エンジョイ
―あー、ゴホン、テス、テス
キィンというハウリングが耳障りだ。
男は顔をしかめた。
まるで大学の教室のような作りの部屋だった。
講師然とした男が語り出す。
―えー、皆さん、はじめまして。わたくし、今回の皆さんの案内役に任命されました、芥、です。よろしくお願いします。
傍らの女性を手のひらを向け、紹介する。
―彼女は久住くん。助手をしてくれます。
ぺこり、と頭を下げる女性。
なかなかの美人だな…。などと、呑気な事を考えていた男は仰天する事になる。
―では、まず、皆さんには、現状理解を促したい。端的に申しましょう。―この中で<自分が死んだ事>を認識されている方、挙手を。
一気にざわめく、教室内。
口々に、一体なんなんだ?や、夢か?や、様々な言葉が飛び交う。が、数人の男女(男と同年代に見える)がおそるおそる、という感じで手を挙げた。
芥、と名乗った男は彼らを指す。
―可能でしたら、ご自分が命を落とした状況を教えて下さいますか?
ざわめきが大きくなる。
彼ら、6人はそれぞれが、なんと一人の通り魔による、犠牲者だった。曰く、刺された、鈍器で頭を殴打された、など、ひどいものだった。そのうち、ひとりの女性が、わっと、泣き出した
―私には娘がいるんです。あの子、やっと14歳になったばかりなのに…あの子、あの子も一緒にいたわ、あの時。あの子は無事なの?
女性の問いに、芥は―それは残念ながら答えられません。規定ですので。と言った。
泣き崩れる女性を、いつの間にか、音もなく入って来ていた女性二人が宥めるような言葉をかけつつ、連れ出して行った…。
―なんなんだ、ここは…
男は記憶が無い事…そもそも己が何者かもわからない―に戸惑いつつ、状況を見守るしか出来なかった。
芥は語る。
―実はこのような集いは、我々にとってもイレギュラーなのです。
実は手違いで、<地獄>に送るべき人間を、皆さん、善良な方達の中に紛れ込ませてしまった…完全にこちらの手落ちです、すみません。ぺこりと頭をさげる。久住、という女性もだ。
―一体、何なんだ…。
男は頭を抱えたくなった、と。
ひとつの情景が、まるで俯瞰しているように浮かび上がってきた。
―これは…?
男の脳裏に展開したのは…。
男が、自分自身で首を吊って縊死した姿だった…。
他にも、ぽつりぽつり、己の死の原因を思い出す人々がいた。事故、病死、一服盛られたなどと言う、物騒なものまで。
男は迷ったが挙手した。
―自分は…首を吊りました。
その言葉に芥の瞳がギラリ、と光ったように見えた。背筋が冷たくなる。
―俺、マズイ事言ったか?
芥は久住に何か耳打ちした。久住が教室を出ていく。
―それは本当ですか? 秋山翔一さん。
芥に名を呼ばれた瞬間、男―秋山の脳裏に信じられない光景が展開した。
暗い部屋で、様々な凶器を用意している自分…無辜の人々を傷付ける自分、最後は自ら…。
男は急に身体の力が抜け、へなへなとその場に崩れた。―そんな、俺が?
ショックを受け止めきれずにいる内に、いつの間にか黒スーツの男二人を伴った久住が、近くに来ていた。
―秋山翔一さん、こちらへお願いします。
そう言われても、足に力が入らない。さっきの女性の悲痛な叫び…。
黒スーツに左右を抱えられるようにして、男は教室を出た。
その背後から、芥の声が聞こえた。
―お手数をお掛けして申し訳ありませんでした!
善良なる皆さんは、これからを<エンジョイ>する事を考えて下さい!