ある日ガチャポンの森で、クマ……のような男に出会った 5
思わぬ成り行きで、憧れの木製ミニチュア家具を作ってもらえることになり、内心、興奮してドキドキしていると。
「暗くなったし、送ろう。それとも迎えにきてくれる誰かは……いるのか?」
「……っ!」
ようやく小熊さんへの誤解は解け、むしろこの短い時間の中でも誠実そうな印象を持ち、お詫びの品まで作ってもらうというのに、そんな彼に対していまだ話しかけられると体がビクッとしてしまう始末。
やはり、体が大きい分、無意識に、こう、“圧”みたいなのを感じてしまっているのだろうか……。
「あ、えと……ひ、ひとりでも、帰れ……」
「さすがに今日、ひとりで帰すのは心配だからダメだ」
「……」
これ以上、小熊さんに迷惑をかけるわけにはいかないと、ひとりでも大丈夫だと言おうとしたけれど、小熊さんは納得してくれなかった。
「じゃ、じゃあ、兄に、連絡してみます……」
「咲ちゃんは今、お兄さんと住んでいるんだね?」
狐坂さんにそう聞かれて、しばらく間が空いたもののコクンと小さくうなずいた。狐坂さんは小熊さんの時みたくビクッとはならないけど、何かじっとり緊張の汗が浮かぶ感じがする……。
「両親が……海外に、転勤になったので……。兄のところに、引っ越してきて……」
兄は県外の大学へ進学と同時に一人暮らしを始めて、そのままその地――つまり今住んでいるこの街――で就職した。
それまで私は、実家で両親と暮らしていたが、父の海外転勤が決まると母もそれについて行くことになった。
だけど、当時の私は会社をクビになりなかなか次の仕事も決まらない、いわゆるニート状態。
両親はそんな私を寛容な心で見守ってくれていたが、一人暮らしもおぼつかない娘を置いていくのも心配だし、一緒に海外に行くのはもっと無理だと考えあぐねていたところに、兄がしばらくこっちで暮らしてみないかと言ってくれたのだ。
実は、母は昔から語学留学の夢があり、父の海外転勤は母にとっても念願のチャンスだった。
それを私のために諦めるのは見たくなくて、勇気を振り絞ってこの街に引っ越すことに決めたのだった。
そして、兄から生活費のサポートを受けるかわりにせめて私が家事を、やっとのことでアルバイトが決まると少なからず食費も担当するようになった。
ちなみに、今日は兄にとってプライベートで大切な日だったので、正直迎えの電話をかけるのは気が引ける。でも、だからといって、これ以上他の人に迷惑をかけるのはもっと申し訳ない。
私は意を決してスマホを取り出すと、何度か深呼吸をして画面を開いた。
のだが……。
「……」
画面を開いたものの通話ボタンを押さずに、しばらくピタリと静止したままの私に、小熊さんがおそるおそるといった感じで声をかけた。
「……どうかしたか?」
「い、いえ……そ、その、ふ、普段の、会話は大丈夫なんですけど……。で、電話となると、またちょっとハードルが上がって……。こ、こうやって、かける前に、しゃべる内容を整理してからじゃないと……」
急用以外はメールにしているが、その場合いつ返事が返ってくるかわからないので、今この状況では電話をするしかない。
「そうか……」
私の返答に、さすがに少し戸惑ったような声をあげた小熊さん。
まさか、一緒に住んでいる兄に電話するのすら、心の準備が必要だとは思ってもみなかったのだろう……。
◇◆◇
「ごめんください。森野咲の兄です。この度は妹がご迷惑とお世話をかけたようで、申し訳ありません」
出先から駆けつけてくれたにも関わらず、ちゃんとお礼の品まで持参して迎えに来てくれた兄は、コミュ症の妹の分までしっかりと挨拶をしてくれた。
「いえ、こちらこそ妹さんを驚かせてしまい、申し訳ありませんでした」
そんな兄に、小熊さんもあらためて頭を下げたのだった。
「咲、大丈夫か?」
「……うん。ごめんね、お兄ちゃん。デートの途中だったはずなのに……」
「構わん。音寧はそんな事で文句を言ったりしない」
デートの邪魔をして申し訳ないと思いつつ、兄の顔を見てやっとほんの少し肩の力を抜くことが出来たような気がした。
「あの、デートの途中だったということは、もしかして彼女さんもご一緒にこられていますか? 外は寒いので、良かったら中へ……」
狐坂さんがそう言った瞬間、自分がうっかり口を滑らせてしまっていた事に気づき「あっ……」と思った時にはもう遅かった。
「ああ、それなら大丈夫です。音寧とはこうやって常に一緒にいますので」
そう言って、兄が取り出したのは液晶タブレットに映る、2次元アイドルの“音寧ちゃん”だった。
そう、兄はいわゆる2次元オタクだった。
今日はその液晶タブレット越しの音寧ちゃんとのディナーデートの日……。
でも、私にとっては自慢の兄である。だって、兄は“押し”のために、一念発起して勉学に励み20代で1級建築士の資格をとると、彼女(音寧ちゃん)へのプレゼント(課金)のためにバリバリと働いているのだ。
誰かのためにそこまで頑張れる兄を尊敬しているし、他人の目を全く気にすることなく今みたいに堂々と公言していて、その強靭なメンタルをほんの少しでいいから見習いたいと思っている。
コミュ症の私より何倍も立派だと思っているが、そんな兄に対して周りが反応に困っている様子を見ると、それはちょっと申し訳ない気持ちにもなるけれど……。
ところが……。
「1級建築士ですか。その若さですごいですね」
小熊さんは全く動じることなく、兄と名刺交換をしていて……。
「おお、今日の音寧ちゃんのコスチューム、これ限定レアバージョンですね」
狐坂さんも同様に、いやむしろ兄と何気に会話が弾んでいる。
――すごい。
それに比べて、私ときたら……。
二人に出会った時の自分の言動を思い出しながら、目の前で楽しそうに談笑している三人を見て、自分の不甲斐なさに落ち込むばかりだった。
そうして、一通り挨拶も済み、ようやく帰ることになった。
「森野、気をつけてな。明日になって、どこか痛んだりしたら、ちゃんと病院に行って診てもらってくれ」
「は、は、ははは、はい……。い、色々と、ありがとうございました……」
小熊さんの気遣いに恐縮しまくりの私は、最後までどぎまぎしながらも何とかお礼を言う。
「また、連絡する」
小熊さんのその一言に、胸にグッと迫るものがあった。
人と接するのが苦手な私だけど、決して人と話すのが嫌いなわけじゃない。
むしろ皆の様に話せたらどんなに楽しいか……心の奥でずっとそう思ってきた。
だけど、実際には学校でも職場でも皆の会話になかなかついていけず、オロオロしてばかりで愛想笑いのひとつも出来ない。たまに話しかけられても、どもってばかりの私に次第に用事以外で声をかけてくれる人はいなくなっていて……。
だから、私は久しぶりにそんな言葉をかけてもらえたことが、嬉しかったのだ。
少しでも楽しんでもらえたら、嬉しいです。
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