第3話:騒音公害を許すな
「……うるさい」
微風の平原からアルカディアへ戻り、人通りの少ない路地裏で『ワイルド・ボアの柔軟革』を使ってパジャマズボン(仮)を縫い上げていた時のことだ。 せっかくの裁縫タイム、心を落ち着けて針を進めていたのに、広場の方から聞こえてくる声が癇に障る。
「うわあああ! なんだこの音!?」 「鼓膜が破れる! 設定で音量下げても貫通してくるぞ!」 「マンドラゴラだ! 東の森でマンドラゴラが大量発生してる!」
プレイヤーたちの悲鳴と、それに混じって聞こえる「キィィィィ!」という甲高い金切り声。 それは、黒板を爪で引っ掻いた音を百倍に増幅したような、神経を直接ヤスリで削られるような不快音だった。
「……マンドラゴラ?」
ネムは縫いかけのズボンを履き、不機嫌そうに立ち上がった。 右足だけ革製、左足はトランクス剥き出しという、相変わらずのアシンメトリーなファッションだが、今の彼にはそんなことを気にする余裕はない。 安眠を脅かす最大の敵。それは「光」と「音」だ。 特に、予測不可能な騒音は殺意を覚えるレベルで許容できない。
「ギルドへ行こう。抗議だ」
彼は枕を小脇に抱え、冒険者ギルドへと向かった。
◆
ギルドの中は、外以上の大混乱だった。 受付カウンターにはプレイヤーたちが殺到し、怒号が飛び交っている。
「おい! あの森の近くじゃ狩りどころか会話もできねぇぞ!」 「状態異常『聴覚麻痺』ってなんだよ! 魔法の詠唱がキャンセルされるんだが!」 「運営に報告だ! バグだろこれ!」
受付嬢のNPCは困り顔で対応に追われている。 その列を無視し、ネムは掲示板へと歩み寄った。 そこには、赤字で緊急クエストが貼り出されていた。
【緊急討伐:騒音の根源を絶て】
場所:ささやきの森
ターゲット:マンドラゴラ変異種および群生株の駆除
推奨レベル:10~
報酬:5000G、防音の耳栓
備考:対象は強力な『絶叫』スキルを使用します。聴覚保護スキルまたは装備必須。
「……報酬、耳栓」
ネムの目が光った。 金はどうでもいい。だが、『防音の耳栓』。これは是が非でも手に入れなければならない神アイテムだ。 これさえあれば、多少の工事音や隣人の生活音が聞こえても、安らかな眠りを守ることができる。
「受けるしかない」
ネムはクエスト用紙を引き剥がすと、そのままささやきの森へと直行した。
◆
ささやきの森は、地獄の様相を呈していた。 森の入口に立っただけで、耳をつんざくような悲鳴が響いてくる。
「キィィィィィィ!!!」 「ギャアアアアア!!!」
地面から半分だけ顔を出した奇妙な植物たちが、そこら中で叫んでいる。 挑んでいるパーティもいるが、悲鳴を浴びてスタン(気絶)したり、連携が取れずに撤退していく者ばかりだ。
「……チッ」
ネムは舌打ちをした。 うるさい。あまりにもうるさい。 これでは、森の奥で昼寝をするどころか、精神が崩壊してしまう。 彼は道端で拾った苔を丸め、耳にねじ込んだ。 気休め程度だが、多少はマシになる。
「さっさと黙らせて、耳栓をもらって帰って寝る」
ネムは枕を構えた。 だが、ここで問題が発生した。 マンドラゴラに近づこうとすると、感知した個体がさらに大きな声で叫び出し、その衝撃波で弾き飛ばされてしまうのだ。 近づけない。 絞め技が届かない。
「遠距離攻撃か……」
ネムは考えた。 手元にあるのは枕だけ。 魔法も弓も持っていない。 なら、どうするか。
「……届かないなら、届ければいい」
彼は枕を右手に持ち替えた。 野球のピッチャーのように振りかぶる。 狙うは、一番うるさい声を出している変異種のマンドラゴラ。 距離は約二十メートル。
「静かに……しやがれェッ!!」
剛速球。 いや、剛速枕。 ネムの腕から放たれた『手作りの粗末な枕』は、恐るべき回転と共に空気を切り裂き、一直線にマンドラゴラの顔面へと吸い込まれた。
ドムッ!!
重く、湿った音が響く。 枕はマンドラゴラの顔面にクリーンヒットし、そのまま勢いで地面に叩き伏せた。
「……ギャッ……」
悲鳴が途切れる。 マンドラゴラは白目を剥いて気絶していた。 枕の柔らかさが衝撃を拡散させつつ、確実に脳震盪を起こさせたのだ。
>> ターゲットの沈黙を確認。 >> 投擲によるスタン攻撃成功。 >> スキル《投擲》を習得しました。 >> 特定条件を達成しました。本来武器ではないものを、殺意を持って投擲しました。 >> 派生スキル《枕投げ》を習得しました。
「……ほう」
ネムは自分の手を見た。 今、不思議な感覚があった。 枕を投げた瞬間、指先が勝手に微調整を行い、風向きや重力を計算して「当たる軌道」をなぞったような感覚。 これがスキル補正か。
「拾いに行くのが面倒だが……これならいける」
彼は気絶したマンドラゴラから枕を回収し、次なるターゲットを探した。 そこからは、一方的な虐殺だった。
「キィィ……ドムッ!」 「ギャ……ボフッ!」
悲鳴を上げようと口を開けた瞬間、正確無比なコントロールで枕が飛んでくる。 口を塞がれ、顔面を殴打され、マンドラゴラたちは次々と沈黙していく。 投げては走り、拾っては投げ。 その動きは、まるで運動会で玉入れをする子供のような無邪気さと、害虫駆除業者のような冷徹さが同居していた。
「おい、あれ見ろよ……」 「嘘だろ、ソロであの群れを壊滅させてるぞ」 「ていうか、あれ何投げてるんだ? ……枕?」
遠巻きに見ていたプレイヤーたちが、またしてもざわつき始める。 しかし、耳に苔を詰めているネムには聞こえない。 彼の世界にあるのは、「投げれば静かになる」という単純かつ快感な真理だけだった。
一時間後。 森は静寂を取り戻した。 数百匹のマンドラゴラが、地面に突っ伏してピクピクと痙攣している。 中央に立つのは、片足だけズボンを履いた男。 彼は満足げに頷くと、最後の変異種からドロップしたアイテムを拾い上げた。
>> クエスト目標を達成しました。 >> ドロップアイテム『マンドラゴラの根』『悲鳴の種』を入手しました。 >> レベルが上がりました。 >> 称号《静寂の処刑人》を獲得しました。
「ふぅ……これでやっと静かになった」
ネムは泥だらけになった枕をパンパンと払い、愛おしそうに頬ずりをした。 投げすぎて少し綿が寄ってしまったが、逆にそれが首にフィットするようになっている。 使い込むほどに馴染む道具。素晴らしいことだ。
「よし、帰って報告だ。耳栓をもらったら、宿屋のベッドでこの枕を試そう」
彼は意気揚々と街へ戻っていった。 背後で、気絶から目覚めたマンドラゴラたちが、恐怖のあまり二度と叫ばず、土の中に引きこもってしまったことも知らずに。
こうしてネムは、新たな攻撃手段を手に入れた。 しかし、彼の「安眠への探求」はまだ終わらない。 宿屋のベッドが硬すぎるという、次なる壁が待ち受けていたからだ。




