ある日ガチャポンの森で、クマ……のような男に出会った 2
「ん……」
意識がスーッと浮上していく感覚がしたかと思えば、何だか木を削った時のような爽やかな香りが微かに鼻腔をくすぐった。
ほんの少し身じろぎしながら目を覚ますと、ぼんやりと視界が開けていく。
「あ、起きた? ねえ、君大丈夫?」
目の前に、またもや見知らぬ男性が私の顔色をうかがうように覗き込もうとしていて、あわてて飛び起きた。
「あ、あ、あの……わ、わたっ、わたし、あの……」
気が動転していて、コミュ症がさらに悪化している。
「大丈夫。まずはゆっくり落ち着いて」
安心させるように微笑みながら、優しくそう声をかけてくれたけれど……。
漫画や小説の中では、こういう一見、優しそうだけど常に微笑んでいるタイプのイケメンさんは、実は腹黒策士というのが多い。しかも、ストーリーの中盤で裏切り者でしたというパターンもありがちだ、とまたもや勝手な妄想が膨らんでいく。
「小熊、僕でもだめみたいだから、諦めて素直に出て来なよ」
野良猫のように体をすくませ無言のまま相手をジッと視線で捕らえる警戒心バリバリの私の様子に、腹黒策士風の男性は笑顔のままお手上げといった感じでそう声を掛けると、部屋の向こうから先ほどのクマ……のような男性がのっそりと姿を現した。
しかし、どことなくしょげた様子のクマ……のような男性は、私のために一定の距離をとってくれたのか、少し離れたところの椅子に腰を下ろした。
そんな彼のかわりに、腹黒策士風の男性が再び口を開いた。
「ごめんね、彼が何だか君を驚かせてしまったみたいで。ここは北通り商店街にある小熊木工店。彼は小熊 大貴、ここの代表兼家具職人。こんな成りして“小熊”って可笑しいよね」
「……」
おそらくこの場の雰囲気を少しでも和まそうと、おどけた口調で軽口を叩いた彼をよそに、その場の空気はシーンと静まり返ったままだった……。
悲しいかなコミュ症故に、どう反応していいかわからない時はたいてい地蔵のように硬直したまま、ただ時が過ぎるのを待つだけの私。
「……で、僕は狐坂 有聖、この店の経営マネジメントをしていて、僕達二人とも身元がしっかりしているから、安心して」
微妙な空気が流れる中、気を取り直して腹黒策士風こと狐坂さんがひとまず自己紹介をしてくれた。
「気分が悪いとかない? 寝ている様子だったから、小熊がとりあえずここに運んで休ませてたんだけど……具合が悪いようなら病院に行こうか?」
狐坂さんの話で、どうやらあのまま眠ってしまった私をクマ……のような男性こと、小熊さんが助けてくれたのだと、やっとのことでそれを理解した。
とりあえず、私の様子を心配そうにうかがう二人の視線に、小さく首を横に振って答えた。
少し睡眠が取れたのと、さっき目覚める時にも感じたけど、木工店だからかこの微かに漂っている木のいい香りのおかげで、何だか妙に気分まですっきりしているような気がした。
「よかった。じゃあ、まずは君の名前を聞いても、大丈夫かな?」
名前を聞かれただけで、途端に心臓がドキリと大きく跳ね、視線が泳ぎまくる。コミュ症の自分にとってただ名乗るだけのことでも、ものすごく勇気のいることだった。
「も、も、ももも……もり、の、さっ、さ、さささ、さ……き……です」
――なんてこったい……!
ありえないくらい名前を噛んでしまった。いくら緊張しているからといっても、二十歳を過ぎてもこの有り様……。あまりの自分の不甲斐なさに、恥ずかしさで顔が一気に熱くなるのを感じた。
これまで、こんな風に何かを聞かれても、いつもまともに返答できない自分が情けない。しかも、焦ると余計にどもるという負の連鎖に陥ってしまうのだ。
「森野 咲だな」
けれど、そんな噛みまくりの自己紹介も、特に気にした様子もなく小熊さんがちゃんと拾い上げてくれた。
「とりあえず、お互い自己紹介も終わった事だし、どうやら小熊と咲ちゃんの間で行き違いがあったみたいだから、事の成り行きをゆっくり順を追って整理していこうか」
小熊さんのおかげでホッとしたのも束の間、狐坂さんにナチュラルに“ちゃん”付けで呼ばれたせいで、それにギョッとしてまた地蔵と化してしまった私のかわりに、小熊さんが主導で事情を説明してくれた。
「俺が物を壊してしまった挙句に、デカイ図体をした男が大声を上げたせいで、怖がらせてしまって申し訳なかった」
一通り話が終わると、小熊さんはあらためて謝ってくれたが、どう考えても彼が悪いわけではない。
非があるのは飛び出した私の方にもあるし、そのあと勝手に勘違いして逃げ出したにもかかわらず、彼はわざわざ追いかけて誤解を解こうとしてくれた親切な人だった。
だから、そんな小熊さんに私はあわてて首を横に振った。
「いえ、私の方こそ……ものすごい勘違いをして、ごめんなさい」
今度は何とかつっかえずに謝罪の言葉を言えたが、蚊の鳴くような小さな声だったのは否めない。
「わ、わた、私、その、コミュ症というか、ひ、人見知りが、激しくて……」
何でもかんでも「人見知りだから」の一言で済ませてはいけないと思いつつ、何かある度にそれを言い訳にしている自分もいた。
「そうか。それは余計に驚かせてしまったな」
けれど、そんな言い訳も小熊さんはあっさりと受け入れてくれた。
「あ、それから、この封筒は返しておくな。お金は大事にしないと」
勝手に勘違いして押し付けたのに、親切に返してくれた今月の食費とお小遣いが入った封筒に、正直かなりホッとした。
「あと、倒れた時、森野が持っていた鞄からいくつか物が落ちて、一応全部拾ったつもりだが、大事なものが失くなってないか確認してくれるか?」
クマのようだと勝手にビビっていた、数時間前の自分を殴りたい。
小熊さんは体が大きいだけじゃなくて、その心の器まで大きな人だった。
少しでも楽しんでもらえたら、嬉しいです。