽くすエレオノーラ、そして静まり返る広場の群衆だけ。


「……嘘でしょ」


エレオノーラは、ネムのパジャマにそっと触れてみた。 つるつるとして柔らかい。 鋼鉄の硬さはない。 だが、先ほどの光景は現実だ。 刃を通さず、衝撃を受け流し、触れた敵を弾き返す。


「まさか、フルプレートより硬いパジャマを作ったっていうの……?」


彼女は戦慄した。 この男、ただの変態ではない。 素材の特性を理解し、そのポテンシャルを「睡眠」という一点において極限まで高めた結果、最強の防具を生み出してしまったのだ。


「……むにゃ。枕の高さが……あと2ミリ……低い……」


寝言を漏らすネム。 最強のパジャマを手に入れた彼にとって、次なる課題はやはり「枕」のようだった。 広場の伝説『眠れるパジャマの悪魔』の噂が、また一つ増えた瞬間だった。

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