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  作者: 秋野みか
2/3

中篇

 それから小一時間が過ぎ、会話の内容は、好きな食べ物や動物の話といった他愛のない話題で、退屈でもなかったけれど、特に楽しいとも感じられない内容だった。

 それよりも茜が気になったのは、由香里の様子だった。どうやら少し酔い始めているようだ。

 滅多に酔わない由香里が酔うのは失恋した時だけなので、茜は、やはりという気がしていた。

 こういう時には一旦席を立って、由香里と二人で話をする方が得策のように思ったので、由香里を化粧室に誘うことにした。

「由香里、ちょっと付き合ってくれる?」

 友彦と圭吾にも、「ちょっと、すみません」と声を掛けて化粧室に向かった。

 既に二度目のショーが始まっていて、周囲は話が聞こえないくらい賑やかになっていた。


 由香里を少し支えるようにして化粧室に入ると騒音が遠ざかり、何だかほっとした。

「ねぇ、由香里。ちょっと酔って来てるんじゃない?」と茜が訊ねた。

「うん……ちょっとだけね。でも、大丈夫よ」

「ほらねぇ、知らない人たちと飲んでるんだからね、しっかりしなくちゃダメよ」

「あら、でも友彦さんも圭吾さんも悪い人には見えないわよ」

「うん、そうねぇ。悪い人には見えないけれど……。でも、そろそろここを出て、彼らと別行動しない?」

「だって、もう一軒行こうって誘われちゃったわよ」

「お断りしてもいいんじゃないの? 私たちだけの会話もできないし……」

「あら、話はまた今度でもいいのよ。それより茜、あの圭吾さんって茜のこと気に入ったみたいで、横からずっと熱い視線を投げかけているわよ」

「そうなの? でも、私はあまり興味がないわ。まだ会ったばかりだし」

「うーん、そう。分かった。じゃあ、あと少しだけお話をしたら二人で別のお店へ行こう」

「ありがとう。分かってくれて」

 茜は由香里と話をした様子で、彼女は少し酔ってはいるけれど、まだ大丈夫だと思った。


 化粧室には、そんなに長くいなかったつもりだった。

 ところが出てみると、友彦と圭吾が化粧室の前で待っていて、もう支払いを済ませたと言う。

 「そんなの、困ります」と茜が言い、由香里も横で頷く。

「だって、ほら。ここはショーがあるから、うるさくて話をすることもできない。この数軒先に僕たちの馴染みの店があるんですよ。そろそろ帰らなくちゃいけない時間でしょう? そこで、もう一杯だけお付き合いくださったら送って行きますよ」

 友彦が笑顔で言い、さっさと戸口へ向かって歩き始めた。

 予想しなかった展開に、茜は戸惑っていた。

 けれども男性たちは、さっさと歩き始めているし、この雰囲気なら変な所へ連れ込まれるという事もないと考えていた。

 いざとなったら茜は、はっきりNOと言うことができるつもりだ。

 ただ、どうやら既に由香里は友彦に惹かれ始めているように見えるし、ひたすら物腰も柔らかく親切な二人に対して、この場面で茜だけが強い態度に出るのは難しかった。

「こうなったら仕方がないわね。それに、ちゃんと支払わなくちゃ」

 茜は、ため息の入り混じった声で、強くは言えない自分に言い訳をするように呟いた。


 そこから角を曲がり脇道に入ると、10分程歩いたところにある、地下のお店へと案内された。

 圭吾が先に立って扉を開けて抑えてくれていて、由香里の後に茜も続いていた。

 入る時にちらと見ると、グレーのメタルをあしらった扉の横の壁、黒字に金文字のプレートが張ってあり、お店の名前と並んで会員制の文字が浮き彫りになっていた。

(なんだか、高級そうなお店だわ。)

 茜は、支払いのこともあるので不安になり「会員制なのに、私たちが入っても大丈夫なんですか?」と最後に続く友彦に小声で尋ねると、

「えぇ、ここは仕事の関係でよく使っているお店なので、気にしなくていいんですよ」と茜には、よく事情ののみ込めないような返事が返って来た。


 照明を落とした店の中には、入って右側にカウンターがあって、左側と奥にはスクリーンやファブリックを使い巧みに隠された、かなり贅沢にスペースをとったボックス席がいくつか見えていた。

「いらっしゃいませ」とにっこり笑って迎えてくれたのは、髪をきれいに結い上げた四十代の小柄な女性で、シンプルな形のグレーのドレスを身にまとっていた。

 それ以上の会話はなかったけれど、彼らを知っていることを語るような視線を投げかけている。

 その後、茜たちにも一人ずつに対して同じように返さなければいけないような種類の微笑みを向けて来た。

 由香里が「こんばんは」と返事をしたところで、カウンターの中の男性が「ママ、三番のお席にご案内してください」と言う。

 ママと呼ばれた人は、「どうぞ、こちらへ」と大きなサファイアの光る手を裏返して、案内をしてくれた。


 茜が、こういうお店に来るのは初めての事だ。少し緊張しながらコーナーのあるソファに腰かけると、左から順番に由香里、友彦、茜、圭吾という順番に座った。

 ソファはとても柔らかく、深く掛けてもたれると体が沈んで隣の圭吾に体がくっつきそうになる。

 それが嫌だと感じたので茜は浅く腰かけ、前に低く置いてあるテーブルの方へ近づくようにして座った。

 由香里はと見ると端っこなので上手に隙間を空け、ソファに沈み込んでいた。

 ママは、圭吾の隣に軽く腰かけると「お飲み物は、どう致しましょう?」と尋ねる。

 友彦が「男二人は、水割りで」と短く答えた。

 由香里は、茜の方を見て「どうしましょ?」と少し気取って訊いて来た。

 その時、友彦が思いついたように「あぁ、ママ。この間、おいしいカクテルがあったじゃない? ほら、お店のオリジナルの……」

「えぇ、そうでしたね。ふふふ。あの時は、土曜日だったのでサタデースペシャルという名前を付けたのではなかったかしら?」

「そうだったよね、じゃあ今夜はフライデースペシャル?」と言う友彦に対して圭吾が

「お前、それじゃあ、おやじギャグだ。ダサ過ぎる」と言ったので、みんなで笑った。

 茜も由香里もそのカクテルを頼む事にし、茜は、お水もふたつ一緒に頼んだ。

 アルコールは水によく溶けるので、酔わないようにするためには、常にお水を横に置いて飲むといいと先輩達から聞いていた。


 お店の中には、他にも客があるようだったけれど、時折低い笑い声が聞こえたりする程度で、会話の内容までは届かないようになっていた。

 確かにカップルで来るよりも、商談など何か人に聞かれたくない話がある時に使われるのではないか、と思われるようなお店だった。

 やがて会話の様子を眺めた後、ママと呼ばれる女性は「どうぞ、ごゆっくり」と言って立って行った。

 すると好奇心いっぱいという顔で、由香里が友彦に話しかける。

「ねぇねぇ、友彦さん、こういうお店を何と呼ぶの?」

「ラウンジ、かな?」

「へぇー、で、こんなところによく来るの?」

「んー、よくっていう訳じゃないんだけど、この近くで飲んだ時には、来るかな?」

 何だか二人は打ち解けた様子だと思いながら、茜も尋ねた。

「さっき、会社の関係って仰っていたけど、どういう意味なのでしょう?」

「あれね、ははは。僕たちが支払わなくてもいいっていう意味ですよ。まぁ、細かいことは、いいじゃないですか」

 細かいことと言われても、茜は困ると思った。さっきの店の支払いも済ませてしまったまま、ここの分まで支払うつもりのような言い方に戸惑った。

「友彦さん、私たち本当に困るんです。ちゃんと支払いをさせて頂かないと。さっきのお店の分も金額を教えて頂きたいのですが」

 そこへ、圭吾が口を挟んで来た。

「茜さん、いいんだよ。それに、ここは会員制で友彦のサインでなければダメなんだ。請求書は後で来ることになっている。きれいな女性は、お金のことなんて考えなくていいんですよ」

「でも……」

 茜がそう言いかけたところへ、ボーイが飲み物を運んで来たので会話が中断し、大きなフルーツをあしらったカクテルに視線が集まった。

 飲み物の色は白濁した淡いピンクで、そこへ大きくカットしたパイナップルやオレンジ、スターフルーツなどが飾ってあり、南国にヴァカンスに出た時のような印象で華やかだった。

「スペシャルというよりも、フェスティバルみたい。」と由香里が楽しそうに言い、みんなで乾杯をした。


 茜はまだ支払いの話が終わっていなかったけれど、ここで蒸し返すと雰囲気を壊すようでためらわれ、次のタイミングを探る事にした。

 ところがカクテルを一口飲んだ途端に、きついアルコールとピーチの香りを苦手に感じた。

 どういう訳か茜は缶詰の果物が苦手で、特に桃の缶詰は全く食べられない。

 このカクテルには、桃の味のリキュールが使われていたので、その匂いが缶詰と同じように茜の鼻をつく。

 そこでカクテルは飲まずに水を飲み続けることにした。

 元々アルコールは好きな訳ではない。フルーツは食べやすいようにカットしてあって種を置く為の小皿も添えられていたけれど、桃の香りを思い出すと手を出す気にはなれなかった。

 由香里は、それらをおいしそうに食べている。しかし、ふと気が付いたらしく「茜、これ、ダメなんでしょう?」と茜に向かって言う。

(もうー、黙っていてくれればいいのに)と思ったけれど、誤魔化せそうにないのも本当のところだった。

「じゃ、他の物にしましょう」と友彦が言い、茜に大丈夫かを確認してからボーイにグレナディンベースの飲み物を頼んでしまった。

 ちょっと強引なところはあるけれど、確かに友彦は悪い人には見えない。

 ただ、圭吾の方は口数が少なく、まだよくは分らない。

 一杯だけという事だったけれど、由香里は茜の飲めなかったカクテルまでさっさと引き取って飲んでいた。

 お水も飲まないので心配をしていると、案の定かなり酔いが回り始めているように見えた。

 ここのアルコールはきつい。茜の方は、新しく作ってもらったカクテルの半分ほどでグラスを置いた。

「ねぇ、由香里。お水を飲まなきゃダメよ」と茜が声をかけると、友彦が由香里の手にお水のグラスを渡した。

 そこで圭吾が何やらマッチ棒をテーブルの上に並べ始めて、クイズを始める。

 チリトリの形をしたマッチ棒の中にゴミに見立てたマッチ棒が外に置いてあり、それを中に入るように移動させる。ただし、動かせるマッチ棒の本数は限られているというものだった。

 できなければ残りのカクテルを一気飲みだと言うので、茜は真剣にマッチ棒を眺めて考え始めた。

 由香里の方は、にこにこしながら、水のグラスを片手に茜と手元を眺めていた。

 しばらく考えたけれど、アルコールのせいもあるのか答えが出て来ない。

 由香里の様子を見ると、そろそろ限界だ。なんとか一気飲みは許してもらって、今日は由香里を自分のアパートに泊めようと思っていた。

 そのお店に入ってから、まだ一時間ほどで、そんなに遅くなってはいない筈だ。

 ちょっと喫茶店にでも寄って酔いを醒ませば電車でも帰れるのではないかと考えながら、圭吾に降参だと言った。

「でも、このアルコールは強いので一気飲みは無理です。ごめんなさい」

そう言えば笑って許してくれると思ったのだ。

 なのに圭吾は意外と頑なで「約束だもの。飲んでくれないと困るなぁ……」と意地悪な調子で言う。

 ストローでカクテルをかき混ぜて「ほら、氷が溶けて少し薄くなったよ。どうぞ」と茜の手にカクテルを渡すのだ。

 そこへ友彦が「一口、いや、二口も飲めば許してあげることにしようよ」と笑いながら言うので、圭吾も笑って頷いた。

 茜はストローで少しだけ飲み物を吸い上げた時に、ちょっとした苦みを感じた。

 けれども、フルーツに時折苦みがあるのは普通のことなので、約束通りふた口を飲んでグラスを置き、ついでに残りの水も全部飲み干した。


 そこでようやく店を出ようという事になった。 

 友彦がサインを済ませ、お店から出て階段を上る辺りで、由香里の様子が変なのに気がついた。

 酔った時にニコニコしているのは、いつもと変わりがないのだけれど、何も話さないし足元が大きくふらついている。

 由香里は、アルコールの弱い方ではない。やはり、あのカクテルのアルコールが強かったのだと思う。

 茜は、友彦の腕を借りて由香里の脇を自分の肩に乗せ、抱えるようにして歩かせた。

 その時には、もう支払いの事など完全に頭から抜けてしまっていた。

「じゃあ、タクシーを拾えるところまで少し歩こうか? 酔い醒ましにもいいんじゃないかな」と友彦が言い、茜もタクシーの方が安全だと思ったので素直に頷いた。

 圭吾が「代わろうか?」と茜に言うのには、首を振った。

「ちょっと、由香里。しっかりして。重いわよ」と言いながら支えるけれど、返事がない。

 茜自身も、少し足元が頼りない感じがする。

 その内に由香里はぐったりして寝息を立て始めた。

 眠った人間は、重い。もう限界かと思った時に、友彦と圭吾が由香里を引き取り「ほら、君はバッグを持ってあげて」と茜に渡した。

 一ブロックほど歩いた時点で、「無理だな……これは」と友彦が言い出した。

「無理って?」と茜が訊き返すと「茜さんがタクシーを拾って送って行ったところで、彼女をどうやって部屋まで運ぶの?」と友彦が答える。

「そうですね」

 返事をしながら、茜は考えた。でも、これもアルコールの所為なのか、考えてもどうしたらいいのか良い知恵が浮かばない。


 そこで助けるように友彦が話し始めた。

「僕たちのホテルの部屋は、このすぐ近くにあるんだ」

「え?ホテルですか?」

「あぁ、飲む時には運転が出来ないから、いつも安いホテルに部屋を取ってある」

「……」

「そこで、彼女を休ませてあげてから帰った方がいいよ」

「いいえ、そこまでご迷惑を掛ける訳には行きません」

「心配しなくていいんだよ。部屋はツインだし、もう一部屋頼んで僕たちが移るから……」

「でも……」

「正直に言うとね、彼女を担いだまま、通りまで出てタクシーに乗せるよりは、すぐそこのホテルの部屋までエレベーターに乗せて運ぶ方が、僕たちに迷惑はかからないんだけど?」

 茜は何だか頭が重く、考えがまとまらない。

 そうして、やり取りをしている内に、友彦の言う事が正しいように思えて来た。

 「わかりました。すみません」と言った後、とにかく自分だけでもしっかりしようと三人の後ろに続いた。


 ホテルまでは本当にすぐで、安ホテルと聞いていたけれど、実は全国にチェーン展開している老舗の立派なホテルだった。

(由香里が眠っていなければ、感動しただろうか? いえ、眠っていなければ、今頃二人とも家路についていたわよね)と茜は思う。

 柔らかいカーペットが敷き詰められたロビーを抜けると、エレベーターがあった。

 茜が先にエレベーターの扉を開くボタンを押し、由香里と彼女を支える二人が中に入った。

 後に続いてから「何階ですか?」と尋ねると、友彦が「8階」と答えた。

 茜はエレベーターの上って行く間、緊張はしていたけれど、どうにも頭が働かない。

 何かが間違っているとは感じていた。けれども、物事の輪郭がはっきりしないのだ。

 そこで今夜の行動を一生懸命思い出し、飲み過ぎたことや最初の店で由香里をもっと強く止められなかったことを考え、ぼんやりと反省していた。


 エレベーターを降りた茜は扉の開ボタンを押さえ、三人が出るのを待って後に続いた。

 廊下は真っすぐに伸びていて、両側に客室の扉が並んでいた。

 ここもやはり床は柔らかなカーペット張りで、歩くと何だか気分がフワフワする。

 ただ不思議なのは、夜中なのにアメニティグッズやシーツを高く積んだワゴンが廊下に置かれていて、通行の妨げになっていたことだった。

 由香里を抱えた二人がワゴンの横を通り過ぎた直後、茜の方にワゴンが向かって来た。

 茜は、なんの身構えもしていなかったので避けきれず、派手に転んでしまった。

 その時「キャッ!」という茜の叫び声に友彦たちが振り返ったけれど、ホテルの従業員が茜を助け起こそうとしているのを見ると、そのまま進んで行った。

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