詩人の死
亡骸は薄氷を渡る
夜明けの雨に打ち砕かれて、かそけき道は残らねど
燃える髪の貴女よ。どうか嘆きたもうな
罪なる月は夜毎に欠けて、終には闇へとうち隠れぬ
……
ルーラシュは我が友、崇愛する我が友。
世の人は不思議に思うだろう。彼は藝雅宮――美の業を愛するわが王が国中の芸術家から優れた者を選り抜いた宮舎に招かれし麗客で、女神に仕える詩人、歌い手、劇作家である。なぜ私のような鎗矛を扱う朴訥な衛兵風情と親しむ由縁があろうかと。
なんのことはない。単に我々は同じ年に同じ郷里に生まれ、同じ学屋に机を並べた、それだけの仲であった。
私は粗野な武人だが、詩の美しさをかけらも解せぬわけではない。友は幼い頃より才能溢れ、美しい声で紡がれるルーラシュの世界に触れた経験は、いくらか私に詩情を覚えさせてくれたのだ。
少なくとも私はルーラシュの歌ならわかる。彼の操る言葉と韻律の鮮やかさ、描き出される情感の世界、それを具現する彼自身の伸びやかな声――誰に真似ができようか? 彼は紛れもなく創造の女神の祝福を受けた者だったと私は信ずる。
ゆえに彼の死の一報は、半ば諦めによって受け入れられた。同じことを誰もが思ったろう。
ルーラシュは女神に愛されすぎたのだ、と。
私に疑念を抱かせたのは、実際にこの目で現場を改めたその日、この目で見聞きした総てである。
室内――彼の作品を記した木簡が尽く割り砕かれて、床じゅう木くずだらけのひどい有様であった。亡骸はその上に横たわっていた。しばらく会わぬでいた間にルーラシュは哀れなほど痩せて、質素な生成りの室内着がひどくだぶついていた。破片には陶器が混じり、死臭と酒の匂いが混濁して、この世の終わりを思わせた。
壁――藝雅宮ではどの部屋も見事な陶牌の敷飾画が施されているが、これも無残に砕かれていた。
窓――やはりモザイクで彩られた円形の、夜毎に月を臨めるのだと生前ルーラシュが語っていたのを覚えている、彼の気に入りの窓を覆う日除け布に、奇妙な詩歌が遺されていた。ルーラシュ自身の掌が傷ついており、割れた木簡に散る痕と同じ色の血で、彼が書いたものと思われた。
誰かが言った。ルーラシュがこれに似た詩を王に献上したと聞いたことがある、不評で捨てられてしまったそうだが、藝雅宮の何人かが詩作中の彼自身と草案を見ているのだ。
題はまさしく『詩人の死』――主人公は優れた才があるゆえに命を落とした。まさにルーラシュのように、と。
「才能に死するとは、どういうことだろうか」と私が尋ねると、芸術家たちは口々に答えた。
画家曰く「初めから持たぬより、得てから失うほうがつらいものだ。近ごろのルーラシュは詩作が捗らず酒ばかり呑んでいた。実際そのような心境だからこそ、己の死などという破滅的な作品を創るのだろう」
彫刻家曰く「私が見た草案では詩人は殺されていたよ。矜持ばかり勝って才能の劣る者の、どうあっても彼を超えられぬという絶望と、嫉妬のためにね」
丸琴弾き曰く「あるいは恋に破れたのかもしれませんね。詩人の言葉というのはいちいち難解ですから……おや、そう思うのは私だけでしょうか?」
私はこれらの、くだらぬ戯言とも思える言葉の一つ一つを書き留めて、余さず衛兵長に伝えねばならぬ。書上ではルーラシュはわが友ではなく王の庭を騒がせた哀れな死者である。哀しいかな、しかし私は今この職に就いていればこそ、わが友の死の事実について追及することが叶うのだ。
私が見定めねばならぬ第一の点は無論、ルーラシュの命を絶ったのが誰であったか――彼自身にしろ他の誰であったにしろ、その手段と訳とを明白にして、わが王の慈しむ芸術の宮に平穏を取り戻すことである。
したがって仕事を終えるまでは、亡友の死を嘆く暇はない。
初めに私はルーラシュの詩に感銘を受けたことを語った。ゆえに主張したいのは、窓に書かれた血文字は彼のものではない、ということだ。もっとも私の直感のほかにそれを証す手段がないのでは、そのまま兵長に報告するわけにはいかなかった。
だが彼が、かのルーラシュが、あのような情感の薄い、素人じみた安っぽい散文を絶筆として遺すだろうか? ――画家は彼が最近ひどい不調に苦しんでいたようだと証言したし、他にも藝雅宮で思い悩むルーラシュの姿を見聞きした者は少なくない、不自然ではなかろうという声はあったが、私には納得がいかなかった。
いくら調子が出ずとも、彼は詩人だった。言の葉と韻律の魔術師だったのだ。
私情に囚われて職務を中断することは許されない。私は努めて疑念を押し殺し、もし彼が自死であったなら遺書となる詩の解読を試みた。
第一の行。亡骸は薄氷を渡る――割砕かれた木簡の山に横たわったルーラシュ自身の亡き骸か。下敷きにされたものには過去の傑作も近年の習作も入り乱れていたが、それを春先のもろい氷に喩えるのは、いかにも優れた才能の危うさを嘆いているふうである。
第二の行。夜明けの雨に打ち砕かれて、かそけき道は残らねど――詩人が自らの手で己の運命を粉々にした? それが絶望や深酒によるものなら、夜明けの雨とするのはいささか妙な言葉選びである。
無理に解釈するのなら、死こそが芸術不調の苦しみから逃れる唯一の救いだという、創り手の狂気を表したのかもしれないが。
第三の行。燃える髪の貴女よ。どうか嘆きたもうな――この一文には三通り、あるいは二通りの意見が上がった。いずれも燃える髪とは紅毛のことだと解釈した点では全員が一致していたが、ある者は彼を見放した女神のことだろうと言った。これが第一の意見である。
では残りは何を思い浮かべたかというと、その女とは誰あろう、寵姫サピニケーだという。なるほど年がら藝雅宮に籠る詩人にとって、見聞きする女といえば麗奥宮の鳥たちで、中でも近ごろ王が溺愛して止まぬその人はとりわけ見事な朱い髪であると、宮殿に仕える中で聞き知らぬ者などいない事実である。
つまり後者の意見が二つに分かれたのは、ルーラシュが彼女への横恋慕に破れたというありがちな想像を、全員は支持しなかった。サピニケーが嘆くのは彼女も歌を愛していたからで、王は彼女のための詩歌集をルーラシュに作らせるつもりだったのだが、才の至らぬによってその栄誉ある依頼を反古にすることを彼は詫びたのだ、とするほうが私も辛うじて腑に落ちる。
第四、最後の行――罪なる月は夜毎に欠けて、終には闇へとうち隠れぬ。
この一文がもっとも私に疑いを抱かせるのだ。自殺説の支持者などは、ルーラシュは自死とそれによって王や藝雅宮にもたらされる混乱を恥じ、時が経つにつれてほとぼりが冷めるのを願っているのだ云々と言う。わが友を軽んじるのも大概にしてもらえまいか!
第二の行にある夜明け云々ともそぐわないのも解せない。ルーラシュにそのような凡庸な誤りはありえないのだ。
私は職務として事実を検めねばならぬ。サピニケーの侍女を呼んで尋ねてはみたが、ルーラシュが個人的に彼女と接した場面があったかは定かではない。
ただ貴い女性は詩人の訃報以来、加減が優れぬそうである。どうやら窓の詩については先だって話が漏れていたようで、私が調べ回るうちにはすでに宮殿中に一言一句が知れていたので、そこに自分を想起させる一節のあるのを知って、気に病んでいるのでしょうとの由。
「衛兵様は如何お考えでしょうか? ルーラシュ殿は亡くなる間際、サピニケー様を指してそのように仰ったのですか?」
「未だ判らない。君はどうだ、何か気の付いたことはあるか」
「そういえば……月が二つ、ございました」
「どういう意味だ」
「私にもわかりません。ただ夜中に物音がして、サピニケー様がお目覚めかしらと廊下に出ましたら、庭先に月が二つあったのです。一つは空にあって、一つは少し下で揺れていて、そのうちに、ふっと消えてしまいましたの」
そういうことが何度かあり、ひとまずサピニケーの寝所を覗くと、いつも彼女の主人は窓辺にいた。そして誰か訪ねてきたのかと問えば「まさか」と首を振りながら、溜息混じりに庭を眺めていたという。
侍女が辞したのちも私は奇妙な符合について考えた。罪なる月――麗奥宮の庭に浮かぶ第二の月。もしそれが王の寵姫の元に人知れず通う何者かであるなら、それは夜毎に欠けて――すなわち許されざる逢瀬を控え、そのため――終には闇にうち隠れぬ――もはや再びの密会はない。
まるで手切れの文句に思える。一体誰が、まさかルーラシュではあるまい、彼なら私のごとき素人に読み解けるような浅い詩になどしない。サピニケー本人にだけそうと伝わる比喩や暗号を、甘美で鮮烈な言葉に隠しておいたろう。
ましてや元来、わが友は女のために酒浸りで何日も思い悩むような男ではない。如何にサピニケーが美しかろうとも。
共に検めていた同卒の兵士は、私が連日あらぬ方面を調べ回っていると言って諌めた。これはルーラシュの自死、それも自ら詠んだ『詩人の死』を遺書とする、不調に悩んだ挙げ句の末路だと。
そも窓の詩がルーラシュのものでないと強弁するのは私一人である。おまえはそこから間違っていると諭されて、私は激憤しそうになったが、はっとして二の句が継げなかった。彼の手元――我々衛兵が一様に携えている鎗矛の先を見たからだ。銀の刃は細長い半円で、まさしく月のようではないか。
柄には黒く染めた皮を張っている。夜闇の中を歩いたら、刃先ばかりが月光を照り返すだろう。侍女はそれを見て月が二つと言ったのだ!
私は確信した。わが友は殺されたのだと。彼には詩作に耽けると昼でも夜でも外をうろうろする癖があったから、禁じられた密会を目撃したのだ。それで彼は思い悩んだすえ、口封じされたに違いない。
自死を装うがために先だって作られた詩に擬えられたが、下手人は恐らく本物の『詩人の死』を知らなかった。ゆえに真似てそれらしい詩を詠み、暗にサピニケーにだけ真相を――二人の過ちを人に知られる危険はこれ以上犯せぬと――伝えたのではないか?
憎むべき人でなしは、私の暮らす衛兵舎のどこかにいる。しかしそのたった一人を特定するだけの証拠はない。向こうから名乗り出るはずはないだろう、王はサピニケーの裏切りとその密通相手には必ず死を賜るであろうから。
第一にして大勢はみなルーラシュの自死であると信じつつあった。彼の無実を確信するのは私だけ、何の後ろ盾も、確たる証明の手段も持たぬ、無力極まりない一兵士だ。
だが、私は証したい。『詩人の死』と彼の非業は、決して偶然ないし必然の一致などではなく、何者かが作り上げた偽りの相似でしかないと。
あのお粗末な詩はルーラシュの作ではない、私の愛する友には間違いなく創造の女神の祝福があったことを。
おお、なれば女神よ、あなたの寵児を救う力を、ほんの一時この私に与えたもう。贄にはわが命を差し出そう。
――斯くして夜半、衛兵舎の表の壁に、何者かが短刀で奇妙な詩を刻んだ。
わが亡骸は薄氷を越えて
見よ、白望山の頂に挿頭せる旭日なりき
雨垂れは今は遠く されど哀しき夜は果てたり
燦々たる光、真に到らん。恐るるべし月の雲居に
多くの者は首を傾げた。そして翌朝には一人の衛兵が、麗奥宮の庭で血を流して死んでいるのが見つかった。ちょうどサピニケー妃の居室から見下ろした処であった。
遺体の胸には毀れた矛の刃先が突き刺さったまま、隠すように手で押さえていたという。
〈了〉




