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呪われた人形師として蔑まれ、婚約者とその愛人に断罪されそうになりましたが、敵国の王子様に救われました

作者: 猫又ノ猫助

 工房の隅に積まれた木屑と、古びた布の匂いが、私の世界の全てだった。窓から差し込む朝の光は、いつも薄く、作りかけの人形の無機質な体を照らし出すだけ。その完璧でありながら命を持たない美しさが、私の底知れない孤独をさらに際立たせた。今日も、私の指先は意識的に糸を操る。願いを込めるように、魔法の糸で木偶に魂のかけらを与え、かすかな動きを与えていく。


 私の名はイヴ。古代魔法の血を引く人形遣い。生きた人形を操るこの特別な力は、確かに私を人とは違う存在にしたけれど、それは祝福ではなく、周囲から私を隔絶する冷たい壁にしかならなかった。


 特に、私の立場をより一層危うくしていたのは、婚約者であるレオナルド様の存在だった。彼は若くして王国騎士団を率いる団長であり、その磨き上げられた漆黒の鎧と鋭い眼光は、常に揺るぎない権威を放っていた。王国の秩序を守る盾であるレオナルド様にとって、私の人形を操る力は、理解できない異質なもの、そして恐ろしい「呪い」に他ならなかったのだろう。彼の目に私の力が映る時、私はいつも隠しきれない恐怖の色を見る気がした。それは私の心を深く抉る痛みだった。


 そして、聖都の高位にある聖職者、アメリア様。レオナルド様の家を頻繁に出入りしているのが確認されており、彼女こそがレオナルド様と結婚するのではと噂されている。そして彼女は聖職者として、多くの人々の尊敬を集めていた。けれど、私に向ける澄んだ青い瞳の奥には、凍てつくような拒絶の色があった。彼女は公然と人形魔法を邪悪な呪いだと説き、私の存在そのものが聖都の清らかな教えに反するものだと声高に主張した。街では、私の人形が夜中に勝手に動き出して災いをもたらすとか、私の力が人々を不幸にするといった根も葉もない噂が流れていたけれど、その多くはアメリア様の聖職者としての影響力を笠に着て吹聴されたものだと、私は感じていた。彼女は機会があるごとに、レオナルド様にも私の危険性を訴えていると聞き、胸が締め付けられる思いだった。


 レオナルド様の冷たい態度は、私の心を絶えず締め付ける鎖のようだった。時々、まだ彼が私の力を恐れてはいなかった頃の、優しい言葉を囁いてくれた過去の面影を探してしまうけれど、彼の瞳はいつも私を恐れているように見えるばかりだった。


「イヴ、またそんなことをしているのか?」


 ある日、レオナルド様が工房の入り口に立ち、眉をひそめた。


「その薄気味悪い人形と糸は止めろと言っているだろう。それは人の使う力ではない」


 彼の声には、私への戸惑いと、騎士団長としての厳しさが混じっていた。彼の言葉を聞くたび、私は自分の存在が許されないものだと痛感した。


 アメリア様の言葉は、私の存在そのものを否定する、研ぎ澄まされた刃のようだった。「人形遣いなど、この世界に不要な存在だ」と、彼女は澄んだ瞳で言い放ったことがあった。その言葉が、私の胸に深く突き刺さり、決して抜けなくなった傷となった。


 けれど、夜になれば、私はもう一つの顔を持つことができた。「銀の操り人形」の座長として、光に包まれた舞台に立つ。素顔を隠し、声を潜め、指先の糸に全ての感情を込めて人形たちに命を吹き込む。私の人形たちは、舞台の上で笑い、泣き、恋をする。光の下で、彼らは私自身の言葉を代弁し、普段は押し殺している感情を自由に表現する。観客の息をのむ声、劇の終わりに送られる温かい拍手。その一瞬だけ、私の孤独は溶かされる。私の力が、誰かの心を揺さぶることができるのだと、感じられる瞬間だった。


 ある夜のことだった。いつものように劇を終え、楽屋で次の公演の準備をしていた時、控えめなノックが聞こえた。「どうぞ」と答えると、そこに立っていたのは、見慣れない青年だった。飾り気のない簡素な服を身につけ、物腰も柔らかい。彼は「テオ」と名乗った。


「あの……今日の劇、とても気に入りました」


 彼の声は温かく、彼のその瞳は真摯だった。これまでに多くの観客を見てきたけれど、彼の瞳には、ただ劇への賞賛だけでなく、その奥に何か深い感情が宿っているように感じられた。


「ありがとうございます」


 私は小さくお辞儀をした。


「何か御用でしょうか?」


「いえ、ただ、どうしても直接お伝えしたくて」


 テオ様は少しはにかんだ。


「あなたの操る人形には、本当に心が宿っているように見えました。特に、最後の悲しい踊りは…胸が締め付けられました」


 その言葉が、私の心の奥深く隠されていた敏感さに触れた気がした。人形たちは、私のもう一つの顔。彼らの動きには、私の喜びも、悲しみも、そして誰にも言えない秘密も、全てが込められている。それを、この青年は見抜いたのだ。


 それから、テオは私の劇団によく顔を出すようになった。人形作りの手伝いをしてくれたり、劇の物語について様々なアイデアを出してくれたり。彼と話していると、心がゆっくりと解きほぐされていくのを感じた。私のこの特別な力を、彼は決して恐れない。むしろ、「素晴らしい才能だ」と、真剣な瞳で言ってくれる。彼の言葉は、まるで私にとって待ち望んだ春の陽だまりのように、冷え切った心を温めてくれた。

「イヴさんの人形は、物語を語りますね」テオ様は私の人形の一つを手に取り、その細かい動きを熱心に見つめていた。


「悲しい物語の時、その瞳には本当に涙が浮かんでいるように見える」


「人形は、私の心の声です」私は静かに答えた。「私自身が、声に出せない感情を、彼らに託しているのかもしれません」


 テオと過ごす時間の中で、私はゆっくりと彼に惹かれていった。彼の優しい声、知的な会話、そして私のこの特別な力への深い理解。初めて、この世界にも、私を受け入れてくれる人がいるのかもしれない、と希望の光が見え始めた。孤独だった世界に、温かい色が灯り始めたような気がした。

 けれど、その光は、突然陰りを見せる。レオナルド様が、私とテオが親しく話しているのを目撃したのだ。彼の目に宿る冷たい光は、以前にも増して鋭く、私の心を凍らせる。


「エリス、あの男は何者だ?」 レオナルド様が、テオが帰った後に私に詰め寄った。「お前のような者が、得体の知れない輩と親しくするべきではない。分を弁えろ。騎士団長として、怪しい人物を見過ごすわけにはいかない。彼の身元を調べさせてもらう」


 彼の声には、警告と、そして私への支配欲のようなものが含まれているように聞こえた。数日後、私の劇団に、予期せぬ客が訪れた。アメリア様に率いられた、聖都の聖職者たちだった。彼女たちは皆、純白の法衣を纏い、荘厳な雰囲気を漂わせている。アメリア様は厳かな表情で私を見つめ、その口からは、「人形魔法は古代の邪悪な呪いだ」という冷たい非難の言葉が浴びせられる。


「人形遣いイヴよ」アメリア様が静かに、しかし響き渡る声で言った。「聖都は、貴女の使う魔法が教えに反する邪悪なものであると判断しました。街では、貴女の人形に操られた者が狂気に陥ったとの報告も届いています。貴女の力は人々を惑わし、混乱を招く呪いです。即刻その力を封印し、聖都にてPurification(浄化)を受け入れなさい」


 アメリア様の冷たい目が、私を断罪するように見つめていた。彼女たちの背後に立つ聖職者たちも、私を忌避するような視線を向けている。私は身動きが取れず、ただ彼女たちの言葉と圧力に圧倒されていた。聖都からの断罪に続き、私にさらなる追及の手が迫っているのを感じた。


 その時までに、レオナルド様はテオの身分を調べ上げていたらしい。騎士団のネットワークを使えば、異国の人物の素性を探ることは難しくなかったのだろう。彼は、テオが敵国シルヴァディの王子、テオドールであることを知ったのだ。私の秘密の力に加え、「敵国の王子」という存在が結びついたことで、彼らの策略は一気に現実味を帯びた。


 劇の日。今夜は重要な公演がある。観客席には、街の名士たちも集まっていると聞いた。不安を抱えながらも、私は人形に全ての想いを込めた。舞台袖で、私の人形たちの最後の手入れをしていた時、裏ドアが勢いよく開いた。騒がしい足音と、甲高い怒鳴り声が響き渡る。そこに立っていたのは、武装した騎士たちと、冷たい表情のレオナルド様だった。


「イヴ!貴様を国家反逆罪で逮捕する!」


 レオナルド様の鋭い声が、劇場内に響き渡り、観客のざわめきが遠く聞こえる。私の頭の中は真っ白になった。一体、何が起こっているのか。レオナルド様の背後に立つアメリア様が、勝利を確信したかのような薄笑いを浮かべているのが見えた。


「私に国家反逆罪など…!何のことですか、レオナルド様!」私は震える声で問い返した。


 レオナルド様は私に詰め寄り、低い声で言い放った。


「白を切るな!貴様が親しくしていたテオという男。奴は敵国シルヴァディの者だ!貴様は奴と内通し、この国の情報を流していたのだろう!その呪われた力で、奴を操っていたのかもしれない!」


 私の力が「操る」力だと決めつけられ、テオ様との関係が悪意に歪められている。絶望が胸に広がったその時、一つの声が、騒然とした空気を切り裂いた。「待て!」


 舞台の中央に、光を浴びて立っていたのは、テオだった。彼の周りには、護衛と思しき騎士達が立っており、私の知らない威厳と決意が漂っている。彼はまっすぐにレオナルド様とアメリア様を見据え、力強く宣言した。


「我が名はテオドール。シルヴァディ王国の王子である」


 そうテオが――テオドール王子が告げると、皆が息を呑んだ。


「王子である私が祖国に誓って告げる。彼女は無実だ。イヴのこの特別な才能は、呪いなどではない。両国を結ぶ、美しい芸術なのだ!私は文化交流のためにこの国を訪れた。そして、イヴ氏の才能に心を奪われたのだ。これこそ、我がシルヴァディとこの王国を結ぶ、真の絆となりうるだろう!」


 彼の声は自信をもって響き渡り、ホール全体を包み込んだ。観客たちは、予期せぬ事態に息をのんでいる。レオナルド様は驚愕の表情でテオドール王子を見つめ、アメリア様の澄んだ瞳には、隠された憎悪の色が浮かんだ。


 テオドール王子は、私の横に立ち、力強く私の手を握った。


「イヴ、あなたの芸術は、人々の心を豊かにする。どんな呪いなどではない」


 彼の温かい温もりが、私の冷え切った心にゆっくりと広がっていく。私は、彼の言葉を信じた。彼の真摯な瞳を見つめていると、突然、人形たちは私の指先を離れ、自然に動き始めた。悲しみ、苦しみ、そして隠された愛情。人形たちは、私の意識の奥底にある感情を、自由に、そして力強く表現し始めたのだ。それは、私の魂の叫びであり、彼らの嘘を暴く真実の言葉だった。


 劇の終わり。人形たちの表現豊かな動きは、観客たちの心を深く揺さぶった。レオナルド様とアメリア様が、私の力が邪悪な呪いであると主張し、私を国家反逆罪に陥れようとする中で、人形たちが真実の感情を、偽りのない芸術として表現したのだ。観客たちの間に感動が広がり、やがて温かい拍手が、ホールいっぱいに響き渡った。拍手は鳴りやまない。それは、人形たちへの、そして私への、そして真実への、最大の賛辞だった。


 拍手が鳴り響く中、レオナルド様とアメリア様の顔は、見る見るうちに蒼白になった。彼らの主張が、テオドール王子の証言、人形たちの生きた表現、そして観客たちの揺るぎない感動によって、完全に否定されたのだ。レオナルド様の周りにいた騎士たちが、居心地悪そうに視線を逸らすのが見えた。アメリア様は、聖職者たちと共に、顔から血の気を失くし、まるで光から遠ざかる影のように、静かに後ずさり始めた。


「ま、まさか…シルヴァディの王子だと…?」レオナルド様が呆然とした声で呟いた。彼の中で、テオドール王子はただの「怪しい男」だったのだろう。その男が、自分よりはるかに高位の存在だと知った驚愕は、彼の顔にありありと浮かんでいた。


「この件は私が国王陛下に直接ご報告させていただく」テオドール王子は毅然と言い放ち、レオナルド様とアメリア様を、二度と反論できない沈黙の中に突き落とした。


 レオナルドとアメリアの企みは、テオドール王子の決意に満ちた行動と、私の人形たちの真実の前に、脆くも崩れ去ったのだ。彼らはその場で、高位の権威を失った。テオドール王子は、彼らがエリスを陥れようとした証拠を提示し、彼らの嘘と偏見を白日の下に晒した。彼らの声はもう届かない。彼らを囲むのは、かつて彼らが利用し、見下した人々の、冷たい、あるいは憐れむような視線だけだった。


 その後、レオナルドは騎士団長の地位を剥奪され、アメリアも聖都での聖職者としての全てを失ったと聞いた。彼らは、かつて自分たちが見下した者たちから、憐れみや軽蔑の視線を浴びる存在となったと聞いた。彼らの失脚はあっけないほど迅速で、まるで砂の城が波に浚われるようだった。それは、彼らが積み上げてきた虚栄と偏見が、真実の前にはいかに脆いかを示すようだった。そして、私にとっては、長年の抑圧からの解放を告げる、何よりも爽快な光景でもあった。彼らが消えた世界は、以前よりずっと明るく感じられた。


 私の人形劇団「銀の操り人形」は、テオドール王子の尽力により、両国の親善の象徴として、温かい歓迎を受けるようになった。テオドール王子は公式にシルヴァディの王子であることを明かし、私の人形劇が両国の文化交流に果たす重要な役割を強調してくれたのだ。彼の存在は、私にとって最大の理解者であり、擁護者だった。


 テオドール王子は、よく私の元を訪れ、人形作りを手伝ってくれる。彼の優しい目に映る私は、もはや「呪われた人形遣い」ではない。彼の温かさが、私の心に彩りを与え、孤独だった私の世界をゆっくりと彩っていく。


「あなたの人形は、本当に素晴らしい」


 ある日、テオドール王子が完成したばかりの人形を見つめながら言った。


「これは、私たちの国の子供たちに見せてあげたいな。きっと喜ぶだろう」


「もし、あなたのお役に立てるなら嬉しいです」


 私は微笑んだ。彼の言葉を聞いていると、私の力が誰かの喜びにつながる祝福であるように思えてくる。


 夜空を見上げると、今日も銀色の月が優しく光を降り注いでいる。その光の下で、私は気づくのだ。呪われた糸から生まれた人形たちは、今、私の人生に温かい絆を結んでくれた。そして、銀の瞳を持つあの王子との出会いが、私の凍てついた心に、決して消えることのない温かい灯を灯してくれたのだと。私はもう一人ではない。私の力は、呪いではなく、世界と、そして大切な人と私を結ぶ、希望の糸なのだ。私の新しい人生は、テオドール王子と共に、ここから始まる。

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